玉藻前(たまものまえ)

分 類日本伝承
名 称 玉藻前(たまものまえ)【日本語】
容 姿絶世の美女。その正体は九尾の狐。
特 徴鳥羽上皇に寵愛され、原因不明の病にした。死後、殺生石になった。
出 典『神明鏡』(14世紀頃)ほか

絶世の美女は九尾の狐!?

玉藻前(たまものまえ)は鳥羽上皇に寵愛された絶世の美女で、その正体は九尾の狐である。玉藻前の伝承は、古くは『神明鏡』(14世紀頃)に載っている。その後、『玉藻の草子』、能の『殺生石』などにも登場し、江戸時代になると、高井蘭山の『絵本三国妖婦伝』や岡田玉山の『絵本玉藻譚』などで広く流布していく。

鳥羽上皇は玉藻前と出逢い、寵愛するようになる。玉藻前は絶世の美女であるだけでなく、仏教や儒教、その他の学問にも長けた才女だったようだ。しかし、次第に天皇が原因不明の病に臥せるようになる。典薬頭(てんやくのかみ、官医の長)が邪気のせいだと診断し、陰陽師の安倍泰成が呼び出される。調査の結果、安倍泰成は、天皇の病は玉藻前の妖術が原因で、玉藻前の正体は那須野のキツネであると看過する。祭文を唱えると玉藻前はキツネの姿に戻って宮中から逃げ去った。天皇の命で討伐隊が組まれ、このキツネは退治される。

しかし、その死後も、このキツネは殺生石という石に変化し、近づく者の命を奪い続け、最終的には玄翁和尚によってこの石は破壊され、その破片は各地に飛散した。歩いているときに靴の中に石などが入って不快になることがあるが、それはこの殺生石の破片なのだとも言われている。

実は中国とインドでも悪行三昧!?

玉藻前は、実は日本で大暴れする前に、中国やインドでもたくさんの悪行を重ねていたと説明される。たとえば、古代中国で、紂王を惑わせて殷王朝を滅ぼす原因となった妲己(だっき)も、このキツネだとされる。また、褒姒として周の幽王の后となって、周を滅ぼしたのもこのキツネだと説明する。また、インドの摩竭陀国の華陽夫人になって、斑足王に1000人の王の首を斬らせたのも、このキツネの仕業だとされている。こうして、中国やインドで追われたこのキツネは、遣唐使として中国に渡った吉備真備の船に乗って、日本に渡来したというのである。

玉藻前にはモデルがいた!?

ちなみに、鳥羽上皇の側室である美福門院(藤原得子)は、摂関家の出身ではないにも関わらず、上皇に寵愛されて皇后にまで昇りつめ、自分のの子を帝位につけるために崇徳上皇や藤原璋子と対立し、保元の乱や平治の乱の遠因を作ったとされる。彼女が玉藻前のモデルになったと考えられている。

現在では栃木県那須町の観光キャラクター「きゅーびー」として親しまれている。

《参考文献》

Last update: 2025/10/13

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