2021年1月3日 あけましておめでとうございます!!
2020年は新型コロナウイルス感染症が猛威を奮って、色々と大変な年だった。でも、お陰様でZoomやYouTubeなど、新しい取組みにもチャレンジできて、学びの多い年でもあった。こういう非常時にどれだけ創意工夫してこれまでの事業を推進していくか。対応力や発想力、柔軟性を求められる1年だった。
2021年は丑年なので、クダンを描いてみた。クダンもアマビエと類似の予言獣で、疫病退散の妖怪なので、ちょうど題材としては相応しかったかもしれない。
クダンは時代によって描かれ方は異なるが、江戸時代末期に、ウシからクダンが生まれるという形に落ち着いたので、その頃のクダン(すなわち、赤ん坊のクダン)を描いてみた。何とも不気味な表情になった(笑)。
2020年10月25日 YouTuberに、俺はなる!?
ボクは会社で国際人材育成を担当していて、2か月に1度の頻度で、研修を主催している。とは言え、新型コロナウイルス感染症対策として三密回避をしなければならないため、人を集めにくい状況は続いており、仕方がないので、会場を2つや3つに分けて、Zoomで繋いで、オンラインで研修を実施したりしている。
研修にはワークショップはつきもので、お互い、顔を突き合わせてグループワークをするのが有効だと思っているので、メンバーが分断されてしまう状況は苦しいところだ。一方で、文明の利器として、ZoomやYouTubeを活用する気運が高まっていて、ボクもそういうものに触れる機会が多くなって、畢竟、そういうスキルがどんどん上がっている。先日はZoomで複数の会場を中継しながら、それをYouTubeでストリームライブ配信をして、会場に来ることができない人々にも情報を届けようと画策して、うまく行った。
実際にやってみた感想として、研修会場に人を集めるよりも、ずぅっと簡単に参加者を増やせそうな印象があって、今まで30~40人にしか伝えられなかった講義が、容易にたくさんの人に届けられるのではないかという可能性を感じた。単なる一方通行の講義でよければ、全然、いいアプローチだ。さらにはYouTubeにアーカイブが残る。その瞬間に立ち会えなかったとしても、後から見ることができるので、その意味では、さらにたくさんの人に見せることができるので、その可能性も大いに感じた。
多くの人は「研修イコール講義」だと勘違いしている。実際にはそれは間違いで、受講者の情報を引っ張り出したり、ワークショップをしたりして、研修で伝えたい情報を記憶に定着させ、行動変容を促すところまで持って行かなければいけないので、講師の情報を届けるデリバリースキルだけではなく、当日のファシリテーションも大事だし、如何にして参加者に関与させ、行動変容させるかという研修デザインも重要だ。その意味では、やっぱり、インタラクティヴでなければ研修は成立しない。でも、依然として「研修イコール講義」スタイルが蔓延していて、そういう要素がメインになっている。であるならば、実は一方通行でもよくて、こういう研修スタイルなのであれば、YouTube配信やアーカイブでも十分であることになる。そういう意味では、研修の前段になる「情報付与型」の部分だけは、YouTubeを活用するのは有効だ。
そんなことで、実は新コロの煽りを受けながらも、情報付与型の一方通行の講義は、もう、人を1か所に集める必要はないし、同じ時間を共有する必要すらないことに気づかされる。そして、そういう情報付与型の研修はYouTubeを活用することで、一度、録画したもので繰り返しアプローチできてしまうので、改めて毎回、講師がわざわざ登壇しなくてもよいということになる。とても効率的。そして、我々は、本来の研修の役割であるインタラクティブな部分にのみ、注力すればよいということになる。
そんなわけで、ボクは今、ちまちまと情報付与型の一方通行の講義資料をYouTubeにアップロードする作業を繰り返している。この動画の情報が色褪せるまでは、ずぅっとこれを視聴してもらえばいいということにして、ボクはそれ以外のことに時間を割けばいい。そのために「これを見ればこの内容が分かるのか!」と印象付けられるような素敵なサムネイルの作成にご執心なのである。わっはっは。
2020年5月8日 動画作成なう
新型コロナウイルスによって働き方は変わる。たくさんの人を会議室に集めた説明会みたいなものは当面できない。だから、説明用の動画を作成することにした。
久々にAdobeのPremiereを立ち上げて、動画を作成している。大昔、結婚式のプロフィールヴィデオを作ったり、結婚式のダイジェストVTRを作ったときの感覚を、緩やかに思い出す。あー、そうか。こうやって動画って作るんだったなあ。
結局、ボクはどこまでもクリエイターなのだなー、と痛感する。こうやってクリエイティヴなことをしているとき、作業に没頭して、食べることとも寝ることも忘れてしまいそうだ。ちぃ子に「いい加減に寝るよ」と叱られて時間を知る。
2020年5月3日 宇宙人だって、ボク的には『世界の妖怪』である!!
先日、アメリカ国防総省がUFOの映像を公開した旨の記事を書いた。これにはちょっとした意図がある。ウェブサイト「ファンタジィ事典」は『世界の妖怪』を扱う事典として編纂されているが、「架空の存在でありながら、その存在が実在と信じられたもの」をその対象としていて、『世界の妖怪』を「神話・伝承に登場する神さまや怪物、未確認生物、都市伝説の妖怪、宇宙人など」と定義している。だから、「宇宙人」というのは、ボクの興味の対象だし、ウェブサイト「ファンタジィ事典」の範疇でもある。
ところが、今までのところ、実はグレイしか項目としては宇宙人を掲載していなかった。ずぅっと、これは看板に偽りありだな、と感じていた。だから、敢えてアメリカ国防総省の記事を書きつつ、昨日までに宇宙人に関する項目をばばばーっと更新してみた。タコ型の宇宙人である火星人、金髪美男子の金星人、虫の目玉を持つベム(BEM)、アンテナを持ったリトル・グリーン・マンだ。そして、改めて、今回、グレイも見直してみた。
そんなわけで、落書き(笑)。何を描いているのだ、と言われそうだけれど。そのうち、ちゃんと彩色してファンタジィ事典に反映させようと思うよ。
ちなみに、エイリアンって、英語ではAlienだけど、ローマ字読みすると……ありえん!! この世には存在しないってことかしら?
2020年4月29日 指定されたページは存在しません!!
先日まで、エジプト神話を更新するために根を詰めていた。でも、先週、それも終わって、久々にのんびりとしたお休みだ。新型コロナウイルス対策下なので、おいそれと外を出歩くこともできないので、htmlでもテコ入れしようと「ファンタジィ事典」をちまちまとイジっている。今のところ、「ファンタジィ事典」はfaviconをつけていないので、それもやらなきゃいけないなあとは思っている。でも、どうせなら面白いことがしたいなあ、と思い、それならば、と「HTTP 404」のページ作成に精を出す。他の妖怪の解説と同じような雰囲気で「HTTP 404」のページをつくる。気付かずに、普通に読んでしまいそうな雰囲気。しかも、張り切って絵まで描いてしまった(笑)。ああ、こういうのは4月1日にやればよかったんだなあ!!
2020年3月10日 流行に乗って、アマビエを描いてみた!!
コロナへの対応としてネットで流行しているアマビエ祭に乗っかってみる企画。ボクも描いてみよう!!
というわけで「アマビエ」を描いてみた。
意外と気持ちの悪い絵になってしまったのは何故だろう。鱗がいけなかったか。それとも鮭みたいな口がいけなかったか。でも、まあ、妖怪だし、いいよね?
2020年1月7日 木端微塵にしてやるよ!!
年賀状用に火鼠だけでなく、コダマネズミの絵も描いてみた。彩色はしていないが、絵としては面白い感じ。ぷくーっと膨れていく感じがよい。かわいい顔をして、猟師がやってくると木端微塵に弾け飛び、肉片を撒き散らすという性質の悪い妖怪だ。
2020年1月3日 2020年もよろしくお願いいたします。
あけましておめでとうございます。無事に新年の雑誌もお届けできました。恥ずかしい話、昨年は仕事に忙殺されており、入稿できないのではないかと危ぶんでおりましたが、綱渡りのように生きております。
子年なので、火鼠を描いてみました。中国伝承に登場する幻獣です。要するに、石綿です。
そんなわけで、2020年もよろしくお願いいたします。
2019年12月16日 入稿!!
今回も無事に2020年の雑誌を印刷会社に入稿。いやー、よかった。今年こそ落とすかと思った。何とか無理矢理に入稿まで漕ぎ着けた自分を褒めてあげたい。
2019年1月5日 新年のご挨拶と抱負!
あけましておめでとうございます。2019年もよろしくお願いします。
さて、今年も無事に「近況報告の本」を発行できた。2010年の結婚式に参列者に配って以来、定期的に発行してきて、今回で8冊目。アイヌ特集を組んだが、個人的には、デザインが今までで一番、うまくまとめられた、と思っている。表紙の絵は「セーフリームニル」を描いたが、選んだ素材が悪かったのか、コンセプトが失敗したのか、あんまりうまく描けなかった(笑)。漫画家さんは小さなコマ割りの中で、小さな人をさらりと描くが、それってとても難しいのだ、ということを学んだ。ヴァルキュリャとエインヘリャルだが、小さい中で表情とか動きを表現するのが難しい。
もうひとつ、各人へのコメント記入用のカードに「オーク」を描いた。こちらは、猫背なので、自分に似ていて、まあ、それなりにいつもどおりに描けた。
「セーフリームニル」にしても「オーク」にしても、そのうち、ちゃんとファンタジィ事典で解説を書こうと思う。実は「ファンタジィ事典」が2016年9月以降、更新されていないので、ずぅっと気に病んでいる。思うところがあって、リニューアルを検討していて、すでにデザインは終わっていて、HTMLもCSSも出来上がっている。でも、PHP的な発想のプログラムのところが完成していなくって、今まで更新されていない。プログラムが出来たら、順次、更新していく予定だったので、各項目にも手をつけない状態になっている。今年は海外生活も減って、横浜にいられる見通しなので、何とか形にして、本来、やりたかったことをやろう、と思っている。お待ちいただければ、と。
2018年12月18日 今年も無事に雑誌を入稿!!
2019年の近況報告の雑誌、今年も無事に完成した。よかった。正直、今回は直前までファイサラバードに渡航していた関係で、どうなることかと思っていた。でも、無事に完成し、入稿に漕ぎ着けた。表紙のイラストはイマイチなのが口惜しいが、でも、完成させることに意味がある。
2018年1月7日 クロとブチ
今年は戌年なので(笑)。第2弾。
【シュヤーマとシャバラ】
श्याम(シュヤーマ)《黒色》【サンスクリット】
शबल(シャバラ)《斑模様》【サンスクリット】
シュヤーマとシャバラはインド神話に登場する2匹の犬。冥界の支配者であるヤマ(仏教神話でいうところの「閻魔」)に従う番犬。この2匹の犬は4つ目で斑模様を持つ。冥界へ至る道を守護・監視し、ときには現世を徘徊し、死すべき人間を見つけて冥界へ連行する。
シュヤーマは《黒色》、シャバラは《斑模様》という意味で、現代風に言うなれば「クロ」と「ブチ」。
2018年1月5日 ほっといてくれ。
今年は戌年なので(笑)。
【人面犬】
人間の顔を持ち、人語を喋る犬。1990年頃に大流行した。ゴミ箱を漁って汚い言葉で捨て台詞を吐いたり、高速道路で追い抜いた車両を事故に遭わせた。噛まれた人間は人面犬になるとも噂された。大抵はおじさん顔。
2017年9月15日 googleの届かない世界
googleで検索すれば大抵のことは分かると思っていたけれど、SNSで囲い込まれた世界は、しばしば、google先生の与り知らない世界になる。検索に引っかからない。pixivもそのひとつ。いろんな綺麗な絵があるけれど、その大半はgoogle画像検索で引っ掛からない。そんなわけで、そういう絵にアクセスするために、思い切って、pixivを始めてみた。せっかくなので、過去の自分の絵も載せてみて、見るだけでなく見てもらう方にも片足を突っ込んでみる(笑)。インターネットは世界をひとつにした、と言われるけれど、そのインターネットの中で、世界がこうやって細分化されていくのだから、皮肉なことだ。でも、多様化している。うーん、面白いなあ。こんな未来は想像しなかったなあ。学生のときには、世界はひとつになる、とボクは思い込んでいたなあ。
2016年12月30日 年の瀬のバタバタ。
年の瀬に新年の挨拶を必死で書いて封入しているボク。通常、年賀状は25日までに投函する必要がある。でも我が家はB5雑誌の形態をとっているので定形外郵便になる。年賀状扱いにはならないので、順次、発送されてしまう。だから、明日、郵便局に持って行って、2日到着の予定だ。今年はメッセージカードも作成してみた。毎年、試行錯誤である。
2016年9月4日 過去のイラストをアップロードし忘れていた件www
年賀雑誌の作成をしながら、過去の表紙の絵を整理していたら、2年前(未年)のケネムゥと昨年(申年)のイエティの絵をウェブサイトにアップしていないことに気がついた(笑)。慌ててウェブサイトにアップロード。何のために描いた絵だというのか!!
折角なので、ここにもあげておこうと思う。
■エジプト神話のケネムゥ神
意外とヒツジに関連する妖怪っていないので困っている。次の未年には何を描いたらいいのだろうか。うーん。轆轤で人間を創った神さまなので、轆轤を回しているところ。一応、少し時代が経って、2種類の角がついているヴァージョンを描いてみた。すでに真横に角が伸びたヒツジは絶滅しているので、現実には巻いた角のヒツジしかいなかった時代に、苦肉の策で両方の角があるケネムゥ神(笑)。
■未確認生物のイエティ
ジェッソで雪を描くという新しいことに挑戦。イラストそのものはデイリー紙のイエティ像をそのまんま採用したので、まあ、デザイン的には普通。足を小さくしてグロテスクな感じにしたところがオリジナリティと言えば、オリジナリティ(笑)?
2016年8月28日 鳥の妖怪はたくさんいるんだけど……
来月からパキスタンに行く。9月16日から11月14日までの予定で、ちょうど60日間の渡航だ。新しい国に行くときには、やっぱりそれなりに不安だし、緊張している。
そんなわけで(どんな訳で?)、そろそろ年賀雑誌の構想を練らねばと思っていて、すでにいくつか素材集めとデザインを開始した。意外と時間がないのである。
ちぃ子(妻)はすでに見開き1ページをほぼ完成させている。ボクも2ページくらいは7割方出来上がっていて、今、表紙のデザインに着手している。
毎年、神話・伝承を題材にしている。酉年なので「鳥」関連で攻めたいところで、実のところ、いろんなアイディアがあったのだが、今年も変なものをチョイスしてみた。ラフ・スケッチは完了。このイメージのまんま、完成まで持っていければいいなあ。
2016年4月6日 手ブレも怖くない!?
同僚のスーさん、どうやら、送別会の写真撮影に失敗したらしい。フラッシュを焚いていないので、真っ暗だし、手ブレが酷い。現像して渡すことを意図していたらしいが、ご破算になってしまった模様。やっちまったなーッ。
本日、何とかならないか、と電話にて相談を受けたので、Photoshopを立ち上げて、いろいろと試行錯誤してみる。暗いのは簡単だ。色調補正で何とかなる。明るくして、顔が見えるようにできた。でも、手ブレは難しい。CCだと手ブレ補正の機能が最初っから搭載されているようで、なかなか評判がいい。でも、我が家のPhotoshopはCS5なので、いろいろとぼかし機能を駆使して、それっぽく再現する。
まあまあの出来ではないか。早速、写真をスーさんに送り返す。きっとそれなりのクオリティで現像できることだろう。何だ、ある程度の手ブレなら怖くないじゃないか、と思ってしまった。
カメラの腕なんかなくても、Photoshopである程度の補正が出来てしまう時代である(悲)。
2015年12月10日 恒例の雑誌作成。
毎年恒例の雑誌作成。いよいよ作業は佳境に入った。本日、最終的な修正作業をして、ちぃ子に提出した。彼女が最終校正をしたら、印刷屋さんに発注だ。ナイジェリアの渡航前に粗方、完成はさせていたが、それでも、ナイジェリアに持って行ったゲラ刷りを眺めながら、あちこち、修正箇所を見つけたり、再度、アイディアを詰め込んだりした。そんなわけで、ボクとしての作業は本日、ようやく終了。ちぃ子から指摘がなければ、文字をアウトライン化して、いよいよ印刷だ。
毎年のルーチンになったとは言え、実は、結構大変である。12月は仕事も忙しくなるし、飲み会も続くので、その合間を縫っての作業だ。でも、とても楽しい。共同作業というのが、一番の醍醐味だろう。一人だけだったら、もっと独善的な作業になると思う。ああでもないこうでもない、と二人でアイディアを出し合いながら、よりよいものにしていく。その作業を毎年続けていることは、きっと、夫婦関係にもいい影響を及ぼしているだろう、と想像する。
個人的には今回、表紙の絵が一番の挑戦である。構図的にも題材的にもひねってはいない。でも、ジェッソという普段使わない画材を使ってみた。こうしてみたい、というイメージがあって、そのイメージのために画材を選んだ。意外とうまく行ったのではないか。乞うご期待。
そんなわけで、雑誌をご所望の方がいれば連絡を。住所をメールいただければ、1月1日を目指して発送する所存。
2015年11月30日 水木先生が亡くなられた
ナイジェリアで朝、目を覚まして「今、何時だろうか」とiPhoneのホームボタンを押したら、画面の真ん中に水木さんが亡くなったニュースが通知されていた。現地時間で4時30分の出来事。思わず、起き上がってしまった。
ボクは日本が大好きだ、と自称している割に、実のところ、あんまり日本の妖怪には興味がない。ファイナルファンタジーやウィザードリィなどのゲームから妖怪の世界に入ったという経緯もあるんだろうけれど、妖怪というと水木しげるの印象が強くって、幼い頃のボクには、あんまり好きな絵柄じゃなかったことも影響しているだろうな、と想像する。大人になった今となっては、迫力のある個性的な絵で、案外、好きなんだけれど。だから、ゲゲゲの鬼太郎も、実は大真面目に観たことがない。たまたまテレビをつけたらやっているので観た、くらいのものだ。
そんなボクなので、水木先生が亡くなっても、93歳だし、天寿を全うしたよなあ。大往生だよなあ、などと思う。その一方で、ああ、一時代が終わったなあ、という感慨もある。
日本の妖怪の好事家たちは、大なり小なり、水木しげるの影響を受けている。特に、一反木綿や塗壁、小豆洗いや子泣き爺など、彼の絵が与えたインパクトはあまりにも大きくて、それが彼の創作であるにも関わらず、なかなかそのイメージから抜け出せない。多分、多くの妖怪好事家たちは、必死にそのイメージから逃れよう、逃れよう、と抗っているのではないか。特にイラストやデザインを生業にしている人にとって、脱水木しげるは、大きな命題のはずだ。
絵やイメージのない妖怪をヴィジュアル化する。これって、簡単なようでとても難しいことだ。それをたくさんやってのけたのが水木先生で、その功績も大きい。絵にならない言葉だけの妖怪は、ポピュラーにはなり得ない。その意味じゃ、たくさんの妖怪ファンを生み出したはずだ。その一方で、イメージを固定化させたという弊害(などと言うとかなり言葉が過ぎるが!)もあって、この戦いは続いていくのだろう。それだけ偉大だったということなのだけれど。
そんなことを考えつつ、本日は水木先生に思いを馳せながら、ナイジェリアで粛々と業務をしていたよ、というお話。