《過去の雑記》

過去の雑記646件から664件までを掲載しています。

2011/11/20 トルコ気分、まだまだまだまだ余韻を残して……

おうちでトルコ・コーヒー(Türk Kahvesi)を淹れてみた。ジェズヴェ(Cezve)というコーヒー専用の鍋でコトコト。一噴きしたら弱火。それからもう一噴きしたら淹れる。

コーヒーカップもジェズヴェもコーヒー粉も、全部、トルコで購入したもの。

実は鍋敷きもカッパドキア産!!

そこの店員のお兄さんに作り方を訊いたので、うまく作れた。店員さんもボクも、お互いに英語が不得手なのに、頑張ってコミュニケーションした甲斐があったぜ!!

2011/11/18 理想の女性!?

久々に小説を書いた。まあ、小説とは言っても超短篇だ。原稿用紙にして16枚。早速、ウェブサイトにアップロード。

ちぃ子に読ませたら、

「こういう女の子がスキなの?」

と訊かれてしまう。

ホント、文章って怖いよね。書き手の色んなものが覗かれる。見透かされる。あるいは誤解される。

うーん。どーだろうね。こんな女の子が理想なんだろうか。自分でもよく分からない。でも、キライじゃ。それは間違いない。

 * * *

⇒ 新作『お嬢さまの夏休み』(笑)。

2011/11/17 アール・ヌーヴォ、ボジョレー・ヌーヴォ!!

ボジョレー・ヌーヴォー解禁!! というわけで早速、購入。飲んでみるぞー。

自宅にて

2011/11/16 迷犬ラッシー!?

夕飯がカレーだったので、勢いでラッシーをつくってみた。インターネットで作り方を検索。便利な時代になったなあ。

ヨーグルト:250g、牛乳:100g、水あるいは氷:100g、ハニー:大匙2杯

これをミキサでウィィィィーーーーン、と攪拌するだけ。簡単。

カレー&ラッシー

2011/11/15 テレビの面白さは何処へ!?

そうそう。『テレビは余命7年』という本をトルコに向かう飛行機の中で読んだ。非常に面白かったので、ここで紹介しておこうと思う。

大体、ボクはホリエモン騒動の後くらいからアンチ・テレビ派なんだけど。テレビ、全ッ然、面白くないじゃない? ドラマは大抵、原作ありだし。バラエティじゃ、ワイプで有象無象のタレントが笑ったり感動したりする姿ばっかりだし。ニュースはかなりの偏重報道で。訳の分からないコメンテータとかキャスタが偉そうな高説をたれる。そして、大して面白くもないのに、期待させて盛り上げる無理矢理のCM跨ぎ。

視聴者のボクとしては、感覚としては違和感と不快感ばっかりなんだけど。その理由が、この本には明確に、そして分かりやすく書いてある。テレビの歴史や、テレビが抱える矛盾や、今のシステムなんかが、かなり詳細に、そして比較的、中立的な立場で書いてある。読後感は腑に落ちる、という感じ。

全てのものには意味がある。過去があって、歴史があって、いろんな価値観の中で、現在がある。今のテレビは、こうしてつくられてきたのだ、と圧倒的な情報量で納得させられる。

そんな本。オススメ。

2011/11/14 トルコといえばジャノワール。

トルコから帰宅して以来、職場で人とすれ違うたびに決まって訊かれることがある。

「トルコには妖怪いた?」

うへー。何の誤解が招いたクエスチョネアなのか。……実のところ、今回のトルコ旅行はボクが企画したわけじゃない。ちぃ子(妻)の掛け声で始まっているので、妖怪探しの旅ではなかったんだけど。でも、悔しいので、トルコの妖怪について書いてみたい。

……って言っても、実はトルコの妖怪って知られていない。ぱっと思いつくところじゃ、ジャノワール(Van Gölü Canavarı)くらいのもの。トルコ版ネッシーみたいなヤツ。トルコ東部のヴァン湖に棲んでいる怪物。

ヴァン湖というのは、ちょうど先日、大きな地震があったあの辺りにあるトルコ最大の塩水湖で、その湖にはバシロサウルスみたいな古クジラの未確認動物が棲んでいるらしい。

この辺りはクルド人たちの土地で、クルド人迫害から目を逸らすために軍が捏造したという陰謀説までまことしやかに囁かれるわけだけど(笑)。まあ、いずれにしたって、ネス湖にしても屈斜路湖にしても、大きな湖には謎の怪物というのがお決まりのパターンだ(笑)。

大昔、ヒッタイトの時代には、ヒッタイト神話に登場する神様がいて、怪物たちがいた。巨人ウペルリ(dupelluri)やウルリクムミ(dul-li-kum-mi)、大蛇イルルヤンカ(MUŠ ilu-lu-ya-an-ka)なんかが有名だろうか。古代ギリシアの時代なると、リュキアでキマイラ(Χίμαιρα)が暴れ出す。その後、キリスト教が入ってきて、イスラームが入ってきた。それからはあんまりトルコの妖怪って日本には伝わっていない。

絶対に、ね。トルコ人だって大枠の信仰とか宗教とは無関係のところで、いろんな「妖怪」を創造しているハズなのだ。現地由来の、「あの山には……」とか、「この森では……」みたいな妖怪たちを。でも、実のところ、ボクたち日本人はトルコの妖怪を知らない。

そんなわけで、せっかくトルコに行ってきたワケだし。悔しいから。ちょっくら、トルコの妖怪キャンペーンを張って、調査することにする。うん。がんばる。

2011/11/13 おじさんが還暦!?

叔父さんが還暦になった。そのお祝いで一族郎党、なだ万迎賓館に集結。なかなか、ね。昔はこーゆー集まりって、堅ッ苦しい感じがして嫌いだったんだけど。やっぱり社会人になったんだなあ、と感じる。すらすらと無難なお話ができる。何だかアダルトな感じだ。会社で利害関係が孕んだ飲み会に参加するよりもずぅっと気楽で、ざっくばらんに話ができて、もしかしたら楽しいのかも、とすら思ってしまう。と、いうわけで。なだ万迎賓館の料理の写真。……新宿は都会だなあ(遠望)。

懐石!!

2011/07/28 独自ドメインでGO!!

本日、念願の独自ドメインを取得した。

http://hetappi.info/

取り立てて何か新しいウェブサイトを作ろうと壮大なことを目論んでいるということではない。本気でウェブサイトを続けていくのなら独自ドメインでやろうと一大決心したということ。掲示板やメールフォーム、カウンタなんか、色々とあちこちからレンタルしているものも、自分でcgiを組んでデザインできるのなら、そっちの方が素敵だなあという想いが昔っからあったのだ。ウェブサイトは全部htmlタグ打ちで頑張っているわけだし、cgiも頑張ってみようと思うわけだ。

実を言うと、無料スペースをレンタルしていると、ウェブサイトの分類が「ホスティング」になる。そうすると、我が社のブラウザで排斥されて、見ることができないのだ。「ホスティング」でやっているウェブサイトは個人のウェブサイトと判断されているんだろう。でも、規模の小さい自治体とかで無料スペースをレンタルしているところを見たことがある。ああいうところも、きっと我が社のブラウザでは見ることができない。いずれにしても、同じ原理で、会社からとかだと、見れない環境にいる人もいるんだろうなと想像する。

大体、「ホスティング」はSEO的にも不利に働く。どうせウェブサイトを頑張るのなら、SEOに強いウェブサイト作りを目指そう。そういう副次的な目的もある。そんなわけで「脱ホスティング」である。

今のところは、各方面にリンクしてもらっているのは忍者ツールズで無料レンタルしている方のページなので、しばらくはそっちをメインに据えて、ダブルスタンダードで行こうと思う。独自ドメインはミラーサイト的な扱いで行く。何しろ、忍者ツールズ、2年以上経過しているので、それなりに古い。被リンク数も多いので、それなりにgoogleにも評価されている。ページランクが3くらいあるのだから、手放すには惜しい。だから、ページランク3を目指して、2年後くらいを目標に、独自ドメインにシフトしていこうと思っている。それまでには、掲示板くらい自作できるようになりたいなあ(遠望)。

2010/09/10 音楽のある日常

久々にiPodを使っている。音楽って心を癒す効果があるけど、疲れていたり、余裕がないと、雑音になる。ただ音楽を聴くだけでも、エナジィを必要とするらしい。ましてや朝の電車で音楽を聴くゆとりなんかなかったんだなあ。大学に通って5日目。最終日。やっと自分らしい気持ちになれている。うーん。今の職場は若干、ボクには負担なんだな。ストレスというか。どうやら、期待されるのは苦手みたい。

そんなこんなで今朝のイチ押しは大塚愛の『Love Letter』から「360゚」。ふわふわとした何とも知れない浮遊感とピアノのアルペジオが時折奏でる不協和音が最高だ。音楽なのに映像美みたいな感じがする。

また、来週からがんばらなきゃなあ(遠望)。

2010/09/10 ブロークン&チャンス

そういえば、我が家のゴリゴリ機(手動コーヒー・ミルのこと)の調子が悪い。3月に引っ越しをしたときに買ったもので、3000円はしない安物だったんだけど、どうも最近、歯車の噛み合わせ悪くなった。大きな音とともに歯がひとつ分だけズレる。車軸がブレる。だから力を入れて豆を挽けない。毎朝の楽しみだったのになあ。直そうにも溶接仕上げなので、どうにもならない。まあ、新しいのを買うよりほかにないかな。

実のところ、もう、目星はつけてある。元町商店街の金物屋さんにディスプレィされている鋳鉄性の赤い手動ミル。ふふふ。

壊れたらラッキィだ。何しろ新しいものを買う絶好のチャンスだ。これがボクのお祖父さまのモットー。ボクもそれにアグリーだ。チャンスと思って今日は元町へ繰り出そうと思う。

2010/09/09 ココロのアンテナ

何かひとつのことに興味を持つと、それに類するいろんなものに好奇心が向かっていく。もっと知りたい。もっと理解したい。……それが一番、幸せなスタイルだと思う。

金属の腐食、要するに「錆びる」という現象を研究している今日の先生は、いつも金属(通常は「鉄」だけど)が腐食するメカニズムと、金属を腐食させない対策を検討しているんだろうけど、「鉄」について、ちょっと詳しい。製鉄技術はヒッタイトが発明したわけだけど、どうやらヒッタイトの歴史や生活様式もよく知っているらしい。ヒッタイト人がつくったビールがどんな味かを説明していた。製鉄を始めた彼らがどんな酒を飲んだのか……。先生の興味は、そんな風に広がっていくのだろう。

日本のタタラ製鉄や、その製鉄技術を巡って行われたであろう大和朝廷と技術者集団の抗争にも、先生の食指は動くようだ。

お釈迦さまが「錆び」について言及していれば、その情報も、先生のアンテナはしっかりとキャッチしている。『ダンマ・パダ(法句経)』から。

錆は鉄より出で、鉄を食むように、煩悩は心より出で、心を食む。

先生はこの表現を読んで、お釈迦さまの観察眼に感心したという。

金属が錆びると、その錆び瘤のできた金属部分には酸素が供給されにくくなる。通気性がいいところと悪いところができるわけだ。通気差電池のメガニズムで、金属表面の通気性のいいところから悪いところへと電気が流れる。こうして、錆びたところの周辺が錆びていく。まさに鉄から生じた錆が、今度は鉄を食べていくというわけ。お釈迦さまは通気差電池の原理なんて知らなかっただろうけれど、でも、観察からこの現象を把握していたのだ。

……まあ、そんなわけで、さ。あることに興味を持って突き詰めていくと、好奇心はいろんなところに拡散していくんだけど、こういう好奇心の使い方、アンテナの張り方っていうのは、理想的だよねって、まあ、そんなお話。

2010/09/08 トライアル&エラー的な発想

久々に雨が降った。これで一気に9月らしい気候になるのかなあ。涼しくなるのは素敵だけど、台風はテンションが下がるよなあ。

今日も朝から大学へ。科学実験をやったので、少しだけ帰りが遅くなった。何だか、キャンパス・ライフってのんびりしている。実験なんかやっていると、確かに時間はあっという間に過ぎてしまうんだけど、でも、先生も学生も、ストレス・フリーな感じで、楽しそうだ。何よりも、トライアル&エラー的な発想と、それができるという環境が素晴らしい。ビジネスじゃ、そうそう失敗できないし、自由に試せない。うまく行くかわからないけど、まあ、試しにやってみようかー。そんな環境が、大学の強みだなあ。久々に大学を訪れて、今、そんなことを感じている。

2010/09/07 賢者になりたかったボク

おはよーございまーす。ということで清々しい朝。

今日もまた大学生気分でキャンパス通い。材料工学系の講義だから、ボクにとっては新鮮だ。何しろボクは土木建築系だったから。でも、構造物を設計して維持管理していくなら、材料も大切なファクタになる。

土木建築系だったボクは、構造力学的な、あるいは機械的な材料特製というのはよく理解している。コンクリートや金属がどのくらいの強度を持っているかとか、引っ張ったらどういう挙動を示すのかとか、鉄筋コンクリートならどうかとか、まあ、そういう特性だ。こういうのは外力を加えて挙動を観察して、ああ、そうなるね、と見て納得する感じのものだ。あるいは材料が劣化して事故が起きたりしたのを写真で見ながら、そのメカニズムと対策を検討したり。

でも、今回の講義は化学的だ。原子レベルで何が起きているのかを考える。たとえば、金属特有の光沢。メタリックなあのキラキラのメカニズムなんかを考えるわけ。電子が自由に原子核の回りを動いているから、光があちこちに反射してああいう風な光り方をするのだとか。あるいは金属には延性がありますってよくいうけど、その延性ってどういうことなのか。塑性変形ってどういうことなのか。実は金属結合しているはずの原子が一原子間分だけ移動してまた結合しているのだそうだ。だから金属は延びるし、変形が戻らなくなる。電子顕微鏡で見たときのその挙動をVTRで見せてもらったりもした。

非常に勉強になる。大学っていいなあ。また、昔みたいに賢者になりたいとか、そんなバカな野望に火がつきそうで、困ってしまうなあ。大学って楽しいなあ。うひひ。

2010/09/06 大学生に逆戻り!?

今日から一週間、ボクは大学生に戻る。キャンパスに通って、講義を聴いて、科学実験をやって……。いいなあ。懐かしいなあ。楽しいよなあ。社会人になっても、こうやって大学に通えるんだから、幸せなことだと思う。

2010/09/05 こういう原生林には妖怪がいるかな!?

白駒池を散策。原生林が広がっていて、何だか妖怪アンテナがびんびんだった。こういう雰囲気の中にいると、妖怪を思いつきそうだなあ。だって、鬱蒼としていて、暗くって、涼しくって、振り返れば妖怪がいそうだ。いてもおかしくないと思ってしまう。明るい街中じゃ、妖怪なんてナンセンスなんだけどさ。

こういう原生林には妖怪がいるかな?
こういう原生林には妖怪がいるかな?

マイナスイオンたっぷりで、久々に気分爽快になれた。たまにはこうして運動することも大切だなあ。

2010/09/04 ボクにとっての「ファンタジィ」とは何か。

「神話が好き」と言うとちょっと違う気がするので、いつも「神話・伝承の類いが好き」と言うようにしている。何しろ「神話」という言葉がよくない。だって、神話って、神さまの話という印象がある。でも、神話には神さまが主人公じゃない話だってたくさんあって、英雄が怪物を退治する物語なんかも神話なのだ。

何でこんなことになっているのか。この背景は明治時代にある。もともと「神話」という言葉は「myth」の訳語として明治時代に使われるようになった言葉なのだ。英語の「myth」は古代ギリシア語の「μῦθος(ミュソス)」に由来する。《物語》という意味だ。要するに「語られる物」を指した言葉だったのだ。英雄譚だって、だから、立派な神話なんだけど、どうも「神話」というともっと限定的なイメージを持ってしまう。

神話、伝承、民話、伝説、歴史、昔話、お伽話、小説、教典。いろいろな「物語」があるんだけど、それぞれのニュアンス、使い分けが難しいよなあ。そんなわけで、ボクは全部ひっくるめて「ファンタジィ」と呼んでしまうことにしている。歴史や教典まで含めてファンタジィと呼んでしまうのは乱暴だろうか。でも、歴史だって想像力で埋め合わせをしているし、教典は信者以外には荒唐無稽のファンタジィだ(←こらこら!)。

2010/09/03 ニライカナイ、モノモライ、ナオラナイ

今日は仕事が終わったら長野へ行く予定。結婚後の親戚巡りというやつだ。スーツケースをごろごろと引っ張りながらの通勤。

昨日、ずるっこ休み(注:ちぃ子談)をしたので、仕事がさぞ溜まっていることだろうなあと思うと憂鬱だ。

結婚式も終わり、ハネムーンも終わって、ようやく落ち着いてきたので、これから親戚巡りが始まる。先週は山梨のおじいさん&おばあさんの家を訪問してきた。山梨はボクの側の親戚なので、まあ、気は楽だったんだけど、今回はちぃ子のおじさん&おばさん、おじいさん&おばあさんなので、ちょっと緊張。まあ、がんばるよ。

……それにしても、モノモライがまだナオラナイ。この眼で挨拶って嫌だなあ。

2010/09/02 我が家も遂に、ブルー・レイ

本日は隊長さんは婦長さん。ということで、体調不調により仕事を休む。家でごろごろしながら『RAVE』なんかを読んでいたりする。ちぃ子(妻です!)に言わせると「ずるっこ休み」らしい。そんなことはないゾ。断じて。だって、体温が35℃になったり、37℃になったり、一定しないんだもん。完全にイカれてしまった。

* * *

新居に引っ越してからずぅっと購入できずにいたブルー・レイ。だって、すごく高いんだもんね。

でも、ようやく先々週、重い腰をあげて買ってきた。何しろ、結婚式に先駆けてうっかりキャノンのハイビジョン・ビデオ・カメラなんかを買ってしまって、これがなかなか不便だったのだ。簡単にパソコンで見られない。ハイビジョンに対応した動画編集ソフトがあんまりないのだ。だから、ビデオ・カメラをテレビに繋いで見るしかない。メディア媒体にして誰かにプレゼントすることができなかったのだ。せっかくキレイに撮ったのにDVDに画質を下げるんじゃ意味ないもの。

で、ブルー・レイを買って、本日、セッティングを完了したので、ようやくビデオ・カメラの内蔵HDDを整理できそうな感じだ。ギリシア旅行も映像もブルーレイ・ディスクに落とせそうだ。しめしめ。

* * *

物忘れ防止の秘訣。何がを思い出せずにいるとき、大丈夫、自分は思い出せる。そう信じることだ。そうすれば思い出せる。要するに、自己暗示が肝要だ。

2010/09/01 blogにてご挨拶

(以下、blogから転載してきた)

いろいろ考えて、ようやくひとつの結論に達した。「日々の雑記」はblogに移行する。それがベストなウェイだ。

実は、毎回、blogを始めてはやめてきたボクがいる。ある程度、htmlで抵抗なくテキストが書けてしまうと、やっぱりその方が自由だし、コントロールしやすい。ウェブサイトとの統一感も出せる。だから、ついつい「日々の雑記」もタグ打ちを採用してしまう。でも、さすがにタグ打ちはPCじゃないと苦しいところがあって、ちょっとした空き時間にちょろちょろ、といじくれない。結果として、更新ペースが悪くなる。悪くなるとタイミングを逃して、ずるずると雑記を書かなくなる。このヴィシャス・スパイラルに陥るわけだ。それは回避したい。やる以上は定期的に更新したい。

そういうわけで、8月の間、悶々と悩んでいたんだけど、9月になったらblogを始めようと決断をした。

こうして9月1日になったので、blogを開始してみようと思う。でも、書いたとしても日々の瑣事だ。誰かに期待されても応えない。ボク自身が書きたいものを綴るだけ。それでもいいよ、という身近な人に向けて、細々と発信する予定だ。そう決めた。