ナヴラチレツ
| 分 類 | ヨーロッパ伝承(チェコ伝承) |
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navratilec(ナヴラチレツ)《戻って来る者》【チェコ語】 | |
| 容 姿 | 膨れ上がった身体、青白い肌で、顔色だけは血色がよい。 |
| 特 徴 | 死後、墓場から戻って来る吸血鬼。 |
| 出 典 | ドム・オーギュスタン・カルメ『亡霊と吸血鬼に関する論文』(1751年)ほか |
ナヴラチレツ──「戻ってくる死者」
ナヴラチレツはチェコ伝承に登場する吸血鬼。古い記録では、14世紀のボヘミア地方で記録され、また、18世紀にはモラヴィア地方で大規模な吸血鬼騒動が発生し、政府が鎮静化を図るに至っている。
ナヴラチレツというのは、チェコ語で、動詞のnavrátit《戻る》に接尾辞の-ec《~する人》をつけたもので、「戻ってくる人」という意味である。すなわち、死後、墓から蘇って、村に戻って来て災いをもたらすというイメージを持った存在である。生前、悪行を積んだ者や、洗礼を受けずに死んだ子供、不自然な死を遂げた者、埋葬の儀式が不適切だった者が、死後になって墓から村に戻って来ると信じられた。
ナヴラチレツの場合、生前の姿を保ちつつも、死体であるため、不気味に変質した姿で描かれる。具体的には、身体は青白く膨れ上がっていて、目は見開いているが、顔色は血色がよく、口元には血がついている。ときにはイヌやネコ、ヒツジなどの動物に変身することもあるという。
ナヴラチレツは墓から蘇ると、自分の家族や親戚などの家を訪れる。扉を叩いたり、名前を呼んだりして、招き入れられると相手の生気を吸い取るという。名前を呼ばれてうっかり返事をすると、その日のうちに死んでしまうとも伝えられている。ウシやウマなどの家畜を襲うこともあり、ナヴラチレツを招き入れた翌朝、家畜が衰弱して死んでいることもある。
ナヴラチレツは「死装束を食べる」という点が強調される。墓の中からガリガリと自分の死装束を齧る音が聞こえてくるという。現代では「吸血鬼」の仲間として紹介されることが多いが、実際には、血を吸う側面はほとんどなく、首を絞めてきたり、相手の上に乗っかって圧し潰したりと、どちらかと言うと、物理的な攻撃を仕掛けてくる伝承がほとんどである。
ナヴラチレツが墓を出て村に戻ってこないように、現地の人々は、埋葬の際に、遺体の口に石やコインを詰め込んだり、遺体をうつ伏せに棺に入れたり、棺の中にサンザシなどの棘のある植物を入れたりしたという。また、万が一、ナヴラチレツが出現した場合、その墓を掘り起こして、心臓にサンザシの杭を打ち込み、首を斬り落として足の間に置くなどの対処をした。また、家の敷居や扉、家畜小屋の入り口などに五芒星(ムーシー・ノハ、můří noha)を描けば、ナヴラチレツが家に侵入することを防げるようだ。チェコでは、五芒星はナヴラチレツだけでなく、多くの悪霊に対しても有効だとされている。
最古の記録──1344年レヴィーン事件
ナヴラチレツの伝承は、古くは14世紀に遡ることができる。「レヴィーン事件」と呼ばれていて、1344年、ボヘミアのレヴィーンという村で、陶芸家の妻が亡くなった後、ナヴラチレツとして蘇ったという記録が残されている。彼女は墓の中で自分の死装束を半分食べており、掘り起こした際には口が血で真っ赤だったと伝えられている。
モラヴィアを揺るがした吸血鬼騒動
18世紀にはモラヴィア地方で、吸血鬼パニックが発生している。1706年にモラヴィア地方の法学者カール・フェルディナント・フォン・シェルツが『死後の魔術(Magia Posthuma)』を刊行した。彼は、死んだ人間が墓から戻り、生きた人間に害をなすことを容認する立場をとり、不審な死体に対し、杭打ちや斬首といった処置を法的な手続きとして正当化しようとした。
以降、ボヘミア地方やモラヴィア地方では、「死者が墓から出て人や家畜を襲う」という報告が相次いだ。そして、遂には1755年、モラヴィア地方のヘルシュルスドルフで、大規模な吸血鬼パニックが発生した。村人たちが「死者が夜な夜な現れて隣人を絞め殺している」と主張し、多くの遺体が掘り起こされて、心臓に杭を打ち、焼却された。
事態を重く見たハプスブルク君主国のマリア・テレジアは、医者のヘラルト・ファン・スウィーテンを現地に派遣した。ファン・スウィーテンは遺体を検分して、「血色がよく見えるのは腐敗によるガスの膨張や血液の液状化現象に過ぎない」と結論付けた。1755年に「吸血鬼は迷信である」として、吸血鬼対策としての死体損壊(杭打ち、斬首、焼却)が禁止されるに至った。
『カーミラ』に受け継がれたチェコ吸血鬼伝承
なお、レ・ファニュ『カーミラ』(1872年)は、18世紀のチェコの吸血鬼パニックに大きな影響を受けている(カーミラ参照)。レ・ファニュはドム・オーギュスタン・カルメの『亡霊と吸血鬼に関する論文』(1751年)などの資料を参照したとされているが、ここにはチェコの吸血鬼事件が多数、掲載されている。『カーミラ』はオーストリアのシュタイアーマルク地方を舞台にしているが、シュタイアーマルク地方は吸血鬼騒動が発生したモラヴィア地方に隣接する位置にある。また、カルンスタイン伯爵家の吸血鬼騒動に対処するために、村人たちはモラヴィアのヴォルデンベルグ家を頼っている。
レ・ファニュは、『カーミラ』の読者が、モラヴィアの吸血鬼騒動を想起するように、作中に多数の仕掛けを施している。
《参考文献》
Last update: 2026/04/11
