2015年8月5日 芸術にバックグランドは必要か!?
たまたまテレビをつけたら「U-18歌うま甲子園」がやっていた。みんな、非常にうまい。プロ顔負けだ。歌がうまいっていいよねえ。羨ましい。でも、最終的にはカラオケ・マシンの採点で評価されてしまうところに、妙なおかしさとバカバカしさがある。評価が低くても、「まあ、カラオケ・マシンの採点だし」みたいな割り切りが出来るのも、シリアスにならないところか。
でも、カラオケ・マシンの評価の精度は確実に向上しているな、と感じた。ちゃんと歌のうまさが反映されている。一昔前だったら、正しい音程で、のっぺりとまっすぐ音を伸ばして、変に色気を出さない方が高得点だった。今は音程、声量、ロングトーン、ビブラート、しゃくりなど、いろんな要素で評価されていて、しかも、それなりに結果が妥当だな、と感じる。技術の進歩は目覚しい。そのうち、機械も音楽を演奏できる時代になっちゃうかもしれない。
それにしても、テレビ番組なので、高校生ヴォーカリストたちの生い立ちとか人となりを紹介してから歌わせることになる。そうなると、感傷的な人は、そういう事前情報に流されて涙を流したりする。どうしても、芸術って主観的な評価になるよなあ、と痛感する。どうしたって、生い立ちとセットで音楽を評価してしまう。事前VTRで「想いを伝えたい」というヴォーカルの主義を前面に押し出した特集がなされていて、おのののかや柴田理恵が歌を聴いて涙していた。でも、ボクはちょっと一歩引いていた。や、歌はうまかった。高い音も低い音も非常に上手。コントロールされていた。でも、スタジオでは「想いを伝えられる歌」という感想になってしまった。そういう評価は少し違うのではないか、と思う。それって生い立ちを前提とした感想で、そういう事前のVTRがなかったら、多分、コメントは違うものになっていた。そういうのが、芸術の難しいところである。歌のうまさは、本来、いろいろなバックグラウンドとは無関係なはずなんだけど、必ずしも、そうはならないところが芸術の面白いところであり、難しいところだよなあ。
2015年8月3日 嫌な奴だな
最近、自分が嫌な奴だな、と感じる。無能な人間、足を引っ張る人間に対して徹底的に冷たい。ちょっと前までは、一緒に頑張って前に進もう、と思っていた。でも、最近、面倒臭くなってしまった。そのためにかける労力が半端なくって、その見返りがあまりにも少ないので、疲れてしまった。若い人を相手にしているときには、それでも、彼らには未来があるから、一緒に頑張ろうかな、と思う。でも、年配の人を相手にしていると、もう、いいや、と諦めてしまう。「はいはい」と、さっさと白旗を揚げて、ボクは彼らとは無関係の位置まで逃げ出して、目を瞑り、耳を塞ぐ。その結果、台無しになっても「ボクは知りません」ってわけだ。
無能な人間には二種類いるらしい。必死にやってもうまくできない人間と、うまくやるつもりなんかさらさらない人間。要するに、手を抜いて今まで何とかなってしまって、それに甘んじている人間。海千山千のそういう連中とは、どこまで行っても平行線なのだ。彼らのために頑張っていては身が持たない。いいように利用されるだけなのだ。
ボクは原則、性善説を支持する人間なんだけど、どうも最近、そうではないのかもしれないな、と思い始めて、イライラしている。そういう現実を突きつけてくる人種に対して、徹底的に冷淡な態度をとっている。周囲の人が少しざわざわする程度の冷淡さ。多分、嫌な奴なのである、ボクは。
しくじり先生に紀里谷氏が出演していた。ああ、ボクに似ているな、と思った。最近、尖がりがすぎて危険だな、と思い始めている。あんまりにも鋭利なナイフを振り回していると、周りが敵ばかりになりそう。でも、嫌なものは嫌なので大人しくしていられない。その辺のバランスを失すると、しくじり先生になってしまうのだ、と思う。彼を反面教師に、いいバランスで攻撃をし続けていたいな、と思う。
2015年8月1日 ママー!!
「ママ、ママ!」とツクル君が叫んでいる。でも、その意味するところは、必ずしも《母》ではない。いや、もしかしたら、《母》を意味することを知っているのかもしれない。でも、「ママ、ママ!」と呼んで、嬉しそうな顔でちぃ子がいそいそとやって来ると、別のものを指して、これがママだ、とやる。そしてちぃ子が落胆するのを見てゲラゲラと笑っている。きっと、わざとだ。この野郎め。
先日もボクのことを指さして「ママー!」とやっていた。ちぃ子が「それはパパ! ママはわたしー!」などとプリプリしている。それを見て、ツクル君はまた、ゲラゲラと笑っている。
2015年7月25日 ちぃ子はプログラム脳!?
実のところ、ファンタジィ事典はExcelで管理されている。何か更新するたびに、更新履歴を作ったり、五十音ファイルを更新したり、ジャンルごとの分類をしたりするのは大変で、Excel上で管理して、マクロをぐるぐる回して、自動的にhtml形式のファイルをはき出すようにしている。だから、ファイルを更新すると、Excelが勝手に更新履歴や五十音順、ジャンルごとのファイルを作成してくれる。メニュー・バーに最新の3日分を並べてくれるし、ランダム・ピックアップのJavaScriptも更新してくれるし、項目数も数えて吐き出してくれる。
ところが、本日、うっかり、ファンタジィ事典作成用のマクロを変にいじってしまって、動かなくなる。バックアップも保存していなかった。こりゃ、困ったな、と必死でバグ取りに追われる。でも、なかなかうまく行かなくて絶叫モード。
するとちぃ子(妻です!)がやって来て、「ここにメッセージボックスを入れてみて! はい、回す!」。言われたとおりにやってみる。「ここまではうまく回っているんだな。ふむふむ。じゃ、次、ここにメッセージボックスを入れて! あ、ここで回っていない。ほら、きっと、このループに問題があるんだよ!」などとぶつぶつ……。あっという間にバグを見つけてくれた。さすがプログラマ! ビバ。感謝。
こういうときに彼女がいてくれて助かるのである。わははは。
2015年7月15日 一切、他人を信じないボクは、でも、究極的には人間の可能性を信じている。
ただいま、会社では一大イベントを開催中だ。ところが、方々から散々な評判が舞い込んでくる。やれ、彼女は原稿を棒読みだったとか、やれ彼は淡々としていて冗長だったとか、彼は工夫がなかったとか、まあ、いろいろ。どうせなら、みんなもっと面白おかしくやって、楽しめばいいのに、それって難しいのだろうか? ボクは何でも楽しくやろうと思っているので、それなりに一所懸命だ。基本的にサービス精神が旺盛なのだ。だから、結果的にはそれなりの成果を出す。自信がある。でも、他人が頑張っている事柄に関してはどうしたらいいだろう。ボクにできることって何だろう。……最近、そんなことを考える。準備段階でのアプローチか? 仕掛けづくりか? 意識づけ? 動機づけ? 昨日と今日、イベントへの参加を方々に依頼している。彼らの反応はイマイチで、実のところ、不安要素がたくさんある。電話越しに、全ッ然、楽しくやってくれそうな気配を感じられないのだ。片手間に引き受けている感じ。それに「ボクたちは初心者だから仕方がないよね」と最初から自分にエクスキューズしている。
ボクは基本的に他人を信用していない。過度な期待もしていない。それでも、ボクは究極的には「できる!」と信じている。相手の能力を信じているのだ。相手が勝手にうまくやってくることなんか端から期待しちゃいない。でも、やればできるはずだ、と相手の能力を信じている。できるはずだから頑張ってくれ、と願っている。頑張れるか否かで、結果として「できる」と「できない」が変わる。だから、こちら側のアプローチによっては、もしかしたら「できる」の側に連れていけるかもしれない。そう信じている。その意味じゃ、ボクは最終的には他人を信じているのかもしれない。
2015年7月14日 ご査収のほど、よろしくお願いします
本日、後輩から資料が送付されてきた。月曜日の発表会で演者が使用したPowerPointだ。メール本文に「ご査収のほど、よろしくお願いします」と書いてある。出た、ご査収!! でも、月曜日に発表が終わっている資料なので、「査」の部分ってない。あくまでも「収」だけだ。言葉の正確な意味を知らないで、何となくビジネス用語を使っているわけで、困ったものである。
この間は、先方から「前広にご連絡ください」とのメールが来た。今どき、そんな言葉、使う!?
宣言しよう。基本的に、ボクは聞き齧ったビジネス用語をろくに調べもせずに真似をして使うのが嫌いだ。
2015年6月27日 さようなら、ナイジェリア
本日、ナイジェリアより帰国。午前中、シェラトンホテルのプールサイドで残留メンバに事務的な申し送りと技術的な引継ぎをして、午後から武装警官とともに揺られて、ンナムディ・アジキウェ国際空港へ移動する。
途中、空港までの送迎のドライバと助手席に座る武装警官が、高速道路の料金の支払いを巡って料金所の職員と揉めている。「払わないと通れない」「払う必要はない」などと侃侃諤諤やっていて、いつまで経っても進まないので、ボクが「いくらだ? こちらで払う」と伝えると、ドライバが「もう少しで押し切れる。待て」などと言う。乗客は日本人だとか、大使館がどうだとか、そんなことで押し問答を繰り広げている。そのうちゲートが開いた。ドライバと武装警官が大喜びでハイタッチ。「料金所の職員には悪いことをした」「ラッキィだった」などとゲラゲラ笑っている。困ったものである。
空港では、出国の際に「スーツケースにビールが2本入っている。開けろ」とイチャモンをつけられる。「2本はダメなの? 3本までではなかった?」と訊くと「いいから何か寄越せ」と開き直って手を出してくる。どうやら通りたければ賄賂を払えということらしい。出国カードも職員が群がって来て「俺が書いてやる」「俺が書いてやる」などと言って金品を要求してくる。荷物検査のときはひどくて「財布の中身も見せろ」「中身を分けてくれ」と直裁だ。空港職員、腐敗しているなあ。困ったものである。
それでも、1か月半のナイジェリア生活もこれでお仕舞いだ。ようやく日本に帰ることができる。
2015年6月14日 素敵な本との新しい出会い方
素敵な本と出会えるSNS「本のアプリStand」は秀逸だ、と思う。自分のタイムラインにはおすすめの本をちょっとしたコメントとともに投稿していく。本の裏表紙のバーコードをスマホで撮影すれば、すぐにおすすめが書ける。一方で、自分の前にはフォロワーのおすすめの本がずらり、と並ぶ。ちょっとしたコメントも書いてある。興味を惹かれた本をクリックすると、Amazonと紐づいていて、内容の確認が出来るし、気に入ったらそのまま購入も出来る。気になる本を取り敢えず保存しておくことも出来る。自分のアンテナだけでは引っ掛からなかったような本が、どんどんおすすめされる。読んでみたい衝動に駆られる。今まで出会わなかっただろう本と出会える可能性が無限大だ。よく出来たシステムだなあ、と思う。ナイジェリアにいなければ、きっと、今頃、本の衝動買いをしているだろう。素晴らしいSNSだと思う。
でも、「本のアプリStand」というネーミングだけはいただけない。
2015年6月3日 「だから一緒にやろう!」
ボクは現在、地理情報システム(GIS)の専門家としてナイジェリアに来ている。でも、実のところ、自分のバックグランドに、専門としてGISに関する部署に在籍して、GIS構築の業務に取り組んだ実績があるわけじゃない。すでに大昔に誰かが構築したGISを活用して仕事をした経験があるだけだ。つまり、利用者サイドにいても、製作サイドにいたわけじゃない。それなのに、今、こうしてナイジェリアの地で、GIS構築を指導している。
もちろん、ね。GISを見たことも使ったこともない彼らだ。ボクは使ったことがあるので、アドバンテージはある。でも、本当は、パソコンを使えるからと言って、パソコンを組み立てられるわけではない。それでも、パソコンを使ったことのない人よりは、上位に立てる。そんな感じ。その辺のモヤモヤした気持ちはある。
ボクが助言したことがそのまんま、彼らのGIS構築に反映されていく。そりゃあ、確かに、こういう出力があると便利だから、こういう情報を入れた方がいいとか、将来的にこういう風に活用していくから、こういう風に情報を整理した方がいいとか、利用者の視点を踏まえている点、適切なアドバイスにはなっていると思うけれど、本当のところ、もっと効率的に、うまくGISを構築していく方法って、あるのかもしれない。
たった一人でSuleiman氏と対峙して、二人で話し合って意思決定する。正直、しんどい。今日も、独断と偏見でGISの基本の縮尺を1/2000と決めた。図面の基準点もえいや、と決めた。ごちゃごちゃしていたので、衛星写真のレイヤを非表示にするという決断もした。これでいいのか、と悩むことだらけ。それなのに、少しずつ形になっていく。形になっていけばいくだけ、これでよかったのか、と不安になることばかりだ。
まだまだ作業は山積み。「大変だねえ」と呟いたら、Suleiman氏が「確かに困難だ。でも面白い。だから一緒にやろう!」と頷いた。何だか、ナイジェリアに来て初めて報われた気がするし、彼のためにも頑張ろう、と思った。

2015年5月20日 闇市とバイク・タクシー
ナイジェリアではガソリンの値段が高騰している。産油国なのに精製は国外でやっているらしい。政府とガソリンの卸売業者で金銭のやり取りがうまく行っていない模様。入荷が制限されている。あちこち路肩に車が停まっていて、ポリバケツを持った人々が水みたいに薄められたガソリンを売買している。闇市のガソリンだ。我々もプロジェクト用の車両を供与されているが、移動は極力控えなきゃいけない。
昨年の11月に来たときにはたまにしか見かけなかったバイク・タクシーが市内をあちこち走っている。みんな、自家用車の使用を控えているのかもしれない。

2015年5月17日 ギブ・ミー・ア・チョコレート
アブジャのンナムディ・アジキウェ国際空港に到着。早速、税関に引っ掛かり、スーツケースを開けるように指示される。禁止されるものは入っていないが、日本で調達して現地に持ち込む機材があって心配。案の定「新品か?」と問われる。「我々が日本で使っていたもの。我々が業務で使うもの」と説明。でも、結構しつこい。そのうち、担当者が宇治抹茶のキットカットに気づいて「これは何か?」と訊く。「日本のチョコレート。お土産だ」と応えると「ギブ・ミー」としつこい。どうやら、渡すまで解放しない構えのようだ。仕方ないのでチョコレートだけ取り出して、机の上に置いて、閉めてもいいか確認してスーツケースを閉める。それから1箱だけやる。すると2人寄って来る。「彼らにも」。もう、面倒臭くなって渡してやる。するとニコニコしながらゲートまでガイドしてくれた。この野郎、と思う。
その後、護送警官と一緒に空港から市内までの幹線道路を走る。車窓から見える赤茶けた大地や建設中の街並みを眺めながら、ナイジェリアに戻ってきたことを実感する。1か月半のナイジェリア生活は始まったばかりだ。
2015年5月17日 ディルハム!?
ナイジェリア行きのトランジットでドバイ空港。あちこちアラビア文字が踊る。

ついつい現地通貨が見てみたくなって、欲しくもない軽食を買う。予想どおり、お釣がディルハムで返って来た。いかにもアラビアっぽい感じのナイフの紙幣とランプの硬貨が素敵。……こうやって、トランジットのたびに使う機会のない現地通貨が増えていく!!

2015年5月16日 ナイジェリアへGo!!
本日からお仕事でナイジェリア。成田空港から23時00分発のドバイ経由。前回はエールフランスだったが、今回はエミレーツ。
結構、荷物の取り扱いには厳しい。元々の預け荷物の重量もエールフランスに比べると少ないが、手荷物の重さまで量られたのは初めての経験。ちょっとオーバ。仕方ないので一部をポケットに入れて対応。
それでも、エミレーツはいい。機材が新しいし、サービスがどことなく成金趣味だから、エコノミィでも充分に快適だ。座席にUSBジャックがあってiPhoneが充電できた。機内では電池残量を気にせず、音楽を聴きながら読書。あっという間に文庫本を3冊読んでしまった。
そんなわけでナイジェリアへ出発。45日間の渡航だ。結構な長旅なので、なかなかヘヴィ。うーん、頑張ろう!!
2015年5月7日 求められているものに応える!?
今度、雑誌に載ることになった。国際ビジネス関係の雑誌。お仕事の関係だ。それで、文章を書いている。
雑誌の記事を書くのは非常に難しい。与えられた枠があって、雑誌社の企画があって、そのコンセプトに合わせて書かなきゃいけない。書きたいことを書けばいいのではなくて、求められていることを書く。ボクはどちらかと言えば書きたいことを書くタイプで、書きながら、相手のコンセプトに寄せていく。職場のM川さんは求められているものから文章を構築するタイプらしい。
「彼らはあなたの自己実現の部分を紹介したいんじゃないの?」とボクの文章に加筆修正。大分、締まった。こういう視点で文章をちゃんとチェックしてくれるのは大変助かる。ありがたいことだ。相談してよかった。
2015年4月21日 外科医の写真
4月21日は、ネッシーが最初に写真に撮影された日らしい。あの有名な「外科医の写真」というのがそれで、81周年らしい。あの写真、そんなに昔の写真だったのだなあ。今はカラーだし、画質もよくなってしまっているので、もう、ああいうペテンみたいなことはしにくいだろうなあ、と思う。その反面、合成とかCGみたいな技術が上がっているので、そういう疑いがかけられる。複雑なものである。
今日のGoogleのDoodleが、そんな「外科医の写真」をシニカルに笑い飛ばす絵だったので、面白かった。

2015年3月12日 甘党男子同盟を組みたい!!
横浜のそごうでチョコレートを買う。パイヤール(Payard)とドゥバイヨル(DEBAILLEUL)。バレンタイン・デーみたいに特設店が集まる感じではないので、常設店の中から選ばざるをえないのがホワイト・デー。どうせなら、3月も盛り上げればいいのになあ。でも、男性をターゲットにしても、あんまり盛り上がらないのだろう。
一時期はバレンタイン・デー・フェアが片付いた頃に、今度は同じ催事場でホワイト・デー・フェアをやっていたところもあったのだけれど、年々、盛り下がっていて、最近では、ゴディバのような有名で分かりやすい高級店と、ホワイト・デーのときにだけ出張ってくる安価で正体不明のアソート・チョコの二極化が進んでいる。
もっとマイナなショコラティエの布教活動をした方がいい、と思うボク。でも、多分、男性陣のアンテナには、そういうショコラティエの名店は引っ掛からないので、イベントを開催しても思ったほど売れないのが現実だ、と想像する。こういうのは、女性を相手に最新家電や軍事関連商品などをPRしても、一部の女性しか反応しないのと同じ。市場が狭いのだ。
どうせなら、男性から女性、という既成概念を取っ払って、ホワイト・デーも女性が自分のためにチョコレートを買い物するイベントに社会全体がシフトすればいい、と思う。今じゃ、バレンタイン・デーのターゲットの半分くらいは、女性が自分のために買うチョコレートなのではないか、と密かにボクは思っている。あるいは、男性誌とコラボして「女子はこういうチョコレートを欲しているよ特集」みたいな煽り記事を掲載して盛り上げる商戦を張ったらいいのに。そうしたら、多分、ちょいモテ男子はすぐに飛びつくだろうな、と思う。そうしたら、ボクも楽しいホワイト・デーを送れるのになあ。
2015年3月9日 傘立てにミョッルニルを置き忘れた!!
ソーシャル・ネットワーク・ゲームの『ゆるドラシル』で新しいイベントが始まった。「ドキッ!男だらけの結婚式」というイベント(ひどいタイトルだww)だけど、ソールが巨人スリュムにミョッルニルを奪われ、取り戻すために女装する羽目になったエピソードをモティーフにしている。今まで、季節のイベントとか、コラボ・イベントとかをやっていたけれど、こうしてちゃんと神話のエピソードに正面から向き合った展開をしていなかったので、ちょっとビックリしている。
ゲーム上では、スリュムがコンビニを経営していることになっていて、ソール(トール)が傘立てにミョッルニルを置き忘れた(!)、というアレンジが加わっている。また、神話同様、スリュムはミョッルニル返還のためにフレイヤとの結婚を要求するわけだけれど、フレイヤはヘイムダッルに嫁き遅れとして茶化されている。曰く、スリュムは結婚していない女神と言えばフレイヤしか思いつかなかったのだろう、と笑われているのである。こういうゆるーい現代風のアレンジがある点が、まさに『ゆるドラシル』の魅力なのである。

左からヘイムダッル、ソール、フレイヤ。
ソールがディズニーのジーニーに似ている(笑)。
こういう面白さを、ずぅっと継続してもらえたら楽しいよなあ。頑張って、製作者様。そして、ボクもこういう楽しい仕掛けを考えたいぞ、ファンタジィ事典。
2015年3月9日 子供の頃は地理が嫌いだった
子供の頃は地理が嫌いだった。正確には、暗記科目は全般的に嫌いだった。だから、九九もなかなか覚えなかったし、歴史の年号も覚えなかった。地理なんて、まさに暗記科目の代表、みたいな印象を抱いていて、だからこそ、大ッ嫌いだった。
今は歴史と地理が大好きだ。ボクの中で、何が変わったのだろうか。多分、歴史も地理も、暗記科目ではなくなったのだ。情報が有機的に結びついて、単なる暗記じゃなくなった。発展的な学問だ、と感じるようになったのだ。
物事の成り立ちには地理と歴史が重要だ。いつ、どこで、誰が、何を、どうやって、そして、何故。まさに5W1Hの問いかけだけれど、この「どこで」という部分が重要になってくることもある。「何故」という部分も、地理的な要素が絡む。「暑いところだから」「港があったから」「通り道だったから」「隣国の影響を受けたから」というような場合、これは間違いなく地理の範疇である。空間的な広がりは地理、時間的な広がりは歴史。そういうものが、絡み合いながら、今の世の中に結びついている。最近になって、そういう風に理解できるようになった。こうなると、地理も歴史も単純な暗記科目ではない。
時代はイスラームとキリスト教、2つの宗教の戦い、などと言われる。でも、ボクは必ずしもそうでもないのだろう、と感じている。もう少し根は深くて、イスラームの文化が、アメリカ的な自由を受け入れられないのだ、と思っている。イスラーム法のストイックさは、近代文明との折り合いが悪い。それを近代化とか自由主義で押し付けようとするから、そこに齟齬が出る。そういうギャップの戦いが根源にはあるのだ、と理解している。そういうのが、空間的、時間的にぶつかり合って、今に至る。そういうことを、地理や歴史を学びながら、ボクは感じている。
多分、地理も歴史も、ボクたちの社会と無縁ではなくて、連綿と繋がっている。きっと、そういうことを、ちゃんと先生が教えなきゃいけないのだ。ツクル君には、そういう楽しさに気づいてもらえるといいなあ、と思う。そのためにボクに何が出来るだろうか。
2015年3月7日 興奮しすぎて吐く。
昨日、ネットで頼んでいたツクル君の外履き用の靴が届いたため、今日は初めて、ツクル君を外で歩かせてみる。玄関を出て、駐車場のコンクリートの上にツクル君を下ろしたら、「おぉぉッ!」と雄叫びをあげた。それから一歩、一歩、大地を踏みしめるように歩く。
今まで家の中は自由に歩き回っていた。抱っこやベビーカーに乗せられての外出もあった。でも、自分の足で外を歩いたのは初めて。それに大興奮しているようだ。歓声をあげている。それから興味津々、あちこちを見回して、地面を眺めて、それからあっちにこっちにと歩き出した。

自分の足で外を歩く。そんな当たり前のことが、彼には新鮮で、嬉しい出来事なのだ、と思うと、何だか感動してしまう。赤ん坊のときから考えれば、ボクたちは実にいろんなことが出来るようになっていて、気がつけば、いつの間にか当たり前の日常になってしまっている。でも、外を歩くという簡単なことも、赤ん坊にとっては大変なことで、ようやく、ツクル君も安定して二足歩行出来るようになったので、こうして外に連れ出せる。
そのうちに、ボクたちは年をとって、衰えて、外に出るという当たり前のことも制限されるようになるのかもしれない。一瞬のうちに、そんな想像をするボクだ。
* * *
あまりにも楽しかったのだろう。30分くらいしたので、もう満足しただろう、と抱き上げたら、嫌がってギャンギャンと泣きわめく。それを無理矢理、家に連れて行ったら、あまりに泣きすぎて吐いたよ。この性格、一体、誰に似たのだろう。え? 父親譲り? ……トホホ。
2015年3月6日 地図が好き!!
地図と言えば断ッ然、googleマップだ、と思っていた。これに勝るものと言えば、地図のWikipediaであるウィキマピア(Wikimapia)。みんながいろんな情報を載せてくれるので、これも使い方によっては最強である。
でも、本日、偶然、OpenStreetMapを発見した。これは……すごい。遊園地などの施設の中の情報まで、記載されている。特に海外がすごい。フィリピンやナイジェリアの地図情報も、結構、充実している。誰が作っているのだろう。Googleマップも、すごいなあ、と思うけれど、このOpenStreetMapも、日々、誰かが構築しているのだ。
最近、ボクはよく地図をトレースする。仕事でも使うし、趣味でも使う。ウェブサイト用にも使う。イラストレータで描くときもあれば、PowerPointでつくるときもある。物事を理解するときに、まずは関係する地理を把握する。それから、歴史。大抵、この順番だな、と思う。その国を理解するときにも、妖怪を理解するときにも、いろいろなニュースに触れるときでも、大体、このプロセスは変わらない。
今日もフィリピンのBohol島の地図を作成していた。町の境界線をトレースして、人口密度で色分けしてみたり、地形を描いたり、周辺環境なんかのいろいろな情報を地図上に載せる。そして、そういう情報を頭の中に置いてから、歴史をなぞっていく。地理が頭に入っていないと、歴史は頭に入ってこない。歴史が入っていかないと、文化や現状が入っていかない。最近のボクは、そういう脳ミソになっているようだ。

PowerPointで作成。島のどこに人が密集しているかが一目瞭然。
今まではgoogleマップをベースにしていた。それをWikimapiaで補足していた。でも、今日はOpenStreetMapをベースにトレースしてみた。用途に合わせて5種類の地図があるので、いろいろな地図がつくれて楽しい。
ボクは歴史マニアで、地図マニアかもしれないな、と最近、密かに思っている。神話・伝承よりも、歴史と地図に興味を持って活動している気がするのは気のせいではないはずだ。



