2025年9月18日 不定期投稿。
最近、「日々の雑記」の投稿頻度が目に見えて落ちている。「世界の妖怪」蒐集家の八朔シータです。こんにちは。
大昔は毎日記事を書いていた時期もあって、この「日々の雑記」は、ほぼ「日記」のような存在だった。でも、ここのところ、1週間に1回くらいの投稿頻度にまで減っている。
毎日記事を書いていた頃は、ある種の中毒的でもあったし、義務感に追い立てられてやっていた感覚もある。それが2日おきになり、3日おきになって、今では不定期になり下がっている。でも、冷静に考えれば、熱狂的な読者がいるわけでもない。収益が発生しているわけでもない。ある意味では、あるべきところに落ち着いたというのが正しいかもしれない。
そんなわけで、開き直って「不定期投稿にするぞ」という決意も込めて、書き出しの文体を変えてみた。冒頭で自ら名乗ることで、書き手が誰なのかを常に明示するスタイルである。「世界の妖怪」蒐集家と肩書(?)を敢えて示すことで、ウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」が一応、世界の妖怪を対象にしたサイトであることを伝えている。
今後は、当面、こんなスタイルでやってみて、不定期投稿で続けていこうと思う。
2025年9月7日 月にはヒキガエルとウサギと桂の木とその木を伐る男が棲んでいる!?
ちょっとだけ、ウェブサイト小豆はかりと桂男を更新してみた。どちらも冒頭の書き出しは従来の項目とは異なっている。いつもは「妖怪Aはこれこれこういう妖怪だ」と説明してから本文に入っている。でも、今回は両方とも、そういう始まり方ではない。読み物としてどんな導入がよいかを考えて、ちょっとアレンジして始めてみた。
そしてもうひとつは、おまけのコラム的な要素を増やしたという点だ。小豆はかりについては、水木しげるの描く小豆はかりについて、ちょっとだけ丁寧に書いてみた。実際に水木しげるの漫画を何度も読んで、そこで描かれる小豆あらいの雰囲気を拾い出して、書いてみた。
一方、桂男の方は月を巡る中国の伝承をたくさん載せてみた。月にはヒキガエルがいるとか、ウサギが薬草を挽いているとか、月には巨大な桂の木が生えていて、ずぅっと木を伐る男がいるなど、いろんな話を盛り込んでみた。
こういうのが、本来、ボクがやりたかった方向性に近いよなあ、と改めて考えて、やってみたという感じだ。もちろん、ね。文章力は足りないから、面白いかどうかは分からない。でも、こういうコラムっぽい感じで書き続けた方が、ボクとしてはやりがいもあって楽しい。そうだよなあ。こういう方向だよね。そんなことを感じた。
というわけで、ずぅっと仕事に汚された毎日の中で、たまたま2日間、ぽかっと時間がとれて、ふわっと始めてみたんだけど、初心に帰った感覚。がんばろうと思う。
2025年7月30日 データベースが整理されていく時代。
いい時代になった。いろんなデータベースにアクセスできる時代だ。
最近のボクのお気に入りは「国書データベース」だ。江戸時代以前の書籍を収集して公表してくれている。たとえば、鳥山石燕の作品を読みたいと思えば、全て読むことができる。試しに『百器徒然袋』の塵塚怪王のページにリンクを貼ってみよう。かなりの高解像度で、和綴本をスキャンしたものが読める。
北尾政美の『夭怪着到牒』を読みたいと思えば、これだって読める。リンク先は豆腐小僧の描かれた有名なページだ(厳密には「大あたまこぞう」と書いてあるんだけど)。見越入道と並んで描かれていて、よくアダム・カバットさんが紹介してくれているイラストだ。
そのほかにもたくさんの書籍が載っている。おそらく、今までボクがファンタジィ事典で言及していたものの大半はここで読むことができるのではないか。たとえば、白蔵主で紹介した『和泉国名所図会』の白蔵主が餌に心惹かれているシーンとか、七歩蛇で紹介した浅井了意の『伽婢子』の七歩蛇を退治しているシーンなんかも閲覧することができる。
いい時代になったよね。知的財産がちゃんとみんなで共有できるようになっているということだ。これからのウェブサイト「ファンタジィ事典」の在り方も考えなきゃいけないよなあ。こういうところと連携していくようなスタイルにすれば、もっとずぅっといい情報提供ができる。そんなことを考えている今日この頃である。
ちなみに、これは日本語だけの話ではない。楔形文字文献とか、古代ギリシア語文献とか、ラテン語文献とか、それぞれの分野で、こうやってデータベース化が図られている。文字情報だけじゃなくて、絵画・彫刻なんかも同じ。絵巻物とかも閲覧できる状態になっている。多分、こういうのは、音楽とか動画も同じで、どんどんデータベース化されていくのだろう。楽しみだよなあ。
2025年5月21日 絵文字の歴史1:ファンタジィ事典の多言語化
本日、NTTドコモが「ドコモ絵文字」の提供を順次終了することを発表した。ひとつの大きな時代の終わりを感じた。
ボクは2009年からウェブサイト「ファンタジィ事典」を運営している。当時から妖怪の名前は原語表記することをモットーとしていた。古代ギリシアの妖怪なら古代ギリシア文字、聖書の妖怪ならヘブライ文字、シュメル神話の妖怪なら楔形文字。だから、いつだってコンピュータにおける文字表記との格闘だった。ミャンマー文字なんかは昔っから文字化けしていたし、楔形文字や古代エジプト文字、アヴェスター文字なんかもずぅっと課題だった。こういう世界各地の文字を、どうやったらウェブブラウザ上で文字化けせずに印字できるのか。そんなことに苦しんできた。
多分、大半の人には伝わらないと思う。それでも書いてみる。ボクは「ファンタジィ事典」をhtmlのタグ打ちで書いている。ソースを開いてもらえれば分かると思うが、世界各地の文字は数値文字参照(NCR)になっている。たとえば、古代ギリシア文字のα(アルファ)だったら「α」と書いている。ヘブライ文字も楔形文字もミャンマー文字も、みんな、こうやって数値文字参照で記述している。そして、文字コードはutf-8になっているので、別に数値文字参照しなくても直接、古代ギリシア文字を打てばいいじゃないかという声もあるかもしれない。でも、そうはいかない理由がある。
実は「ファンタジィ事典」は事典サイトなので、更新が面倒臭い。たとえば、新規で妖怪を追加することを想像してみて欲しい。たとえば、イギリス伝承の「アーヴァンク」を追加したとする。そうしたら、afanc.htmlという項目ができるだけでなくて、更新履歴のところにアーヴァンクが載る。五十音検索のア行にも載る。イギリス伝承の項目にも載る。それを全部、管理するのは難しい。若い頃にはデータベースという考え方がよく分かっていなかったボクは、それならばExcelで全て管理しようと決意した。メモ帳に妖怪の説明だけを書いて、Excelに紐づけて、全てExcelマクロでhtml化している。テキストファイルにhtmlの本文だけを書いておいて、後は全てExcelでhtmlに変換して書き出している。Excelの文字コードが基本的にはShift_JISなので、テキストファイルはShift_JISで、マクロで最後にutf-8に変換している。
……みたいな技術的なことを書くと意味分からんと思う人がいるかもしれない。でも、裏側はそういうことなのだ。WordPressなんかはphpファイルがデータベースにアクセスして、その場でhtmlを吐き出している。同様のこととして、ボクは箱庭形式で、デスクトップ上でExcelをデータベース的なものとして取り扱って、htmlを吐き出してサーバにあげている。
そんなボクからすると、絵文字の歴史というのは、まさに文字コードとの戦いの歴史だと認識している。現在、絵文字は国際社会に広く受け入れられている。「emoji(イーモジ)」などと呼ばれて、誇るべき日本の文化だとされている。オバマ大統領も2015年のスピーチの中で、日本由来のものとして、空手やカラオケ、漫画、アニメと並べて、絵文字を挙げているし、栗田穣崇氏が監修したドコモ絵文字は、2016年10月にニューヨーク近代美術館(MoMA)に収蔵されている。それでも、ボクは文字コードの歴史の観点では、日本の技術者たちの敗北だったと思う。……ちょっと思うところがありすぎて長くなりそうなので、絵文字の歴史の詳細については次回に譲りたい。(続く)
2025年4月24日 時代錯誤に掲示板を設置!?
4月16日の記事「孤独な情報発信」に書いた話題になるが、ボクはずぅっと一方通行の一人相撲。訪問者の反応が分からない中でウェブサイト運営をしてきた。自由気ままで、それはそれで心地良さもある。でも、一抹の寂しさもある。16日の記事で言語化してみて、さらにその気持ちが強くなった。時代錯誤かもしれないが、掲示板を設置してみた。昔みたいにcgiで自作することも頭をよぎった。でも、セキュリティを考えると他人様が作ってくれたものの方が楽ちんだし安全だから、ものは試し。既存のサービスを借りてみた。
ひとつとしてコメントがつかないまんまというオチもある。宣伝まみれになって手が回らなくなるというオチもある。コメントの頻度が少ないからボク自身がチェックを怠って意味をなさなくなるというオチもある。どうなるかはやってみないと分からない。分からないが、やってみることが大事だ。まあ、でも、掲示板なんて少し時代錯誤かもしれない。そんな気持ちもある。今風のXやInstagramもやっているので、そちらでコメントをもらっても対応はできる。いずれにしても、こちらからの歩み寄りだって、多少は必要だろう。
2025年4月16日 孤独な情報発信
ボクは飽きもせず2003年からウェブサイト運営をやっている。当時のボクのウェブサイトは創作サイトで、ほとんどのページをhtmlのタグ打ちでやっていて、一部、レンタル掲示板だけはフリーCGIサイトのものを借りてきて運営していた。レンタル掲示板のお陰で、ウェブサイトの訪問者とコミュニケーションをとることができた。現在のボクは完全に一方通行で、「日々の雑記」を書いても、ファンタジィ事典を更新しても、特に訪問者からの反応はない。たまにXとかで「こんなサイト見つけた」とか「この記事面白い」みたいな反応を見つけることもあるが、そういうのはエゴサして見つかるわけで、基本的には一人相撲である。
唯一、アクセス解析で、検索してくれている人の単語の動向を探ったり、アクセスが増えた減ったとか、記事への動線みたいなところは分かるので、統計データとして、こういうのがバズったとか、こういうアクセスが多いみたいなことは把握できているので、そういうところは多少、参考にしている。孤独と言えば孤独だし、昔はもっと交流があったので、コミュニケーションがないのは寂しいと言えば寂しいかもしれない。
先日、けんすうさんが情報発信を「情報」「意見」「日記」の三段階に分けて考えるという動画を配信していた。無名の人は「情報」を発信し、ある程度、知名度を得たら「意見」を加え、最終的には「日記」でもアクセスが稼げるようになるのがよいということだった。無名の人の意見や日常には誰も興味がないので、無名の人はまず「情報」の発信に力を入れていくべきである。しかしながら、「情報」の発信だけだと、書き手(誰が書いているか)に重きが置かれない。だから、ある程度、アクセスが増えてきたら書き手の「意見」が必要になる。しかし「意見」で個性を出そうとすると尖っていくので、一定のファンが出来たら「日記」を書いて、その人の日常も見せていく……というアプローチだ。明確に言語化されていて、本当にそのとおりだと思う。
ボクは「意見」を書く行為は随分前に意識的に減らした。世の中の出来事にああだこうだ書くのは書きやすいけれど、そういうのって求められていないし、ニーズに合ってないよなあと思って、極力、書かないようにしてきた。「日記」は今でもたまに書くことがある。育児のこととか、食事のこと、外出のことなんかは、完全に「日記」の範疇だ。こういうのも、実は書きながらも、誰も読まないよなあと自覚している。自覚はしているんだけど、書くことがないと、穴埋めに使ってしまう。でも、仕事の「日記」は意図的に書かないようにしている。
今回、けんすうさんの動画を見て、情報発信の内訳が明確に言語化されて頭の中に入った。だからと言ってこれから「情報」だけを書いていこうということではない。これからも「意見」や「日記」も綴っていくのだろう。でも、無自覚に記事を書くのと、言語化された状態で書くのでは、全然、意味が違うし、取り組み姿勢も変わる。配分も変わるかもしれない。
というような心模様を綴ってみたんだけど、どうなんだろうね。こういうのはウケるのか否か。ヘタっぴの訪問者は何も言わないので、結局、孤独な一人相撲である。でも、ヘタに反応があるよりは気が楽だから、ボクはSNSではなく、こういうところで細々と呟いているのである。
2025年3月15日 裏でいろいろと動いている。
ウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」は、2014年6月22日に「日々の雑記」をWordPressに切り替えた。その辺の心情は、2014年6月21日の記事「WordPressにてウェブサイトを再構築!?」で書いている。要するに、どこからでも更新できる強みを信じて、WordPressに踏み切ったわけだ。このジャッジは大成功で、海外でも記事を投稿できたし、場合によっては予約投稿も活用できた。手動の投稿よりも随分と助かった。
そんなこんなで10年以上、特に何の問題も生じなかったので、そのまんま、当時のデザインのままひた走ってきた。今でも、問題だとは思っていない。それでも、時代を経て、システムも新しくなって、WordPress側の中身も大幅に変化した。ギリギリ、古い仕組みのまんま、最新のヴァージョンに合わせながらやってきた印象だ。だから、今回、最新の仕組みも取り入れつつ、よりシンプルな形にリニューアルすることにした。もちろん、ね。裏側の話だ。表面的には何も変わらない。あくまでも、中の仕組みだけを最新に沿わせる格好。今回もプログラマの妻のちぃ子が頑張ってくれる。ボクは横からやいのやいの言うだけだ。
……というわけで、何が変わるわけでもないけれど、大幅に手を加えている最中で、ウェブサイトの更新そのものは滞っている。
2025年3月7日 下着を盗んでいく悪癖
相変わらず、絵はうまくならない。むしろ、奇跡的にうまく描けて大満足……という瞬間がたまのたまーに訪れて「おお、天才かも!」と思った矢先に、また絵がヘタクソになって「あれれ、あんな風に描けないな」と落ち込む……みたいなことが多い。
面白いのはSNSで、うまく描けたときにも一定の反響はあるんだけど、それ以上に、絵がヘタクソでも面白い題材を選ぶとハネることがある。そりゃあ、ね。絵のうまい人はたくさんいるわけだから、ボクがちょっとぐらいうまく描けた程度の絵ではバズらない。でも、思わずコメントを入れたくなる妖怪を題材に選ぶとハネる。
最初にハネたのはウォウォグ。首から下に臓器がぶら下がって飛んでいるのだから、これはインパクトがある。フィリピンのマイナーな妖怪だったけれど、ちょっとハネた。それからプゴット。これは絵そのものがハネたというよりは「下着を盗んでいく悪癖がある」という説明文と下着を持った姿がハネたような気がする。多分、ボクの中でのナンバワンのバズりで、Xでインプレッションが6,000を超えている。

最近だと足の親指を鼻の穴に突っ込んで空を飛ぶマーカーゾンとか、米を洗うときに用いる竹笊でワサワサと空を飛ぶグラハンなんかもちょっと話題になった。メジェドと甲府星人も一部にファンが多いので、それなりにウケた。


SNSで何がウケて、何がウケないかが分かるようになると、多分、ウケに行くことを意図して投稿することができるようになる。そうなると、バズらせる確度があげられる。そういうゲームとしてSNSを楽しむこともできるのかなあとは思うし、そういう魅力がSNSにはある。
でも、まあ、ボクはそういうバズりとは無関係に、マイナーな妖怪の認知度を上げるべく、粛々とイラストを描いていければよいかな、とは思っている。バズらせに行くのも楽しそうだけどね。ふふふ。
2025年2月23日 ニャンニャンニャンの日
昨日は2月22日ということで、たくさんの人が「ニャンニャンニャンの日」だと盛り上がっていたようだ。近所の百貨店もネコの飾りがたくさん飾られていたし、SNSもネコのネタがたくさん投稿されていた。
ボクもウェブサイト管理人の端くれなのだから、本当なら、何かネコにまつわる妖怪とかを準備して投稿しなきゃいけなかったのかもしれない。でも、どうもボク自身、そういう巷の小ネタについていける感覚がない。みんな、ネタを探して、準備して、それに乗っかるみたいなムーブをしているのだろうか。うーん。
最近、エジプト神話にどっぷりハマっていたので、バセテトくらい調べて更新すればよかったのだろうし、バセテトの絵くらい描けばよかったのかもね。こういうところが、うまく時節の波に乗れていないボクである。うまくアンテナを張れていないんだろうなあ。難しいなあ。
2025年2月13日 目指すべき方向。
妖怪を調べてまとめてウェブサイト「ファンタジィ事典」に掲載する。そんな地道な作業を2009年から始めて、早十数年。もはやライフワークになりつつある今日この頃ではあるが、最近になって、ちょっとだけ方向性が見えてきたような気がする。ボクにとって大事なのは、多分、「取材」と「想像力」だ。
妖怪サイトって、いろんなアプローチがある。面白おかしくエンタメにするアプローチもある。学術的にまとめるアプローチもある。イラストを援用して分かりやすくするアプローチもある。どれもやり方としては正解だ。でも、おそらくそのいずれもボクに向いている方向性ではない。
決して、ボクは文章が上手なわけじゃない。言語化が得意なわけでもない。エンタメ系のセンスもないし、学術的なバックグラウンドがあるわけでもない。それでも、最近、「ファンタジィ事典」を更新しながら、手応えのあるページとそうでもないページが肌感覚で分かるようになってきた。
わあっと景色が見えるような文章ってある。そこに人がいて、出来事が起こっている。それが読んでいて映像のように頭の中に流れてくる文章。そういうのって、多分、書き手の頭の中にも、明確な風景が想像されている。解像度が高いイメージが頭の中にあって、それを文章で切り取っている。だから、映像になってクリアーに伝わってくる。
最近、そういう文章を書きたいと思っている。稀に、それがうまく行くときがある。そういうときは、その時代の背景とか、その場所の地理とか、民族衣装とか、言葉とか、いろんなものが頭の中にインプットされているときだ。いろんな情報が頭の中にインプットされている状態でアウトプットすると、比較的、理想に近い文章になる。それって、結局のところ、「取材」と「想像力」だ。ちゃんとディテールまで調べて、頭の中で映像になっていると、明確に文章になる。
ボクはそういう方向性を目指したいと思っている。
2025年1月20日 需要と供給
「ご趣味は何ですか」と問われることがある。相手との関係性によって答え方はケース・バイ・ケースだが、ボクの趣味は「妖怪研究」と「創作活動」、そして「ウェブサイト運営」なのだと思う。「妖怪研究」と「創作活動」は、それこそ子供の頃から続けている趣味だが「ウェブサイト運営」は大学生の頃から絶えることなく続けているから、きっと趣味なのだろう。
昔はhtmlタグ打ちのウェブサイトにこだわっていた時期がある。途中、blogを取り入れたこともあるし、今は「日々の雑記」だけはWordPressを援用している。それでも、やっぱり、ほとんどのページは今でもhtmlのタグ打ちだ。「ファンタジィ事典」なんかは事典なので、本来はWordPressの方が向いているのかもしれない。でも、現時点では全項目をExcelで管理をしていて、Excelのマクロでメモ帳を立ち上げて、そこにhtmlでベタ打ちするという手法を採っている。
ちなみに、「日々の雑記」はWordPressなので、独自のアクセス解析がついている。こうやって日々、徒然に何かを書くわけだけど、急にアクセスが増えるときもある。最近だと『ダンダダン』に言及した記事を書いたら一気にアクセスが増えた。『ダンダダン』系の単語で検索して訪ねてくる人が多いということなのだろう。ミュージシャンについて書いても多少は伸びる。ファンが検索して来てくれるのだと思う。ちょっと前だとファントムシータについての記事がちょっとだけアクセスが多かった。
まあ、だからそっちに寄せて記事を書いていこうということではない。そうではなくって、こんなに辺境のウェブサイトであっても、ちょっと知名度のあるものを書くだけでアクセスが増えるという厳然たる事実が面白いなと思う。当然、マイナな「フィリピンの妖怪」ばっかり更新していても、ちっともアクセスは増えないのである。
ちなみに、我が家の実績から行くと「日本の妖怪」とか「中国の妖怪」の方が人気がある。でも、残念ながら、ボクはあんまり得意なジャンルじゃない。だから、更新頻度は少ない。「ベトナムの妖怪」は、他の記事に比べれば、アクセスがわずかばかり増える。どういう理由なのかは現時点では定かではない。どこかしらに需要があるのかもしれない。
2025年1月4日 新年のご挨拶。
あけましておめでとうございます。みなさまにとって、2025年がよい年になりますことを祈念しております。
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さてさて。およそ1か月振りの投稿になります。体調を崩していました。精力的に妖怪のイラストを描いていた一方で、ずぅっと背後痛に悩まされており、結局、原因は分からないまんま、病院をたらい回しにされる日々でした。血液、CTスキャン、レントゲン撮影、超音波検査などなど、いろいろとやってみたものの、結果は「100パーセント健康です!」というお医者さんの満面の笑顔。そう太鼓判を押されましても、現実問題、背後痛は治らないわけで、どうしたものかと反問する日々でした。まあ、謎の背後痛と付き合っていかなきゃならないなあと覚悟を決めて、歩いているところです。
1か月も経ってしまったので、もう、いっそのこと「ですます調」にしてしまえ、と思いながら「日々の雑記」を綴っています。……というのは嘘で、正直に白状すると、毎年、新年のご挨拶のときの「日々の雑記」は、文末表現の文体で悩むのです。「あけましておめでとうございます」と「ですます調」で始めてしまって、途中から「である調」に移行していくのは少し気持ち悪いし、だからと言って、出し抜けに「あけましておめでとう」で始めると、不躾な印象もありますよね。だから、毎年、「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします」と書き出して、そこから段落を変え、気分も一新してから「である調」に戻すみたいな策を弄してきたわけです。
だから、本日は徹頭徹尾、「ですます調」で書いてみている次第です。常に新しい試みに挑戦することが大事です。
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……新年早々、変な話題から始めているわけですが、体調が快方に向かわないことを理由に、ウェブサイト運営をサボっていました。1か月の長いお休みでした。さすがにそろそろ再開しなければというタイミングでお正月が来たので、そこまで休んで、心機一転、本日からウェブサイト運営を再開してみようと思います。まあ、「日々の雑記」は、あまり根を詰めずに楽しみながらやって参る所存です。
昨年は東南アジアの妖怪、特にフィリピンの妖怪にフォーカスして調査してきましたが、今年もこのスタンスを継続していきたいと考えています。フィリピンは結構、メジャーなところはやり尽くした感じはあるのですが、タイやベトナム、それから韓国なんかも視野に入れつつ、幅広くやっていくイメージを持っています。イラストの方は少しペースダウンする予定です。今までは3日に1枚のペースだったのですが、さすがに息切れしたのと、最近、少し手癖がついて雑になっている印象もあるので、ここら辺で仕切り直しをしたいところです。
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そんなこんなで、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
2024年9月16日 善意だけでは運用されないのが技術だ。
昨日はヤマノケをアップしてみたものの、Xでもpixivでも、そんなにバズらず。まあ、そういうこともある。
それはそうと、最近、ニュースでAI画像生成が問題視されている。ちょっと前の文脈だと、クリエイタの著作権が課題だとされていた。要するに、学習させるプロセスで過去のクリエイタの作品を学ばせていくわけで、誰かの作風を簡単に模倣できてしまうし、アイディアも真似できてしまう。それは如何なものかという文脈だったように思う。
Xのポストなんかでは、相当数のクリエイタたちがAI画像生成に対して否定的な意見を持っていて、ピリついている。pixivはその辺が寛容で、AI生成の作品の投稿もオーケィにしているので、かなりの数のクリエイタたちがpixivと言うプラットフォームからは離れていったように思うし、pixivそのものの態度や対応は常に批判にさらされている。この辺って、多分、クリエイタ界隈と触れ合っていない人には、全ッ然、空気感が伝わらないかもしれない。一般的には「新しい技術だし、面白そうだな」くらいの印象の人も多いかもしれないけれど、まあ、クリエイタ界隈ではものすごく批判的な人も多く、ホントに、ピリついているという雰囲気はある。
そんな流れに加えて、最近はフェイク作品も話題になっている。既存の写真を加工して、それこそ、ポルノっぽい画像を生成する人もいるらしい。自分の写真が勝手にポルノ作品に加工されて公開されるケースもあるようだし、最近だとハリーポッターの子役に煙草を吸わせるようなフェイク写真を生成するみたいな事例も流れてきた。つくっている人は面白半分(?)なのかもしれないが、やられる側はたまったものではない。そういう意味では、技術的にはいろいろと可能性は広がりそうだけど、倫理的なところでは課題が多い。
ボクの本職は絵描きではない。あくまでも妖怪をイラストに描き起こして、そのイメージを喚起したいだけだ。そういう意味では、別に画像生成AIに妖怪の絵を描いてもらって、それをファンタジィ事典の項目に載せるのも、全ッ然、アリだと思っていた。マナナンガルから開始したタブレットお描きによるボクの妖怪画も、すでに70作品くらいのストックが溜まってきたので、こいつをAIに学ばせて、ボクのイラストを引き継いでくれないかな、と期待していたんだけど、第三者の作風を勝手にパクる人も多くって、恣意的に誰かの作品を学ばせるようなプログラミングは市販されていないようで、自作でやるしかないようだ。難しいなあ。技術というのは、必ずしも善意だけでは運用されないからなあ。
2024年9月14日 鬼とか天狗とか。
「日々の雑記」が1日空いてしまった。最近、締め切りの仕事をたくさん抱えていて、正直、日常がワチャワチャしている。ウェブサイト「ファンタジィ事典」も連投できず。まあ、そういう日もある。
本日は前鬼と後鬼を更新。昨日の分と今日の分……というわけでもないが、一応、2項目を更新だ。鬼とか天狗って、王道と言えば王道だけど、実は難しい。こういう鬼とか天狗の類いは、飛鳥時代、奈良時代、平安時代に跋扈しているわけだけど、資料としては断片的な部分もありつつ、現在まで何となく地続きで繋がっている感じもあって、その怪しさは魅力だけど、よく分からないのも事実だ。
実は、ボクの「ファンタジィ事典」のアクセス解析を見ると、妙に天狗に人気が集まっている。八大天狗を全部、それなりの分量を載せているからだと思う。どれも概ね平均エンゲージメント時間が2分近くになっている。読まれているということだ。鬼関連もそういう傾向にある。Google検索でも上位に来るものが多い。だから、人気コンテンツと言えば、人気コンテンツ。そういう意味では、前鬼と後鬼もハネるといいのだけれど、こればっかりは何がバズるのかよく分からない。だから、あくまでもランダムに『幻想動物事典』を開いて、それを足掛かりに更新するスタイルである。
鬼とか天狗のイラストを描くというのも、やってみてもよいよなあ、と思っている。こっちは、別にランダムの世界線ではないので、自分で描きたいものを描く。コントロールできる。やってみようかなあ。我がウェブサイトで大人気の愛宕山太郎坊かなあ。どうだろう。ふふふのふ。
2024年8月27日 日曜ウェブマスターの試練
仕事が忙しいと、趣味の時間が激減する。体調が悪いと、趣味の時間が激減する。今、その両方がボクを襲っていて、体調が悪いんだけど、仕事も手を抜けないので、歯を食いしばって出勤している状況が続いている。家に帰ってくるとバタンとソファに倒れ伏す。そんな日々の繰り返しだ。
それでも、毎週2枚のイラストは仕上げようとタブレットに向かってペンタブを動かし、ファンタジィ事典くらいは更新しようと、細々と記事を書いている。イラストもファンタジィ事典の項目も、過去のストックがあるから何とかやっている。ストックが残されているので途切れずに頑張れている。もはや、これは使命感だ。誰に対しての何の使命なのか分からないが、でも、誰かに対しての何らかの使命感で頑張っている。
ウェブサイト「日々の雑記」は、現時点でストックがないので、不定期になっている。しかも頭の中がまとまらないので、文章も含めてぐちゃぐちゃだ。その上、そういう状況下での創作活動はクオリティが下がるので、今後公開されるイラストやファンタジィ事典の項目は、少しだけ質が低くなることが予想されていて、それもまたひとつの憂鬱の種である。うーん。
まあ、日曜ウェブマスターだから、仕方ないかなあ。でも、それを言い訳にしたくもなくて、必死の形相である。わははー。でも、こういうありのままの自分を赤裸々にえいや、と提示してみるのも一興かと思っての垂れ流し。
2024年8月20日 インスタグラマー
ここ数年、母はInstagramに熱心だ。毎日、料理をしては写真を撮影してはアップロードしている。父は「食事の前の撮影タイムで、料理が冷めるんだよ」とこぼしている。まめにコメントにも返信して、いいねを押して回っているらしい。最近、フォロワーが1,000人を超えて、Instagramから収益化の可否を問われたらしい。
ボクが子供の頃、母はものすごく弁当にこだわっていた。最近でこそ、「キャラ弁」なる概念が導入されたが、当然、ボクが小学生の頃は、そんなものはなかった。でも、母はいろんな食材を使って弁当を盛って飾って、絵を描いていた。まさに「キャラ弁」の先駆けだったと言える。
blogで「キャラ弁」が一世を風靡していた時代に、母が「私も弁当の写真を撮っておけばよかった。今だったら私、毎日、写真を撮ってあげるのに!」と悔しがっていたのを思い出す。そんな母は67歳。この現代にフォーカスして、ちゃんとインスタグラマーをやっている。
悔しいので、ボクもInstagramを始めてみた。とは言っても、器用にいろんなSNSを使うことはできないので、pixivにあげている絵をInstagramに再掲しているだけ。それでも、pixivやXとは雰囲気も客層も違うので、これはこれでいろんな可能性を試せる。いつまでもアンテナを張って、若くありたいなあ。
2024年8月15日 イルカも泳ぐわい。
最近、結構、テンションの高い感覚をもって「日々の雑記」の文章を執筆している。これはかなり意識的なものだ。原因は分かっている。加納愛子の『イルカも泳ぐわい。』を読んだからだ。彼女のエッセイ(?)を読んで、その文章に魅了され、いつかはああいうキラキラした言葉の連なりを表現したいと思いつつ、そんなに一足飛びにはそんな崇高な領域には辿り着けるはずもないので、取り敢えず、できることをやってみる。そんな状態が現時点である。
ボクは個人的にAマッソのネタが好きで、結構、YouTubeで観ている。決して分かりやすいネタではないし、万人受けしないから、なかなか評価されない。でも、言葉の選び方や並べ方がオシャレで好きだったりする。加納さんが本を執筆しているのは知っていたが、でも、実は読んだことはなかった。結局のところ、芸人が芸人の延長線上で書いた本なのだろうと、勝手に決めつけて敬遠していた。
ところが、1か月ほど前かな。加納さんのキウイチャンネルに金原ひとみさんが出演していて、YouTubeにオススメされて観た。これも勝手な決めつけになるが、『蛇にピアス』の印象で、金原ひとみさんに怖い印象を持っていた。不良少女というか。でも、YouTubeに出演して加納さんと話している彼女は非常に柔らかい物腰で、気さくな雰囲気で驚いた。
その金原さんが、加納愛子の文章を滅茶苦茶褒めていた。彼女は加納愛子の『かわいないで』に出会って、「加納愛子さん? 知らないな」「ベテランの作家さんなのかな?」と思って読んで、読み終わった後に検索したら、お笑い芸人だったとのこと。そうか。そんな加納愛子との出会い方があるのか。いいなあ。羨ましい。そんな気持ちを抱きながら、そのまま本屋に飛び込んで、加納愛子の本を購入してした。たまたま行きつけの本屋にあったのが『イルカも泳ぐわい。』だったんだけど、彼女のキラキラした文章に完全にヤラれている。
2024年8月5日 ニコニコ動画、復活!!
ニコニコ動画が復活した。嬉しい悲鳴だ。
最近じゃ、ボカロ曲もその主戦場をYouTubeに移して久しいが、それでも、殿堂入り(10万回突破)、伝説入り(100万回突破)神話入り(1,000万回突破)みたいな考え方は今でも有効で、ときどき、1,000万回再生が近づいてくる曲があったりすると、ニコニコ動画の住民たちが大盛り上がりで、神話入りを果たさせようとフィーバーする。その意味じゃ、懐古主義だと笑われるかもしれないが、やっぱりボクはボカロ曲のベースはニコニコ動画だと思ってしまう。
ちなみに、もうひとつの視点で、日本のプラットフォームが元気なのは大事なことだと思う。ボクはYouTubeも楽しんでいるし、ある意味では優良のお客さんだと思うけれど、結局はアメリカのプラットフォームで、外資系だ。日本の経済を回していくためには、日本の会社が儲かる必要があって、ボクたちも意識的に日本の会社を応援する必要がある。その意味で、ニコニコ動画はYouTubeに対する日本の動画プラットフォームなので、常々、大事にしたいと思っている。
だから、ボクはニコニコ動画の復活を待ち望んでいて、ようやく復活したので、またニコニコ動画ライフをエンジョイしたいと思っている。
2024年7月24日 モチベをアップ!!
たまにいつもの業務を離れて研修を受講すると、いい影響を受ける。前向きになれるし、新しい気づきがあって、頑張ろうと思って、モチベが上がる。
こういういい影響を受けたこのタイミングで、自分の生活とか、趣味とかを見つめ直すと、新たな気づきや発見があってよき。たとえば、このウェブサイトの運営とかについて考えて、一歩ひいた感じで客観的に考えることができたりする。
もう少しだけ集客しなきゃいけないかなあ。今、ちょうど訪問者が80人/日くらいかなあ。ビューはもう少し多い。でも、もうちょっと影響力をつけるためには訪問者数を増やしたいなあ。SNSも活用しながら、いろいろと取り組んでいきたい。でも、まあ、SNSから流れてくる数そのものは、今は実はそんなに多くはなくって、ググって見つけてくれるお客さんがほとんどだ。だから、SNSでの種々の展開そのものが、このウェブサイトの発展には有効になっていない。もう少し、ウェブサイトに誘導していかなきゃいけないのかもしれない。
2024年6月21日 自戒。
当たり前だけれど、最近、「日々の雑記」の更新をサボっているので、集客率が落ちている。昔はアベレージ100人/日を越えていたけれど、最近は80人/日だ。一方で、XとかpixivなどのSNSのアクセス数は増えている。そりゃあ、ボクがSNSの方に注力している結果ではある。でも、ずぅっとhtmlタグ打ちで頑張ってきて、今でもファンタジィ事典はそれで頑張り続けているので、ここらで気を引き締めて、もうひと踏ん張りしないといけない。そう自戒している。
ボクが年を重ねて、仕事をそこそこに任されていて、それで忙殺されているところはある。それはそれで幸せなことだけれど、でも、考え直さなきゃいけないんだろうなあ(遠望)。
とは言え、今、かなりいいペースで絵を描いている。人生の中でこんなに頻繁に絵を描いたことなんてないので、年甲斐もなく頑張ってはいる。でも、それがうまく結果に結びついていない。わっはっは。







