2014年6月26日 カウンタって何だったのだろう!?

この時代に、ウェブサイトのカウンタって必要なのだろうか。ふと、そんなことを悩んでしまった。というのも、Wordpressでウェブサイトを再構築する都合で、いったん、カウンタを外してしまったのだ。当初は、後からカウンタを再度つけ直そうと思っていた。でも、実際にカウンタを再設置しようという段階になって、ふと、カウンタって何だろうか、と考え込んでしまった。

ボクは2003年にウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」を立ち上げた。思えば、もう、11年もウェブサイトを運営しているのだなあ。当時は、ウェブサイトのトップページといえば、必ずカウンタがついていて、キリ番リクエストとか、キリ番達成イベント(10000HITとか?)みたいなイベントが開催されていた。そんな時代だったので、ボクも疑問も持たずにカウンタを設置した。カウンタが1000になったとか、5000になったとかで大喜びして、そのタイミングで思い切ってサイトのリニューアルを敢行したりもしていた。でも、最近は、カウンタをつけているウェブサイトはほとんどなくなっていて、あっても昔ながらのページだ。そもそもhtmlの個人ページが減った、とも言える。

カウンタの役割って、何だったのだろうか。ボクとしては、何となくお遊び感覚だったよなあ、と思っている。キリ番をひとつのコミュニケーション・ツールにしていた。「10000HITおめでとう」とか「50000HITおめでとう」とか互いに言い合っていた。今はfacebookやtwitter、blog……。人が集まる場所が分散して、いわゆるウェブサイトの常連さんがいなくなった。通りすがりの人があまりに多すぎて、カウンタなんか誰も見なくなっている。

今でもキリ番イベントをやっている古参のウェブサイトを見かける。キリリクとか受け付けている。相変わらずの懐かしい雰囲気にほろり、としてしまう。でも、正直、うまく機能しているとは思えない。

それ以外にも、自分の原動力にもなっていたのかなあ、という気がしないでもない。どのくらい自分のウェブサイトにアクセスがあるのか、ウェブマスタなら、みんな気になるところで、それが可視化されて、ウェブサイトが動いている感じがしていた。今日は何人来たぞ、と確認できたし、いつかボクも10000HITを達成するのだ、と目標にもなっていた。そういう意味じゃ、自分自身を奮い立たせる役には立っていた。でも、閑散として、カウンタが回らないのを確認するだけの現状じゃ、あんまり意味はないかもしれない。

そんなわけで、もう、カウンタは要らないかなあ、とボクは個人的には思っている。もう、カウンタの役目は終わった。多分、必要なのは外向きのカウンタではなくって、内向きのアクセス解析だ。カウンタという看板を掲げてコミュニケーションする時代は終わったのだ、と思う。

2014年6月24日 知らないということ。

「若手」という理由で、たまたま会社のウェブサイトのリニューアル業務に参加しているボク。窓口は別の人がやっているので、ボク自身は直接、ウェブ・デザインの会社の人と接触することはない。でも、どうも、話を聞いていると、WordPressを導入したリニューアルになるらしい。会社がいくら支出しているのか分からないし、どういう契約をしたのか分からないけど、htmlファイルだけ数えたって、10本の指で足りてしまうような、そんな薄っぺらいウェブサイトだ(こらこら!)。わざわざWordPressを使う必要があるのか、と疑問に思わないでもない。でも、よくよく話を聞くと、CMSの構築を依頼したらしいので、その結果、WordPressでのリニューアルになったのかもしれない。それとも、最近のウェブ・デザイン業界は、WordPressでのウェブサイト構築が普通になっているのかもしれない。

ちょうど、タイミングとしては、ボク自身が、自分のウェブサイトをWordPressでリニューアルした矢先だったので、結構、興味津々だ。そうしたら、会社の担当者が「申込用のメール・フォームをお願いすると高くなっちゃうらしいので、今回は諦めました」などと言っている。えええッ、と思ってしまう。ボクだったら、WordPressのplug-inをぶっ込んで、10分くらいで作ってあげちゃう。そもそも、大昔だって、cgiでちゃちゃちゃっとメール・フォームくらい作成できた。今回のウェブ・デザインの会社は、メール・フォームひとつつくるのに、一体、いくらを要求したのだろうか。

知らないって恐ろしいことだ。Excelでランダム・リンクを吐き出すプログラムが、月額1,000円でクラウド上に上げられていたこともあったらしい。おいおい、と思うけど、結構、ありがたがって使っているユーザもいたそうだ。もともとExcelにはrand関数があるのにね! そのくらい、Excel上で手作業でも出来るのに、自動化だ、と勘違いしているのだから恐ろしい。知らない、というのは、そういうことだ。

2014年6月22日 走れ、虫食い雑記!!

「日々の雑記」を再構築中。今までは日付の順番に更新していたんだけど、blogと同じ感じになったので、書きやすい日から書いている。歯抜けになっているけれど、そのうち、埋まるだろう。基本的に、日記は毎日つけている。でも、公開できることとできないことがある。メモみたいな殴り書きで、読み物になっていないときもある。個人情報がダダ漏れのときもある。そういうのを推敲してアップロードしているので、時間がかかる。でも、やりやすいところからガンガン更新していける。これは、WordPressにしてよかったな、と思う点だ。過去の記事を後から埋めても、比較的、参照しやすい仕様になっているので、まあ、それはそれでいいかな、と思えるのだ。

そんなわけで、もう一度、ウェブサイトを立て直して、走っていくよー。ふふふ。

2014年6月21日 WordPressにてウェブサイトを再構築!?

ちぃ子(妻だ!)は、実はプログラマだ。大学でプログラムの勉強をしている。そんな彼女が最近、WordPressでウェブサイトを作っている。彼女の強い勧めもあって、ウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」も、WordPressで再構築することに決めた。特に「日々の雑記」はblogっぽいテイストなので、カテゴリィ別に表示したり、カレンダで表示したり、いろいろなことが出来るだろうという目論見があった。でも、すでに運営しているウェブサイトを壊すのは、なかなか勇気のいることで、長らく踏み留まっていたんだけど、先日、1か月以上、フィリピンに行っている間、まるでウェブサイトが更新できなかったのが痛かった。htmlでウェブサイトを運営するということは、メモ帳にタグを打って、FTPで送信するという行為なので、ウェブサイト更新に必要な設備が整っていない会社のPCからは更新作業ができないのだ。これがもしも既存のblogだったら、iPhoneから更新できていただろうし、実際、フィリピンに行っている間、ボクのFacebookは黙々と更新されていた。こういう状況だったので、思い切ってWordPressに挑戦してみた次第。

ちぃ子がほとんど基本的なところは全部、プログラムを組んでくれたので、ボクは横からやいのやいの言っていただけだったけど、丸一日で概ねの下準備が整った。ボクの目指す方向性が形になった、と言える。どうだろうね。ユーザビリティはどうだろううか。まあ、WordPressの場合、がらがらぽん、と作り変えることも簡単そうなので、ゆるゆると更新を続けながら、徐々に理想型にシフトしていければいいかな、と思う。

閲覧していて、何か気になるところや要望があれば、是非、コメントを。対応を考えてみたいな、と思う。多分、大概のことは対応できるだろうな、と予感している。

2014年4月2日 アヴェスター文字を右横書きで印字できないで誤魔化した件

最近、コーヒー飲み過ぎだなあ。どうしたもんか。

* * *

ちょっとマニアックな話になるが(や、いつだって比較的マニアックなんだけど!)、2009年、Unicode 5.2.0からアヴェスター文字が登録されている。でも、ずぅっと、それに対応するフォントが見つからないので、困ったなあ、と思っていた。そうしたら、ahuramzdaというフォントがあることを発見した(ahuramzda)。

そんなわけで、急ぎ、ファンタジィ事典のゾロアスター教関連の項目を修正しよう、と思い立って作業を進めてみたら、それはそれで困った事態が発生した。

アヴェスター語って、アラビア語やヘブライ語と同じ「右横書き」だ。だけど、どうもunicode上、そういう仕様になっていないらしく、そのまんま文字を入力しても、「左横書き」で表示されてしまう。つまり、本当はabcと打ちたいのに、cbaになっちゃう、みたいな不都合だ。だからって、CSSで書字方向を制御するdirタグでコントロールしよう、と思ってやってみても、最初の仕様上、「左横書き」になっちゃっているので、「右横書き」に設定しても、「左横書き」のまんま、変更されない。

どうしたもんか、と悩んだ末に、直接、文字としてはcbaと打ち込んで、abcと印字させる、という裏ワザに打って出る。うーん。閲覧側としては正しく印字されて見えるけれど、html上は正しくないよなあ。どうしたもんかなあ。個人的にはものすごく気持ちが悪いなあ。

というボクのもやもやした気持ちが伝わるかしら。や、マニアック過ぎて伝わらないよなあ。うぇっへっへ。

2014年3月23日 分散したプラットフォームの統合とディープな交流への回帰。

ワールドワイドウェブの時代は終わった。岡沢さんのblogが胸に突き刺さる。まあ、そりゃー、そうか。でも、岡沢さんはまだまだ続けるつもりらしい。ボクも続けるつもりだ。

岡沢さんが語るのは2点。ひとつはプラットフォームが分散したということ。もうひとつはディープな交流が取りにくくなったということ。BlogやSNS、wikiなど、それぞれの目的に合致したプラットフォームに分散したため、それぞれのプラットフォームで活躍する同志との繋がりが切れた、ということ。それから、BlogやSNSなどのコメント欄では、相手が見えにくく、ディープな交流が取りにくくなった、ということ。昔だったら、そういうのは掲示板で結びついていた。今は各プラットフォーム内で交流するので、プラットフォームを跨いだ交流が難しいし、掲示板みたいにオープンじゃないので、多分、一過性の会話は出来ても、継続的な会話、複数人での会話には発展しにくいよなあ。さあ、どうするべきか。

でも、分散したプラットフォームの統合と、よりディープな交流への回帰、という意味では、まだワールドワイドウェブにメリットがある、ということだよね。それを望む人がどれだけいるのか分からないけれど。なんてことを考える。そういう意味じゃ、この2点に主眼を置いたウェブサイトにすれば、多少、光はあるのかもしれない? うーん。どうだろうね。

ま、言うほど真剣に考えているわけじゃない。ボクはマイペースにお気楽にやるのだ。

* * *

父上様と母上様が遊びに来た。いや、ホントはデグーのダロワイヨ嬢を送迎してくれるんだけど。せっかくなので、昨日に引き続き、サイフォン・コーヒーでおもてなし。

おもてなし
おもてなし

2014年2月16日 書き手の正体

最近、インド神話にハマっている。昔に比べるとネットの情報も大分、充実してきたな、という感じ。有象無象がいなくなって、結構、ちゃんとしたウェブサイトが生き残っている印象。でも、その一方で、怪しい情報も増えてきていて、取捨選択が難しくなってきた。あちこちに同じような情報があるので、きっと正しいのだろうな、なぁんて信じちゃいけない。みんなが同じウェブサイトを参照して書いていたりするので、間違った情報がどんどん拡散していく。そのうち、真実のように主張し始めるのだ。ネットの情報には、そういう側面もある。書いている人が何者か。それが重要な時代だ。さてはて。ボクは何者ぞ?

2014年1月23日 「いいね!」に惑わされることなかれ!

facebookの寿命は後4年、という記事があった。高齢化が進んでいるらしい。それにしても、SNSって、これからどうなって行くんだろうか。正直、ね。「いいね!」とか面倒臭いなあ、と思っている。mixiの「足跡機能」よりは断然いいけど、でも、「いいね!」のせいで、「いいね!」を貰いやすい文章が蔓延していく。これって、不思議だよね。そういうバイアスが掛かるのだ。自覚的か、無自覚なのかは分からない。でも、みんなが似たような方向の記事に収斂していく。それがボクとしては面白くないのだ。

「いいね!」が目的になっちゃダメだ。それって、SNSを楽しむ本質ではないはず。「友達」の数が多いとか「いいね!」の数が多いとかで舞い上がっていることって、とても不幸なことだ、と思う。表面的な共感なんか糞喰らえだ! ボクは本当に「いいね!」と思わないと「いいね!」は押さない。

2014年1月9日 抽象画にはあんまりピンと来ませんが

最近の「日々の雑記」を読んで反省していることがひとつある(本当はひとつだけじゃないけど!)。昔のボクの文章って、もっとずぅっと抽象的だった、と思う。一方で、最近のボクの文章はそうなっていない。もっともっと抽象化すべきだ。そんな反省。

抽象化するというのは具体化しないということ。例えば「何月何日に誰々と一緒にどこそこの某というお店に行ったらそこの店員がこういう対応をしたので非常に不満だった」ということを書けば、これは非常に具体的である。そのお店あるいは店員に対する不平不満をぶつけるという意味では非常に有意義である。あるいはそのお店のネガティヴ・キャンペーンとしても、大方、焼け石に水的ではあっても、もしかしたら、有効な場合があるかもしれない。でも、同じ出来事を、「こういうお店の対応はお客さんにこういう不快な感情を与えるのでもっとこういう対応をすべきだったのではないか」みたいに書くと、少しは抽象化される。まるで評論家になったのではないか、と錯覚できるかもしれない。あるいはもっとボク個人に潜り込んで行って「ボクという人間はどういうときに不快を感じるのか」ということを論じてみると、これもひとつの抽象化だろう。あるいは「最近、こういう対応をするお店が増えているが、どうしてか」と分析的に書いてみてもいいかもしれない。こういうのも抽象化と言えるかもしれない。

個別・具体的に書くことと、そういう個別・具体的な出来事を踏まえた上で抽象化して書くこと。どっちが優れているというわけでも、どっちが偉いということでもない。それぞれ一長一短だ。想定される読み手に左右されるだろう。たとえば、より身近で、ボクのことを知っている人からしたら、具体的なことも面白いかもしれない。facebookで内輪向けに書くときには、抽象化されたものよりも共感を呼べるし、楽しんでもらえる可能性も高いだろうな、と感じる。一方、ボクに興味のない人、ボクと親しくない人は、ボクの個別・具体的な出来事なんて読んでもちっとも面白くない。でも、もしかしたら、抽象化することで、そういう人たちにとっても、多少なりとも価値があるもの(あるいは価値があると錯覚させられるもの)になる可能性はある。抽象化すれば、少しは高尚だと思ってもらえるかもしれない。

そんなわけで(どんなわけ?)、ボクとしては、後者を目指したいな、と思うのである。SNS的な仲良しこよしの雑記を目指すか、もっと幅広い人(場合によっては通りすがりの人)を想定して書くか、という違いで、ウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」の中でボクが目指すのは後者だ、という認識なのである。

2010年9月1日 きぬふたを開始!!

いろいろ考えて、ようやくひとつの結論に達する。htmlでタグ打ちしていたウェブサイト「日々の雑記」をblogに移行するということ。それがベストなウェイだと結論付けた。

実は、毎度毎度、blogを始めてはやめてきたボクがいる。ある程度、htmlで抵抗なくテキストが書けてしまうと、やっぱりその方が自由だし、コントロールしやすい。統一感も出せる。だから、ついつい雑記もタグ打ちを採用してしまう。でも、タグ打ちはPCがあってこそだ。ちょっとした空き時間にちょろちょろ、と弄ることはできない。その結果として、落ち着いて家にいるタイミングにしか更新できなくなるので、更新のペースが悪くなる。悪くなるとタイミングを逃して、ずるずると雑記を書かなくなる。この悪循環に陥る。それは回避したいなあ。やる以上は定期的に更新したいなあ。そう考えると、blogというのはひとつのソリューションになる。

そういうわけで、8月の間、悶々と悩んでいたんだけど、9月になったらblogを始めようと決断をした。そうして、9月1日になったので、blogを開始してみる。

まあ、書いたとしても日々の瑣事だ。期待されるようなことには応えられない。書きたいものを綴るだけだ。それでもいいよ、という身近な人に向けて、細々と発信する予定。

日々の雑記(きぬふた版)