2014年4月4日 役に立たないものの方が楽しいじゃないか。

ある先生が言った。「工学は、社会のため、人のためにならないと工学にならない」のだそうだ。それが「理学」と「工学」の違いなのだという。

そうかなあ。ボクは必ずしもそうは思わない。そりゃー、ボクも、出来るならば、社会のため、人のためになる「工学」を目指すべきだ、とは思う。そもそも、工学に限らず、学問それ自体が、何らか、誰かの役に立つことを期待されている。そのために、国家としてもある程度の税金を注ぎ込んでいる、と言える。

その一方で、純粋な好奇心、知りたいという欲求があって、それに応えられるのも、また、学問だ、と思っている。でも、問題は、研究者として食べていくためには、人の役に立たなきゃいけない、ということ。研究者としてお金を貰うからには、誰かが喜んでくれなきゃいけない。それって、結局、人の役に立つ、ということ。だから、工学に限らず、全ての学問は、潜在的に、誰かの役に立たなきゃいけないのである。

でも、純粋な好奇心によって追求されたものが、結果として、人の役に立つ、ということも、往々にしてある。そういう意味じゃ、最初っから、人の役に立つことを目指したら、「まあ、こんなのは人の役には立つまい」と思って投げ棄てられていたものが、後になって実は役に立つことに気がつく、という可能性を潰しているかもしれない。

芸術家も一緒で、自分の思う「美」を追求するという行為と、一方で、それでも大衆に受け入れてもらうという行為があって、両方のバランスをうまく考えないと、食べていけない。

学問は、役に立たなくてもいい。それは、多分、工学だって同じだ、とボクは思っている。

「犀川先生なら、どう答えられますか? 学生が、数学が何の役に立つのか、ときいてきたら」
「何故、役に立たなくちゃあいけないのかって、きき返す。だいたい、役に立たないものの方が楽しいじゃないか。音楽だって、芸術だって、何の役にも立たない。最も役に立たないということが、数学が一番人間的で純粋な学問である証拠です。人間だけが役に立たないことを考えるんですからね。そもそも、僕たちは何かの役に立っていますか?」

こんな素敵な小説を書く森博嗣は、工学屋さんだ。

  

2014年4月3日 のびしろの塊

「私って自分のことをのびしろの塊だと思っているんだよね」

これはボクが通う美容院の鉄砲玉嬢の発言だ。彼女はいつも勉学に余念がない。散髪やパーマの研修に足繁く通い、技を磨いている。最近では、日夜、メイクの研修にも通っているらしい。常に新しいことにチャレンジしていて、ボクの頭もひとつの実験台だ。

「今日はこういうのやってみたいんだけど、いい?」

もう、ボクはレッセフェール。なすに任せよ、である。

それにしても、自分のことを「のびしろの塊」と信じられる精神性が素敵だな、と思う。ボクも「のびしろの塊」でありたいなあ。よーし、頑張ろう。

  

2014年4月2日 アヴェスター文字を右横書きで印字できないで誤魔化した件

最近、コーヒー飲み過ぎだなあ。どうしたもんか。

* * *

ちょっとマニアックな話になるが(や、いつだって比較的マニアックなんだけど!)、2009年、Unicode 5.2.0からアヴェスター文字が登録されている。でも、ずぅっと、それに対応するフォントが見つからないので、困ったなあ、と思っていた。そうしたら、ahuramzdaというフォントがあることを発見した(ahuramzda)。

そんなわけで、急ぎ、ファンタジィ事典のゾロアスター教関連の項目を修正しよう、と思い立って作業を進めてみたら、それはそれで困った事態が発生した。

アヴェスター語って、アラビア語やヘブライ語と同じ「右横書き」だ。だけど、どうもunicode上、そういう仕様になっていないらしく、そのまんま文字を入力しても、「左横書き」で表示されてしまう。つまり、本当はabcと打ちたいのに、cbaになっちゃう、みたいな不都合だ。だからって、CSSで書字方向を制御するdirタグでコントロールしよう、と思ってやってみても、最初の仕様上、「左横書き」になっちゃっているので、「右横書き」に設定しても、「左横書き」のまんま、変更されない。

どうしたもんか、と悩んだ末に、直接、文字としてはcbaと打ち込んで、abcと印字させる、という裏ワザに打って出る。うーん。閲覧側としては正しく印字されて見えるけれど、html上は正しくないよなあ。どうしたもんかなあ。個人的にはものすごく気持ちが悪いなあ。

というボクのもやもやした気持ちが伝わるかしら。や、マニアック過ぎて伝わらないよなあ。うぇっへっへ。

  

2014年4月1日 ウソップの誕生日

4月1日。ウソップの誕生日。エイプリル・フール。大学生の入学式。会社の入社式。管理職の人事異動。そしてボクたちの入籍記念日。

そんなバタバタの日に、我が社の設備でトラブルが起こったりして、上を下への大騒ぎ。技術系の社員みんながバタバタと対応に追われている中、総務から、のんびりとした放送が流れてくる。「3時から社長の挨拶があります。iPadでの社内中継をしますので準備してください」。いやいやいや。誰か、総務を黙らせろー。そんなわけで、平和な人々と対応に追われる人々と。そんなわけで、新年度が始まる。

帰ったら入籍記念のお祝いしなきゃー。ちゃんと帰れるかしらー。さてはて。

  

2014年3月31日 赤紙召集!?

まさかの赤紙召集だ。わはははー。ひとつの意思決定をした途端、話がトントン拍子。突然、1か月の海外派遣を命じられる。長いぞッ。しかも結構、危ないところだ。昨年の7月にレストランが爆破されて、6人が死亡しているような感じの場所。うーん、大丈夫かな。でも、まあ、心配していても仕方ないので、死ぬ気で頑張ろう(こらこら、洒落にならないぞ!)。

そんなわけで、4月の末からフィリピンのカガヤン・デ・オロ市に長期出張。ミンダナオ島はイスラームの過激派がまだまだ健在だ。イスラームって、教義的にはいい宗教だ、とは思うんだけど。のっけからムハンマドがジハードを謳いながら、戦争をやっちゃった所為で、やっぱり、どこか歪んでしまっている。戦争が正当化されちゃっている。本来のジハードは、「目標に向かう努力」だ。内的な努力と外的な努力があって、「聖戦」なんて訳しちゃ、本質的な訳にならない。でも、実際問題、ムハンマドはウンマ建設を掲げて外的な戦いを推し進めてきて、その結果、それもジハードのひとつになってしまった。

そんなわけで、20世紀の終わりから現在に至るまで、原理主義的なイスラーム勢力があっちこっちで暴れ回っている。フィリピンもその影響を少なからず受けている、ということだ。

  

2014年3月30日 君はミャンマー語を読めるか!?

そんなわけで、本日、ファンタジィ事典に「ザジャー・ミーン」、「ミーン・マハギリ」、「シュエ・ナベ」を更新。ミャンマーの項目の拡充に努めている今日この頃だ。そのうち、ミャンマー文字が発音できるようになるんじゃないかしら。今は、全ッ然、文字として認識出来ていないからなあ。どうやって発音するのか、さっぱり分からない。

ついでに、言語の話。ボクは、言語って発音できるというレヴェルと、読解できるというレヴェルがあると思っている。文字が発音できる、というのは、まず、言語を知るための第一歩だ、と思う。ボクからすれば、アラビア語なんか、全ッ然、読めない。発音できない。くるくる文字のミャンマー語もそうだ。文字として認識できない。アイルランド語なんかは文字としては認識できても、発音はできない。でも、古代ギリシア語とかラテン語だと、ほとんど文字と発音が一対一対応なので、読みやすい。ロシア語もそう。フランス語は、ちょっと難しい。でも、ルール化されている。英語はイレギュラな発音がたくさんあって、ルール化されていないので、実はかなり難しい。先日も「いいとも」でTyrannosaurusの発音をやっていて、誰も読めなかった。正解は「タイラノソー」。日本じゃ「ティラノサウルス」と読んでしまうけど、暴君を意味するtyrant(タイラント)と同じ、と思えば「タイラノソー」になる……かなあ。難しいなあ。英語は難しい。

そんなわけで、ミャンマー語。これは、まず、文字認識が難しい。見慣れない文字だ、というのもあるんだけど、文字と記号がくっついて、形が変わっちゃう。アラビア語みたいなもんだ。しかも、発音も難しい。ある程度、ルールはあるみたいだけど、文字の組み合わせによって、同じ文字でも発音の仕方が変わっていく。その辺が、結構、複雑だ。

ミャンマー語については、日本じゃ、あんまり教科書的な本もないし、解説してくれるウェブサイトも少ないので、完全に独学というか、切り拓くイメージで読んでいるから、実のところ、正しいのかどうなのか……。せめて、音声発音してくれるウェブサイトみたいなのがあればいいんだけど。でも、まあ、IPAを手掛かりに、細々と頑張っているし、これからも頑張っていこう、と思う。

  

2014年3月29日 37人のナッの首領たち

久々にミャンマーの妖怪について調べよう、と本格的に英語の本を読み始める。『The Thirty-Seven Nats』という本。休日にヤンゴンの古本屋さんで出会った本だ。

ウェブサイト『ヘタっぴなアルコール蒸留』は「創作と神話を楽しむウェブサイト」なので、ちょっとマニアックだけど、ミャンマーのナッについて、整理している途中の情報を挙げておこう。
※ミャンマー文字はMyanmar3フォントをダウンロードしてください。

Wikipediaで、ミャンマー語の発音の仕方から勉強するわけだけど、例えば、သိကြားမင်းはミャンマーの国際音声記号にすると「ðədʑámɪ́ɴ」ということになる。これをカタカナ化しようと努力すれば、「ザジャー・ミーン」といったところか。今まで、ウェブサイトの情報から「ダジャー・ミン」と書いてきたんだけど、「ð」は「that」の「th」であって、「ザッツ」とカタカナ化することを思えば、「ダ」ではなくって「ザ」だよなあ。それから「ɪ́」も長い音らしいので、長音にしてみた次第。そんなやり方を踏襲しながら、မင်းမဟာဂီရိ(ミーン・マハギリ)、ရွှေနဘေး(シュエ・ナベ)、と次々に項目を追加しようと画策中。「37人のナッの首領たち」なので、こうやって続けていけば、そのうち37項目がアップできるはずだ。

シュエ・ナベはボクのこれまでの雑記の中では新登場……かな。シュエ・ナベはナーガ(大蛇)の娘らしく、大蛇の冠をかぶっている。絵によっては、磯女みたいに、首から下が大蛇、というパターンもある。そして、驚くべきことに、彼女はミーン・マハギリの奥さんらしい。ジャングルに姿を隠していたマウン・ティン・デ(人間のときのミーン・マハギリ)は、ジャングルの中で彼女と出会って、恋をしたらしい。そして双子の息子をもうけたようだ。

多分、これって、後づけの神話なのだと思う。古くからあったナーガ信仰と女神の神話を、次第に勢力が大きくなってきたミーン・マハギリの神話とくっつけたんだと思う。こうやって、ミーン・マハギリの奥さん、というポジションについたことで、シュエ・ナベは「37人のナッの首領たち」のメンバに仲間入りだ。

彼女の双子の息子たちであるတောင်မကြီး(タウンマジ)とမောင်မင်းရှင်(マウン・ミーン・シン)も、「37人のナッの首領たち」のメンバになっている。この双子の兄弟は、ピューの徴税官として、それぞれ南北を司っていた。けれども、あまりに強力なので、時の王に恐れられ、殺し合いのボクシングを命じられる。その結果、相討ちとなって両者ともに死んでしまい、その後、悪霊ナッになったという。

彼らは6本腕で、このフォルム自体は、おそらく、ヒンドゥー教の影響を受けている。この双子の兄弟も、ミーン・マハギリやシュエ・ナベとは無関係にピューで崇拝されていたナッなのであって、ミーン・マハギリのファミリィになることで、公式のパンテオンに統合されていったのだろうと思われる。

そんなわけで、段々とミャンマーの妖怪について、整理出来てきているかな、と思っている。文献が英語なので、ちょっと苦しいよなあ(笑)。

  

2014年3月28日 オンライン会議も夢じゃない!?

本日、会社に行ったら、「いい仕事」で表彰された。プロジェクト・メンバで定期的に集まって進めていたプロジェクトだったので、こういう形で評価されるのは嬉しい。それに、こうやって、社長に呼ばれて、直接、表彰される、というのは、社員としてはやり甲斐があるよなあ、と思う。

それにしても、科学技術は進んでいる。表彰の様子はiPadで撮影されて、社内の各課のiPadに配信される。表彰の生中継だ。すごいシステムだよなあ。副社長の鶴の一声で、こんなシステムが構築されちゃうんだもんなあ。進んでいる。

表彰中、突然、コメントを求められて、何も準備をしていなかったボクは、しどろもどろ。必死になって話す。これも、全社に中継されてしまうのだから、恐ろしいことだ。みんなに見られてしまった。嫌だなあ。

  

2014年3月27日 正確さと分かりやすさ

24日からちぃ子は実家に帰省中。や、ケンカしたわけではない。ツクルくんをお披露目に実家に帰っている状態。ボクもついて行ければよかったんだけど、仕事もあるから、ね。

独身生活なので、ここのところ、ちょっとだけ夜更かしが続いている。とは言え、遊んでいるわけじゃない。来年度、新規に採用される社員に、ボクの仕事を紹介するということで、そのPowerPointをつくっている。「プレゼンテーションはプレゼントである」という、とある先輩の言葉を、ボクは忠実に守っている。

分かりやすさと正確さの両立が難しいな、と思っている。正確さは厳密さを伴うので、若干、複雑になる。その辺をどうやって噛み砕いていくか。先輩としての腕が試されている。結局、ファンタジィ事典も同じ課題を抱えているわけだけど……。

あっちこっちの部署にお願いして写真を集めてくる。写真が多い方が面白いもんね。

  

2014年3月26日 プレゼンテーションはプレゼント!?

プレゼンテーションは相手へのプレゼント。先輩がそう言っていた。ボクの胸に、深く、深く、突き刺さっている。だから、ボクはいつだって、プレゼンテーションの準備には余念がない。いろんなことを考えながら、極力、ボクが出せる最大限のものを注ぎ込む。プレゼンテーションは相手へのプレゼント。何度も何度も、そう言い聞かせて、徹夜でプレゼン準備だ。

  

2014年3月25日 Battlissimo

ポスタが出来上がった。研究開発のPowerPointも出来上がった。いろんなものが、どんどん形になっていく。ああ、3月だなあ。

* * *

「LIVE A LIVE」という迷作ゲームがある。革新的で、ボクは大好きだった。7つの短篇集みたいなゲームで、クオリティには差があって、楽しめるものとそうじゃないものとある。でも、製作者のコンセプトみたいなものが明確にあって、実験的で、何よりもポリシーを持ってつくった、という感じ。

そのゲームのBGMが直情型作曲家の下村陽子さん。ボクの大好きな作曲家さんだ。そんな彼女が「LIVE A LIVE」のガイドブックのために特別にアレンジした音源があって、ボクは昔、それをテープに録音して、擦り切れるまで聴いていた。ガイドブックを買わないとCDがついていなかったので、すぐに絶版になって、ボクとしては幻の名盤になっていたんだけど、たまたまAmazonで検索したら、中古でたくさん売っていた。一時期は何万円もしていた時代があったんだけど、「をを、値下がりしたな!」という感じ。

そんなわけで、注文してみたら、本日、届いた。7つのステージのバトル曲をメドレーにしたBattlissimoという楽曲があって、久々にガンガン流している。これを聴くと、ボクは当時のテンションを思い出す。中学校に入ったばっかりで、ゲームをつくったり、歌をつくったりしていた。漫画も描いていた。小説も書いていた。学生のときって、ホント、時間があり余っていて、楽しい時代だった。そんなときのパワーを思い出しながら、精力的に今を生きるのである。

  

2014年3月24日 舵を取る

本日、ひとつの決断をする。お仕事の話。ボクの手で、大きく舵を取る。航路はこれで正しいのか。よく分からない。でも、自分で決めて、自分で進む。誰も責任なんてとれない。全部、自分で決めたのだ。

ひとつだけ、感謝しなきゃいけないのは、決断できずに「困ったな、どうしよう」と悩んでいるときに、「そうだ! あの人に相談してみよう!」と思える人がたくさん思い浮かんだこと。あの人ならどういうアドバイスをくれるだろうか。別のあの人ならどういう風に考えるだろうか。そういういろんな人が、瞬時にたくさん頭に浮かんだ。これって、とても素敵なことだ。恵まれているということ。

決して、彼らの意見に流されるわけじゃない。いろんな価値観があって、いろんなコメントがあって、いろんな感じ方がある。そういうものを、どんどん、ボクの中に積み上げて行く。そうして、最終的に決めるのはボクだ。「あ、そういう考え方もあるのか!」と気づくことがとても重要。いろんな選択肢を持って、その中でベストなものをチョイスする。そうありたいな、と思っている。

  

2014年3月23日 分散したプラットフォームの統合とディープな交流への回帰。

ワールドワイドウェブの時代は終わった。岡沢さんのblogが胸に突き刺さる。まあ、そりゃー、そうか。でも、岡沢さんはまだまだ続けるつもりらしい。ボクも続けるつもりだ。

岡沢さんが語るのは2点。ひとつはプラットフォームが分散したということ。もうひとつはディープな交流が取りにくくなったということ。BlogやSNS、wikiなど、それぞれの目的に合致したプラットフォームに分散したため、それぞれのプラットフォームで活躍する同志との繋がりが切れた、ということ。それから、BlogやSNSなどのコメント欄では、相手が見えにくく、ディープな交流が取りにくくなった、ということ。昔だったら、そういうのは掲示板で結びついていた。今は各プラットフォーム内で交流するので、プラットフォームを跨いだ交流が難しいし、掲示板みたいにオープンじゃないので、多分、一過性の会話は出来ても、継続的な会話、複数人での会話には発展しにくいよなあ。さあ、どうするべきか。

でも、分散したプラットフォームの統合と、よりディープな交流への回帰、という意味では、まだワールドワイドウェブにメリットがある、ということだよね。それを望む人がどれだけいるのか分からないけれど。なんてことを考える。そういう意味じゃ、この2点に主眼を置いたウェブサイトにすれば、多少、光はあるのかもしれない? うーん。どうだろうね。

ま、言うほど真剣に考えているわけじゃない。ボクはマイペースにお気楽にやるのだ。

* * *

父上様と母上様が遊びに来た。いや、ホントはデグーのダロワイヨ嬢を送迎してくれるんだけど。せっかくなので、昨日に引き続き、サイフォン・コーヒーでおもてなし。

おもてなし
おもてなし

  

2014年3月22日 ホウ・レン・ソウの彼!?

ツクルくんとお買い物。てんとう虫のベビーカーをごろごろして上大岡へ。

* * *

本日はホウレン草のカレーをつくる。鍋を使わずにフライパンで作るカレー。しかも水の量が少ないので、短時間にできる。おいしかった。

ボクは結構、料理、好きかもしれないなあ、と思いながら、いつもキッチンに立つ。

  

2014年3月22日 サイフォン・コーヒー

後輩氏がサイフォン・コーヒーに憧れているらしい。我が家にもサイフォンはあるけれど、実のところ、ほとんど稼働していない。ドリップの方が、淹れ方で味が変わるので、自分でコントロールできる気がしていて、今はドリップにどっぷりだ。

でも、後輩氏にそんなことを言われたので、久々に再登場だ。確かにドリップでいろいろと工夫するよりも簡単に喫茶店の味になる。そういう意味じゃ、いいよね。

  

2014年3月21日 「メリハリ」って、本来は「メリカリ」らしいよ!?

ようやく、ちぃ子(妻だ!)がマッサージに行ってくれた。随分前から「膝が痛い」と言っていたので心配していたのだ。ツクルくんを抱っこして1階から3階まで移動するのが原因だ、とは思っている。だから、疲労なのだろう。その辺、ちゃんと先生に見てもらった方がいいだろうな、と思っていたわけだ。

ボクが休日にツクルくんの面倒を看る、ということに対して、ちぃ子はものすごい抵抗感があるらしい。それは、ボクが平日、働いていて、趣味も何もかも投げ出しているように映るからなのだろう。休日に、ボクが一所懸命、ウェブサイトの更新をしたり、創作活動をしたり、ファンタジィ事典の調査を進めたりすべきだ、と思っているらしい。

でも、それって大きな誤りである。ちぃ子だって、土日休日なしに家事をしている。そっちの方がずぅっと大変だ、と思う。ちぃ子にだって、休日があってもいい。その方が、メリハリがついていいのではないか。

そんな提案をして、多分、受け入れられたのだろう、と思っている。

  

2014年3月20日 motto

来るべき辞令というか、打診が来た。油断していた。珍しく頭が真っ白になって、うまく受け答えできなかった。回答するために、ホントは訊いておかなきゃいけないこと、把握しておかなきゃいけないこともたくさんあった。後になって、ああ、これは確認しておかなきゃいけなかった、といろんなことについて思う。

降ってくる仕事は快く引き受ける。それがボクのモットーだ。仕事が降ってくる、という状態は、ボクが期待されているということを意味する。そう理解している。だから、とてもハッピィなことだ。加えて、ボクは変なところで運命論者だったりする。出会いとか、偶然とか、運命とか、与えられた使命とか、そういうのに乗っかっていくことが、結果、ボクをハッピィにする、と信じている。やりたい仕事と与えられる仕事は違う。でも、多分、与えられた仕事が天命なのだ。向いていないものは成就しないし、向いているから成就する。そういう風に考えている。今までも、ボクの人生に無駄なものはなかったし、乗っかってきて全て正しかった。だから、降ってくるものは快く引き受ける。それでも、ちょっと、今回は即答できなかった。いろいろなことが頭をぐるぐると駆け巡ったような気がする。物事には、いろいろなタイミングがある。巡り合わせが悪かった。

そんなわけで、この週末は、今後の身の振り方をいろいろと考えなきゃいけない。気が重い週末の始まり、始まり。

  

2014年3月20日 珍しい苗字!?

佐村河内(さむらごうち)、小保方(おぼかた)、物袋(もって)……。ホント、この世の中にはいろんな名前があるのだなあ。みんな、これで本名なのだから、すごいことだ。ボクは今回の報道で初めてこんな苗字があることを知った。小説の主人公にしようなんて、思いつきもしないくらいに珍しい。珍しい苗字だってだけで、何だか羨ましいというか、格好いいよなあ。……まあ、今回はどの名前もいい報道のされ方ではないわけだけど……。

  

2014年3月19日 危険がいっぱい!

今日は年に2回の大切な会議。根回しの大切さを思い知る。いろいろな思惑が入り混じった会議で、みんな、発言をすることで既成事実をつくろうとする。それを封じるために、事前にあっちこっちで根回しがなされている。ボクは忙しさにかまけて……というか、正確には後輩氏に任せていたら、放置されていて、でも、それを質す時間も取れなくて、事前に決めなきゃいけないことを決めないまんま、会議に臨む羽目になった。これで相手方に先回りされて、会議で変な発言をされて、変な既成事実を作られると嫌だなあ、と思っていたら、案の定、不穏当な発言をし始めた。おぉっとどうなる、と思ってヒヤヒヤしていたら、ただの嫌味だけで会議が無事に終わった。後で確認したところ、すでに別の部署の先輩が、後輩氏に振り回されているボクの代わりに、気を利かせて、事前に根回しをしていてくれたらしい。だから、嫌味な発言はあったものの、ボクたちの思惑を引っ繰り返すところまでは攻めてこなかったようだ。ホント、冷や汗が出ちゃう。大人の世界は、いつだって政治的な駆け引きで動いていて、危険がいっぱいだ。それに翻弄されながら、何とか生きている。でも、ボクがかろうじて生き残っているのは、よき同僚に恵まれているからで、ボクがそういう人間関係を構築してきたからだ。後輩氏、ボクも随分、君を助けている。君も早くこの危険な世界に気がつくのだ。そして、戦慄するのだ! はっはっは。

  

2014年3月18日 持ち上げておいてバッシング!?

小保方さんの報道について、方々から疑問が投げかけられている。曰く、「持ち上げておいてバッシング。酷い」というやつだ。でも、ボクはそうは思わない。報道にも2つのパターンがあって、論文の是非を問うものは、真実を報道する立場として、堂々とやるべきだ、と思う。もう1つのパターンは、論文の内容とは無関係なバッシング。たとえば、小保方さんの日常生活とか、小保方さんの恋愛事情みたいな、プライベートな内容についてのバッシング。こっちは、ゴシップ的というか、こういうのは、「酷い」の分類に入るかもしれない。週刊誌なんかはこういう論調になりつつあるので、ちょっと危ない。でも、今のところ、ネット・ニュースやテレビの報道みたいなマスコミは、論文の中身についての疑義を報じているのであって、これは報道の立場として、やるべき内容だ、と思う。

「持ち上げておいて」の部分が歪んでいる、というのであれば、その批判は、まあ、そのとおりかもしれない。「割烹着」とか「ピンクの壁」とか、どうでもいい内容にはしゃぎすぎた嫌いはある。でも、それって多分、お互い様で、小保方さんも滔々と喋っていて、満更ではなさそうだったし、理研も早大も、広報的位置づけで乗っかっていた。必ずしもマスコミ・サイドが一方的に「持ち上げた」わけではないだろう。