《日々の雑記》

2017年2月5日 これからのこと

このウェブサイトは果たして何のサイトなのか。最近、謎である。などとウェブ管理者としてはあるまじき発言(笑)。

もともとは創作サイトだったのに、途中から神話・伝承のウェブサイトになり、海外を飛び回っているうちに更新頻度が落ちていく。そして、取り留めのない雑記だけがたまに更新される。

今はこういう取り留めのない話題だったら、SNSの方が有効である。それでも、SNSに投稿しないのは、SNSはボクのリアル友人たちで繋がっていて、こちらはそうじゃない人たちが混ざっている、という違いがある。会社の人や学校の友人などは一部の人しかこのウェブサイトの存在を知らないだろう。

まあ、白状すれば、更新頻度が高い方がSEO的にはいいかな、と思って「日々の雑記」を始めた経緯があるので、非常に打算的なスタートだったと言える。今はあんまり更新頻度でウェブサイトが評価されるわけではないようなので、本来の意味を失っている。

せめて誰かの役に立つ情報でも発信して、情報そのものを意味のあるものにすればいいのだよなあ、とパキスタンのホテルでこの雑記を書いている。

今、ファンタジィ事典の大幅なリニューアルを考えている。パキスタンに2か月いるので、その間にある程度の準備してしまおうと思っている。ファンタジィ事典そのものをWordPress化することと、アクセシビリティを向上させえること、それから情報掲載の形を変えることを検討中だ。まあ、それがいつ日の目を見るかは分からないのだけれど、いいタイミングなので「日々の雑記」のあり方もちゃんと検討してみようと思う。大学生の頃からの惰性で今に至っているので、少しはドラスティックな方針転換が必要だろうと思っている。ウェブサイトそのものの構成が大学生の頃のままで、現状のボクの立ち位置と大きくズレているのだ、とも感じている。さてはて。

2017年2月5日 さよなら、キュレーションサイト!?

Googleが日本語検索におけるキュレーションメディアの駆逐に乗り出したらしい。どんなアルゴリズムなのかは分からないが、いい傾向だと思う。

本来はユーザの不満はキュレーションメディアそのものと、そういう情報発信の仕方をしている人たちに向かうべきで、決してGoogleに向かうところではないのだけれど、結果的に、Googleも対応せざるを得なくなった。検索結果に対するユーザの不満がこうやってGoogleを動かしたという意味では、画期的だと思う。

でも、ウェブサイトこうして検索サイトと情報発信者を巡るいたちごっこで、いつまでも続いていくのだろうなあ。純粋なユーザが不快に感じる「何か」を人工知能が理解して弾いてくれるのが一番いいのだけれど……。

そして切に願う。これを機に「NAVER まとめ」もいなくなれ!!

日本語検索の品質向上にむけて

2017年2月3日 ダダイズム、ダダイズム!!

体調不調である。全身、筋肉痛みたいになっていてダルい。まあ、飛行機移動の疲れもあるのだろうと自己分析して、早々にベッドイン。ゲスの極み乙女。をガンガンに流しながら就寝。以下、だらだらと書くが、最近、休日課長が立ち上げたDADARAYというバンドは結局、作詞作曲が絵音なわけで、活動停止って何だろか、と思わないでもない。でも、そういう意味でダダイズムなのかもしれない(笑)。中盤のベースが格好いいなあ。本音を言えば、ボク自身は、そもそも活動停止するほどのことではなかったと認識しているので(などと書くと各方面から攻撃されそうだが)、まあ、こういう形でゆるゆる活動するのもいいのではないか、と内心では思っている。いずれにしても、発売予定だったアルバムの『シア ワセ林檎』があまりにいい楽曲なので、いずれは発売して欲しいなあ。ぶつぶつぶつ。

2017年2月3日 宇宙人にさらわれて

パキスタンに飛び立つ直前、空港で銀行のキャッシュカードが使えなくなった。ATMに入れても拒否。カードが吐き出される。出発前の空港で右往左往である。まあ、鞄の中にドルが多少あるからいいかと諦める。でも、日本円の万札がないと海外で心許ないボクである。

先日、ボクの財布に入っていたツクル氏(息子)のカードも使えなくなった。結局、原因不明で再発行だ。もしかしたらボクは強烈な磁気嵐にでも遭ったのかもしれない。あるいは気づかないうちに宇宙人に拉致されて、頭に変なチップでも入れられて戻されたのかな。

なるべく財布も携帯は一緒にしないように注意していたつもりなので、非常に不可解である。もしこの銀行カードの寿命が3年くらいなのだとしたら困ったものであるが、さてはて。

2017年1月30日 2か月間のお別れ

本日から2か月間、パキスタン。ツクル氏が物心がついてから初めての長期出張だ。今までは明確な別れの意識はなかったようだ。でも、前回の渡航中に父不在を強く意識していた。LINEのモニタ越しにそれが伝わってきた。今回は明確に別れを意識していて、2、3日程前からそわそわしていた。いつもは寝起きも悪く、朝は決まって不機嫌なのに、今朝は5時から起こされて、いつもと違う厳か(?)な雰囲気の中、ちんまりと椅子に座って食事を食べていた。

彼の中では「パパー。パパは砂漠に水を引くお仕事なんだよね。そうなんだよね」ということらしい。常日頃、蛇口から飲める水が出るのは当たり前じゃないという話をしていて、ちゃんと水が出ない国のお手伝いをしていると話している。そういう話を拙い言葉で保育園の先生に説明したのだろう。先生と彼との間では「砂漠に水を引くお仕事」というところに落ち着いたらしい。まあ、それはそれでいいかと訂正はしていない。

玄関まで降りてきて、手を振ってのお別れ。彼にとって(もちろん、ボクにとっても)、長い2か月間の始まりだ。

2017年1月22日 ご当地メジェド様!?

エジプト神話関連のインターネット業界(?)では、かなり前から「メジェド」で大盛り上がりしていた。まとめサイトによれば、2012年頃から注目され始めたらしい。オバQみたいなかわいらしいシルエットと、その姿とは裏腹に目からビームが出たり、口から炎を吐いたり……とマニア受けのいい性格が人気の秘密だ。ゲームや漫画でも取り上げられて、まさに大フィーバーであった。まさか古代エジプト人も、こんな恰好で辺境の地・日本で「メジェド」が取り上げられるとは思ってもいなかっただろう。

先日、丹沢を訪れたら、こんなストラップが売っていて衝撃を受けた。

「ご当地メジェド様」

「メジェド」が浴衣を着ている!! 「ご当地○○」と言えば、ご存知、サンリオのハローキティ。そして、リラックマ、加藤茶、チョッパー。メジェドはこの流れに乗っていこうというのだから、ビックリ。そんなに知名度があるのだろうか。そして、ニーズがあるのだろうか。さてはて。

いずれにしても、メジェドが大フィーバーしていたのは少し前のことなので、「ご当地メジェド様」も、少し前に販売されたのだろうけれど、今頃になって、ボクは彼と遭遇して、ビックリしている。

* * *

ちなみにエジプト神話と言えば岡沢さんだけど、彼女は「メジェド」を別の神さまの別名(エピセットの類い)として捉えている模様。でも、絵としては非常にコミカルなので、ボクも岡沢さんと同じで、「メジェド」は「メジェド」でいいと考えようと思っている。

2017年1月15日 異端児を演じる常識人。

昔ッからNMB48の木下百花がぶっ飛んでいるなあと思っていた。髪の色が一人だけ派手(板野△どころの騒ぎじゃない!)だし、平然と虫を食べていたし、かなり目立っていた。でも、成人式の衣装を見てさらにぶっ魂消た。AKBグループみんながずらりと艶やかな着物を着て並んでいる中で、一人だけ地味な古着のスーツ。どこまでも媚びない。完全にはみ出し者である。成人式なんて人生に1度しかない晴れ舞台なので、その日くらい着物を着ればいいのに、などと思ってしまうボクは、結局、常識人である。

2017年1月11日 メール投稿の機能を加えてみたが

「日々の雑記」の記事をメールから投稿できるようにした。WordPressはいろんなことが比較的簡単にできるので助かる。これで更新頻度が増すというわけではないだろうが(結局、書こうと思い立つ気力の問題なので!)、でも、メモがてら、メールに記事を書き溜めて、それを送信することで公開できるようになった。それはそれで少しは改善である。

一番大きいのは海外からも更新できる点だ。今まで、Wi-Fiのセキュリティが悪くて、パキスタンやナイジェリアからWordPressにログインできなかった。だから、渡航中は更新が断絶していた。メールから投稿できるようになれば、Wi-Fiセキュリティは関係ないので、いつでも更新できる。問題は修正ができないという点。あ、しまった、と思っても取り返しがつかない。

2016年12月30日 

年の瀬に新年の挨拶を必死で書いて封入しているボク。通常、年賀状は25日までに投函する必要がある。でも我が家はB5雑誌の形態をとっているので定形外郵便になる。年賀状扱いにはならないので、順次、発送されてしまう。だから、明日、郵便局に持って行って、2日到着の予定だ。今年はメッセージカードも作成してみた。毎年、試行錯誤である。

2016年12月28日 イライラ

ボクはいつも何かしらにイライラしている。でも、このイライラがボクの原動力なので、そんなに悪いことじゃない。

何か気に入らないことや不満があるからイライラする。ボクはそのイライラを取り除こうとするだろう。すなわち、イライラは改善の始まりである。

もしもボクがイライラを感じなくなったとしたら、何の不満もないハッピィな世界になったか、気に入らない世界をボクが受け入れてしまったかのいずれかだ。

2016年11月18日 伝えたいこと、そして伝えようという意志

日本人は日本語が母国語なので巧みに操れる。それでも人前で喋るのが苦手な人も多い。自己紹介でもっと格好良く喋りたいとか、話し上手な人が羨ましいとか、上司を説得できないとか、営業で顧客の心を掴めないなどと悩んでいる人も多いだろう。

「英語が喋れる」からと言って、海外で通用するわけではない。日本語で格好良く自己紹介できない人は英語でも格好良く自己紹介はできないし、話下手な人はどれだけ英語が堪能だって相手との会話は弾まない。日本語で相手を説得できない人間が、どうやって英語で説得できるというのか。

ボクは日本でしょっちゅうケンカをしている気がする。納得できないと徹底抗戦の構えだ。外国にいたってそれは同じだ。絶対に引かない。納得するまで議論する。それがボクにとっては当たり前だった。でも、今回、パキスタンで一緒になった日本人は驚いたらしい。英語で1時間、相手と侃々諤々とやり合っているボクを見て驚いたのだそうだ。後から人伝に聞いた。

でも、自信満々に言うが、ボクは英語ができない。一緒に海外に行った日本人の中で、一番英語ができないのはボクだ。それでも、現地で一番真剣に口論をしていたのも、間違いなくボクである。これも自信がある。

英語は「魔法の言葉」ではない。日本で仕事ができない人は外国でも仕事はできない。日本語でプレゼンできない人が、日本語で物を教えられない人が、日本語で相手を説得できない人が、海外でうまくできるなんて幻想だ。伝えたいことがあって、伝えようという意志があって、初めて言葉は意味を持つ。それが英語か日本語かの違いだ。

2016年11月17日 ボクはきっとSNSに向いていない

SNS中毒という言葉が巷には溢れている。でも、幸いなことに、ボクはSNSに向いていないらしい。いつも、何か書こうと思いながら、忙しさに感けて、結局、何も書かない。書き始めても、続かない。

基本的には書くことが好きで、Wordには毎日何ページも日記を書く。でも、Facebookやtwitterの投稿ページを開くと、気持ちが萎えていく。えいや、と覚悟を決めないと書けないのだから、不思議だ。

最近、ボクはSNSに向いていないのだ、と自覚するようになった。きっと向いていないのだろう。それはとっても幸運なことだ、と思うボクである。

2016年11月16日 パキスタンより帰国!!

2か月、パキスタンに行っていた。向こうでもウェブサイトが更新できると高を括っていたが、セキュリティの関係でログインできず、更新できなかった。そんなわけでずぅっと音信不通になっていた。一昨日の夜に帰国し、昨日、いろいろと日本に溜まっていた仕事をやっつけて、ようやく、今日、こうして自宅でパソコンに向き合っている。Wi-Fiのセキュリティの低さは認識していたけれど、まさかホテルのWi-FiでさえもWordPressが弾いてくるとは、想定外である。

子供がもう少しで3歳になる。段々、父親と離れているということに対して、いろいろと考える歳になってきたようだ。大昔と違って、FaceTimeやLINEがあるので、モニタ越しに会話はできる。帰国日が近づいてくると、すごく嬉しそうな顔をして「パパ、早く帰ってきてねー」などと喋って手を振っている。成長が見えるので、安心できるし、それはそれで幸せである。でも、寂しそうな顔を見せられるので、切なくなることもある。

そんなわけで取り敢えずの帰国報告である。

2016年9月4日 過去のイラストをアップロードし忘れていた件www

年賀雑誌の作成をしながら、過去の表紙の絵を整理していたら、2年前(未年)のケネムゥと昨年(申年)のイエティの絵をウェブサイトにアップしていないことに気がついた(笑)。慌ててウェブサイトにアップロード。何のために描いた絵だというのか!!

折角なので、ここにもあげておこうと思う。

■エジプト神話のケネムゥ神

ケネムゥ

意外とヒツジに関連する妖怪っていないので困っている。次の未年には何を描いたらいいのだろうか。うーん。轆轤で人間を創った神さまなので、轆轤を回しているところ。一応、少し時代が経って、2種類の角がついているヴァージョンを描いてみた。すでに真横に角が伸びたヒツジは絶滅しているので、現実には巻いた角のヒツジしかいなかった時代に、苦肉の策で両方の角があるケネムゥ神(笑)。

■未確認生物のイエティ

イエティ

ジェッソで雪を描くという新しいことに挑戦。イラストそのものはデイリー紙のイエティ像をそのまんま採用したので、まあ、デザイン的には普通。足を小さくしてグロテスクな感じにしたところがオリジナリティと言えば、オリジナリティ(笑)?

2016年8月30日 メールの添付ファイルとパスワード

今、お付き合いしている会社は、添付ファイルがあると常にパスワードを自動生成して「パスワードは別のメールで送ります」方式だ。別にこの会社をdisるわけではないが、もう少し何とかならないの? と思う。毎回、毎回、添付ファイルを開くためにパスワードをコピペしなきゃいけないし、デスクトップなりどこかに解凍したフォルダが生成されてしまうので、毎回、空フォルダをゴミ箱に棄てなきゃいけない。面倒臭いのである。

実際問題、セキュリティにはランクがあって然るべきで、どうでもいいファイルにまでご丁寧にセキュリティをかける必要はないし、本当に大事なファイルをこれで守れていると思っているようなら甘いわけで、適宜、その必要性を判断する必要がある。自動生成のパスワードなんて、何も考えていないわけで、ホント、バカバカしいと思う。

この「パスワードは別のメールで送ります」方式のメリット(とされているもの)は、

(1)1通目が誤送信した場合でも、2通目を送るときに気がつく!
(2)ウィルス感染したときのメールの流出時も安心!
(3)タッピング(盗聴)されても本文にパスワードがないから大丈夫!

とされていて、その一方でデメリットとして、

(ア)とっても面倒臭い(←これ、とても大事!!)
(イ)暗号化されたファイルは逆にウィルスチェックができない!!

というのがあるわけだけど、(1)について言えば、メールなんて返信と転送で送る人が大半だし、メアドをコピペして対応しているわけだから、1通目に誤送信したら2通目も必然的に誤送信になるパターンが多い。そんなものよりも、送信ボタンを押した後に1分間送信されずに送信フォルダに留まり続けるように設定をした方が効果的だ。1分間は「あ、しまった!」と思っても取り消すことができる。(2)についてはウィルス対策はウィルスソフトでやることであって、日常的な面倒臭さを押してメール操作でやることじゃないと思うし、送り先に送ってしまったものを心配しているとすれば、先方に失礼である。それにデメリットの(イ)にもあるとおり、受け取る側からすれば暗号化されたファイルはウィルスチェックができないので、まずはダウンロードしてパスワードを解除する必要がある。(3)については、悪意ある人間に1通目が抜き取られたら、間違いなく2通目も抜き取られるので、そもそも別メールでパスワードを送る意味はない。

それにそもそも論として、ZIPのパスワードなんてすぐに解析されてしまうので、これで守れているなんて思い上がりも甚だしいので、本当に大事なファイルはこの送り方ではダメ。「パスワードは別のメールで送ります」方式は、一見、ちゃんと手続きを踏んでいるので、セキュリティ上、安心だと思わせている。実のところ、このことが大問題である。

大体、ボクはZIPのパスワードではなくって、WordやExcelのファイルそのものにパスワードをつけた方が安心だと思っている。毎回、そのファイルを開くたびにパスワードを入力するのは面倒臭いが、実はZIPよりも複雑で解析が難しいし、受け取った人がぽい、と会社の共有フォルダに入れた場合でも、ファイルそのものにパスワードが掛かっているので、他の人が簡単には開けない。ZIPファイルで送付されたファイルは通常、メールの受信者がパスワードを解除する。そうなったら、その後、ファイルそのものは丸腰になるのである。

などといろいろと理屈っぽく書いているが、何よりも「面倒臭い」というのが一番の欠点だ。こういう変なセキュリティにこだわっている会社の人が、だんだん嫌いになりそうだ。

ところで、実はここからが本日の主題なんだけど、セキュリティ上、どうでもいいようなファイルが、自動生成されたパスワードを付されて「パスワードは別のメールで送ります」方式で添付されて送られてきて、「添付ファイルにデータを記入の上、返送してください!」と依頼された場合、やっぱりこっちもパスワードをつけて返送する必要があるのだろうか。こういうのって、マナーとしてどう考えたらいいのか。うーん。悩ましいぜ。

2016年8月29日 「貧困」って何だ!?

最近「貧困JK」が特集され、NHKが炎上してあっちこっちで話題になっている。

彼女が本当に「貧困JK」なのかそうでないのかは分からないが、少なくとも、ボクは多くの人が「貧困」のイメージを取り違えていると感じている。

ナマポ問題のときにも話題になったが、生活保護を受けている人は贅沢をしてはいけないというのは間違っていて、受け取ったお金でどういう風に生活を切り回していくかは、彼らの生き方に関わる問題だ。生活必需品だけで「楽しみ」も「生きがい」も何もなく生きていける人間はいない。それに、大体、人間、常に清廉潔白かつ理性的な意思決定をしているわけではないし、人は積極的に何かを選択している場合と、結果として選択せざるを得ない消極的な選択の場合とがある。

たとえば、ケータイが導入されたとき、旅行会社が大きなダメージを受けた。今までOLが仲間うちで旅行していたお金がケータイ代に回った格好だ。何事もそうだけど、何かを選択したときには、その一方で何かを失う。当時、彼らが旅行を積極的に放棄したわけではない。ケータイを選択した結果として、旅行の分が切り詰められただけである。消極的な選択である。

今の若者が過去と比較してリッチなのかプアーなのかは分からないが、でも、明らかに「旅行」はしなくなった。「お酒」も飲まなくなった。「車」も持たなくなった。「子供」を持たない選択をしたり、「一人っ子」を選択している家庭も、実のところ、経済的な理由であることが少なくないだろう。目に見える形でのみ貧困が表れるわけではない。スマホやパソコンを持っていて、アニメ関連グッズを大量に買っていて、アニメフェスに興じているからと言って、それが裕福の理由にはならない。物の価値なんか大幅に下がっていて、生活必需品なんか簡単に手に入る時代だ。「物」の代償として、何かが失われている可能性があって、それが消極的な選択から来る「生活スタイル」や「文化」かもしれないし、そこで切り捨てられるものが「教育」であったら大問題だ。そして、それこそがNHKがテーマにしようとしていた「貧困JK」だったのではないか。

何かを購入しようとするときには、それは積極的な選択かもしれない。でも、何かを諦めるときには、それは消極的な選択である場合が多い。積極的な選択を積み重ねていった先に、消極的な選択を強いられたときに、それを意志薄弱と罵れるほど、人間は強くないし、それをバッシングできるほど、ボク自身も聖人君子ではない。

そんなことに思いを馳せられるような人間にボクはなりたいし、そういう人間が増えればいいなあ、と思っている。

2016年8月28日 鳥の妖怪はたくさんいるんだけど……

来月からパキスタンに行く。9月16日から11月14日までの予定で、ちょうど60日間の渡航だ。新しい国に行くときには、やっぱりそれなりに不安だし、緊張している。

そんなわけで(どんな訳で?)、そろそろ年賀雑誌の構想を練らねばと思っていて、すでにいくつか素材集めとデザインを開始した。意外と時間がないのである。

ちぃ子(妻)はすでに見開き1ページをほぼ完成させている。ボクも2ページくらいは7割方出来上がっていて、今、表紙のデザインに着手している。

毎年、神話・伝承を題材にしている。酉年なので「鳥」関連で攻めたいところで、実のところ、いろんなアイディアがあったのだが、今年も変なものをチョイスしてみた。ラフ・スケッチは完了。このイメージのまんま、完成まで持っていければいいなあ。

2016年8月28日 無花果(イチジク)の話。

イチジクは漢字では「無花果」と書いて、花がない果物だというのは知っていたけれど、果実だと思って食べていた部分が果実ではなくって「花」だったということを、この記事で初めて知った。

やー、世の中、知らないことばかりである。


いちじくは、果物でも野菜でもありません。じゃあ何?
いちじくには、想像を超えるようなストーリがある。
HUFFINGTONPOST.JP

2016年8月27日 実は個人情報なんてダダ漏れである!!

昨夜、イースト・プレスの『死者の書(まんがで読破)』のレビューをウェブサイトに書こうと思って、Amazonで検索した。

今日、昼休みに職場でFacebookを開いたら、イースト・プレスの「まんがで読破」シリーズの広告が並んでビックリした。

我が家のPCを使ってAmazon内で検索したのであって、会社のPCで検索したわけじゃない。それなのにFacebook氏はちゃんとボクの検索情報を追いかけている。

昔、Facebook氏はマイク機能をオンにしていると音声情報を収集して広告を出してくるという報告がなされていたが、ホント、Facebookにログインしたまま検索した情報が、そのまんま筒抜けらしい。すごい機能だが、怖い機能だなあ、と思う。

Google検索、Googleマップ、Google翻訳、Google+、Youtube、Gmail、Google Chromeなど、Googleもいろんなサービスを展開していて、正直、ボクの一挙手一投足はGoogle氏には監視されている。ボクが何を検索して、どこにいて、何を翻訳して、何を書いて、何を視聴して、誰にメールを送って、どんなウェブサイトを見ている。これらを分析することは、技術的にもプログラム的にも可能である。

Facebook氏も同様で、ログインしている間は、いろんな情報を掠め取っていくらしい。

常に監視されている。そういう自覚を持って生きないと、やられるゾ!!

2016年8月27日 玉石混交。

下の記事に関連して、最近、ファンタジィ事典の記事を書きながら感じていることでも書いてみよう。

ファンタジィ事典の記事も、実は匿名性という意味では同じことが言える。たとえば「○○という説がある」とか「○○と解釈されている」とか「○○と考えられている」という記述は、書き手として非常に楽チンだ。でも「説」と書く以上、その「説」を提唱している専門家がいるはずだ。「解釈」している専門家、「考え」を持っている専門家がいるはずなのである。ところが、よくよく調べていくと、その「説」を唱えている人は学者でも専門家でもない、素人の場合もある。あるいは胡散臭い専門家だったり、偏った過激な学者の場合もあって、その「説」の信憑性が疑わしいこともある。明らかに牽強付会だろう、という説だってあるわけだ。そういうのを無視して、ただただ漫然と「○○という説がある」と書くのは、実のところ、とっても楽チンなんだけど、とっても無責任だし、とても怖いことである。

失われてしまった神話というのは、かなりの部分、学説によって支えられている。掘り起こされた文字資料や絵、創作物、その他の遺物から、かなりの部分、仮説を積み上げて、解釈を加えて、再構築されている。あんなに文学作品が残されているギリシア神話ですら、想像で補完すべき部分がたくさんある。そういう意味では、書籍に「○○という説がある」と書いてあって、それを鵜呑みにするのも怖いことで、その根拠となる学説のロジックや信憑性、提唱者の立ち位置を探っていかないと、本当のところは分からないし、そもそも「本当」ってものがあるのかどうかも分からない。

どうもアステカ神話は胡散臭いな、と感じている。いろんな間違った学説や怪しい学説が入り混じっていて、市販の本も玉石混交の印象。そういう解釈も含めて楽しむのがファンタジィだ、というのも「あり」なんだけど(たとえば、シュメルの神さまが宇宙から来たというシッチン説も丸ごと取り込んで楽しんでしまうとか!!)、でも、大昔に本気でその神さまを信仰していた人々に失礼な気がして、もう少し、ちゃんと調べないと、と思ってしまうのがボクの正直な気持ちである。メソアメリカに暮らしてテスカトリポカやケツァルコアトル、ウィツィロポチトリを信じていた人々が、スペイン人が侵入して、文字を手に入れた後に、少しでも文字資料として神話を残そうとした気持ちを、大事にしたいなあ、と思う。

で、本当は、そういう一次文献に当たりたいんだけど、日本語になっているものはほとんどないのが現状だ。英語になっているものもあんまりなくって、スペイン語が一次文献になってしまうものが多そうだ。そういう状況だからこそ、胡散臭い学説がまかり通って、訂正されずに残り続けているのかもしれない。

とは言え、結局、ボクはスペイン語が出来ないので、ただただ悩ましいなあ、と愚痴るだけで、ならばどうする、というソリューションは、今のところ、持ち合わせていない。問題提起だけして、今後、考えていこうかな、という感じ。そんなことを考えている今日この頃である、という告白。