タビンシュエーティー・ナッ
分 類 | ミャンマー伝承 |
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တပင်ရွှေထီးနတ်〔dəbɪ̀ɰ̃ ʃwè tʰí〕(タビンシュエーティー・ナッ)【ミャンマー語】 | |
容 姿 | 剣を備え、王族の衣装に身を包んだ若い王子の精霊。 |
特 徴 | 一代にしてビルマ族のタウングー朝を巨大な帝国にし、側近に暗殺されて精霊ナッと化した。 |
出 典 | - |
一代でタウングー朝の帝国を築いた王、暗殺されて精霊と化す!?
タビンシュエーティー・ナッはミャンマー伝承に登場する37柱の精霊ナッの1柱である。元々は16世紀のタウングー朝の王で、死後、ナッと化した。
タウングー朝はパガン王朝に次ぐビルマ史上で2番目の統一王朝で、タイやラオスまで勢力を伸ばした。タウングーは元々は小さな村だったが、ミンチーニョ(1459-1530年)が1503年に稲作に適したチャウセーの土地を手に入れると、1530年にその王位を引き継いだ息子のタビンシュエーティー(1516-1550年)は、1534年にモン族のエーヤワディー地方を掌握し、1539年には同じくモン族のペグー朝に攻め込んで、首都ペグーを陥落させた。1541年にはポルトガルの鉄砲隊を雇い、モン族のマルタバンをも陥落させ、モン族を平定した。こうして、タビンシュエーティーは中央ビルマ全土の統一に成功し、実質的にタウングー朝の創始者となった。
タビンシュエーティーの成功の裏には、ポルトガルから鉄砲を導入し、鉄砲隊をうまく利用したことにあったが、一方で、ポルトガルから持ち込まれたアルコールに溺れ、アルコール依存症になった。また、モン族の妻を娶って以来、積極的にモン族の習慣を導入するようになり、国内ではモン族の勢力が増した。そんな中、タビンシュエーティーの側近でシッタウン知事だったサミン・ソワトッは、モン族の王朝を復活させようと画策して、タビンシュエーティーを暗殺した。
こうして、一代にして強大な帝国を築き、若くして暗殺された王は、死後、精霊ナッとなり、37柱の精霊ナッの1柱として崇拝されるようになった。
タビンシュエーティー・ナッは王族の衣装を身に纏い、剣を肩に乗せた若い王子の姿で描かれる。
なお、タビンシュエーティーの乳母のミャウッペッ・シンマとその息子のミンカウン2世、ミンカウンの使者のサントゥカンも、死後、精霊ナッと化していて、ミャンマー伝承のタビンシュエーティー群を構成している。
《参考文献》
- 『The Thirty-Seven Nats: A Phase of Spirit-Worship prevailing in Burma』(著:Sir Richard Carnac Temple,1906年)
Last update: 2023/02/26