2016年8月29日 「貧困」って何だ!?

最近「貧困JK」が特集され、NHKが炎上してあっちこっちで話題になっている。

彼女が本当に「貧困JK」なのかそうでないのかは分からないが、少なくとも、ボクは多くの人が「貧困」のイメージを取り違えていると感じている。

ナマポ問題のときにも話題になったが、生活保護を受けている人は贅沢をしてはいけないというのは間違っていて、受け取ったお金でどういう風に生活を切り回していくかは、彼らの生き方に関わる問題だ。生活必需品だけで「楽しみ」も「生きがい」も何もなく生きていける人間はいない。それに、大体、人間、常に清廉潔白かつ理性的な意思決定をしているわけではないし、人は積極的に何かを選択している場合と、結果として選択せざるを得ない消極的な選択の場合とがある。

たとえば、ケータイが導入されたとき、旅行会社が大きなダメージを受けた。今までOLが仲間うちで旅行していたお金がケータイ代に回った格好だ。何事もそうだけど、何かを選択したときには、その一方で何かを失う。当時、彼らが旅行を積極的に放棄したわけではない。ケータイを選択した結果として、旅行の分が切り詰められただけである。消極的な選択である。

今の若者が過去と比較してリッチなのかプアーなのかは分からないが、でも、明らかに「旅行」はしなくなった。「お酒」も飲まなくなった。「車」も持たなくなった。「子供」を持たない選択をしたり、「一人っ子」を選択している家庭も、実のところ、経済的な理由であることが少なくないだろう。目に見える形でのみ貧困が表れるわけではない。スマホやパソコンを持っていて、アニメ関連グッズを大量に買っていて、アニメフェスに興じているからと言って、それが裕福の理由にはならない。物の価値なんか大幅に下がっていて、生活必需品なんか簡単に手に入る時代だ。「物」の代償として、何かが失われている可能性があって、それが消極的な選択から来る「生活スタイル」や「文化」かもしれないし、そこで切り捨てられるものが「教育」であったら大問題だ。そして、それこそがNHKがテーマにしようとしていた「貧困JK」だったのではないか。

何かを購入しようとするときには、それは積極的な選択かもしれない。でも、何かを諦めるときには、それは消極的な選択である場合が多い。積極的な選択を積み重ねていった先に、消極的な選択を強いられたときに、それを意志薄弱と罵れるほど、人間は強くないし、それをバッシングできるほど、ボク自身も聖人君子ではない。

そんなことに思いを馳せられるような人間にボクはなりたいし、そういう人間が増えればいいなあ、と思っている。

  

2016年8月28日 鳥の妖怪はたくさんいるんだけど……

来月からパキスタンに行く。9月16日から11月14日までの予定で、ちょうど60日間の渡航だ。新しい国に行くときには、やっぱりそれなりに不安だし、緊張している。

そんなわけで(どんな訳で?)、そろそろ年賀雑誌の構想を練らねばと思っていて、すでにいくつか素材集めとデザインを開始した。意外と時間がないのである。

ちぃ子(妻)はすでに見開き1ページをほぼ完成させている。ボクも2ページくらいは7割方出来上がっていて、今、表紙のデザインに着手している。

毎年、神話・伝承を題材にしている。酉年なので「鳥」関連で攻めたいところで、実のところ、いろんなアイディアがあったのだが、今年も変なものをチョイスしてみた。ラフ・スケッチは完了。このイメージのまんま、完成まで持っていければいいなあ。

  

2016年8月28日 無花果(イチジク)の話。

イチジクは漢字では「無花果」と書いて、花がない果物だというのは知っていたけれど、果実だと思って食べていた部分が果実ではなくって「花」だったということを、この記事で初めて知った。

やー、世の中、知らないことばかりである。


いちじくは、果物でも野菜でもありません。じゃあ何?
いちじくには、想像を超えるようなストーリがある。
HUFFINGTONPOST.JP

  

2016年8月27日 実は個人情報なんてダダ漏れである!!

昨夜、イースト・プレスの『死者の書(まんがで読破)』のレビューをウェブサイトに書こうと思って、Amazonで検索した。

今日、昼休みに職場でFacebookを開いたら、イースト・プレスの「まんがで読破」シリーズの広告が並んでビックリした。

我が家のPCを使ってAmazon内で検索したのであって、会社のPCで検索したわけじゃない。それなのにFacebook氏はちゃんとボクの検索情報を追いかけている。

昔、Facebook氏はマイク機能をオンにしていると音声情報を収集して広告を出してくるという報告がなされていたが、ホント、Facebookにログインしたまま検索した情報が、そのまんま筒抜けらしい。すごい機能だが、怖い機能だなあ、と思う。

Google検索、Googleマップ、Google翻訳、Google+、Youtube、Gmail、Google Chromeなど、Googleもいろんなサービスを展開していて、正直、ボクの一挙手一投足はGoogle氏には監視されている。ボクが何を検索して、どこにいて、何を翻訳して、何を書いて、何を視聴して、誰にメールを送って、どんなウェブサイトを見ている。これらを分析することは、技術的にもプログラム的にも可能である。

Facebook氏も同様で、ログインしている間は、いろんな情報を掠め取っていくらしい。

常に監視されている。そういう自覚を持って生きないと、やられるゾ!!

  

2016年8月27日 匿名性の弊害。

最近、ウェブのニュースを見ていて気になることがある。「ある業界関係者は」とか「元社員が」とか「身近な知人は」みたいな書き方で報じる記事だ。これって、メディアとしてのレベルを下げるのではないか、と思っている。

物を書く以上、情報源というのは大切で、可能な限り、いろんな文献を読んだり、一次資料を参照したりする。もちろん、記者からすれば「ある業界関係者」というのは匿名の誰かではなくって「取材した特定の人物」がいるのだろう。だけど、大切なことは、その「業界関係者」が本当はどういうポジションにいるのか、ということ。「ある業界関係者」という記述は、その辺が非常に曖昧になる。非常に身近にいて、日常的にその案件に接している人物なのか、ただ遠巻きに眺めていただけなのかによっても情報の質は異なる。

たとえば、あるプロジェクトに直接、従事していた人と、そのプロジェクトをやっている同じ部署の同僚がいて、たまに相談を受けていた人と、全然部署は違うけど、そのプロジェクトのことを噂で聞き齧っただけの人で、情報の質って、全然、異なる。「ああ、知ってる知ってる。あの件ね!」と語っても、それがどの程度、現場の状況を把握したコメントかは分からない。小さな会社でサラリーマンとして仕事をしていて思うのは、直属の上司だって、実のところ、本当に現場で起こっている問題を把握していないことが多いのであって、それを外から見ている隣の部署の人間に何が分かるものか、と思う。だから「ある業界関係者」も「身近な知人」も、匿名である以上、その情報の質は担保されない。

それに匿名性を秘めた記事は、捏造の可能性を孕んでいる。ライダーが嘘を書いたって、誰も検証できない。それっぽく記事が書けてしまう。だから、ちょっとオーバに書いたりする癖がついたら、ずるずると質の低い記事を書き続けるだろうな、と思う。あるいは都合のいいよく喋る「業界関係者」を捕まえて、それを真実っぽく書くことだって、出来てしまう。

そんなわけだから、匿名性を含んだ記事そのものは、信憑性を損ないかねない、と思う。でも、最近、そんな記事が蔓延していて、ちょっと愕然としている。そんな記事を大手のメディアまでが紹介してしまう時代である。

昔っから、ボクはウェブ・ニュースの記事の質を向上させるために提案していることがある。それは記事に対する評価を読者がするシステムを導入するということ。大仰な釣りタイトルや、信憑性の薄い記事、他のメディアをコピペしたような質の低い記事に対して、読者が「ノー」と言えるシステムを作れば、記事の質は向上する。ライターも少しは気を引き締めるだろう。ライターが囲い込まれた小さなウェブサイトだと、そういうのもあるけれど、もっと影響力のある大きなニュース・サイトに、そういう制度を導入してもらいたいなあ、と常々、思っている。

  

2016年8月26日 日本のSNS利用は特異!?

ソーシャル化とモバイル化でも、「日本の特異性」が一段と進む:http://blogos.com/article/188173/

世界平均では、インターネット利用者の93%がSNSアカウントを持っているらしい。でも、先進国であるはずの日本は70%と低い。また、世界平均では7種類のアカウントを持つらしいが、日本では2種類のみ。

ボクの場合、アクティヴなのはFacebook、Twitter、LINEだけだなあ。YoutubeとGoogle+は登録だけだし、mixiはほとんど死んでいる。LinkedInは海外の方々からコンタクトがあって怖くなって止めてしまった。Pinterestも使いにくいから止めた。PixivとInstagramは興味があるけど未着手。そんな状況。

この記事では、利用時間についても言及されていて、他の国が1時間以上の中、日本は18分と極端に低い。まあ、これは文化的なものもあるだろうな、と感じる。海外に行くと、仕事中でもFacebookをやっている人がたくさんいるし、業務連絡にSNSを使っている場合だってある。日本じゃ、考えられないこと。業務中はSNS禁止が一般的だろう。最近、社内連絡に公式にLINEを使っている会社の人を見かけたが、日本ももっと積極的に活用すべきなのかもしれないなあ、と思う。

大体、フィリピン人なんて、メールを開かない人が多くって、返信が返ってくることはほとんどないが、Facebookに連絡すると、すぐに回答が来る。そういう文化的な違いは大きいだろうなあ、と思ったら、案の定、利用時間ではフィリピン人がダントツの3.7時間。でも、実のところ、ナイジェリア人もかなりの部分、Facebookで連絡を取り合っているので、時代はそういうものなのかもしれない。

2013年にミャンマーに行ったときに、停電ばっかりだし、水道インフラもない地域で、現地の人々がスマホを使っていて、ものすごく驚いたのを覚えている。当時はまだ日本でもスマホとガラケーが半々くらいだった頃だと思う。しかも事前に印刷した地図を示しながら、場所を探していたら、現地スタッフがスマホのgoogleマップで現在地を拾って、「今、ここだ!」と説明してくれた。電気も水もちゃんと整備されていないのに、ネットインフラだけは進んでいることにギャップを感じた。

でも、言い換えれば、まだまだ日本には潜在的なSNS利用者がいる、ということで、その辺にビジネス・チャンスが転がっている、ということでもある。SNSになびかないと見るか、これからSNSに引き込めると見るか。さてはて。

  

2016年6月6日 復刊ドットコムがやりおった!?

復刊ドットコム

たまたま尾崎かおりの新作『人魚王子』を探して入った本屋で、新着コーナに佐藤有文の『世界妖怪図鑑』が1冊だけ並んでいてビックリして、思わず二度見、三度見してしまった。裏返したら、復刊ドットコム。ずぅっと復刊希望のランキング上位にいたわけだけど、遂に復刊まで漕ぎ着けたわけだ。ネタとして、迷わずレジに持っていってしまった。本屋には置いていなかったが、『日本妖怪図鑑』の方も少し前に復刊しているらしい。

それにしても、いい意味でも悪い意味でもいい加減な時代だったのだなあ、と思う。引用されている画像と解説は8割方合っていない。解説では中世の悪魔を紹介しているのに、引っ張ってきている図像は、似たような姿をしたインドの神さまだったりする。ちゃんと解説が書けている項目もあるので、その文献には当たっているわけで、ちゃんと文献を読んでいないし、まるで誠意が払われていない。こんな杜撰な(あるいは悪意ある)クオリティで本になってしまうのだから、大らかだったとは言え、すごい時代だよなあ、と思う。そんなアレな本なので、復刊は難しいだろうな、と思いながら、復刊リクエストに要望を出していたボクだったけれど、まさかまさかの復刊である。

「この本には、みなさんのよく知っているフランケンシュタイン、ミイラ男をはじめ二百種類もの妖怪と悪魔が百種類のっています。これ一冊で世界の妖怪はすべてがわかります」と書いてあるけど、完全に誇大広告だ(笑)。たかだか数百で世界の妖怪の全てが分かるはずはない。ましてや解説はいい加減な極まりないのだから、性質が悪い(笑)。

  

2016年6月1日 スマホで『よいこの太陽信仰』を読んでは電車の中で噴き出すボク

最近、ウェブサイト上の漫画の『よいこの太陽信仰』というのを発見して、密かに楽しんでいる。世界各地の太陽神をずらりと登場させて物語が展開していく4コマ漫画だ。たとえば、日本からは天照大神が登場するし、エジプト神話のラーも登場する。メソポタミア神話のシャマシュやインド神話のスーリヤも登場する。ギリシア神話からはアポロンが登壇だ。そういう登場人物たちが同じ世界でわいわいやっている漫画だ。もともと作者がどのような意図で太陽神にフィーチャーして、太陽神だけの漫画を描こうという着想を得たのかはよく分からない。でも、期してか期せずか、結果として各国神話比較の様相を呈している。ある国の常識は他の国にとっての非常識。そういうギャップがクローズアップされて、笑いを生み出していて、非常に面白い。

  

2016年5月12日 講談社もすげーな!!

20140512

会社帰りに『ライチ☆光クラブ』と『四月は君の嘘』の1巻を購入。久々に漫画なんか買ったなー。それにしても、たまたま実家で、お正月番組で尾田っちが講談社の『四月は君の嘘』をオススメしていたのを見た。他社の漫画なのに尾田っちすげーな、と思ったけど、一方の講談社も恥も外聞もなく尾田っちの名前を帯に冠して売っていて、これもこれですげーな、と思った。それで、ついつい手にとって、今更ながら購入してしまった。ホント、今更だけど。天下の講談社がこういう売り出しに掛かるとは思っていなかった。

『四月は君の嘘』については、絵がうまい。尾田っちが絶賛するだけのことはある。画力で読ませる漫画である。ストーリィは非常に軽くてポップな感じだけど、キャラクタの動きとかコマの運びとか、ぐいぐいと引き込まれる。すごい。

  

2016年5月10日 iPhoneで楔形文字が読めたよ!?

半年振りくらいにiOSアップデートした。そうしたら、Unicodeで記載していたボクのウェブサイトのメソポタミアの楔形文字が印字されるようになって驚いた。今までは◻︎に文字化けしていたのに!

まさかと思っていろいろ巡回したら、古代エジプトのヒエログリフとか古代ペルシアのアヴェスター文字まで印字される。ををッ、すごいな、iPhone。

どうやら、iOS9では、学術的な観点からこういう古代文字を印字できるようにした模様。2016年4月24日の記事でスマホの普及が多言語化の足枷になっていると書いたばかりなのに。

それならば、とミャンマー文字に挑戦したら、これは◻︎のまま文字化けている(笑)。すでに死んだ古い文字は印字されるのに、まさに今、生きて現地で使われている言語が疎かになっている片手落ち。

それでも、ウェブサイトの他言語化を強く推進して、文字化けしていても敢えていろんな言語をUnicodeで記載し続けているボクとしては、iPhoneのこの強い姿勢は評価できるし、嬉しい。少なくとも、iOS9以上の人がボクのウェブサイトにアクセスしたら、今までの文字化けの8割は解消しているはずだ。

GoogleもUnicodeの文字を全て印字させるべく昨年の9月にNoto Fontシリーズを発表したし、徐々にウェブサイトの他言語化が進んでいく。

大学生の頃からブツブツ言ってきたが、やっとここまで来たなあ、という感じ。

  

2016年5月9日 亭主関白なツクル氏

息子のツクル氏、最近、語尾が「○○だよね」から「○○だよな」に変わった。2歳児の分際で、あちこちで男の子っぽい言葉遣いをする。我が家ではテレビを見せていないし、ボク自身、非常に丁寧な言葉を喋るので、保育園の影響だろう。しかも、昔から気になっているのが、男の友達は「○○くん」と呼ぶのに対して、女の子は「ななみ」とか「ゆいか」とか「かな」などと呼び捨て。まるで亭主関白みたいな感じ。保育園の先生が女の子たちを呼び捨てで呼んでいるとは思えないので、何なのだろうか、と疑問を感じているこの頃である。子供って、よく分からないなあ。

  

2016年5月4日 自己顕示と社会貢献の狭間くらいの気持ち。

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今週から鯉を揚げている。3メートルの鯉なので、横浜の町中じゃ、珍しいので目立つ。鯉のぼりを揚げると毎日天気予報をチェックして、雨の前には降ろさなきゃいけないので、自己顕示と社会貢献の狭間くらいの気持ちで揚げている。

本日は珍しく強風なので、よく棚引く。

  

2016年4月17日 独自ドメインでGo!!

今の独自ドメイン(hetappi.info)を取得したときに、昔のウェブサイト(hetappi.gozaru.jpとかfantasy.kakurezato.jp)を明確には閉鎖しなかった。新しいドメインにリンクを送ることも積極的にしなかった。今となっては記憶がおぼろげで覚えていないが、多分、当時のボクとしては、独自ドメインでサイト運営をすることに不安があったり、疑問があったりして、忍者ツールズのドメインに戻る可能性を考えていたのかもしれない。何しろ、当時としては、忍者ツールズは強かったので、そこでウェブサイトを構築することは、SEO的には大きな強みだったはずだ。

今、独自ドメインでサイト運営をしている。WordPressやcgiを駆使している分、自由度は高いが、それでも、ドメインの強さはイマイチで、googleにも好かれていない。検索すると、忍者ツールズに展開していた時代のボクのウェブサイトの方が上位に来る。そもそも、積極的にSEO対策を施していないのだから、当たり前だ。

最近、自分のウェブサイトにあげた記事が、googleにキャッシュされるのが遅いな、と感じるようになった。多分、googleのサイトランクが下がって、目に見えて影響が出てきたのだろう。だから、ちょっと重い腰を上げて、SEO対策を施そうと暗躍している。6月くらいには、もう少し強いウェブサイトにしたいなあ。

  

2016年4月11日 TSUTAYA初体験(笑)。

大学時代、演劇をしていた頃、音響担当になったときには、GEOでCDをレンタルしてBGMを探したことがある。でも、これまでの人生の中でボク自身のためにCDをレンタルしたことってなかった。DVDもそうだ。欲しいものは買う。逆に言えば、買おうと思うほどに魅力的じゃないものには触れない人生だ。そういう主義でやってきたわけではないのだけれど、何となく、そうやって生きてきた。

今日、TSUTAYAの窓口で緊張しながら会員カードを作って、CDレンタルを初体験してみた。ほとんどベスト・アルバムを選んで借りた。2014年と2015年のOriconのCDアルバムの100位に入っている売れ線のアーティストを事前にピックアップして、その人たちのベスト・アルバムを選んだ格好だ。

最近、海外に行く。執務室で音楽を聴くこともある。iPhoneにMP3を放り込んで、Bluethoothのスピーカで流して、みんなで楽しく共有する。ボクのチョイスは変なので、イマイチ、みんなが満足しているのかよく分からない。売れ線を流してやれば、もっと盛り上がるのではないか。もっと言えば、ボクも大人になったのだから、もっと売れ線を聴いてもいいのではないか、と丸くなったのである。聴く音楽のセレクトに敢えて個性を出さなきゃいけないほど、個性に枯渇していないことに気が付いた。AKB48や福山雅治、西野カナ、いきものがかりを聴いたって、別にいいじゃん、と思うようになった。

教養としてクラシック音楽を聴こうとか、JAZZも聴いてみようかとか、雅楽も嗜んでおこうか、という発想に近いと思う。ベストセラーの本を読んでみようか、とか、ね。ふふふ。

* * *

それにしても、最近のベスト・アルバムって、3枚組とか4枚組とかが多い。それって、本当にベスト・アルバムか? もっと厳密にベストなものを選んだ方がいいのでは? 「選んだんだけど絞り込めませんでした」というのは恥ずかしいことだ、と思う。

  

2016年4月7日 物事を管理するということ。

物事を管理するというのは、いつだってそうだけど、まずは現状分析から始まる。そこから課題を抽出し、対策を検討して、計画を立てる。その計画の進捗管理をする。実は考えるときのテンプレートそのものは難しいことではない。でも、適切に課題を抽出するのは難しいし、抽出された課題に対して適切な対策を打ち出すのも簡単じゃない。その上、計画どおりに物事を動かしていくことは非常に難易度が高い。

でも、どれだけ難しかろうと、まずはそのテンプレートに当て嵌めることが肝要だ、とボクは思う。つまり、現状分析、課題抽出、対策検討、計画策定、進捗管理の流れに形だけでも乗っけてやらないと、物事を管理できない。

意外とテンプレートにすら当て嵌められないで議論されている状況があちこちに散見される。それじゃ、物事は管理できない。

  

2016年4月6日 我が家の食事は今日からコース料理だ(笑)

イヤイヤ期のツクル氏(息子)は最近、食事を選り好みする。「これ、いらないよー。あれをもっとー」みたいな感じで、好きなものしか食べない。これではいかん、ということで、頭でっかちの両親(ボクのことだ!)は食事のコース料理化を開始する。

前菜に始まり、サラダ、メイン、そしてデザート。小皿に入れて、ひとつの料理が終わるまでは次の料理には移行しない。そもそも「これいらない」とか「あれがいい」など、選択肢があるから目移りするのだ。ひとつしかなければ悩むことなく食べるだろうという企みだ。それに、最後にはデザートが待っている。そこまでの道は一直線だ。

食事の時間になって、テーブルに座ったツクル氏。前菜のナムルとお茶だけが並んだ卓上に、「きょうはおにくないの? おっきなおさらないの?」と不安げ。でも、途中から順繰り食べていくというルールが理解できたらしい。一皿ずつやっつけていく。野菜も肉も満遍なく食べて、無事にデザートまで到達した。我ながら、なかなかいいアイディアではないか、と思う。

  

2016年4月6日 手ブレも怖くない!?

同僚のスーさん、どうやら、送別会の写真撮影に失敗したらしい。フラッシュを焚いていないので、真っ暗だし、手ブレが酷い。現像して渡すことを意図していたらしいが、ご破算になってしまった模様。やっちまったなーッ。

本日、何とかならないか、と電話にて相談を受けたので、Photoshopを立ち上げて、いろいろと試行錯誤してみる。暗いのは簡単だ。色調補正で何とかなる。明るくして、顔が見えるようにできた。でも、手ブレは難しい。CCだと手ブレ補正の機能が最初っから搭載されているようで、なかなか評判がいい。でも、我が家のPhotoshopはCS5なので、いろいろとぼかし機能を駆使して、それっぽく再現する。

まあまあの出来ではないか。早速、写真をスーさんに送り返す。きっとそれなりのクオリティで現像できることだろう。何だ、ある程度の手ブレなら怖くないじゃないか、と思ってしまった。

カメラの腕なんかなくても、Photoshopである程度の補正が出来てしまう時代である(悲)。

  

2016年4月6日 2年越しの懸案事項が解消!

ようやく念願の本棚整理。漫画と新書は終わっていたが、今日は本番。文庫本のコーナの整理だ。新居を建てたのはいいものの、フィリピンやナイジェリア、スーダンと海外渡航ばっかりで本棚の整理が出来ずにいたのだ。2年越し。本日、ようやく胸の痞(つか)えが取れた感覚。

作家ごとに並べて、出版社ごとに並べる。昔は出版社ごとに並べていた。その方が背表紙が揃うのでキレイだ。でも、検索するには長けていない。小さい本屋だと、最近は作家ごとに並べていたりする。その方が本を探すには便利かもしれない。最近、ちぃ子(妻)と本棚をシェアしているので、尚更だ。

今回、京極夏彦の本がキレイに書棚に配架できた。彼の本はあまりに分厚いので、うまくハマらないときには、前後に無駄なスペースが出来てしまう。今回は何も考えずに順番に並べて行ったら、偶然、キレイに陳列できた。非常にラッキィだ。京極氏の言うとおり、コスパのためには分厚くても1冊になっていた方がいいが、電車の中で読んだり、本棚に配架したりするときには、分冊になっていた方が便利。ユーザがどちらに価値を置くか。おそらく、後者のニーズの方が大きい気がする。最近、分冊版が出て、そちらしか本屋で見かけなくなったのは、多分、そちらのニーズを優先したのだろう。問題は講談社が何故か背表紙の色を黒に変えた点。他のシリーズとの連帯感がなくなるから、色はそのままに分冊してくれればよかったのにな、と思うボクだ。

  

2016年4月5日 日々、自己嫌悪。

話をしながら、自分で自分のことが嫌いになるときがある。「ああ、何だかバカみたいなことをしゃべっているなあ」と感じる。程度の低い話をしているということではない。理路整然としていないとか、伝えたいことが充分に伝わらないなとか、うまく説明が出来ていないとか、そういうことが言いたいんじゃないのに、誤解されているだろうなとか、そういうことだ。

昔はそういうことを感じなかった。年々、感じることが多くなった。ボクの精神が成長して、喋りたい内容と喋っている内容のギャップに気付くようになった、と好意的に解釈すべきか、そうではなくって、ボクの脳ミソが劣化して考えて喋る能力が低下していると考えるべきか、実は悩んでいる。

もう少しスマートに喋りたいのだけれど。うーん。

  

2016年4月5日 3割は分かると考えるか7割分からないと考えるか(笑)

早速、今朝から英語のお勉強。昨夜、MP4に変換してiPhoneに落とし込んだ『アリーmy love』を、電車の移動中に鑑賞。英語の音声、英語の字幕だ。でも、これだけ外国を飛び回って英語で喋っているのに、3割くらいしか分からない。なかなか難しい。会話はネイティヴの速度で予想以上に速い。それに、意外と話し言葉は教科書で勉強する単語や文法と違って独特だな、と思う。でも、この話し言葉こそが生きた英語だ、とも思うので、聞き取れないながら、これからぶっ通しでシーズン1を見続けようと思っている。23話で18時間だ。18時間も英語に浸かっていれば、多少、耳も英語耳になる。そう期待している。ふふふ。