《日々の雑記》

2018年3月5日 海外で個人宅に招待されること

パキスタンのプロジェクトでコーディネータを務めてくれているAzhar Ali氏が、自宅に招待してくれた。

プロジェクトでいろんな国に行くが、どうしてもホテル暮らしになる。食事も自炊するかレストランに行く機会が多い。そんな中、個人宅で家庭料理を振舞われたりすると、本当にその国の文化に触れられたようなハッピィな気分になる。フィリピンでは総裁の家、スーダンでは通訳の方の家に遊びに行った。こういう体験はなかなか得難いものである。

料理上手なAli氏の奥さんがせっせと料理を作ってくれる。でも、食卓まで料理を持ってくるのは息子で、終ぞ我々は奥さんの顔を見る機会がなかった。これはイスラームの文化なのだろうか。それともパキスタンの文化か。ついつい直接、奥さんにお礼を言いたいなどと思うが、レストランではシェフの顔は見えないのが普通。それと同じと思えばいいのかもしれない。昭和の日本もそういう傾向は多少、あったはずなので、夫婦で客人を出迎えるという文化の方が新しい発想なのかもしれない。

パキスタンと言えば、イスラーム国家だし、ウサーマ・ビン・ラーディンを匿っていたし、隣接する国がアフガニスタンだし、最近でもラホールでテロルがあった。日本ではそういう側面が強調されて、非常に危険な国というイメージがある。でも、ボクはパキスタンを満喫している。ハラッパーの遺跡にも行ったし、ラホールではムガル帝国時代の宮殿やモスクも見た。観光資源も豊富だし、料理もおいしい。そして、こうやってAli氏の家にお招きされている。

もう少しだけ情勢が変われば、パキスタンは本当にいい国だと思う。ボクはどうしたってギリシア押しで、そこは譲れないけれど、でも、それに次いでパキスタンを押してもよい。

2018年2月20日 パキスタン。

これからパキスタンに行ってくる。1か月の渡航。Twitterみたいな使い方だな(笑)

2018年2月3日 バナペン。

バナナやパイナップルで有名なDoleが「バナペン」というのを販売していた。お酢を使ってバナナの皮に絵が描ける。
https://www.dole.co.jp/bananamessage/ja/

1つ目のはボクが描いたもの。バナナ3本のものは妻のちぃ子の作品(笑)。意外と面白くって、子供にウケている。

 

2018年1月12日 キッチンに足のあるお化け、現る!?

朝、ボクが朝食のサラダの準備をして、妻のちぃ子が息子のツクル氏を起こしに行った。目を擦りながら階段を下りてきた息子に「おはよう」と声を掛けるが、彼は無視。そのままトイレに直行して、「パパはまだ上で寝てるよー。ボクが起こしに行かなくちゃ!」などと言っている。ちぃ子は「パパは起きてるでしょ」と言う。でも、息子は譲らない。「寝てるよ。ボクが起こしに行くんだから!!」。仕方がないので、ここはひとつ、息子の猿芝居にお付き合いしよう。ボクは3階のベッドに潜り込んで、目を閉じる。やがて、ドタドタと階段を昇ってくる足音。「パパー、起きてー!!」。そして、ほっぺたにチュー。ボクはパッチリと目を覚まして「わあ、おはよう! もう朝かー! 眠いー。まだ寝ていたーい!!」などと返す。平和な朝だ。こんなことでツクル氏は大満足。ベッドに寝転がったまま、足をバタバタさせて大喜び。子供だなあ。

ところが話はこれでは終わらない。大急ぎで朝ごはんを食べていると、ツクル氏が顔を寄せてくる。「何?」と尋ねると、声を潜めて「パパ、ボク、お化けを見たよ」と恐々と言う。「いつ?」と訊くと「朝。起きたら、台所に」。ん? 「それって、もしかして、パパそっくりだった」。「そうそう」。何てヤツだ。ボクは「それって、本当にお化けだった?」と訊いてみる。「うん。でも、足があったから怖くはなかった」。何てヤツ。あのとき、ちゃんと認識していたんじゃないか。こっちの挨拶を無視しやがって。その上、「お化けなのに、ちゃんとお皿を机に運べていたよ!」と彼はご丁寧にそんな状況まで説明する。「でも、何でパパ、台所のお化けのこと、知っているの?」。えーい、クソ。「足がある方が、実は怖いんだよ」と脅かしてみる。「えー、怖いー!!」とケラケラ笑う。

それにしても、この息子の帳尻合わせって、一体、何なのだろう。「3階ですやすやと眠っているはずのボク」を創造し、一方で、「実際に台所に立っていたボク」をただの「お化け」に仕立てあげる。こういう想像力というのか、妄想力というのか……。いやはや、子供の発想って、摩訶不思議である。

2018年1月7日 クロとブチ

今年は戌年なので(笑)。第2弾。

【シュヤーマとシャバラ】

श्याम(シュヤーマ)《黒色》【サンスクリット】
शबल(シャバラ)《斑模様》【サンスクリット】

シュヤーマとシャバラはインド神話に登場する2匹の犬。冥界の支配者であるヤマ(仏教神話でいうところの「閻魔」)に従う番犬。この2匹の犬は4つ目で斑模様を持つ。冥界へ至る道を守護・監視し、ときには現世を徘徊し、死すべき人間を見つけて冥界へ連行する。

シュヤーマは《黒色》、シャバラは《斑模様》という意味で、現代風に言うなれば「クロ」と「ブチ」。

2018年1月5日 ほっといてくれ。

今年は戌年なので(笑)。

【人面犬】
人間の顔を持ち、人語を喋る犬。1990年頃に大流行した。ゴミ箱を漁って汚い言葉で捨て台詞を吐いたり、高速道路で追い抜いた車両を事故に遭わせた。噛まれた人間は人面犬になるとも噂された。大抵はおじさん顔。

2018年1月3日 あけおめ。

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

毎年恒例の『近況報告の本』を今年も無事にお届けできました。10月、11月とマラウイ、パキスタンに行っていたので、実のところ、何度、原稿を落としてしまうかと危惧していましたが、何とか発行まで漕ぎ着けられました。やれやれです。

今年は例年以上に「絵」に注力しようと思っていて、今回の雑誌の中でもかなり絵を描きました(印刷が何故か薄いのだけれど……)。文章は読んでもらうまでの取っ掛かりが弱いので、絵を活用しながら、ウェブサイトをヴィジュアル的に面白くしていきたいな、と思っているので、今年はそういう年にしようと画策中。

2017年11月4日 近況報告。

本日、パキスタンに旅立ちます。1か月の渡航。帰国は12月3日の予定。ではでは。

2017年10月28日 帰国!!

ついさっき、マラウイから帰国して、成田空港から横浜までの移動中である。

マラウイは想像以上にネット環境は悪く、1,000クワチャ(150円ちょっと)で250MBのバウチャーを買う。そんなものはすぐになくなってしまうので、その都度、またバウチャーを買う。おちおち動画も見ていられない。しかも朝昼晩と停電するので、Wi-Fiルータが沈黙してしまう。そんな世界。経済の成長に合わせて、電気と水道が追いついていない。

でも、食事には苦労しない。どの店に行っても味は間違いない。人々もフレンドリィ。そして、観光資源が多い。湖、山、動物。安全だし、言うことはない。

少し落ち着いたら、マラウイの状況でも書こうか、とも思うけど、また4日にはパキスタンに飛ぶので、スケジュール的には忙しい日々である。まあ、精神的には忙しくはないけどね。はっはっは。

2017年9月17日 ネット普及率が1割の世界!?

明日からマラウイに行ってくる。ネット普及率が1割未満のマラウイ。このご時世、宿泊するホテルでフリーWi-Fiが使えない。そんなわけで、おそらく音信不通になるよ。ではでは。

2017年9月15日 googleの届かない世界

googleで検索すれば大抵のことは分かると思っていたけれど、SNSで囲い込まれた世界は、しばしば、google先生の与り知らない世界になる。検索に引っかからない。pixivもそのひとつ。いろんな綺麗な絵があるけれど、その大半はgoogle画像検索で引っ掛からない。そんなわけで、そういう絵にアクセスするために、思い切って、pixivを始めてみた。せっかくなので、過去の自分の絵も載せてみて、見るだけでなく見てもらう方にも片足を突っ込んでみる(笑)。インターネットは世界をひとつにした、と言われるけれど、そのインターネットの中で、世界がこうやって細分化されていくのだから、皮肉なことだ。でも、多様化している。うーん、面白いなあ。こんな未来は想像しなかったなあ。学生のときには、世界はひとつになる、とボクは思い込んでいたなあ。

2017年9月6日 昨夜はエラーに見舞われて……。

2003年からウェブサイトを運営しているが、時代はめまぐるしく変化している。

思い返せば、htmlのタグ打ちから始まり、フレームを駆使していたかと思えば、blogの時代が幕を開け、mixi、facebookとSNSの時代に突入した。現在は各人がそれぞれのプラットフォームを選択して利用していて、ウェブサイトの世界は多様化している。ガラケーやスマートフォンの登場で、3wayを念頭においたデザインの必要性も出てきて、フレームの概念が否定された。

最近ではWordPressが台頭してきていて、ボクも2014年にウェブサイトをWordPressに移行した。

ところが他人様のサービスを利用していると、しばしば不具合が起こるものだ。ウェブサイトをアップロードしているサーバが勝手にphpのヴァージョンを変更したため、WordPressのphpとコンフリクトを起こして、エラーが出ていじれなくなる。なかなか原因究明ができなくて、断念。結局、我が家のSE・ちぃ子(妻です!)が出張ってようやく解決した。

結局のところ、htmlタグ打ちが最強なのである。WordPress、止めてしまって、自分でプログラムしていた方が安全かなあ。。。

何のこっちゃ(笑)。さてはて。

2017年9月4日 うまくやるという「意思」!!

一度、舞台の幕が開けたら、引き返せない。それがライヴである。当然、ハプニングはつきもの。それでも、お客さんが目の前にいるわけで、何が起こったとしても、最後まで舞台を舞台として全うさせる。そういう信念が大切だ、とボクは常々思っている。

トランぺッターが舞台上で学生ドラマーをビンタしたらしい。教育とか暴力とかの問題ではない。舞台に立つ人として、本番にああいった形になったことが、ボクには信じられない。何が何でも、お客さんの前ではステージを全うすべきだろう。エンターテイメントが台無しだ。

実のところ、こういうのは舞台だけの話ではなくって、人生すべてにおいて言えることだ。何が起こったとしても、何が何でもうまくやる。そういう信念がとても大切である。

2017年8月11日 魔王オディオ!!

『LIVE A LIVE』というトラウマ系ゲームがある。ボクが中学生の頃のスクウェア社のゲームだ。シナリオはかなり攻めていて、言葉のない世界もあれば、主人公が途中で交代する世界もあれば、戦闘のない世界もある。結局、魔王は不在で、絶望した勇者が最終的には自ら魔王になって世界に襲い掛かる。音楽は激情型コンポーザの下村陽子氏で、オケヒとエレキを多用した荒々しいボス・バトルに多くの人が魅了された。

ももいろクローバーZの新曲『BLAST!』のカップリング曲の「境界のペンデュラム」のPVがYouTubeにアップされたので視聴したら、パイプオルガンが鳴り始め、格好いいなあと思っていたら、突然、この『LIVE A LIVE』の「魔王オディオ」のフレーズが流れてビックリした。最初、似ているのかなと思ったが、全く同じ楽器構成、コード進行、旋律だ。思わずGoogle先生に「境界のペンデュラム パクり」と問うてしまった。実際にはパクりではなく、ちゃんと許可を得てモティーフに取り入れたものらしい。

例えば、大森靖子の『夢幻クライマックス』はショパンの「革命のエチュード」で始まったかと思ったらベートーヴェンの「月光 第三楽章」になるというてんこ盛りな変則。例えば、SEKAI NO OWARIの『Love the warz』は同じく「月光 第一楽章」のピアノ旋律を下敷きにして、ヴォーカルがのっかっていく。実のところ、ボクもサワハト氏に頼まれてつくったRPG「Hello the world」のボスバトルの楽曲にはスメタナの「モルダウ」のヴァイオリン旋律をモティーフに用いた。クラシックだったらよくあることだ。でも、最近の楽曲(1994年だけれども)をこうやってモティーフにするというのは斬新で、なかなか面白いな、と思う。

今でこそ死に体みたいなスクウェアだけれども、まさにボクの子供の頃の、彼らの全盛期の音楽を持ってこられてしまうと、ももクロどうこうではなく、何だか無性に懐かしくなって、叫びだしたくなってしまう(笑)。

2017年7月21日 蒔いた種が芽吹き、繋ぎ合わせて形になることを祈る。

基本的に、ボクは現場合わせで生きている。いろんなことを想定しながら、ああでもないこうでもないと無数の準備をしておいて、走りながら、あ、こっちか、いや、こっちかもしれないな、いやいやこっちでやってみようか、と手持ちの素材を繋ぎ合わせながら、微調整を重ねて、重ねて、最終的には何とかする。捏ね繰り回して、結局は何とかするのである。間違えてはいけない。何とかなるのではない。何とかする。ばらばらのものを繋ぎ合わせようとする意志の力である。

でも、最近のボクは、このボクの仕事のストラクチャーがうまく行かない場合があることも知っている。どれだけうまく行くやり方で、どれだけボクが成功していても、ボクのコントロール下を離れた途端に、あっという間に破綻する。最近、何度かそういうシーンを突きつけられた。つまり、こういうのはアートなのであって、決して決してサイエンスではないということなのだろう。

これは、決して誰かをバカにしているわけではない。ボクが手を抜いていること、後でやろうと据え置いていること、予想して準備していること、そういう表には出てこないたくさんのものが、実のところ、他の人には見えない。だから、ボクのストラクチャーを模倣できないということだ。だからこそ、アートなのであって、サイエンスではない。こういうやり方は、組織としてはうまく行かないので、結局、個人プレーにならざるを得ない。でも、それじゃ、ダメだと思っている。何らかの方向転換が必要だろう。いつかは行き詰るような予感がしている。

* * *

本日、先輩に「あなたといると不思議とできちゃうような気がする」と言われた。次々と課題が降りかかってきて、不可能そうな現実が何度突きつけられても、何だか最終的には何とかなってしまいそうに感じるのだそうだ。それって、ボクがバカみたいに楽観しているということだろうか。それとも不屈の精神で何とかしてくれると信じてくれているのだろうか。「でも、あなたがいなくなると急に不安になって、諦めたくなる」。

実のところ、毎日、毎日、押しつぶされそうになっているボクだ。いろんな課題が次々と沸き起こる。ちゃんとできるのだろうか。失敗するのではないか。その不安に押しつぶされそうになりながら、それでも大見得を切って「何とかしますよー!」と笑っている。そして、今度はその言葉の重みに押しつぶされそうになる。

今回のお仕事は果たしてどうなるか。ボクのストラクチャーが破綻することのないように、必死に種を蒔く。蒔いて、蒔いて、どこかしらで芽が出て、それが最後には繋がるように祈る。繋ぎ合わせて形になることを祈る。それが現時点でのボクの仕事の進め方で、祈る神さまなんて、ボクは知らない。

2017年7月8日 ヒアリというアメリカの女優か何かかが活躍しているのか、と誤解したボクであ る。

最近、ネットニュースで頻繁にヒアリという単語が登場する。でも、ボクはこのヒアリという文字を読んだとき、すっと頭の中に入って来なかった。何しろ、ボクの頭の中では「火蟻」という認識だったからだ。

ヒアリと言えば、ちょうどボクが幼稚園の頃、アメリカに行っていたときに、妹がまさにこのヒアリの巣(蟻塚)を踏み潰して、わらわらわらーっと一瞬で下半身が蟻まみれになったのを目の当たりにした記憶がある。ヒアリに噛まれた妹はすぐに病院に運ばれたが、真っ赤に腫れて、大惨事だった。神戸港にヒアリが上陸したという話を受けて、そんなことをパキスタン出発前に父と話した。アナフィラキシーを起こすらしいので、今頃、妹君は戦々恐々だろう。

そんなわけで、ボクはヒアリをよく知っている。ヒアリの蟻塚だって見ている。それでも、ヒアリとカタカナで書かれてしまうと、頭の中で結びつかなかった。一瞬、ヒアリという名前の有名人でも登場したのかな、などと思ってしまった。

言葉は伝達の手段だ。「火蟻」と書けば絶対に伝わるし、強烈なイメージを喚起する。生き物だから厳密にはカタカナで書くべきなどという変な風習というか文化が、ヒアリという表現を使わせているのだろうか。日本には漢字、ひらがな、カタカナを組み合わせられるという素敵な文化があるのだから、漢字が適切なときには漢字を使うべきではないか。

2017年7月5日 パキスタンにいます!

いつも雑記での報告が遅くなるのだけれど、今、パキスタンにいる。7月3日から8月1日までの30日間である。この間にウルドゥー文字が読めるようになれればいいな、と内心、思っているのだけれど、いろいろとお仕事で各方面から先制パンチを喰らって、それどころではない。文字通り、斃れそうである。嗚呼! これがパキスタン・クオリティなのである! 全ッ然、働いていないじゃないか、お前たち!!(何のこっちゃ!!)

実は、出発の直前に食中毒みたいな雰囲気でお腹を壊したので、さてはて、何が原因だろうか、とチーズに八つ当たってみたりしたのだが、飛行機に乗っている間に何とか治まった。結局のところ、単に疲れが溜まっていたのかもしれない。夏風邪だったのかもしれない。あるいは、太田胃散の賜物かもしれない。だとしたら、太田胃散は偉大である。

現在、パキスタンは非常に暑くて大変である。天気予報では日中46℃などと表示されている。それだけでも気分はダウナーだ。護衛警官がつかないので現場に出られないのが幸いだが、でも、本当ならすぐにでも現場に行って遅れを取り戻したいので、この辺は矛盾した感情が渦巻いている。

何のことやら、という雑記ではあるが、要するにパキスタンにいるからね、という近況報告である。ふふふ。

2017年6月30日 詩人・ツクル氏の誕生!

最近、息子が夜、なかなか寝ないので、真っ暗な寝室に連れて行く。「パパ、何も見えないよー」と言うので「パパも見えない。目を開けてても目を瞑ってても何も見えない」と返したら「パパ、目を瞑ったら夢が見えるよ」との回答。詩人かッ。

「いつもうなされているけど、毎日、怖い夢でも見ているの?」と訊いてみる。すると「怖い夢は朝、ミックスジュースにして飲むんだよ、パパ!」とのたまう。五味太郎かッ!!

2017年6月27日 ボホト・ボホト・シュクリヤ!!

ウルドゥー語の文法書を買ってみた。パキスタンに何度も行って、少しウルドゥー語を学んでみようか、と思っている次第。別にウルドゥー語をマスタしようというわけではないし、ちょっとした努力でそんなことができるとは思っていない。でも、ウルドゥー語は基本的にはアラビア文字を援用しているので、ウルドゥー語を勉強する過程で、アラビア語が「読める」ようになればラッキィ、という期待が少しある。それにヨーロッパ系の文法とはまるで異なる文法を理解するのも面白いのではないか、と感じている。加えて、たまたまゾロアスター教で用いられているアヴェスター語とウルドゥー語が近縁であるという情報も、ボクに興味を抱かせている点である。

難しいのは、文字である。アラビア文字の援用なので見慣れないし、単独字に加えて、頭字、中字、尾字で形が変わる。それを覚えて、識別するところから始めなきゃいけない。でも、文字が読めるようになれば、これはアラビア語を「読む」ときにも援用できるので、頑張り甲斐があるというものである。

まあ、ウルドゥー語を学んでも、あんまり神話・伝承の分野には活かせなそうなので、その辺は玉に瑕である。

بہت بہت شکریہ.

2017年6月26日 科学反応

高校1年生を相手に50分の講義を3回する。こんなことが自分の人生に起こるとは思わなかった。海外を飛び回る仕事をする、なんてことも想定していなかったわけで、何が起こるか分からないのが人生である。

ボクは基本的には降って来た仕事は断らない。何かの「縁」だと思っている。そうやって歩いていたら、こんなところまでやって来た。不思議なものである。

キャピキャピと高校生が騒いでいるのを休み時間に眺めながら、ジェネレーション・ギャップを感じる。外から招かれた講師を相手に、タメ語で話しかけてくるし、内輪の世界でゲラゲラと楽しそうにふざけて、「始めますよー」と声を掛けても、全ッ然、すんなりと授業が始まらない。それでいて、授業の最後に「今日の講義でレポート書けそう?」などと気を回してみたら「ほら! もうこんなに書けた!」などと屈託なく笑って見せてくれる。ただ講義で喋った内容を書き写しているだけなのだけれど、それで『レポート』になってしまうのだから、高校は平和である。まあ、高校1年生なんて、ちょっと前は中学生なのである。

彼らが聴いている音楽ってどんなだろう。彼らが読んでいる漫画や小説ってどんなだろう。テレビは観るのだろうか。Youtubeの方が馴染みがあるのだろうか。全ッ然、想像ができない。でも、こういう若い感性と触れ合ったら、色んなことを学べそうだな、と思う。そういう意味じゃ、学校の先生って楽しいだろうな、と思う。

でも、その一方で、ボクの対応をした先生方はみんな、視野が狭く、凝り固まっていて、ダメダメだった。ボクが社会で働いていて、その視点で高校生と触れ合うからこそ、何らかの化学反応が起こるのだろう。毎日、高校生を相手にしていると、若い感性に刺激されることは少ないのかもしれない。逆に外の世界と触れ合ったときに、先生たちも何らか、感じるところがあるのだろうし、そうであって欲しいな、と思う。そういう意味では、こういう異文化交流みたいなものは、大きな意味があるのだろう、と思うがいかがか。