ティーピュサーウン・ナッ

分 類ミャンマー伝承
名 称 ထီးဖြူဆောင်းနတ်tʰí bjù sʰáʊɰ̃〕(ティーピュサーウン・ナッ)《白い傘の主》【ミャンマー語】
ကွမ်းဆော်ကြောင်းဖြူkʊ́ɰ̃ sʰɔ̀ tɕáʊɰ̃ bjù〕(クンソウ・チャウンピュ)【ミャンマー語】
容 姿団扇を持った僧侶姿の精霊。
特 徴義理の息子たちに無理矢理出家させられて王位を退き、死後、精霊と化した。
出 典

強制的に出家させられた王は、死後、精霊ナッと化す!?

ティーピュサーウン・ナッはミャンマーの伝承に登場する精霊ナッのひとつである。ミャンマー初の統一王朝はパガン朝で、アノーヤター王(1014-1077年)が王朝を樹立したが、その父で、先代のパガン国のクンソウ・チャウンピュ王(955-1048年)が、死後に精霊と化したのが、このティーピュサーウン・ナッである。

クンソウは先代のニャウン・ウー・ソウラハン王(924-1001年)を殺してパガン国の王位に就くと、ソウラハンの3人の女王たちを妻に娶った。すでに2人の女王は先代の王との間に子供を身籠っていた。それがチンソー(1000-1038年)とソウッカテー(1001-1044年)である。クンソウはチンソーとソウカッテーを我が子のように可愛がった。やがて、クンソウ王は3人目の女王との間に息子を設けたが、それが後にパガン朝を樹立することになるアノーヤターであった。

成長したチンソーとソウッカテーは、クンソウに出家するように迫って無理矢理王位を退かせると、クンソウを寺院に幽閉した。そして、チンソーがパガン国の王位を継いだ。しかし、チンソー王は鹿狩りの最中にハンターに誤って射殺されてしまい、次いでソウッカテーが王位を継いだ。しかし、ソウッカテーがアノーヤターの母を妻にしようと画策したため、アノーヤターは激怒し、一騎打ちを申し込んだ。こうして、ソウッカテーは討たれ、アノーヤターが王位に就いた。

その後、クンソウは亡くなり、ティーピュサーウン・ナッという精霊ナッになって信仰されるようになったという。クンソウは偉大なアノーヤター王の父として知られながら、その生涯や統治に関する詳細な資料が残されていないので、どうして彼が精霊ナッと化したのかはよく分からないが、37柱の精霊ナッの1柱として崇拝されている。

僧侶の姿で描かれる!?

ティーピュサーウン・ナッは僧衣を着て団扇を持ち、胡坐をかいた、いわゆる「僧侶」の姿で描かれる。これは、クンソウが出家した身であることを強く示している。一方で、名前のティーピュサーウンは《白い傘の主》という意味である。白い傘は国王のシンボルのひとつであり、名前には王としての象徴を留めている。義理の息子たちに強制的に出家させられて王位を追われた無念が含意されているのかもしれない。

《参考文献》

  • 『The Thirty-Seven Nats: A Phase of Spirit-Worship prevailing in Burma』(著:Sir Richard Carnac Temple,1906年)

Last update: 2023/04/09

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