文車妖妃(ふぐるまようひ)

分 類日本伝承
名 称 文車妖妃(ふぐるまようび)【日本語】
文章怪(ぶんしょうのかい)【日本語】
容 姿葛籠(つづら)から恋文を引き出す女妖怪。
特 徴恋文の執念が妖怪と化した存在。
出 典鳥山石燕『百器徒然袋』(1784年)ほか

恋文の執念は妖怪と化す!?

文車妖妃(ふぐるまようひ)は、鳥山石燕の画集『百器徒然袋』(1784年)に描かれる妖怪。鳥山石燕は、葛籠(つづら)から恋文を引き出す女妖怪として描いている。

鳥山石燕が描いた文車妖妃

歌に、古しへの文見し人のたまなれやおもへばあかぬ白魚(しみ)となりけり。かしこき聖のふみに心をとめしさへかくのごとし。ましてや執着のおもひをこめし千束の玉章には、かゝるあやしきかたちをもあらはしぬべしと、夢の中におもひぬ。

和歌に「昔の知識人の傑作だと思ったら、虫食い状態になっていた」とある。聖人の心をこめた文章であってもこのような状態だ。ましてや執着の念がこもった千通もの恋文には、このような怪しいものが現れてもおかしくないと夢うつつに考えた。

鳥山石燕『百鬼徒然袋』「巻之上:文車妖妃」

文車妖妃という命名は鳥山石燕のオリジナルで、おそらく『徒然草』(1330-1349年頃)の文章から着想を得たものと思われる。

賤しげなる物、居たるあたりに調度の多き。硯に筆の多き。持仏堂に仏の多き。前栽に石・草木の多き。家の内に子孫の多き。人にあひて詞の多き。願文に作善多く書き載せたる。多くて見苦しからぬは、文車の文。塵塚の塵。

(卜部兼好『徒然草』第七十二段)

ここには、兼好法師が賤しいと思うものがたくさん列挙されているが、その中で「文車の文」と「塵塚の塵」は見苦しくないと記されている。文車(ふぐるま)というのは、貴族が書物を運ぶための車だが、結局、書物をたくさん積み込んで建物に横づけされた状態で放置されていることが多い。また、塵塚はゴミ捨て場のことである。

鳥山石燕は、兼好法師の「文車の文」から文車妖妃を着想したと思われるが、「塵塚の塵」に対応するものとして塵塚怪王も描いている。

文車妖妃の図案は、真珠庵系の「百鬼夜行絵巻」から着想を得たものだと考えられる。絵巻には女の妖怪そのものは描かれていないが、大きな葛籠(つづら)にたくさんの妖怪が閉じ込められた図案がある。葛籠の上には「はさみの妖怪」が描かれ、「毛むくじゃらの手」がはみ出しているなど、図案としては鳥山石燕が描くものと同じである。なお、塵塚怪王のモデルになった図版も「百鬼絵巻」に載っている。

恋文に籠った執念は鬼と化して人を喰らう!?

文車妖妃は古い恋文にこもった情念が変化した妖怪であると解釈される。この妖怪との関連は不明だが、江戸時代の怪談集『諸国百物語』(1677年)には、恋文の主の執念が鬼と化して人を襲う話が載っている。

第三巻の「艶書のしうしん鬼となりし事」という話で、一休が伊賀国の喰代を訪れ、宿泊先を探していたとき、あの寺の美しい稚児が「この寺は夜な夜な妖怪が現れて人を喰らう」などと説明した。一休は了解してその寺に泊まった。すると、夜、床下からたくさんの鬼火が現れて稚児の懐に入ると、2丈(約6メートル)ほどの鬼に姿を変え、一休を喰おうと探し始めた。一休は一晩中、お経を唱え、鬼は朝になってそのまま消えた。

翌日、一休が床下を確認すると、血のついたたくさんの恋文が見つかった。稚児に状況を確認すると、方々から恋文をもらうものの、修行中の身であるため、返事もせずにそのまま縁側の下に捨てていたという。一休が恋文を焼いてお経を読んで弔ってやると、それ以降、怪異は起こらなくなった。恋文の主の執心が鬼になって怪異を起こしていたというわけである。

《参考文献》

Last update: 2025/08/02

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