2021年1月16日 映画『えんとつ町のプペル』を観た

映画『えんとつ町のプペル』を観た。緊急事態宣言が出される前に観に行こうと思って、実は1月6日に観に行った。それから、バタバタと緊急事態宣言の対応に追われていて、今頃の感想だ。

「ちゃんとした映画だった」。これがまさに感想だ。いや、勿論、映画を観に行っているのだから、映画なのだけれど、最近、何となく、ドラマの映画化とか、アニメの映画化とか、漫画の実写化とか、そういうのが多かったような印象だ。映画のために作られたのではなく、別のものを映画化したものが多い。そうではなく、この『えんとつ町のプペル』は、冒頭から最後まで、徹頭徹尾、映画だった。映画のためにつくられた映画だ。当たり前のことなのだけれど、でも、実はそこが当たり前になっていない映画が、実は意外と多い。そして、絵本とはまるで違った。根っこの部分は同じだし、西野さんは映画を作ることを前提にして、その中から一部を絵本として切り出したと説明はしていた。でも、映画の台本を絵本にするに当たって、絵本のために再構築したのだ、ということが、映画を観るとすごく分かる。絵本は、必要なのだけれど難解になる部分を全て取っ払って、分かりやすく、そしてシンプルに作っている。映画はそうではない。だから、全然、同じシーン、同じ台詞でも、印象が異なる。

そして、世界に没入できる作品だった。見終わった後に、えんとつ町の中にいたような気持ちがずぅっと残っていて、何だか劇場を離れるのがもったいないな、と感じた。これは、映像も綺麗だったし、世界の作り込みがよかったからだと思う。ものすごく精緻に世界が描かれていた。

映画上映中も、勿論、泣いたんだけど、でも、ボクは映画を観終わって、家に帰る道すがら、何度も泣いてしまった。仕事帰りで、とても遅い時間の回だったので、終わったのは11時過ぎ。そこから歩いて家まで帰った。その道すがら、自分のファイサラバードでの奮闘(「水なんて出せない」と散々に言われながら、何とか水を出したこと)や、今の業務のオンライン化の奮闘(ZoomやYouTubeを導入するまでの苦難)なんかを思い出して、ルビッチと自分を重ねた。ずぅっと1人で戦っていたと思っていたけれど、実はいろんな人に支えられて、応援されて前に進んでいたんだなあ、ということも、いろんなしがらみで邪魔をしてきた人たちがいたことも、そんな人たちをねじ伏せて乗り越えてきたことも、いろんなことを怒涛のように思い出して、何だか泣けてきた。決してネガティブな気持ちではなくって、乗り越えた達成感を思い出したし、応援してくれたみんなの顔も思い出せた。そして、これからも頑張らなくてはならない、と気持ちを新たにした。

そんな映画だった。