2024年9月26日 最近のイラストレータ界隈について思うこと。
Instagramを始めてから、いろいろと不思議に思うことがある。
たくさんのイラストレータがリール動画をつくっていることだ。ボクは、イラストレータって、自分の絵を見てもらいたいのだと思っている。それなのに、動画にしてしまうことで、絵そのものをじっくり見ることができなくなっている。個人的には、ものすごいフラストレーションだ。
結構、多いのは、下書きから清書して、彩色するプロセスを見せるリール動画。でも、ボクはこういうプロセスというか、舞台裏じゃなくって、完成形の絵をちゃんとじっくり見たいな、と思ってしまう。そりゃあ、さ。大好きなイラストレータがいて、その人がどうやって絵を仕上げているのかな、と思ったときに、絵が出来上がっていくプロセスを紹介するリール動画なんかがあると、それには価値が見出せる気がする。でも、それって、ファンに向けてのサービスだ。ファンになる前の集客の段階では、全然、価値を持たない。絵を描くプロセスばっかりをせっせとアップしているイラストレータって、なんなんだろうな、と不思議に思う。絵の指導をしたり、イラストレータに技法を紹介しているのだろうか。でも、どうもそういう方向性の編集にはなっていないような気がする。
そもそも、ボクは動画は動画のプロがつくるべきであって、イラストのプロはイラストで勝負すべきだと思っている。せっかく絵がうまいのに、チープな動画を見せられても、編集がヘタクソすぎて、ブランディングに失敗している気がする。もしも動画をつくりたいなら、もっとちゃんと動画の勉強をして、動画ならではの見せ方をしないと作品としてレベルが下がってしまう。
そもそも下書きみたいな絵とか、いろんなカラーバリエーションの絵とかを完成のイラストと一緒に並べているイラストレータも多くって、ボクはその文化もちょっとだけ理解ができない。特にいろんなカラーバリエーションがボクには理解ができなくて、「これが最善だ!」という追及の結果、完成形があるのであって、その途上でちょっと出来の悪い色違いを見せられても、それに何の意味があるのかな、と思う。これって、絵だけの話ではなくって、小室哲哉氏のリミックスにも感じていた。ヴァージョン違いをたくさん並べて、結局、どれがいいと思っているんだい? そんな風に思ってしまう。たとえば、ね。全然、違うアレンジで、デジタルとアコースティックくらいに別物だったら、それはそれで面白いと思うけど、ちょっとだけ差をつけたカラーバリエーションをいくつも提示されたって、それって何なのさ、と思う。最高の1つを決めて提示してくれよ、と思う。
1枚の絵のあっちこっちを切り抜いて拡大して見せるパターンもちょっと疑問だ。絵のどの部分を見るかは、見る側が決めればいいのであって、「ここに注目してー!」みたいなクローズアップはちょっとだけ冷めてしまう。大体、全体の構図を練って絵を描いているはずなのに、一部分だけを切り取って、もう一度、提示してくるっていうのは、一体、どういうことなんだい? なんて思ってしまうのである。絵の解説者が「ここを見てください。ここ、工夫しているんです」みたいに解説することがあるが、それを自分でやってしまうのは、ちょっとどうなんだろうか。
そんなわけで、誰かを非難したり、攻撃したりしたいわけではないんだけど、結果としては疑義を呈しているので、攻撃的な雑記になってしまった。でも、本当。そういうニーズがあるのかな。そういうのがウケるのかな。ボクは作者の独りよがりな感じがするんだけどなあ。