2025年9月1日 タヌキの畳叩きと石の精のバタバタと

新しい試みとして、『日本妖怪図鑑』の紹介ページを作成してみた。そして、ここに載っている妖怪の一覧を作成してみた。AIアシスタントのCopilotに、ウェブサイト「ファンタジィ事典」の改善点を訊いたら、横串の展開が足りないとのことで、たとえば、鳥山石燕の『画図百鬼夜行』に載っている妖怪の一覧とか、アラビアン・ナイトに登場する妖怪の一覧みたいな横串でのリンクやタグ付けができるとよいなどとコメントをもらった。そういう意味では、参考文献ごとの横串の展開もありかもしれないなあと思ったので、試しに『日本妖怪図鑑』の120体の妖怪でやってみた次第。

そこに畳叩きという妖怪が載っていて、

「冬の夜中に家の外でたたみをたたくような音をたてる。ねずみのように小さな体で、石の精だといわれる。」

との解説があった。そして、かわいらしい小人の絵が添えられている。ボクの中ではあんまりメジャーな妖怪じゃなかったので、知らなくて、そんな妖怪もいるのかあ、と思って調査開始。そうしたら、どうもWikipediaも含めて正しくないような印象。どうも、調べた感じだと、大元の資料は柳田國男の『妖怪談義』のようだ。

「タタミタタキ:夜中に畳を叩くような音を立てる怪物。土佐ではこれを狸の所為としている(土佐風俗と伝説)。和歌山附近ではこれをバタバタといい、冬の夜に限られ、続風土記には又宇治のこたまという話もある。広島でも冬の夜多くは西北風の吹出しに、この声が六丁目七曲りの辺に起こると録々雑話に見えている。そこには人が触れると瘧(おこり)になるという石があり、あるいはこの石の精がなすわざとも伝えられ、よってこの石をバタバタ石と呼んでいた。」

と解説されている。要するに、高知県には「畳叩き」と言うタヌキが正体の妖怪がいて、和歌山や広島では「バタバタ」という類似の妖怪がいた。でも、「畳叩き」で立項されていたために、これを読んだ人が「畳叩き」も「バタバタ」も一緒くたにしてしまったようで、いつの間にか広島の「バタバタ」の話であった石の精という伝承が「畳叩き」の属性にされてしまったわけだ。この情報を拾った水木しげるの『図説 日本妖怪大全』(講談社+α文庫,1994年)も、Wikipediaも、この辺のないまぜ感は拭えない。

村上健司の『妖怪事典』(毎日新聞社,2000年)や日野巌の『動物妖怪譚』(中公文庫,2006年)では、別物の妖怪として区別されている。その辺、ちゃんとフォローした方がよいなと思って、ファンタジィ事典でも、別項を立てて解説する方針にしてみた。

  

2025年9月7日 月にはヒキガエルとウサギと桂の木とその木を伐る男が棲んでいる!?

ちょっとだけ、ウェブサイト小豆はかり桂男を更新してみた。どちらも冒頭の書き出しは従来の項目とは異なっている。いつもは「妖怪Aはこれこれこういう妖怪だ」と説明してから本文に入っている。でも、今回は両方とも、そういう始まり方ではない。読み物としてどんな導入がよいかを考えて、ちょっとアレンジして始めてみた。

そしてもうひとつは、おまけのコラム的な要素を増やしたという点だ。小豆はかりについては、水木しげるの描く小豆はかりについて、ちょっとだけ丁寧に書いてみた。実際に水木しげるの漫画を何度も読んで、そこで描かれる小豆あらいの雰囲気を拾い出して、書いてみた。

一方、桂男の方は月を巡る中国の伝承をたくさん載せてみた。月にはヒキガエルがいるとか、ウサギが薬草を挽いているとか、月には巨大な桂の木が生えていて、ずぅっと木を伐る男がいるなど、いろんな話を盛り込んでみた。

こういうのが、本来、ボクがやりたかった方向性に近いよなあ、と改めて考えて、やってみたという感じだ。もちろん、ね。文章力は足りないから、面白いかどうかは分からない。でも、こういうコラムっぽい感じで書き続けた方が、ボクとしてはやりがいもあって楽しい。そうだよなあ。こういう方向だよね。そんなことを感じた。

というわけで、ずぅっと仕事に汚された毎日の中で、たまたま2日間、ぽかっと時間がとれて、ふわっと始めてみたんだけど、初心に帰った感覚。がんばろうと思う。

  

2025年9月13日 貘はミャクでバクでマクでモー

中国起源の日本の妖怪って、たくさんいて、たとえば、貘(ばく)なんかはそうだ。

貘というのは、元々は中国の蜀(現在の四川省)に棲むとされる伝説的な怪獣で、昔から竹や鉄を食べると信じられていた。白黒のまだら模様で、クマに似ていたらしい。……鉄を食べるというのはちょっとオーバーだけど、竹を食べるというところまでなら、何となく「ああ、ジャイアントパンダのことだな」と思う。「竹みたいに硬いものを食べる謎の動物が四川省にいるよ」という話が、次第に伝言ゲームよろしく、鉄を食べるとか武器を食べるみたいな話に広がって行ったのだ。

ところが、途中で、マレーバクを見た旅行者が、白黒の謎の獣というところで「ああ、これが貘なのか!」ということで、クマみたいな姿だったはずの貘は、途中からゾウの鼻を持つ怪物への姿を変えた。そして、朝鮮半島を介して日本に伝わって、今のような姿になった。

ちなみに、日本の貘は夢を食べる。でも、中国の貘は夢を食べない。あくまでも貘が食べるのは鉄だ。朝鮮半島に伝わった貘はプルガサリと呼ばれていて、こちらは鉄を食べてどんどん巨大化する怪物になっている。夢を食べるのは、あくまでも、日本の貘の特徴だ。

ところで、学研漢和大字典によれば、周や秦などの古い時代には、貘はmăk(マク)と発音されたらしい。その後、隋や唐の時代になると、mʌk(マク)あるいはmbʌk(バク)と発音されたらしい。そして、元の時代に語尾のk音が消えて、mo(モー)となり、現代中国語のmò(モー)となっているらしい。日本に入ってきたときの音としては、呉音がミャク、漢音がバクだと説明されている。従って、măk(マク)からミャク、mbʌk(バク)からバクという発音が伝わったということなのだろう。日本では今でも、漢音のバクがそのまま使われ続けている。

たとえば、砂漠の「漠」は「バク」と発音される。角膜の「膜」は「マク」と発音される。「模」という漢字は、規模と書けば「ボ」と読むし、模型と書けば「モ」と読むわけで、bとmで揺らぎがある。「母」という字も、父母と書けば「ボ」だし、鬼子母神と書けば「モ」と読むことが多い。モは呉音、ボは漢音だ。

どうでもよいことなんだけど、妖怪を調べながら、そんなことを考えてしまうボクである。

  

2025年9月18日 不定期投稿。

最近、「日々の雑記」の投稿頻度が目に見えて落ちている。「世界の妖怪」蒐集家の八朔シータです。こんにちは。

大昔は毎日記事を書いていた時期もあって、この「日々の雑記」は、ほぼ「日記」のような存在だった。でも、ここのところ、1週間に1回くらいの投稿頻度にまで減っている。

毎日記事を書いていた頃は、ある種の中毒的でもあったし、義務感に追い立てられてやっていた感覚もある。それが2日おきになり、3日おきになって、今では不定期になり下がっている。でも、冷静に考えれば、熱狂的な読者がいるわけでもない。収益が発生しているわけでもない。ある意味では、あるべきところに落ち着いたというのが正しいかもしれない。

そんなわけで、開き直って「不定期投稿にするぞ」という決意も込めて、書き出しの文体を変えてみた。冒頭で自ら名乗ることで、書き手が誰なのかを常に明示するスタイルである。「世界の妖怪」蒐集家と肩書(?)を敢えて示すことで、ウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」が一応、世界の妖怪を対象にしたサイトであることを伝えている。

今後は、当面、こんなスタイルでやってみて、不定期投稿で続けていこうと思う。

  

2025年9月18日 互いを認め合って共存する時代

不寛容な世の中に鉄槌を。「世界の妖怪」蒐集家の八朔シータです。こんにちは。

チョコプラの動画での発言が顰蹙を買っているようだ。ヒカルのオープンマリッジ宣言も炎上している。「どうでもよいじゃないか」という気持ちがボクの中の半分以上。そして、「そんなことでいちいち批判する人がたくさんいることが悲しいな」と思う気持ちが残り半分だ。

SNSは炎上増幅装置だと思う。炎上らしきものを見つけると、みんなが嬉々として群がって、どんどんと薪をくべに行く。本来、そんなに大騒ぎするほどのことではなくても、お祭り状態で盛り上がる。そうして、最後にメディアが乗っかる。

いろんな価値観や意見を相互に認めることが多様性だとボクは思う。素人はSNSをするなという意見もあるだろうし、芸人こそ炎上するからSNSに気をつけろという意見もあるだろう。そもそもSNSは素人のものだぞという意見も納得である。どの意見を持っていてもいいじゃないかと思う。

オープンマリッジも、本来はそれぞれの夫婦の選択の自由だ。それに対して「0日結から3か月でその結論は早くない?」とか「ただ一人を愛する方がいい」というそれぞれの意見を抱くのは当然だ。でも、だからって攻撃するのは違うだろう。

不寛容な世の中だよなあと思う。あまりの窮屈さに息苦しさを覚える。今の世の中は多様性の時代だよ? 互いを認め合い、共存する状態だよ? 自分の正義が唯一で、相手を屈服させようとするのは、一番、多様性から遠いよね? ……と日々、嘆いているボクである。