トゥドゥリ
| 分 類 | 朝鮮伝承 |
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두두리〔du-du-li〕(トゥドゥリ)《豆豆里》【朝鮮語】 두두을〔du-du-ul〕(トゥドゥウル)《豆豆乙》【朝鮮語】 목매〔mog-mae〕(モクメ)《木魅》【朝鮮語】 목랑〔mog-lang〕(モクラン)《木郎》【朝鮮語】 | |
| 容 姿 | 古くは屈強な姿。現在は小さな精霊の姿で描かれることも。 |
| 特 徴 | 木の精霊。土木・建築の神。大工や鍛冶師の神。 |
| 出 典 | 『新増東国輿地勝覧』(1530年)など |
木の精霊!?
トゥドゥリ(豆豆里)は朝鮮伝承における木の精霊。トッケビの最も古い形態、あるいは源流になったと考えられている。一説では、トッケビの古名であるとも言われている。
どんな姿をしていたかは明瞭ではないが、古くはモクメ(木魅)やモクラン(木郎)とも呼ばれていて、古い切り株や木に宿る精霊だとされている。トゥドゥリという名前は、朝鮮語で《叩く》という意味の두드리다(トゥドゥリダ)という言葉に由来するとされていて、「砧(衣類を叩く棒)」や「杵(餅を搗く道具)」が化身したものとも考えられている。
たった一晩で寺を建立!?
トゥドゥリは怪力の持ち主で、人間には不可能な大規模な土木工事をたった一晩で成し遂げる能力があると信じられていた。そのため、土木・建築の神としての性質を持つとされる。また、《叩く》という名前の由来から、大工や鍛冶屋の守護神としての性格も持っているとされる。
地理誌の『新増東国輿地勝覧』(1530年)の第21巻によれば、新羅時代の632年、27代王の善徳女王が即位し、霊廟寺(ヨンミョサ)の建立に着手したという。その場所は、もともとは大きな池があったが、そこへトゥドゥリと呼ばれる集団が現れ、たった一晩で池を埋め立て、寺を建立したという伝説が残っている。
なお、霊廟寺がどこにあったかは長年の謎とされてきたが、現在の慶州(キョンジュ)の興輪寺(フンリュンサ)から「霊廟寺」と書かれた瓦が大量に発見されたことから、現在では、ここが霊廟寺だとされている。 『新増東国輿地勝覧』によれば、新羅時代の多くの寺が老朽化している中で、霊廟寺だけはまるで昨日建立されたかのように毅然と建っていると説明されている。また、霊廟寺のあった地から10里ほど南にトゥドゥリの棲む森があり、そこにトゥドゥリの祠があったとされる。
タレ王とトゥドゥリ
一部の研究では、トゥドゥリ信仰と新羅(シルラ)の第4代王の脱解(タレ)王との関連が指摘されている。タレ王は鍛冶屋を出自としており、自ら「鉄を打つ者」と呼称した。タレ王は慶州(キョンジュ)を拠点に活躍したが、トゥドゥリの信仰も慶州(キョンジュ)を中心に広がっている。鍛冶屋としてのタレ王への信仰がトゥドゥリと結びついているとする説もある。
トゥドゥリ信仰
高麗時代の武臣・李義旼(イ・ウィミン)は、慶州出身であったことから、トゥドゥリ(トゥドゥウル)を熱心に信仰していた。『高麗史』によれば、彼の自宅にはトゥドゥリの神像が祀ってあったという。そして、彼が没落する直前、祀っていたトゥドゥリの神像がすすり泣き、去っていったと記録されている。トゥドゥリの依り代は木製の棒のような形状であったとも言われている。
1231年、モンゴル軍が侵攻した際には、トゥドゥリが巫女を通じて「武器とウマを供えれば、我ら5人のトゥドゥリが敵を退治しよう」と告げたという記録もある。23代高麗王の高宗(ゴジョン)と最高官僚の崔禹(チェ・ウ)はこの予言を信じてトゥドゥリの祠に武器とウマを供えたが、その甲斐なくモンゴル軍の激しい侵攻は続いたという。
トゥドゥリはトッケビになる!?
トゥドゥリがトッケビの古い形態だとされる背景には語源的な類似が挙げられる。トゥドゥリが語源的に《叩く》に由来するように、トッケビも、「トッ(叩く音)」+「アビ(男)」が変化してトッケビになったという説が有力である。
また、トッケビは、箒(ほうき)などの古道具が化けたものだとされる。トゥドゥリも砧や杵を依り代にしている。この特徴はトゥドゥリから受け継がれている可能性がある。また、トッケビも「トッケビの砧」を持っていて、この点もトゥドゥリの影響かもしれない。
《参考文献》
- 『한곡 요괴 도감』(著:고성배,2019年)(韓国語)
Last update: 2026/05/04
