2026年5月6日 80年代モンスターへの回帰

ゴールデン・ウィークだから、張り切ってウェブサイト「ファンタジィ事典」を更新している。今回、ちょっと趣向を変えて、ジャイアントを更新してみた。ジャイアントというのは、英語で《巨人》という意味なので、実は幅広くてとても難しい。ただ、今回、ジャイアントという英語そのものにフォーカスして、イギリス伝承におけるジャイアントに限定して整理して立項してみた。そういう意味では、とてもチャレンジングだった。

それから、もうひとつ、今回、チャレンジングだったのは、イフリートワイヴァーンだ。ゲームの世界において、当たり前に認知されている有名なモンスターというのは、情報が膨大なので、調べることもたくさんある。それをどうやって整理していくか。そこが難しい。イフリートもワイヴァーンも大昔に立項したことがあって、今回、それを改めて再構築してみた感じ。

5月3日から6日までのゴールデン・ウィーク中にまとめたのは23項目。結構、頑張った。フィリピンや朝鮮半島、インドネシアなどのアジアの妖怪はもちろん、フランス伝承やイギリス伝承、アラビア伝承など、多岐に渡って調査してまとめてみた。

1,500項目を達成したので、少しだけ、原点回帰しようかなと思っている。だから、『ファンタジー・ファイル モンスター・コレクション RPGの世界』(安田均/グループSNE,富士見文庫,1986年)を読んで、項目を拾っている。ボクの原点はファイナル・ファンタジーだ。そこから世界の妖怪に興味を持って、今に至っている。だからこそ、80年代のゲーム世界のモンスターというのは、ボクにとってはスタート地点みたいなもの。『ファンタジー・ファイル モンスター・コレクション RPGの世界』の最初の章がイフリートで、最後の章がワイヴァーンだったので、そこから項目を拾ってきて、ゴールデン・ウィーク中に整理してみた次第。さてはて。

  

2026年5月3日 燃え尽き気味の4月を越えて、更新再開の狼煙

気付いたら「日々の雑記」の最後の記事が4月11日だった。随分とウェブサイトの更新をサボってしまった。ウェブサイト「ファンタジィ事典」で1,500項目を達成して、そこから「SNSも頑張る!」と張り切っていたのに、のっけから大ブレーキ。4月は職場の人の入れ替わりがあって、体制が大きく変わるので、結構、しんどいんだなあ。ボク自身がプレイヤーから半分マネージャーに軸足を移したものだから、尚更そうなのかもしれない。

ここまでの間に何もしていなかったわけじゃない。ちゃんと映画『えんとつ町のプペル~約束の時計台~』を観に行った。Netflixで『記憶にございせん!』も観た。石持浅海氏の『扉は閉ざされたまま』も読んだ。大谷亨氏の『中国TikTok民俗学』も読んだ。それでも、ウェブサイト運営から遠ざかっていたのは、ある種の燃え尽き症候群だったのかもしれない。

そんなわけで、緩やかに再開の狼煙をあげようと思う。ちょっと前から吸血鬼の調査をしていたが、ポーランドの吸血鬼オヒンヴィエシュチを更新だ。それから、『ダンダダン』にも登場して話題になっていた台風人間。その他は、久々にシェイクスピアの『テンペスト』を読んだので、エアリアルキャリバン。後は思いついてヤ=テ=ベオンデンデキ

  

2026年3月31日 現在と未来:AI時代の到来──「情報」から「解釈」へ

ウェブサイト「ファンタジィ事典」が1,500項目を達成したことを受けて、ちょっとだけ自分のウェブサイト運営を振り返ってみている。

第1回は黎明と黄金期:ハイパーリンクの熱気と個人サイトの黄金時代、第2回は転換と挫折:集合知の台頭と一度目の幕引き、第3回は再起と適応:スマホ上陸と独自ドメイン、抗い続ける編纂者と自分のウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」の歴史を書いてきた。

今回は第4回。ここからは、少しだけ「未来」の話をしたい。モバイルやスマホ、タブレットへの対応、プラットフォームによる囲い込み、Wikipediaの集合知などとボクは必死になって戦ってきた。全部うまく行ったとはとても言えない。それでも、何とかしのいできた感覚はある。そこに新たなる壁が立ちはだかる。それが「AI」だ。2022年にChatGPTが公開され、まさにAIの時代に突入した。もはや検索すらしてもらえない時代になってしまった。

たとえば、誰かが、どこかの地域のとある妖怪について知りたいと思ったとする。ひとたびAIに尋ねれば、その地域の言語で書かれたサイトであれ、英語のサイトであれ、AIはそれらを軽々と横断し、要約して回答してくれるだろう。さらには、そういう情報を積み上げて、新しいウェブサイトを作ることだって簡単にできる。おそらく、今後、実際にそういうAI由来の情報に基づいたウェブサイトは増えていくだろう。そんな中で、ボクたちはどんな価値を提供していけばいいのだろう。

現時点でボク自身、明確な答えが出ているわけではない。それでも、歴史的背景や地理的背景の分析、地域や時代横断の比較、個人の分析や感想には意味があるのではないか。今、そんなことを考えている。AIが吐き出す情報はきっと均一化しているので、ボクたちはそこからの「差別化」を図らなければいけない。

たとえば、実際に妖怪が跋扈していた時代がどんな時代で、暴れ回っていた場所がどういう場所なのか。ボクの強い興味関心はそこにある。そこにフォーカスして整理する情報には一定の価値が生まれる。また、その妖怪についてボクが調査してみて、どのように感じたのか。その感想にも、きっと価値はある。1,500項目を積み上げてきたボクの視点で、単なる「情報」から「解釈」に転換していけば、それはAIには真似ができない。

もうひとつ、今、漠然と考えているのは、編纂者の顔が見えるSNS発信だ。今、ボクは正直、SNSをうまく使えていない。けれども、こつこつと事典を編纂しているボクとそのプロセスを、SNSで発信していけば、もしかしたら、そこには新たな価値が生まれるのではないか。

現時点でのボクの結論は、そんなところ。だからボクは、これからもそれを着実に実行していこうと思う。

  

2026年3月29日 再起と適応:スマホ上陸と独自ドメイン、抗い続ける編纂者

ウェブサイト「ファンタジィ事典」が1,500項目を達成したことを受けて、ちょっとだけ自分のウェブサイト運営を振り返ってみている。

第1回は黎明と黄金期:ハイパーリンクの熱気と個人サイトの黄金時代、第2回は転換と挫折:集合知の台頭と一度目の幕引き。そして今回は第3回。

それでも、ボクはどこかで負けたくなかったのだと思う。個人サイトが消滅していくことが悔しかったのだと思う。白鷹るいさんの「幻想図書館」が2004年11月に閉鎖したときの感情がずぅっと心の中に残っていた。だから、2008年11月、再び、ウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」の再開を決意した。日本へのiPhoneの上陸が2008年7月。TwitterとFacebook、YouTubeが主戦場となり、まさにスマホとSNSの時代の幕が開けた。個人サイトにとっては冬の時代である。それでも、負けるもんかと思った。

もちろん、明確な戦略があったわけではない。2009年4月に「ヘタっぴなアルコール蒸留」からウェブサイト「ファンタジィ事典」だけを分離・独立させる。ウェブサイト運営の目的を明確化して「ファンタジィ事典」に専念しようと思ったわけだ。けれども、これはうまくいかなかった。事典編纂者の顔が見えなくなって、ただの事典サイトになってしまった。

2011年7月には「hetappi.info」という独自ドメインを取得する。そして、再度、「ファンタジィ事典」を「ヘタっぴなアルコール蒸留」の中に再統合する。個人サイト文化が衰退する中、敢えて自分の場所を確保する決意表明でもあったし、少しでも個人サイトとして有利な戦いを仕掛けようと奮闘していた。「日々の雑記」で中の人の生活を見せながら、コツコツと事典を編纂していくスタイルに切り替えたわけである。

WordPressを2014年6月に「ヘタっぴなアルコール蒸留」に部分的に導入した。WordPress自体はすでに2003年に誕生していたが、ボクとしてはずぅっと拒み続けてきた。アップデートのためにメンテナンスしなければならないからだ。でも、導入を決めた。これはボク自身が仕事で海外を飛び回ることが多くなったからだ。SEO的に高く評価してもらうためには、常時、更新して、動いているウェブサイトだと認識させる必要があった。海外に行っている間、ウェブサイトの更新が滞るのはよろしくない。そのため、「日々の雑記」の部分だけをWordPress化して、いつでもどこでもスマホから更新できる体制を構築した。それ以外のコンテンツは静的HTMLのまま据え置いた。

2014年10月にHTML5が標準化され、Webアプリ時代が本格化した。2017年にはそれに合わせて、大幅なリニューアルを実施する。こうして、現在の「ヘタっぴなアルコール蒸留」に至っている。

  

2026年3月27日 転換と挫折:集合知の台頭と一度目の幕引き

ウェブサイト「ファンタジィ事典」が1,500項目を達成したことを受けて、ちょっとだけ自分のウェブサイト運営を振り返ってみている。

第1回は黎明と黄金期:ハイパーリンクの熱気と個人サイトの黄金時代。そして今回はその続き。

そんなわけで、個人ホームページの黄金期であった2003年1月19日、ウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」は誕生した。時代は3G。1999年にi-modeが出来て、人々はガラケーでもインターネットにアクセスするようになった。ボクたちはガラケーに対応するウェブサイトを作らなければいけなくなる。一時期はキャリアごとにページを作る必要があって、パソコン用に加えてi-mode用、EZweb用、Vodafone用のページを作っていた時代もあった。

1999年にはすでにHTML 4.01が標準化されていて、文書構造(HTML)と見た目(CSS)を分離させるように提唱されていたが、日本への本格導入はかなり遅れて2000年代中頃だった。ボクはこれにも対応しなければいけなかった。ガラガラとウェブサイトを再構築した記憶がある。

さらには1999年に登場したブログが日本にも到来し、眞鍋かをり(2004-2006年)や中川翔子(2007-2009年)がブログの女王として大活躍した。ブログにはトラックバック機能がついていた。自分の発信した情報が参照される等の反応があって、当時は非常に画期的だった。ボク自身も、実は2005年に「飛べない試作品第7号」という名称でブログを試行していた時期もある。結局、HTMLのウェブサイトとの統一感を担保できなくて、このアプローチはすぐに諦めてしまった。

その後、2004年にmixi、Facebook、2005年にYouTube、2006年にTwitterが産声を上げ、次第にウェブサイトの重心が個人サイトからプラットフォームに移っていった。目に見えて、掲示板でのコミュニケーションが減って、SNS上でのやり取りが中心になっていく。SNSの囲い込みで顧客が奪われていく感覚を実感したのは2000年代後半かもしれない。

2001年に運営を開始したWikipediaが普及したのもこの時期で、2007年に40万項目を達成して、Google検索でもWikipediaがトップに来るようになった。まさに「出典はWikipedia」という時代が到来した。

2007年12月に、ボクは一旦、ウェブサイトを全て閉鎖する決断をした。モチベーションが続かなくなったのだ。特にウェブサイト「ファンタジィ事典」の編纂作業は難しかった。どう頑張っても、個人の事典では集合知には勝てない。それでも、必死で抗って、Wikipedia的な網羅性を追求してしまった。それで限界を迎えたのだと思う。だから、閉鎖することにした。

「まあ、ボクは気まぐれですから。ひょい、とまた始めちゃうかもしれません。でも、まあ、それはそれ。とにかく今は一度、閉鎖してみようと思います。みんな、みんな、ありがとう。またお会いする日まで」

  

2026年3月25日 黎明と黄金期:ハイパーリンクの熱気と個人サイトの黄金時代

ウェブサイト「ファンタジィ事典」では3月20日に1,500項目を達成した。これを機に、ちょっとだけ自分の歩みを振り返るとともに未来を語ってみようなどと色気を出しているボクである。

そもそも、ボクがウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」を立ち上げたのは2003年1月19日で、大学生の頃だった。時代としては、個人が世界に向けて自由に発信できる黄金期だったと言える。ちょっとだけ、HTMLの歴史と結びつけながら、ボクのウェブサイト運営について振り返ってみたい。

HTMLという概念そのものは、1991年にティム・バーナーズ=リーによって公開された。これは文書構造にハイパーリンクを組み合わせたものだ。その後、1993年にWWWが一般公開され、HTMLの最初の仕様も提示され、誰もがウェブサイトを構築できるようになった。

1995年にはHTML 2.0が標準化され、フォームやリストなどの概念が出揃った。掲示板やカウンター、コメント入力など、CGIを用いた双方向のコミュニケーションができるようになった。

1997年には、ブラウザごとに勝手に独自展開していた見た目の要素を追認する形でHTML 3.2が標準化され、フレーム(独自拡張)やテーブルレイアウトなどを用いて手軽にリッチなホームページが作れるようになった。

ボクの最古のウェブ体験というのは、まさにこの時代のものだ。数は少ないながら、先人たちがすでに個人ホームページを作り始めていた。まさに個人ホームページの黎明期だ。信じられないかもしれないが、その界隈であればこのサイトというのがあって、みんな、そこに集って交流していた。当時の個人ホームページというのは、大抵、ウェブ日記、カウンター、掲示板、リンク集がセットになっていて、ボクもこれらを模倣して、最初のウェブサイトを作り始めた。

ちなみに、ボクが目標としていたのは白鷹るいさんの「猫の夜会」で、創作サイトの傍ら「幻想図書館」という神話・伝承の事典があって、ものすごく憧れていた。「猫の夜会」そのものは1997年に運営を開始しているので、かなりの古参と言える。古い時代のウェブサイトとして必ず名前が挙がる「侍魂」とか「ちゆ12歳」なんかも2001年に運営が開始されているので、ボクも群雄割拠の個人サイト時代の一翼としてウェブサイト運営を始めたと言える。

1998年にはロボット型検索とPageRankという概念を引っ提げて、Googleが誕生し、SEOという概念が重要視されるようになっていくが、ボクがウェブサイトを作り始めた頃は、まだリンク集が非常に重要だった。リンク集を辿って新しいウェブサイトと出会う必要があったし、Yahoo!はディレクトリ検索と言って、手作業でリンク集を作成していた。相互リンクや同盟、ウェブリングみたいな独特の概念もあって、いかにその界隈で繋がって交流するかがサイト拡大の肝だった。掲示板を介して人々は交流していて、熱気があった。

  

2026年3月22日 1,500項目のお祝いに、AIと対談してみた

3月20日の記事「ファンタジィ事典」1,500項目達成!でも書いたように、ウェブサイト「ファンタジィ事典」の項目が通算で1,500項目になった。何か面白い企画はないものかと考えあぐねていたが、最近のAIブームの流れに思い至った。そうだ、ウェブサイト「ファンタジィ事典」の1,500項目達成を記念し、AIとの対談企画をやってみようということで、Geminiに相談してみた次第。

今回、事前にGeminiにウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」をよくよくリサーチさせ、その内容をもとにインタビュー記事を組み立ててもらった。Geminiが投げかけてくる質問にボクが順次、答えていき、最終的にそれをGeminiが独自にまとめ上げている。

もちろん、言ったことと言っていないことが混ざっていたり、ニュアンスが微妙に違っていたりもする。でも、ボクがAIと対談するというのはそういうことだ。そういう企画として楽しむべきだと思って、あえて修正せず、そのまま掲載することにした。

というわけで、「1,500項目記念AIインタビュー」を是非是非、お楽しみあれ。あっはっは。

  

2026年3月20日 「ファンタジィ事典」1,500項目達成!

本日、ウェブサイト「ファンタジィ事典」に、朝鮮半島の妖怪のチョマグチュドゥンイ・ダッパル・コンジ・ダッパルを追加した。

チョマグは毛むくじゃらの四足獣の怪物、チュドゥンイ・ダッパル・コンジ・ダッパルは嘴(くちばし)と尾が長い怪鳥で、姿こそ違えども、どちらも母親を殺し、息子に退治されるという点で、同じ起源の妖怪なのだと思う。

チョマグは朝鮮半島の北側(現在の北朝鮮)、チュドゥンイ・ダッパル・コンジ・ダッパルは南側(現在の韓国)に伝わっているので、同じような話が伝播する過程で、一方は獣、他方は鳥になっていったものだと考えられる。

実は、これでウェブサイト「ファンタジィ事典」は通算1,500項目を達成した。長く続けてきて、めでたいことだ。特にこの妖怪で1,500項目を迎えようと決めていたわけではない。粛々と進めていく中で、結果的に、この2体で1,500項目に相成った次第。

2003年4月に「ファンタジィ事典」めいたものを開始して、2009年4月に独立させて本格運用を始め、1,000項目を達成したのが2022年1月末なので、明らかにペースアップしている。進むべき方向性が決まったので、それを粛々とやっているからペースがあがっているのだろう。そう自己分析している。

折角、1,500項目を達成したので、ちょっとだけ、ウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」の中でイベントをやってみようと企画している。しばしお待ちあれ。ふふふ。

  

2026年3月14日 朝日小学生新聞に『みんなで翻刻』が載っていた!?

息子のツクル氏のために「朝日小学生新聞」を購読しているが、今日の新聞のトップが「みんなで翻刻」だった。江戸時代の崩し字をAIを活用しながらみんなで翻刻していこうという趣旨のウェブサイトだ。ボクも江戸時代の妖怪関連の草双紙を読むときに参考にしている。みんなでやっているので、当然、正しいかどうかは分からない部分もある。元にしている古文書が明瞭じゃなくて、同じ文献でも別の所蔵者が公開しているPDFの方が明瞭なのになあ、と思うときもあったりする。……なんて、そんなこと言っていないでお前も参加しろよという声が聞こえてくる。でも、ボクは妖怪を調べたいのであって、そのプロセスで江戸時代の文字を読んでいる。全然、崩し字の専門家じゃないので、何となく敬遠している。

みんなで翻刻

今まで、この「みんなで翻刻」が、どういう経緯で成立したウェブサイトなのか知らなかった。記事によれば、過去の地震の記録をもっと周知しようという動機がきっかけだったようだ。2011年の東日本大震災で、過去に東北で地震があったときの情報を掘り起こしておけばよかったという反省もあって、古地震研究会が設置されて、その流れの中で、古文書を早期に解読するために、シチズンサイエンス的にみんなの協力を仰いだらしい。10年掛かると思われていた文献の翻刻は2、3年で終わったということなので、大きな成果だ。そして、今では「地震」という枠組みを超えて、いろんなジャンルの文献が掲載されている。妖怪の記事もたくさん載っているのでありがたい限りだ。

それにしても、小学生の新聞に、こういう江戸時代の崩し字が特集されていたり、AIの具体的な活用方法が書いてあったりして、いい特集だなあと感じた。

  

2026年2月28日 Adoの『ビバリウム』とボク自身の原点回帰

2月28日にAdoが新曲『ビバリウム』のMVを発表した。素顔の公開ということで巷では話題になっているが、ボクはちょっとだけ受け止め方が違う。Adoの作詞作曲は2024年10月14日に発表された『初夏』以来で、ボクはこの楽曲の歌詞に強く感情を動かされた。

クローゼットに引きこもって歌を歌っていたかつてのAdoは置いていかれてしまった。Adoはそこから羽ばたいて大成功を収めた。けれども、歌い手としてのAdoと実際の人間・Adoの間には大きな隔たりがあり、そこに煩悶する。しかし、Adoはクローゼットの中に押し込めたかつてのAdoとは決別して歌わなければならないと決意する。そして、かつてのAdoはクローゼットの中で泣いている。

いろんなAdoがグチャグチャになってボクの頭の中に入ってきた感覚がある。ボクが一番、心を動かされたのは、途中のAdoのモノローグだ。「機械少女の歌が聴こえた」という呟きに、初音ミクと歌い手文化がかつてのAdoを救ったのかもしれないと感じた。初音ミク、ありがとう。

正直に告白すると、ウェブサイト「ファンタジィ事典」が1,500項目に到達するまで、残り5項目である。結構、ボク自身は感慨深いものがあって、1,500項目達成とどういう風に向き合おうかと色々と考えていた。そして、ボク自身のウェブサイト運営を振り返ってみようかと思って、昔のウェブサイトのデザインを引っ張り出してきたり、2003年当時のインターネット事情などを思い出したりしていた。そこにAdoの『ビバリウム』が現れた。Adoが自分自身を振り返る活動が、ちょうどボク自身の人生の出来事と重なった。

  

2026年1月28日 「情報」「意見」「日記」

実業家のけんすうさんがnoteにも書いていて、Youtubeでも発信していたんだけど、SNSで発信してファンを獲得するための考え方として、内容を「情報」「意見」「日記」に分けて考えていて、フォロワー数が1万人になるまでは、原則、「情報」だけを発信するべしと言っている。何者だか分からない人間の「意見」や何者だか分からない人間の「日記」なんか読まない。「意見」を混ぜていくのはフォロワーが1万人を超えた頃から、というわけだ。そして、最終的には「日記」だけでも見てもらえるところが理想形。だから、それまでは有益な情報を出していって、信頼を勝ち得た方がよい。

詳細はけんすうさんのnoteの「これから発信してファンを増やしたいぞ!という人のための教科書」を参照して欲しい。結構、丁寧に解説してくれていて、「情報」の優先順位なんかも書いてくれていて、ありがたい。

そういう意味では、この「日々の雑記」、タイトル通り、本当に雑多な日々の日常の出来事や日々の中で感じた意見なんかも玉石混交で書いているので、あんまり理に適った内容にはなっていない。まあ、そもそも、ここはSNSではないし、わざわざアクセスしてくれた人のための場所だから、いいかと思いながら、自由にやっている。

でも、Xなんかは、ちょっと意識して「意見」や「日記」をあんまり入れないようにしている。けんすうさんはストイックに「情報」だけを発信と書いているんだけど、そうすると、botっぽくなるので、それはそれでやりがいは感じなくて、そういう悩ましさ、難しさはあって、ついつい「意見」や「日記」に流れるときもある。まあ、人間だから、そういうものである。

  

2026年1月23日 バハムート、ベヒモス、リヴァイアサン……

最近、ウェブサイト「ファンタジィ事典」の在り方をいろいろと考えていた。多分、時間があったからだ。元旦から入院して、その後も自宅療養で仕事をして、就業時間とともに家にいることが多かったので、必然的に、いろんなことを考える。

2024年から、特にフィリピン伝承に注力してまとめていて、2025年からは朝鮮伝承ベトナム伝承タイの伝承などに力を入れていた。そして、最近は日本伝承の妖怪たちも追加し始めた。要するに、アジアにフォーカスしている状況だ。そういうのが面白くなっているとも言える。

「ファンタジィ事典」の始まりは2004年で、その頃のコンテンツはギリシア・ローマ神話だった。大学生活の傍らで、創作サイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」を立ち上げて、サイト内のコンテンツのひとつとして「ファンタジィ事典」の構築に着手した。次第に創作活動から神話・伝承に軸足を移して、2009年に「ファンタジィ事典」を分離・独立させた。そして、2017年の大幅リニューアルで、現在のデザインに行きついた。ヘッダーに「図書館」の画像を持ってきて、全体的に「羊皮紙」っぽい感じの質感でデザインした。白、黒、黄色、茶色なシックなデザインに、黒と暗い赤の文字。「ファンタジィ事典」という屋号も、どことなく、ギリシア・ローマ神話から始まったイメージを抱えている。

よく書いていることだけど、ボクの「ファンタジィ事典」のきっかけになったのは、スクウェア社のゲーム「ファイナルファンタジーV」(1992年)と図書館で偶然、発見したボルヘスの『幻獣辞典』だ。『幻獣辞典』を読んで、バハムートがスクウェア社のオリジナルモンスターではなく、アラビア伝承の怪物だという事実を知り、しかもバハムートの特徴そのものの由来はユダヤ・キリスト教のリヴァイアサンで、名前はベヒモスが訛って、この2つの怪獣がごちゃ混ぜになったという解説を読んだときには衝撃を受けた。同じゲームの中に、リヴァイアサンもベヒモスもバハムートも登場しているのに、元を正せば同じモンスターだし、そもそもバハムートとベヒモスが語源的には同一という事実に、小学生のボクはショックを受けて、そのまま、コンピュータ・ゲームの背景にある神話や伝承を調べるのが習慣になってしまったわけだ。

だから、当初の「ファンタジィ事典」はヨーロッパの妖怪を中心に構成されていた。コンピュータ・ゲームに出てくる妖怪たちの背景を調べてまとめていたのだ。いつの間にか、未確認生物(UMA)や宇宙人にも手を広げ、アジアの妖怪も含みながら、雑多な「事典」になっている。そして、現時点では「アジアの妖怪」にフォーカスしてはいるものの、ウェブサイト全体のデザインとしてはヨーロッパ調のままなのである。その辺の矛盾を孕んだ感じがボクらしいし、ごちゃ混ぜ感が「ファンタジィ」だなあと思っている。

今後、少しだけ、別の展開も考えていて、そのときには、初心に立ち返って、ヨーロッパを基軸にした企画を打ち出してもいいかな、と思っている。そうなったら、また、この「図書館」っぽい雰囲気との整合性が取れてくる。でも、まあ、当面は「アジアの妖怪」にフォーカスしていくことになるんだけどさ……。乞うご期待。

  

2026年1月17日 最近の目標

年始の入院中にコ・ソンベ氏の『韓国妖怪図鑑』を病室で黙々と訳していたので、今、順次、それを事典に反映させているところだ。人間に化けて人間の生活を乗っ取ろうとするネズミの妖怪トゥンガプチュイ、空を泳いでいて、稀に地上の泉で水浴びするポモ(梵魚)、太陽と月を呑み込もうとするイヌの怪物プルゲを更新した。いいペース。順次、更新されていく気持ちよさだ。

一方で、同時並行的に日本の妖怪も粛々と更新している。実は、豆本キーホルダー『日本妖怪図鑑』(リリパットブックス)には120匹の妖怪が載っていて、これを順番に更新して潰していこう大作戦を密かに推し進めている。

 

当ウェブサイトの「ファンタジィ事典」は、意外とポピュラーな日本の妖怪にも抜けがあって、何となくこれまで後回しにされてきている部分もある。これを機に、日本の妖怪たちの有名どころを補完しようと考えている。そのために、120匹はちょうどよい量だなあと思って、順次、更新している次第。

そんなこんなで、入院中にウェブサイトの更新が長らく途絶えていた部分があるので、今になって一所懸命、遅れを取り戻している日々だ。

  

2026年1月10日 デュラハンを描いてみた。

あ、そうだ。年賀状用に今年、描いた絵はアイルランド伝承のデュラハンだ。ウマが馬車を牽くという難易度の高いイラストに挑戦してみた。

デュラハンのイラスト

実は、12年前は首切れ馬に跨った夜行さんを描いているので、「本質的にウマの妖怪ではないものを描く」というひねくれ具合は12年経っても変わっていないと言える。今回など、デュラハンを牽くウマにフォーカスを当てているので、尚更、本質からは離れている。

でも、死すべき人間の前に現れて、死者を墓場まで連れて行くという「死の馬車」という個別の伝承がアイルランドにはあって、首なし妖怪のデュラハンと統合したとも言える。だから、まあ、本質的にはこの馬車も妖怪と言えば妖怪だ。そんなイメージで描いてみた。

それにしても、デュラハンを描こうと決めて、ファンタジィ事典を探したら、デュラハンが立項されていなかった。あんなに有名な妖怪なのに、載っていなかったのだ。ちょっとビックリして、大慌てで立項した次第。こういうこともある。結構、洩れなく更新するように心掛けているのに、有名なものが抜け落ちていることはよくある。わっはっは。

  

2025年9月18日 不定期投稿。

最近、「日々の雑記」の投稿頻度が目に見えて落ちている。「世界の妖怪」蒐集家の八朔シータです。こんにちは。

大昔は毎日記事を書いていた時期もあって、この「日々の雑記」は、ほぼ「日記」のような存在だった。でも、ここのところ、1週間に1回くらいの投稿頻度にまで減っている。

毎日記事を書いていた頃は、ある種の中毒的でもあったし、義務感に追い立てられてやっていた感覚もある。それが2日おきになり、3日おきになって、今では不定期になり下がっている。でも、冷静に考えれば、熱狂的な読者がいるわけでもない。収益が発生しているわけでもない。ある意味では、あるべきところに落ち着いたというのが正しいかもしれない。

そんなわけで、開き直って「不定期投稿にするぞ」という決意も込めて、書き出しの文体を変えてみた。冒頭で自ら名乗ることで、書き手が誰なのかを常に明示するスタイルである。「世界の妖怪」蒐集家と肩書(?)を敢えて示すことで、ウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」が一応、世界の妖怪を対象にしたサイトであることを伝えている。

今後は、当面、こんなスタイルでやってみて、不定期投稿で続けていこうと思う。

  

2025年9月7日 月にはヒキガエルとウサギと桂の木とその木を伐る男が棲んでいる!?

ちょっとだけ、ウェブサイト小豆はかり桂男を更新してみた。どちらも冒頭の書き出しは従来の項目とは異なっている。いつもは「妖怪Aはこれこれこういう妖怪だ」と説明してから本文に入っている。でも、今回は両方とも、そういう始まり方ではない。読み物としてどんな導入がよいかを考えて、ちょっとアレンジして始めてみた。

そしてもうひとつは、おまけのコラム的な要素を増やしたという点だ。小豆はかりについては、水木しげるの描く小豆はかりについて、ちょっとだけ丁寧に書いてみた。実際に水木しげるの漫画を何度も読んで、そこで描かれる小豆あらいの雰囲気を拾い出して、書いてみた。

一方、桂男の方は月を巡る中国の伝承をたくさん載せてみた。月にはヒキガエルがいるとか、ウサギが薬草を挽いているとか、月には巨大な桂の木が生えていて、ずぅっと木を伐る男がいるなど、いろんな話を盛り込んでみた。

こういうのが、本来、ボクがやりたかった方向性に近いよなあ、と改めて考えて、やってみたという感じだ。もちろん、ね。文章力は足りないから、面白いかどうかは分からない。でも、こういうコラムっぽい感じで書き続けた方が、ボクとしてはやりがいもあって楽しい。そうだよなあ。こういう方向だよね。そんなことを感じた。

というわけで、ずぅっと仕事に汚された毎日の中で、たまたま2日間、ぽかっと時間がとれて、ふわっと始めてみたんだけど、初心に帰った感覚。がんばろうと思う。

  

2025年7月30日 データベースが整理されていく時代。

いい時代になった。いろんなデータベースにアクセスできる時代だ。

最近のボクのお気に入りは「国書データベース」だ。江戸時代以前の書籍を収集して公表してくれている。たとえば、鳥山石燕の作品を読みたいと思えば、全て読むことができる。試しに『百器徒然袋』の塵塚怪王のページにリンクを貼ってみよう。かなりの高解像度で、和綴本をスキャンしたものが読める。

北尾政美の『夭怪着到牒』を読みたいと思えば、これだって読める。リンク先は豆腐小僧の描かれた有名なページだ(厳密には「大あたまこぞう」と書いてあるんだけど)。見越入道と並んで描かれていて、よくアダム・カバットさんが紹介してくれているイラストだ。

そのほかにもたくさんの書籍が載っている。おそらく、今までボクがファンタジィ事典で言及していたものの大半はここで読むことができるのではないか。たとえば、白蔵主で紹介した『和泉国名所図会』の白蔵主が餌に心惹かれているシーンとか、七歩蛇で紹介した浅井了意の『伽婢子』の七歩蛇を退治しているシーンなんかも閲覧することができる。

いい時代になったよね。知的財産がちゃんとみんなで共有できるようになっているということだ。これからのウェブサイト「ファンタジィ事典」の在り方も考えなきゃいけないよなあ。こういうところと連携していくようなスタイルにすれば、もっとずぅっといい情報提供ができる。そんなことを考えている今日この頃である。

ちなみに、これは日本語だけの話ではない。楔形文字文献とか、古代ギリシア語文献とか、ラテン語文献とか、それぞれの分野で、こうやってデータベース化が図られている。文字情報だけじゃなくて、絵画・彫刻なんかも同じ。絵巻物とかも閲覧できる状態になっている。多分、こういうのは、音楽とか動画も同じで、どんどんデータベース化されていくのだろう。楽しみだよなあ。

  

2025年5月21日 絵文字の歴史1:ファンタジィ事典の多言語化

本日、NTTドコモが「ドコモ絵文字」の提供を順次終了することを発表した。ひとつの大きな時代の終わりを感じた。

ボクは2009年からウェブサイト「ファンタジィ事典」を運営している。当時から妖怪の名前は原語表記することをモットーとしていた。古代ギリシアの妖怪なら古代ギリシア文字、聖書の妖怪ならヘブライ文字、シュメル神話の妖怪なら楔形文字。だから、いつだってコンピュータにおける文字表記との格闘だった。ミャンマー文字なんかは昔っから文字化けしていたし、楔形文字や古代エジプト文字、アヴェスター文字なんかもずぅっと課題だった。こういう世界各地の文字を、どうやったらウェブブラウザ上で文字化けせずに印字できるのか。そんなことに苦しんできた。

多分、大半の人には伝わらないと思う。それでも書いてみる。ボクは「ファンタジィ事典」をhtmlのタグ打ちで書いている。ソースを開いてもらえれば分かると思うが、世界各地の文字は数値文字参照(NCR)になっている。たとえば、古代ギリシア文字のα(アルファ)だったら「α」と書いている。ヘブライ文字も楔形文字もミャンマー文字も、みんな、こうやって数値文字参照で記述している。そして、文字コードはutf-8になっているので、別に数値文字参照しなくても直接、古代ギリシア文字を打てばいいじゃないかという声もあるかもしれない。でも、そうはいかない理由がある。

実は「ファンタジィ事典」は事典サイトなので、更新が面倒臭い。たとえば、新規で妖怪を追加することを想像してみて欲しい。たとえば、イギリス伝承の「アーヴァンク」を追加したとする。そうしたら、afanc.htmlという項目ができるだけでなくて、更新履歴のところにアーヴァンクが載る。五十音検索のア行にも載る。イギリス伝承の項目にも載る。それを全部、管理するのは難しい。若い頃にはデータベースという考え方がよく分かっていなかったボクは、それならばExcelで全て管理しようと決意した。メモ帳に妖怪の説明だけを書いて、Excelに紐づけて、全てExcelマクロでhtml化している。テキストファイルにhtmlの本文だけを書いておいて、後は全てExcelでhtmlに変換して書き出している。Excelの文字コードが基本的にはShift_JISなので、テキストファイルはShift_JISで、マクロで最後にutf-8に変換している。

……みたいな技術的なことを書くと意味分からんと思う人がいるかもしれない。でも、裏側はそういうことなのだ。WordPressなんかはphpファイルがデータベースにアクセスして、その場でhtmlを吐き出している。同様のこととして、ボクは箱庭形式で、デスクトップ上でExcelをデータベース的なものとして取り扱って、htmlを吐き出してサーバにあげている。

そんなボクからすると、絵文字の歴史というのは、まさに文字コードとの戦いの歴史だと認識している。現在、絵文字は国際社会に広く受け入れられている。「emoji(イーモジ)」などと呼ばれて、誇るべき日本の文化だとされている。オバマ大統領も2015年のスピーチの中で、日本由来のものとして、空手やカラオケ、漫画、アニメと並べて、絵文字を挙げているし、栗田穣崇氏が監修したドコモ絵文字は、2016年10月にニューヨーク近代美術館(MoMA)に収蔵されている。それでも、ボクは文字コードの歴史の観点では、日本の技術者たちの敗北だったと思う。……ちょっと思うところがありすぎて長くなりそうなので、絵文字の歴史の詳細については次回に譲りたい。(続く)

  

2025年4月24日 時代錯誤に掲示板を設置!?

4月16日の記事「孤独な情報発信」に書いた話題になるが、ボクはずぅっと一方通行の一人相撲。訪問者の反応が分からない中でウェブサイト運営をしてきた。自由気ままで、それはそれで心地良さもある。でも、一抹の寂しさもある。16日の記事で言語化してみて、さらにその気持ちが強くなった。時代錯誤かもしれないが、掲示板を設置してみた。昔みたいにcgiで自作することも頭をよぎった。でも、セキュリティを考えると他人様が作ってくれたものの方が楽ちんだし安全だから、ものは試し。既存のサービスを借りてみた。

ひとつとしてコメントがつかないまんまというオチもある。宣伝まみれになって手が回らなくなるというオチもある。コメントの頻度が少ないからボク自身がチェックを怠って意味をなさなくなるというオチもある。どうなるかはやってみないと分からない。分からないが、やってみることが大事だ。まあ、でも、掲示板なんて少し時代錯誤かもしれない。そんな気持ちもある。今風のXやInstagramもやっているので、そちらでコメントをもらっても対応はできる。いずれにしても、こちらからの歩み寄りだって、多少は必要だろう。

  

2025年4月16日 孤独な情報発信

ボクは飽きもせず2003年からウェブサイト運営をやっている。当時のボクのウェブサイトは創作サイトで、ほとんどのページをhtmlのタグ打ちでやっていて、一部、レンタル掲示板だけはフリーCGIサイトのものを借りてきて運営していた。レンタル掲示板のお陰で、ウェブサイトの訪問者とコミュニケーションをとることができた。現在のボクは完全に一方通行で、「日々の雑記」を書いても、ファンタジィ事典を更新しても、特に訪問者からの反応はない。たまにXとかで「こんなサイト見つけた」とか「この記事面白い」みたいな反応を見つけることもあるが、そういうのはエゴサして見つかるわけで、基本的には一人相撲である。

唯一、アクセス解析で、検索してくれている人の単語の動向を探ったり、アクセスが増えた減ったとか、記事への動線みたいなところは分かるので、統計データとして、こういうのがバズったとか、こういうアクセスが多いみたいなことは把握できているので、そういうところは多少、参考にしている。孤独と言えば孤独だし、昔はもっと交流があったので、コミュニケーションがないのは寂しいと言えば寂しいかもしれない。

先日、けんすうさんが情報発信を「情報」「意見」「日記」の三段階に分けて考えるという動画を配信していた。無名の人は「情報」を発信し、ある程度、知名度を得たら「意見」を加え、最終的には「日記」でもアクセスが稼げるようになるのがよいということだった。無名の人の意見や日常には誰も興味がないので、無名の人はまず「情報」の発信に力を入れていくべきである。しかしながら、「情報」の発信だけだと、書き手(誰が書いているか)に重きが置かれない。だから、ある程度、アクセスが増えてきたら書き手の「意見」が必要になる。しかし「意見」で個性を出そうとすると尖っていくので、一定のファンが出来たら「日記」を書いて、その人の日常も見せていく……というアプローチだ。明確に言語化されていて、本当にそのとおりだと思う。

ボクは「意見」を書く行為は随分前に意識的に減らした。世の中の出来事にああだこうだ書くのは書きやすいけれど、そういうのって求められていないし、ニーズに合ってないよなあと思って、極力、書かないようにしてきた。「日記」は今でもたまに書くことがある。育児のこととか、食事のこと、外出のことなんかは、完全に「日記」の範疇だ。こういうのも、実は書きながらも、誰も読まないよなあと自覚している。自覚はしているんだけど、書くことがないと、穴埋めに使ってしまう。でも、仕事の「日記」は意図的に書かないようにしている。

今回、けんすうさんの動画を見て、情報発信の内訳が明確に言語化されて頭の中に入った。だからと言ってこれから「情報」だけを書いていこうということではない。これからも「意見」や「日記」も綴っていくのだろう。でも、無自覚に記事を書くのと、言語化された状態で書くのでは、全然、意味が違うし、取り組み姿勢も変わる。配分も変わるかもしれない。

というような心模様を綴ってみたんだけど、どうなんだろうね。こういうのはウケるのか否か。ヘタっぴの訪問者は何も言わないので、結局、孤独な一人相撲である。でも、ヘタに反応があるよりは気が楽だから、ボクはSNSではなく、こういうところで細々と呟いているのである。