2023年5月19日 世界パラダピアン計画

ゴールデンウィークに映画「ドラえもん のび太と空の理想郷(ユートピア)」を観に行った。とても混雑していて、ビックリした。

事前情報で、エヴァのオマージュだという映画評論家のコメントを見て、子供向けのドラえもんでそんなもんが作れるのかな、と疑問を抱きながら、好奇心をそそられながら観に行った。冒頭、サイレンが鳴り響き、使徒襲来のような始まり方に驚いたし、パラダピアの三賢人もMAGIシステムを連想させる。そして、「世界パラダピアン計画」も、「人類補完計画」を彷彿とさせる。確かにエヴァのオマージュが各所に見られた。でも、ちゃんとドラえもんでもあった。

ユートピアは、蓋を開けたらディストピアだったというのは定石の展開で、この映画でも、誰もがパーフェクトになれるというのは、三賢人に無抵抗な画一的な人間になることを指していた。パラダピアンライトを浴びて、洗脳されて、ジャイアンからは乱暴さが、スネ夫からはいじわるさが、しずかちゃんからは強情さがなくなって、穏やかに暮らす。のび太はいち早くそこに違和感を覚える。そして、のび太だけはパラダピアンライトが効かないといういつも通りの特殊能力っぷりを遺憾なく発揮する。そして「ダメなところも含めて、それでいい」という結論を叫ぶ。

脚本が古沢良太氏(最近は「コンフィデンスマンJP」の、と紹介されることが多いが、ボクは「キサラギ」から入ったので、その印象が強い!)なので、伏線回収が半端ない。序盤、ゆっくりで冗長なのは彼の特徴かもしれないけれど、後半はぐいぐいと進んでいき、キレイにバタバタと伏線が回収されていくので、見事! と思いながら楽しんで観ることができた。とても面白かった。

  

2023年5月17日 素直キャンペーンやりませんか?

先日、岡本カウアンがYouTubeを更新していて、誰かを攻撃する意図がないことを明言していた。ジャニー喜多川氏を訴えるとか、藤島ジュリー景子氏を追い出すとか、ジャニーズ事務所を潰すとか、そういうネガティヴなアクションには、彼は関心がない。それって健全だな、と感じた。

ついついボクたちは制裁を与えたくなる。罰を与えたくなる。でも、法治国家だ。勝手に誰かが誰かの尺度で罰を与えることはできない。社会が寄って集って誰かを罰することはできない。でも、何となく義憤の先に、誰かを追い詰めたくなる。それは行き過ぎた正義かもしれないし、歪んだ正義かもしれない。ただの妬みや嫉み、鬱憤の矛先を向けているだけなのかもしれない。

罪を憎んで人を憎まず。ボクたちには寛容さが必要だ。だから、岡本カウアン氏のYouTubeのリンクを張っておこうと思う。とてもいい動画だと思う。

その上で、ジュリー氏の性加害を「知らなかった」という説明は、完全に悪手だと思った。「素直キャンペーンどうですか?」というカウアンの提案には沿えなかった格好だ。

だって、知らないわけがない。ボクですら、大学生のときに、ビレッジバンガードでアングラ本の間に配架されていた暴露本を手に取って立ち読みしたことがある。タイトルまでは明確に覚えていないけど、おそらく北公次氏のものと平本淳也氏のものだった。読んで衝撃を受けた。今でも覚えている。こんなことがあるのかと思ったし、それがまるでメディアで報じられていないことに衝撃を受けた。

その後、いろいろとネットサーフして、この事実を承知でジャニーズに子供を入れる母親がいることにも、衝撃を受けた。そんな情報はオンライン上に腐るほど溢れている。それを、経営幹部が知らなかったはずはない。ただただ、見たくないものに蓋をして、目を伏せていただけだ。逃げていただけだ。そういう風に語るべきだったと思う。本気で、本音で、語るべきだった。

ボクは、岡本カウアン氏の目指す世界が美しいと思う。そこに着地できればよかったのに。それがとても残念だ。

2023年5月15日 天才的なアイドル様♪

YOASOBIの「アイドル」を聴いている。歌詞に物語性があるのがYOASOBIの魅力のひとつではあるが、この楽曲の推しポイントは、曲調が変幻自在なところだ。

全体的には、ザ・ボカロという感じで、音が上に下にポンポンと飛んで行ったり来たりする。高いところまで上り詰めたと思うと、あっという間に急降下する。IKURAさんも歌うのが大変だろうなあと思う。サビは王道のアイドルソングっぽく、ノリノリだ。ところが、そこに至るまでは、ものすごくダークでクール。そして、途中、ゲーム音楽の魔王登場かと思うくらいにおどろおどろしい雰囲気になる。このように楽曲の各所で雰囲気がころころと変わっていく。それでいて、ちゃんと1曲として収まっている。そして、その曲調の変化と歌詞の内容がピタッとハマって、物語として成立するのが、とても面白いな、と思う。

  

2023年5月13日 知的好奇心を掻き立てる。

本屋に『中野京子の西洋奇譚』(著:中野京子,中公新書ラクレ,2023年4月)が平積みになっていた。ハードカバーで出版されていたのは前から知っていたが、ボクは文庫や新書が好きなタイプなので、この機会に買ってみた。

カラーの絵が豊富に載っていて、それも楽しいし、いろんな文献に当たって調査されているのも好印象。「ハーメルンの笛吹き男」や「ジェヴォーダンの獣」、「ファウスト伝説」などの古い話もあれば、「コティングリー事件」やロバート・ジョンソンの十字路の悪魔などの比較的、新しい話もあって、全部で21の西洋奇譚が載っていた。新旧あるところが面白かった。資料性も高くて、ウェブサイト「ファンタジィ事典」の参考文献としても十分活用できそうな印象も受けた。

その意味で、とても興味深かったのが「マンドラゴラ」の章だ。マンドラゴラは、人間の姿に似た根を持つ植物で、引き抜くときに大きな悲鳴を上げ、その悲鳴を聞くと気が狂うとか死んでしまうと言われている。だから、犬に引き抜かせて、自分は耳を塞いでおく。引き抜いた植物は毒にも薬にもなってとても有用だとされる。その辺までは、おそらく、何となくみんなが知っているところかと思う。でも、『ロミオとジュリエット』でジュリエットを仮死状態にした薬がマンドラゴラだとか、旧約聖書での言及、ローマ時代の挿絵、古代エジプトのレリーフ、映画「ハリーポッター」での描写など、さまざまなマンドラゴラについて書かれていて、面白かった。いろいろと調べて、確認したいなと思った次第。

こういう風に、読んで、知的好奇心を掻き立ててくれる本に、ボクは魅力を感じてしまう。

  

2023年5月11日 プロトタイプから外れた境界に近いところにいる。

ボク個人はLGBTQという概念と言葉が嫌いだ。昔はLGBTだったのに、いつの間にか、LGBTQとか、LGBTQQIAAPPO2Sとか、どんどん細分化されている。

本来、すべての物事は、明確に白と黒に二分することはできない。グレーも含めて、線状、あるいは放射線状に並んでいる。それを変に分類して、新しい概念を作って、名前を与えることを、ボクは必ずしも好ましいとは思っていない。

認知心理学とか言語学なんかに「プロトタイプ理論」というのがあって、よく例に出されるのが「鳥」である。単に「鳥」と言えば、ハトやツバメのような空を飛ぶ比較的小型の「鳥」を想起する。こういうのがプロトタイプで、ダチョウやペンギンはそういうプロトタイプからは外れる。それでも、「鳥」の中に含まれる。

「鳥」が分かりやすいので例に出したが、「鳥」だけでなく、あらゆる言葉や概念が、プロトタイプを中心に、明確な境界を持たずに、非典型的・周辺的なものを含んで広がっている。

近年のジェンダーの文脈では怒られるかもしれないが、いわゆる男性らしい「男性」や女性らしい「女性」というプロトタイプを、それぞれの人がイメージしていて、そこから「男性」や「女性」という概念は、境界を持たずにふわーっと広がっている。それを理解して、受容することが大事だとボクは思っていて、「性の対象が男性である男性」とか「女性の格好をしたい男性」とか「男性にも女性にも興味がない男性」のようなものを、別ジャンルで区別していくことは、あまり意味がないと思っている。いわゆるLGBTQに区分されない「男性」や「女性」だって、仔細に眺めていけば、細分化していろんなタイプがあって、そういうのもひっくるめて受容することが多様性なのだと思う。

ボクは、どちらかと言えば、女性的なものが好きだ。パステル調の色味が好きだし、ゴリゴリのバトル漫画よりもふわっとした女性漫画の方が好きだ。ラーメンを食べるよりも喫茶店でケーキを食べる方が好きだ。それでも、ボクは「男性」に区分される。でも、「男性」の中でも比較的、プロトタイプからは外れた境界に近いところにいる。それでいいじゃん、と思っている。

  

2023年5月9日 久々にイラストを描いてみた。

ゴールデン・ウィークで時間もあったので、イギリス伝承のインプを描いてみた。相変わらず、iPhoneにタッチペンという状況。彩色もしてみたが、どうやって塗るのが正解なのかよく分からない。ClipStudioでの色の塗り方を勉強した方がよいかなあ。ガリガリな感じとかは表現できたので、その点は気に入っている。

  

2023年5月7日 ぎゃふん。

息子のツクル氏は長風呂だ。こちらが声掛けをしなければ、30分でも40分でも、待てども暮らせども上がってこない。今日も今日で、頭からシャワーを浴びてぼーっとしていたので、「頭は温(あった)まったかい?」と訊いてみた。そうしたら、「ダジャレなんて言わないでよ。パパは頭を冷やしなさい!」と返されてしまった。ぎゃふん。お風呂を上がって、妻に報告したところ、「あなたはダジャレ、息子はオシャレね」と返されて、さらにぎゃふん。

  

2023年5月5日 俺が世界を滅ぼしてやるぜ!!

「令和の麻原」が話題になっている。まるでサリンをばら撒いた極悪人のような印象を与えるが、でも、実は、単に「サリンばら撒くぞ」と書き込んだだけの迷惑系の人物だ。彼女が本当にサリンを持っていたとか、誰かを本気で傷つけようとしていたとかなら大問題だけど、実はそうではない。だから、彼女の本質は単なる迷惑系だ。だから、そんなに大仰に取り上げなくてもよいのでは、と思ったりする。もちろん、警察や駅職員は巻き込まれて大変だったとは思うけれど。

今も昔も「俺が世界を滅ぼしてやるぜ」系の妄想癖の人はいたのだろうけれど、個人の妄想は世界に影響を及ぼさなかった。1億総発信時代だからこその、とても今っぽい感じの事件だと思う。

  

2023年5月3日 文化を根付かせることが大事

加古川駅のストリートピアノが撤去されるらしい。マナー違反が相次いだらしく、また、ピアノそのものに不快感を覚える市民もいたらしい。

ボクは学生時代、フランスを訪問したときに、駅の構内でチェロを弾いている人を目撃してものすごく感動した。人の往来するど真ん中で演奏していて、滅茶苦茶上手かったし、演奏が景色に溶け込んでいて、さすがはヨーロッパだなーと感じた。音楽が文化として定着している。そんな感想を持った。

ボクは横浜に暮らしている。たとえば、横浜では「横浜トリエンナーレ」というイベントで、現代アートを推している。でも、普段、馴染みのない現代アートをえいや、と目の前に突き出されても、みんな、ちんぷんかんぷんだと思う。林文子前市長は劇場建設を強く推進していた。ダンスと演劇の文化を横浜に根付かせるという姿勢だった。でも、劇場ができて、海外の有名な劇団が公演したとしても、一部の市民しかそれを享受しないだろう。ボクは、文化というのは、そういうものじゃないと思っている。

日常の中に、当たり前にあるものが文化だ。駅の構内でチェロを弾いている人がいる。それが当たり前に受容されている。それが文化だ。もしも文化の底上げをしたいなら、アプローチは、大きなイベントを開催することじゃない。有名人を連れてくることじゃない。横浜のあちこちで、当たり前のように現代アートがあって、演劇がある。そういう形を模索するべきだ。駅構内の空きスペースに、当たり前のように現代アートが飾られていて、解説がついていればいいし、小さい劇場がたくさんあって、演劇団体があっちこっちで演劇をしている姿が、文化だ。担い手がたくさんいて、受容する人がたくさんいて、そうやって文化はつくられる。

ストリートピアノは、そういう意味では、ボクは素敵なアプローチだと認識していた。日常の中にピアノがあって、いろんな担い手が演奏して、それを楽しむ土壌ができる。はらみちゃんやよみぃ氏など、YouTuberたちがそういう文化を一気に後押ししたからかもしれないが、今は玉石混交で、マナー違反をする人もいるのだろう。でも、成熟してくれば、それが文化になって、おのずとマナーもできてくる。今はその途上なのだと思う。もうちょっと時間が掛かるのだろうな、と思う。

  

2023年5月1日 アメリカの「禁書」のムーブメント

新型コロナウイルス感染症が世界を覆って以降、アメリカでは「禁書」がひとつのムーブメントになっているらしい。「禁書」とは言っても、発禁ではないので、本屋に行けば普通に購入はできるらしいが、学校や図書館から「禁書」が排除されている。去年だけでも、約1,600冊の本が「禁書」として規制されたという。そんな中、特にターゲットになっているのが、LGBTQや黒人差別を題材にした本。「子供にLGBTQを教育すべきではない」とか「過度に黒人差別を取り上げると白人差別につながる」ということらしい。

正直なところ、ボクも、敢えて子供たちに積極的にLGBTQや黒人差別を教える必要はないのではないかと思っている。でも、だからと言って、わざわざ学校や図書館からそういうものを排除して、子供たちが手に取る機会を奪うのは、間違っている。読みたい人は読めばいいし、子供たちにはあらゆることを学ぶ機会が提供されるべきだ。LGBTQや黒人差別に興味を持ったときに学ぶ権利は、全ての子供たちにある。過度のエログロや暴力でない限り、読書体験の取捨選択は子供がすればいい。

  

2023年4月29日 バオウ・ザケルガ!!

『金色のガッシュ!!』と言えば、2001年から2008年まで「少年サンデー」に連載されていた人気漫画だ。アニメ化もされた。作者の雷句誠氏は、小学館と大揉めして講談社に移り、そこでも編集者と揉めたっぽくて、最終的には自分自身でBIRGDIN BOARD株式会社という会社を立ち上げたというから、ものすごく変わった人物ではある。でも、ちゃんと漫画を描き続けていて、2022年から『金色のガッシュ!!2』の連載が始まった。現在、2巻まで出版されている。

当時、雷句氏がTwitterで『金色のガッシュ!!2』の連載開始を発表したときには、ファンが歓喜する一方で、一度、完結した物語を再開することに対する不安の声もたくさんあった。実は、ボクも不安を抱いていた。『金色のガッシュ!!』は、清磨とガッシュが、魔界の王を決める戦いに参加し、「やさしい王様」を目指す物語だ。そして、33巻で有終の美で完結した。ちゃんと完結した物語を、もう一度、組み立てなおして、続編を描くのは難しいし、すでに清磨とガッシュの関係性も変わっているわけで、どのような展開になるのか、見当もつかなかった。

だから、1巻が本屋さんに並んだときには、ちょっと様子見というのか、遠巻きに眺めて静観していた。そうしたら、2巻が発売された。「あ、ちゃんと続いた!」とボクはビックリして、そして、買ってみた。冒頭は不安が渦巻く展開だったが、どんどん、昔の懐かしい面々が登場したら、ぐいぐいと引き込まれた。そして、新しい展開も、それほど大きな違和感なく、前作と繋がった。

何よりも、読者の感情を揺さぶる瞬発力がすごい。雷句氏の鉄板のテンプレートなのだろう。普通だったら、周到に準備して、流れをつくって、ゆっくりと読者の心を動かしていく。でも、ガッシュは、1冊の中であっという間に感動の形を組み立てて、読者に向かって打ち込んでくる。1巻も、2巻も、ちゃんと感動のシーンまで持っていく。その瞬発力がものすごい。ああ、これがガッシュだ、と感じた。

大抵の場合、続編って失敗するものだけれど、今のところ、ガッシュに関しては、企画倒れにはなっていない。続編のストーリも成立しているし、かつての感動も損なわれていない。それもまた、すごいことだ。

  

2023年4月27日 「えーっと」と「あのー」はどう違うのか。

YouTubeの「ゆる言語学ラジオ」のパーソナリティのお二人が『言語沼』を4月に出版したので、早速、読んでみた。

いつものラジオの軽妙な会話が忠実に再現された対話型の本で、推敲されているので、無駄がなくてキレキレである。文体はゆるく書かれているし、難しくないけれど、よくよく読むと、「連濁」「アニマシー(生物性)」「音象徴」「フィラー」「調音点」「オノマトペ」「格助詞」など、実はがっつりと言語学っぽい内容でまとめられている。それを聞き手の堀元氏がちょいちょい難解な雑学を放り込みながら、面白おかしく茶化しながら進行していく。

純粋に「言語学って面白い」という読後感が残るので、とてもよい。是非、おすすめの1冊である。

  

2023年4月25日 メディアの闇に転嫁してはいけない。

岡本カウアンがGASYLEでジャニー喜多川からの性被害を告白した。時を同じくして、BBCが特集を組んで報じた。そして、先日、岡本カウアンが日本外国特派員協会にて記者会見をした。

性被害の実態については、昔からたくさん暴露本が出されていたし、週刊文春も報じていた。たとえば、フォーリーブスの北公次氏が1988年の『光GENJIへ』で暴露本を出版したのが最初で、次の年にはジャニーズの中谷良氏が『ジャニーズの逆襲』が性被害を告発していた。ジャニーズJr.としては、平本淳也の『ジャニーズのすべて-少年愛の館』(1996年)、木山将吾の『SMAPへ-そして、すべてのジャニーズタレントへ』(2005年)などがある。

週刊誌としては、1999年以降、週刊文春が繰り返し、報じていて、それに対してジャニーズ事務所が名誉毀損で訴えた裁判があって、2002年の判決では、ジャニーズ事務所が勝訴しているが、性的虐待については真実性が認められた。それでも、どこのメディアもこれまで大きく取り上げることはなかった。

今、これまでテレビが報じてこなかった過去、今でも小さな報道に留まっている事実が「メディアの闇」として、海外メディアやYouTube等の媒体で非難されている。確かに気持ち悪さはあって、芸能人の不倫とか、不適切発言なんかは大きく取り上げるのに、未成年に対する性犯罪という大きな出来事はちょっと触っておしまいにしてしまうメディアは異常だと感じる。

でも、もうひとつ、ボクたちが考えなければならないのは、1988年以降、元ジャニーズによる暴露本が出版され、1999年以降、週刊文春が報じ、2002年の判決で性的虐待が認定された歴史の中で、岡本カウアンの性被害は、実はそれ以降に起こっているという事実だ。社長がワンマンで強かったとしても、組織として一切の対応をしてこなかった。それを清算しないまま、前に進むことはできない。そんな気がしている。「メディアの闇」に目を向ける前に、そもそものジャニーズ事務所のこれまでの在り方を見つめなおさなきゃいけない。

  

2023年4月23日 原点回帰:自分らしい文章を書くこと。

ウェブサイト「ファンタジィ事典」は「世界の妖怪」に関わる情報を集めてまとめているウェブサイトだ。でも、本音を述べると、Wikipediaが登場したときに、その存在意義を見失っていた。何しろ、ボク個人が一人で集められる情報なんて限られているし、アクセスできる情報も限られている。複数の人が同じように情報を集めてまとめるなら、圧倒的に数の論理でWikipediaの勝ちだ。

特に、一時期、北欧神話に関するWikipediaは、レベちでクオリティが高くなった。かなり専門家や専門家に近い人が中に入ったのだろうなという印象があって、情報の出典明示度が極めて高くなった。原典のどの部分にどのように書いてあるのかが、Wikipedia上で明確に分かるようになった。正直、これはお手上げだな、と思った。

そんなことを頭の片隅で考えながら、数年間、漫然と項目を更新していたような気がする。極力、読める範囲で原典を読む。原語にこだわる。そして、絵を描いてみる。でも、ChatGPTが登場して、もう、そういうのはやめようと思った。情報量で勝負するのではなく、自分らしい文章で自分らしい感性で記述することが、唯一の価値だ。やっと、そういう境地に至って、最近、自由に更新している。

そうしたら、また昔みたいに楽しくなって、生き生きとファンタジィ事典を更新している。「日々の雑記」を隔日で開始したのも、そういう背景がある。文章を自由に書いて、記事にする。当たり前の出発点に、再び戻ってきた。

  

2023年4月21日 隠棲動物学

4月5日に13歳の少女が目撃したネッシーの画像が、このたび、「オフィシャル・ロッホ・ネス・モンスター・サイティングス・レジスター」に公式認定されたというニュースが流れてきた。目撃情報を公式に認定する仕組みがあるというのがそもそも面白いし、21世紀のこのご時世に、「未確認生物(UMA)」というジャンルがまだ健在なのかと感じる人もいるかもしれない。

日本では、「未確認生物(UMA)」はオカルトとかファンタジィのジャンルに区分されて、妖怪や幽霊、宇宙人などとごちゃまぜになって扱われがちであるし、ボクのウェブサイト「ファンタジィ事典」も御多分に洩れず、未確認生物も含めて、「世界の妖怪」と定義して取り扱っている。

海外では、隠棲動物学(Cryptozoology)と言って、学問ジャンルとして扱われていて、アメリカには「国際隠棲動物学会」も設置されている。こういう隠棲動物の事例としてよく引き合いに出されるのが「ゴリラ」だ。ゴリラは当初は「隠棲動物」として取り扱われていて、19世紀に「発見」された。コモドオオトカゲも恐竜の生き残りとされていて、20世紀になって「発見」された。コビトカバもそう。パンダやオカピもそうだ。日本だと、イリオモテヤマネコが同様のジャンルだ。

つまり、未確認の生物が実際に存在することは論理的にはあり得る。そういう学問が隠棲動物学……なのだが、ネッシーの場合はどうだろうなあ……。植物プランクトンの量、魚類の量などから、大型肉食獣の生存は困難だとか、肺呼吸の生物だと仮定すると湖面に顔を出す頻度が低いとか、1987年の大規模なソナー調査の結果、大型生物が発見されなかったとか、いろいろと科学的裏付けのある否定がたくさんあって、やっぱり、少しだけオカルトっぽい印象がある。多分、隠棲動物学で真正面から取り扱うべきジャンルではなくて、イロモノではないかな、とは思う。

13歳少女のネッシー画像が2023年初の公式認定 4月5日午前11時52分に目撃(東スポWeb)

  

2023年4月19日 日本の女性メタルバンドが凄い

最近、ボクが注目しているアーティストに、LoveBitesがいる。2017年デビューの女性メタルバンドだ。2021年にベースが脱退して、2022年3月に新メンバーを加えて新体制で活動を再開した。再始動の曲が「Judgement Day」という曲で、冒頭のベースの音が印象的な楽曲だ。

何となく、X Japan世代のボクは、クラシカルで、それでいて激しいロックを求めてしまう。そんなボクにとって、LoveBitesはピッタリだ。技術的には、若い人たちの方が圧倒的に上手い。LoveBitesのギタリストのMiyako(静的な方)とMidori(動的な方)の掛け合いは最高にいいし、ドラムのHarunaのツーバスも激しい。

新規加入したベースのFamiは、実はYouTubeで見たことがあった。ボカロ曲をベースで弾いてみたみたいな動画で何度かおススメに上がってきていて、「あ、知っている!」という感じだった。ヴォーカルのAsamiはたまには張らない声があると面白いのにな、とは思う。でも、最後の方でキーがどんどん上がってくる感じは、聴いていてものすごく心地よい。

日本では、メタルはあんまり聴く人が少ないので、全体的な母数が少ない印象はある。圧倒的に上手いので、もっと評価されてもよいのにな、と思う。だから、ひっそりとここで紹介しておこうと思うので、是非、臆せずに観てみて欲しい。

ちなみに、インタビュー記事によると、この「Judgement Day」も含めて、新しいAlbumの楽曲は、ベースメンバー不在のまま製作され、録音も終わっていたらしい。オーディション結果を踏まえて、後からFamiが収録したというから、新しいメンバーを信じて作ってしまう覚悟もまた、面白いな、と思う。

  

2023年4月17日 ダークリッチの背後で流れるガムラン音楽とケチャ

中学校の音楽だったのだろうか。詳細は覚えていない。インドネシアのガムラン音楽とケチャを習った。ガムラン音楽は青銅を並べてバチで叩くので、鉄琴のような感じだが、音階が独特で不思議な雰囲気を持っていたが、一方のケチャは、何十人もの裸の男性が円陣を組んで、「ッチャッチャッチャ」という発声をずらしながら組み合わせて盛り上がっていくもので、当時、映像も音も、衝撃的だった。

そんなガムラン音楽とケチャを習った直後に、スーパーファミコンの「聖剣伝説2」が発売された。全体的には、結構、陽気なノリノリのBGMのゲームだったが、ラスボスの直前、悪の親玉ダークリッチとの戦闘曲が、まさにこのガムラン音楽とケチャをモチーフにしたものだった。明らかに金属を叩いたような音と「ッチャッチャッチャ」という男性の発声が使われていて、学生時代のボクたちのテンションはアゲアゲだった。

最近、民族音楽をよく聞くようになった。世界の神話を調べていると、当然、歴史とか文化も知らなきゃ説明できなくなる。当時の妖怪の絵を描こうと思うと、当時の衣装とか道具の詳細も調べることになる。その延長線上で、その当時の食事とか音楽、言葉みたいなものにも好奇心が向かう。

学生時代と違って、社会人なので、結構、自由になるお金がある。だから、民族音楽のAlbumを毎月、2枚くらいダウンロードするようになった。今月はパキスタンのガザルとインドネシアのケチャで、3月はギリシアの舞踏とミャンマーの竪琴とサインワイン、2月はアルゼンチンのタンゴとスペインのギター曲を購入した。

そんなわけで、最近は、ミャンマー伝承をまとめながら、ミャンマーの民族音楽を聴いたり、ギリシア・ローマ神話をまとめながら、ギリシアの舞踏を聴いたり(ギリシアの場合は時代が全然、違うんだけど)して、気分を高めている。

↑↑インドネシアのバリ島の「ケチャ」の様子。結構、中学生のときには衝撃を受けた。

  

2023年4月15日 個人のウェブサイトは自由である

2日おきに記事を更新するなら、facebookなどのSNSを使えばいいじゃないか。そんな声が聞こえてきそうだ。でも、ボクはSNSに強い苦手意識を持っている。読み手のレスポンスが返ってくるという意味では、モチベのアップに繋がる。反応があるというのは大事だ。でも、一方で、どうしても押しつけがましさも感じてしまう。

好きに書いて、書き散らかしているのに、相手の目の前に「読め!」とばかりに提示しているような乱暴さを感じる。もちろん、それを読むも読まないも、受け手の自由だ。でも、何となく、読まなきゃいけないみたいな暗黙の了解があって、「いいね」を押すみたいな雰囲気もあって、それが心苦しくなる。

そんなボク自身は、他人の文章は読まないタイプだ。興味のあるものしか読まない。面白いものにしか「いいね」は押さない。だから、みんながそうであればいいのに、と思う。でも、意外と律儀に何でも読んで、即座に反応しようという殊勝な人たちが一定数いて、とてもありがたいことではあるのに、ボクを苦しめる。

もちろん、これはあくまでも、ボクの勝手な感じ方、受け取り方である。意外とみんな、フランクで、「読まなきゃ」みたいな強迫観念はないのかもしれないし、そうであって欲しいな、と思う。でも、そういう強迫観念に苦しんでいる人が少なくともいるだろうことは、感じていて、そんな彼らに対して、決して反応しやすい文章を提供していない自覚はあるので、何となく、SNSから疎遠になってしまうのである。

  

2023年4月13日 予約投稿の機能を駆使しての2日おき更新

4月になったので、いろいろと新しい試みを始めてみようと思って、そのひとつが「日々の雑記」を2日おきに更新するというものだ。中身は何でもいいので、最近、興味のあることなどを、500字程度で書いてみようというものだ。文章を書く練習にもなるし、何よりも、文章を書く習慣ができる。しかも、思いついたときにどんどんアウトプットして、予約投稿をしている。WordPressでウェブサイトを構築した甲斐があるというものだ。

ストックがある状態で「日々の雑記」の運用ができれば、本業の仕事が忙しくなっても、比較的、ノンストップで続けられる。「最近、更新が滞っているなあ」的な精神衛生上、よろしくない気持ちにならずに済むのは、いいことだ。時節にあったタイミングでの更新にはならないかもしれないが、あんまり巷のニュースには反応しないように心掛けているので、このスタイルでしばらく続けてみたい。

学生時代、ボクは「日々の雑記」を毎日更新にしていた。ネタを探して毎日を生きるので、ものすごくアンテナを張るし、文章も尖ってくる。あの感覚をもう一度、取り戻した上で、ウェブサイト「ファンタジィ事典」の編纂に反映させていけば、もう少し各項目がエンタメ性のある文章になるのではないか。そんな期待を込めての運用である。

だから、「日々の雑記」そのものが直接的に何かを生み出すということは意図していない。万が一、面白い記事が書けたらラッキーくらいの感覚で続けていきたい。

  

2023年4月11日 オトナブルー

新しい学校のリーダーズがここのところ、バズっている。しかも3年前の『オトナブルー』という楽曲が再評価されている格好だ。彼女たちは、アイドルというのか、パフォーマーというのか、厳密な定義は分からない。おそらく当初はももクロみたいなアイドルを立ち上げたかったのではないかと勝手に想像する。キレキレのダンスと吹っ切ったパフォーマンス。そしてどうしてか、SUZUKAのコミカルな動きに思わず惹きつけられる。

彼女たちは21~24歳で、年齢としては非常に若いグループだが、実は芸歴は長くて、2015年に結成されている。結成されてから7年くらい経っている。若い頃に結成して以来、メンバーチェンジもせずに、ずっと続けてきたグループと言える。

THE FIRST TAKEにも出演していてビックリした。「いい意味でFIRST TAKEの緊張感ここまでぶち壊したグループは初めて見た」というコメントに思わず、頷いてしまった。すごい。4人ともが同じ方向性でちゃんと演じられていることが奇跡的だ。

音楽と雰囲気には昭和っぽさがありつつ、アングラっぽさもありつつ、でも、圧倒的なダンス・パフォーマンスは令和ならではのクオリティ。それもひとつの魅力だし、何よりも、完全に振り切っている。その覚悟が、一番、素晴らしい。

ちなみに、ここに挙げている『オトナブルー』の動画は、最近取り直したヴァージョン。昔のヴァージョンもあるし、ワンテイクのダンス・ヴァージョンもあるのでチェケラ!!