龍馬(ルォンマァ)
分 類 | 中国伝承 |
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龍馬(龙马)〔LóngMă〕(ルォンマァ)【中国語】 龍馬(リュウマ、リュウメ)【日本語】 | |
容 姿 | 巨大な白馬。身体には鱗。背中には翼。頭には2本の角。 |
特 徴 | 龍と馬の混成動物。水面を走ることが出来る。 |
出 典 | 孫柔之『瑞應圖記』、『太平廣記』ほか |
龍と馬の混成動物!?
龍馬(ローンマー)は中国伝承に登場する龍(ローン)と馬(マー)の混成動物。『瑞応図記』や『太平広記』などにその名前が登場する。馬の姿をしているが、背丈は8尺5寸(およそ2.8メートル)と大きく、身体には鱗があり、背中には翼、頭には2本の角をはやしていた。色は白いとも言われている。河や海などに棲み、水面を走ることができるという。
三蔵を乗せる白馬!?
『西遊記』に登場する玄奘三蔵を乗せる白馬も、実は龍馬が変化したものとされている。西海龍王である敖閏の三太子「玉龍」は、三蔵が太宗からもらった白馬を食べてしまい、悟空と戦って敗れ、馬に変化して三蔵の乗用となり、天竺まで同行したという。
九州・大宰府と奈良の都を毎日往復するのだ!?
日本でも、龍馬は牝馬と龍が交わって誕生すると信じられ、実際、鎌倉時代の『古今著聞集』には、奈良時代の藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ)が龍馬に乗っていたという伝説が残されている。聖武天皇の時代、広嗣は、中央での政争に破れて、天平10年(738年)に大宰府に左遷された。彼は大宰府で一頭の馬に出会い、大金を叩いて買い入れた。やがて馬は秘めた力を見せるようになり、広嗣は、毎日、その馬に乗って、九州の大宰府と奈良の都とを行き来し、仕事をこなすという離れ業をやってのけたという。
コラム:藤原広嗣とは……!?
藤原広嗣は、聖武天皇の時代に朝廷において圧倒的な権力を誇っていた藤原一族の生まれだったが、天然痘による藤原四兄弟の相次ぐ病死の後、反藤原氏勢力の台頭によって太宰府に左遷されてしまう。しかし、これを不服に思った広嗣は「天地の災厄の元凶は悪政のせいである。すなわち、僧正・玄昉(げんぼう)は僧侶のクセして私服を肥やし、皇后を誑かして国家転覆を企んでいる。吉備真備(きびのまきび)もその片棒を担いでいる。彼らを排除すべし」などとする上奏文を朝廷に送り、彼らの起用を決めた時の権力者である左大臣・橘諸兄(たちばなのもろえ)をも痛烈に批判した。橘諸兄は、これを朝廷に対する謀反とし、出廷の命令を出したが、広嗣はその命令を拒み、太宰府で1万の軍勢を率いて反乱を起こした。しかし、大野東人(おおののあずまびと)を大将軍とする追討軍に敗走し、最後は肥前国で捕らえられ、唐津にて処刑されたという。その後、広嗣の怨霊を鎮めるために、唐津に広嗣を祀る鏡神社が創建された。
このような広嗣だが、鎌倉時代になると、人々から崇拝されるようになったようだ。おそらく、中央の圧政に苦しむ人民のために「上奏文」を掲げて、中央で利権を貪る権力者たちに立ち向かったが、無念の死を遂げたという人々のイメージがあったのだろう。龍馬の伝説も、九州・太宰府と奈良の都とを毎日移動するという超能力も、そのような人々の想いから誕生した伝説なのだろう。
《参考文献》
- 『Truth In Fantasy 事典シリーズ 2 幻想動物事典』(著:草野巧,画:シブヤユウジ,新紀元社,1997年)
Last update: 2014/02/11