《過去の雑記》

過去の雑記246件から265件までを掲載しています。

2013/05/05 似顔絵。

自家製燻製を持参して実家へ帰る。妹君から『リンカーン』で話題沸騰中(?)のヨナナス・メーカをもらった。凍らせたフルーツを回転する刃でガリガリとシャーベットにする機械だ。フルーツの持つ繊維質の所為なのか、完全なシャーベットにはならない。特にバナナを加えると、アイス状になって出てくるのだ。

あ、そうそう。妹の結婚式を記念して、家族の似顔絵をお願いしていたらしい。家族みんな、自分だけ似ていないと大ブーイングだ。ボクとしては、ボクも含めてだけど、全員、そっくりに見える。客観的に物事を捉えなきゃいけないよなあ。あっはっは。

みんなそっくり!?
みんなそっくり!?

2013/05/04 集中とアラーム、そして集中……

本日は悠々、燻製時間。でも、ちょっとアクシデント。燻製卵を作ろうと思ったら、新鮮過ぎたらしい。殻が全ッ然、?けないの。結局、12個?き終わって時計を見たら、2時間近く掛っていた。卵の殻を?くのに、一体、どれだけの時間掛けているんだよッ。吃驚仰天だ。

それからモクモクと燻製時間。タイマで30分くらいの時間を設定して、様子を見に行く。これがいい。30分区切りでファンタジィ事典の項目を作成したり、雑記を書いたり、部屋の片づけをしたり……。ちょうどいい区切りで仕事ができる。

人間の集中力は30分くらいなので、その都度、集中している作業から引き戻されて、燻製の様子を確認して、それからまた集中する。このフレームワークがものすごくボクを集中させてくれるよなあ、と思っている。

2013/05/03 模倣できるものとできないものがある!?

今日もヒップホップ教室だ。ゴールデン・ウィークに入ったからかな。集まる人が少ない。いっつもは後ろの方で隠れるようにして踊っているんだけど、今日は必然的、前の方で踊ることになる。先生の目にもとまるので個人指導を受けることに。うーん、これはこれで素敵!?

今日は知らない女性が来た。「1年振りくらいに来てみた!」みたいな話をしていたけれど、非常にうまい。もしかしたら、常連メンバの中でダントツにうまいかもしれない。キビキビしている。動くところと止まるところのメリハリがあって、動線もキレイだ。

実のところ、先生のダンスってあまりにもうますぎてお手本にしにくいのだ。首や肩、胸、腰、手、足……。身体のパーツが意思を持って個々にバラバラに動くので、とっても真似できない。それに比べると、非常に教科書的な動き方をするこの女性のダンスだったら、何だか真似できそうだな、と思ったので、今日はずぅっと鏡越しに眺めながら踊っていた。だから、彼女、ずぅっと変な視線を感じていたかもしれない。うふふ。こらこら。

2013/05/02 図書館は万能ではない!?

図書館に本を返却。いろんな本が読みたい読みたいと思いながら、実は読めずに溜まっている。予約したいリストだけでも大量にあって、でも、消化するペースの方が遅いので、大変だ。

中岡俊哉さんの「超能力」とか「UFO」に関する本を読んでみたいなあ。昭和のケレン味を堪能したい。でも、横浜市の図書館には置いていないようだ。図書館って、大抵、何でもあるものだ、と思っていたけれど、意外と置いていない本も多いのだ、と最近、気がついた。佐藤有文の妖怪本も置いてないしなあ。

いずれの本も絶版になっているので、是非、手に入れて読んでみたいんだけど、云万円という単位で取引されているので、とても手が出せないのだ。……まあ、図書館に置いておいても盗まれちゃうかもしれないなあ。

2013/05/01 富士山とパエージャ

富士山が世界遺産になる見込みが強まったらしい。その結果、富士急行の株価が高騰したのだとか。日本人はホント、一喜一憂の国民だな、と思う。

それにしても、富士山って、結構、どこからでも見えるような気がする。横浜からも見える。ボクが今住んでいるアパートのベランダからも、晴天のときにはくっきりと富士山が見える。

我が家から見る富士山
我が家から見る富士山

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昨日のスペイン料理のお写真。

スペイン料理屋にて
スペイン料理屋にて

パエージャ
パエージャ

2013/04/30 生誕祭

本日は八朔シータ生誕32周年……などと大仰に書いてみると立派に見えるから不思議だ。昔っから民族料理に興味があって、ギリシア料理、トルコ料理、タイ料理、韓国料理……といろいろと食べてきたので、本日は前から狙いを定めていたスペイン料理にチャレンヂだ。

スペイン料理といえば「パエリア」が有名だけど、ウェブサイトには「パエージャ」と書いてある。カタカナ発音にすると、「パエージャ」に近いのかな、と思ってgoogle先生に発音させてみたけれど、「パエーリャ」でもいいかな、という感じの発音だ。まあ、いいや。「パエージャ」ね。「パエージャ」。楽しみだなあ。

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横浜でカラスの大量死。ちょうど関内の辺りっぽい。一時は鳥インフルの影響ではないか、と言われていて心配した。でも、毒物かもしれない。カラスって、嫌われ者だからなあ。ゴミ漁りをしているせいだ。

でも、大昔の日本じゃ、八咫烏(ヤタガラス)として、神さまの遣いだった。北欧神話のオージンは2匹のワタリガラスを飼っている。フギンとムニンで、彼らは世界各地を飛び回って情報をオージンの元へと持ってくる。古代ギリシアでも、カラスはアポッローンの聖鳥である。ケルト神話では邪悪で、戦の女神は漆黒のカラスで描かれる。この両極端なイメージはどこから来るのかなあ。

2013/04/29 ワクワクのイタリアン!?

本格イタリアンを始めて1年とちょっとになる。ボクが参考にしている料理本には、しばしば落合シェフが登場する。特にサルサ・ポモドーロ(トマト・ソース)の基本レシピなんて、落合シェフが監修しているものを愛用している。

落合シェフのパスタ
落合シェフのパスタ

最近、レトルト食品に、落合シェフ監修のものがあって、興味本位で買ってきてつくってみている。ボンゴレなら、ちゃんと具財にアサリが入っているし、ナスのポモドーロなら、ナスやトマトが入っている。しかも、パセリやチーズみたいな後から振り掛けるような小物も準備されているので、ワクワク感が半端ない。

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マリオカートWiiでMiiが使えるようになった。100CCのスペシャルカップを優勝したのだ。えっへん。意外とレインボー・ロードが大変で、必死になってプレイしてしまった。それにしても、コースを自分のアバターが走るという感覚は不思議だ。面白いなあ。最近、アメーバピグなんかでアバターを使うのに慣れてしまったけど、マリオカートのコースを走っているのを眺めるのは、何というか、また別の感慨がある。

2013/04/28 生首通販!?

鳥居みゆきのDVD『狂宴封鎖的世界「方舟」』が届いたので観た。グロさ爆発だ。いろんな意味でスレスレ。いや、アウトかな、と思う。

のっけから凄惨な死体解体シーン。バス・ルームの中で、血塗れの鳥居みゆきが、妙にリアルな死体をノコギリで切り刻む。血飛沫。切り落とされた腕。頭部。過去の『狂宴封鎖的世界』でも凄惨な映像は使われていた。でも、この凄惨さは圧倒的だ。思わず目を覆ってしまう。

その後も危ない。麻原彰晃とオウム真理教をパロディにした「教祖」と「アーク真言教」が登場して騒動を起こしていく。彼らは原子力で方舟(アーク)を動かしている。そして原子炉からは放射性物質が溢れ出していく……。

……って、こらこら。もう、ね。やりたい放題だ。鳥居みゆき、やりたい放題。DVD化が一度、頓挫したのも頷ける。この内容は、結構、アブい。でも、結構、考えさせられる。方舟に積んだ食糧が底をつく中、一人で生き残ろうとする「教祖」は信者たちに「死ね!」と命じ、対する鳥居みゆきは「生きる! みんなを守る!」と叫ぶ。けれども、方舟の乗員たちは食べ物の奪い合いを始め、鳥居みゆきは絶望の果てに……。

……そんなわけで、ものすごいテンションがだだ下がるというハイテンションに打ちのめされている。ふふふ。DVDはコンテンツ・リーグでの限定販売である。是非、この機会に。そしてお笑い評論の天才・ラリー遠田のレビューが秀逸なので、それも是非是非。以下のリンクをクリック、クリック!!

⇒ 鳥居みゆき単独ライブ 狂宴封鎖的世界「方舟」 ≪ CONTENTS LEAGUE

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レモンカードを作ってみた。レモン汁30g、砂糖80g、バター100g、それに卵黄1個をグツグツと弱火で煮てみた。まあ、材料から想像ができるように、レモンの風味がするシュガー・バターみたいな感じ。でも、それをトーストに塗ると格別の味がする。

ビバ、レモンカード!!
ビバ、レモンカード!!

しばらくはこれで楽しい食パン・ライフが送れそうである。

2013/04/27 目玉焼きパン!?

本日の朝ごはん。いつもはパン焼き機で焼いたパンなんだけど、今日は珍しく市販のパン。ちぃ子が具合が悪いのだ。それでも、ちょっとひと工夫。こういう手間を惜しまないことが、素敵な生活を築くのだ、と信じている。

目玉焼きパン
目玉焼きパン

マヨネーズって、トースターで焼くと、何とも不思議な香りになる。そこが素敵だ。そして、マヨネーズの土手を作って、卵を半熟にする。トースター1つで作れるので、ボクは結構、この目玉焼きパンが気に入っている。

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久々にCDの棚からOrphanageのalbumを持ってくる。男女のヴォーカルで構成された典型的なゴシック・メタル。たまにはこういう過激な音楽を聴いて気分を盛り上げる。リズム隊の激しい動きがダイナミックで、宗教的なハーモニーが快感を呼ぶ。何も考えなくてもいいような感じがして、何ともいい気分。はっはっは。

2013/04/26 大らかに。

巷では「Facebook上で児童を嘲笑した教師」が騒動になっている。うーん。「24か25回目のお誕生日すてきなすてきな日になりますように」というカードに「24か25って。雑なバースデーカードに笑ってしまった」と書く。騒動になるようなことなのだろうか。うーん。うーん。

まあ、何でもかんでもFacebookにアップするなよ、という戒めなのかもしれないし、生徒の創作物を写真で撮影して公開するのはどうなのよ、とかそういうことなのかもしれないし、「雑」という表現は不適切じゃないかとか、そういう指摘もあるのかもしれないけれど、ボクからすれば、別に生徒をからかうような表現だ、とは思えないし、騒動になるほど大きな問題とも思えない。

もっとみんなが大らかに生きられればいいのになあ(遠望)。

2013/04/25 時間感覚。

最近、後輩氏に「これから議事録つくるから。1時間待っていて!」とか「今から会議資料2時間でつくるから、その後チェックして!」とか、時間を明示するようにしている。そして「ごめん、10分遅くなった!」「約束より5分早く出来たぜー」などと言いながら、資料を確認してもらっている。

時間感覚って大切で、どうも、彼はその辺の感覚がゆるい。考え込んで、時間をかける。だけど、そんなことを責めたって仕方がないので、まずはボクが見本を見せるぞ、というわけ。議事録なんて1時間でつくるものだよ、というのを、目の前でしっかりと見せつけてやる。この繰り返しが、きっとボディ・ブローのように効いてくることだろう。

……なんてやっていたら、ボク自身の仕事のスピードが飛躍的に上がった、というオマケ効果がついてきた(笑)。

2013/04/24 ちゃんと自分で判断する、ということも技術である。

『アル=クルアーン』って結構、過激だ、と思う。「迫害されたらやり返せ!」とか「不当な仕打ちをされたらやり返せ!」とか、穏やかじゃない言葉が並ぶ。不敬虔な人間に対しても辛辣で、「将来、地獄の業火で燃やされる」とか書いてあって、結構、『アル=クルアーン』って怖い。だからこそ、信じる人には強烈な「聖典」になるんだろう。信じる者は救われて、信じない者は地獄行きなのだ。ボクはイスラームじゃない。それでも、『アル=クルアーン』を読んでいると、ものすごく迫力があって怖い。この恐怖感、信者にとってはもっともっと強烈だろう。そんなことを思うこの頃。

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現場から頻繁に指示や判断を仰ぐような電話があって、次々に対応していたら、先輩から「君はやさしいねえ」と言われた。「俺だったらブチ切れているよ」と。そんなことでいちいち指示を求めるな。判断を仰ぐな。現場で考えろ。そんなことまでこっちで考えることじゃない。現場の領分だろう。そういうことだ。まあ、ね。ボクもそう思う。でも、ボクはそういう問い合わせに対して無下に切ることが出来ない。ボクは昔っから優しいのよ。

……というわけではなくって。実は今、我が社は技術継承がうまく行っていない、と思っている。本当は自分で判断しなきゃいけない技術的な問題とかも、解決方法が分からなくなって困っている人が多い。それに加えて、人間関係をうまく構築できない若者も案外、多くって、仕事のプロセスとか責任分界点とか、要領みたいなものも、誰にどうやって訊いて対応したらいいのかよく分からなくなってしまっている。その辺のサポートも、ちゃんとやってあげなきゃいけないな、と思っている。それが「ちゃんと自分で判断できる人間」の役目だ、とボクは認識している。

でもさー。そういう雰囲気とか体質とかをいちいち正していくのって結構、大変で、ゆるゆるとやらなきゃいけないよなあ、と思っている。どっちにしても「ちゃんと自分で判断できる人間」が冷たく接したって、事態は好転していかないのだ。

2013/04/23 激おこぷんぷん丸

最近、張り切って仕事をしているなあ、と思う。自分で自分を褒めてあげられる。でも、あんまり調子に乗らないようにしないと。最近、自分の判断でいろいろと出来ちゃうので、怖い気もする。

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「激おこぷんぷん丸」とか「ガチしょんぼり沈殿丸」という言葉が流行しているらしい。まあ、実際、雑誌や特集で言うところの『流行っている』というのは、ほんの一部で盛り上がっている、ということなんだろうけど、それにしても、語感がいいな、という感じはして、素敵だ。「ちょっと! 今日中にやっておいてって言ったじゃん! 激おこぷんぷん丸だよ!」って言うと、何だかまろやかな感じがして、怒っているのかジョークなのかが不明瞭になる。本当に相手に怒りの気持ちを伝えたいときには不向きだけど、自分の怒りをどこかに発散させたいときには有効な手段だ、と思う。誰も傷つかない。怒りの感情は吐き出されて、霧散して、和やかな会話が続く。そんな感じがする。多分、そういうニーズの中で生まれてきた言葉なんだろう。まさに衝突を避ける若者、という感じである。

参考:ネット王子

2013/04/22 プロフェッショナル

唐突だけど、思い切って家を買うことにした。

それにしても、プロフェッショナルな人というのは流石だな、と思う。ちぃ子のおとんは設計士さん。土地だけで、まだ建物は立っていない場所だったりしても、図面と土地の形から、建物の立面図がイメージが出来るらしい。日差しの入り方とか、景色の見え方なんかも想像できるようだ。土地の写真と図面を送付したら、電話でいろいろとアドバイスをくれた。話を聞いて、だんだんとボクも立面図がイメージできるようになってくるし、ベランダからの景観とか、窓への日差しがイメージできるようになる。そういう諸条件が理解できた上で、ここにしよう、と決断した。いろんなアドバイスによって、背中を押してもらえた感じだ。ボクとちぃ子で選んでいたら、全ッ然、違うところに決めていただろうなあ、と思うと恐ろしい限りだ。

この土地を購入!?
この土地を購入!?

2013/04/21 3F

どうやら、ボクは3階建ての住居が好きらしい。あっちこっち回って、いろんな家を見たけれど、3階建ての住居に心惹かれた。それぞれの居住空間をある程度、階段でセパレートできるので、その距離感みたいなものがちょうどいいかな、と思った。

住宅メーカさんによると、3階建てって意外と敬遠されるらしい。その意味が分かりかねたので、理由を訊いた。どうも、隣接住宅との距離が近いこと(1件分の土地に2件分譲することが多いので!)と階段による上下移動が大変なことが挙げられるらしい。へぇ。

ボクは今、アパートに住んでいるので、それに比べれば、隣人との距離感は今よりもよくなる。それに隣りよりも上下の住民(特に下の階の人!)に気を使ってしまうので、それから比べると、全然、このくらいの近接感というか、圧迫感は気にならない。ボクの場合、アパートやマンションが嫌なのは、この上下の住民たちである。隣接する住人って、今まであんまり気にしたことないなあ。

上下移動については、老後にちょっと心配が残るかな、とは思う。でも、ボクとしては老後まで住むつもりはないので、それはおいおい考えていけばいい、と思っている。そういう意味じゃ、3階建ては狙い目かもしれない。

2013/04/20 軽妙であっても、軽薄ではない。

『ここに死体を捨てないでください!』(著:東川篤哉,光文社文庫)を読んだ。随分、大胆なトリックだ(まあ、東川さんのトリックはいつだって大胆だけど!)。それにしても、今回の作品はちょっとイレギュラだ。

あらすじ:「死んじゃった……あたしが殺したの」有坂香織は、妹の部屋で見知らぬ女性の死体に遭遇する。動揺のあまり逃亡してしまった妹から連絡があったのだ。彼女のかわりに、事件を隠蔽しようとする香織だが、死体があってはどうにもならない。どこかに捨てなきゃ。誰にも知られないようにこっそりと。そのためには協力してくれる人と、死体を隠す入れ物がいる。考えあぐねて、窓から外を眺めた香織は、うってつけの人物をみつけたのであった……。会ったばかりの男女が、奇妙なドライブに出かけた。……クルマに死体を積み込んで。烏賊川市周辺で、ふたたび起こる珍奇な事件! 探偵は事件を解決できるのか? それとも、邪魔をするのか? 驚天動地のカタルシス。

というわけで、東川さんお得意の群像劇的な雰囲気は相変わらずで、地の文の主人公たちはころころと入れ替わる。その主人公のうち、有坂香織は「追われる立場」の人間だ。あらすじのとおり、彼女は「死体遺棄」という犯罪に手を染めてしまっているので、常に追われている緊迫感がある。でも、捨てたはずの遺体がなくなっているというトリッキィな展開で「謎を解く立場」でも参戦する。そういう意味で、ちょっと面白いし、「追われる立場」のシリアスっぷりがイレギュラだな、と思う。

「驚天動地のカタルシス」というのは、全く以ってその通りだな、と思う。


『ここに死体を捨てないでください!』(著:東川篤哉,光文社文庫,2012年)

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ボクは常々、ギャグは上品になるか下品になるかのいずれかだ、と思っている。下品というのは必ずしも下ネタのようなものを意味しているのではなくって、とっ散らかっているとか、シャープじゃないとか、そんなイメージだ。例えば、芸人さんが漫才をやっている。リアリティからは逸脱したキャラクタがいて、どんどん世界観がぶっ飛んでいく。でも、どれだけリアリティがなくなって、どれだけぶっ壊れてても、許容できてしまうぶっ壊れ方と、「それはないだろう!」と思って冷めてしまうぶっ壊れ方があって、それが上品か下品かの違いだ。キャラクタ芸人には下品だな、と思う人が多くって、でも、同じ壊れ方をしていても、許容できてしまう場合もある。その辺は絶妙なバランスがある。

そういうのを、どういう風に表現したらいいのかよく分からないなあ、と思っていたら、石持浅海さんがうまい表現をしていたので引用する。

「軽妙であっても、軽薄ではない。常軌を逸してはいても、カオス状態ではない」

ああ、それだ。そう思った。上記の文章はギャグに対して書いているものだけど、でも、多分、ギャグだけの話ではない。音楽でも、騒音になるか、音楽になるかの騒々しい音楽だった場合に、こういう感じがピッタリなのだ、と思う。それって、結構、難しいことで、そのバランス感覚とか、嗅覚みたいなものが求められるんだろうなあ。ボクは、この辺のギリギリのところが結構、好きで、もうちょっと踏み込んだら成立しなくなっちゃうくらいの感覚のところでピーン、と張り詰められている緊張感が好きだったりする。

まあ、ボクの場合、そのギリギリラインを狙って、ハミ出しちゃって、うまく行かないことの方が多い。

2013/04/19 仕事あるある

本日は大いにトラブった。折角積み上げて作った資料が、某所からの情報提供でご破算。これは如何ともしがたい。社内全部を巻き込んでの大騒動になりかねなかったし、上層部はみんな大きな会議で不在だったので、初めて自分だけで決断してどんどん作業を進めて、事後承諾という形を採った。ちょっとスリリング。ドキドキした。でも、結局、大騒動なのは間違いなくって、こういう報告されない埋もれた重大情報をどうやって吸い上げて、処理してあげるか、真剣に考えてあげなきゃいけないなあ、と思った。

意思決定された情報がオープンになることも大事だけど、意思決定される以前の検討段階で情報がオープンになることが重要だよなあ、と思う。未確定で不確実でも、そこで一度でも情報がオープンにされて、みんなで議論できるタイミングがあれば、対処できる課題が発見されて、解決できることがたくさんある。特に技術屋さんは事務屋さんの手続きや意思決定プロセスが分からないし、事務屋さんには技術屋さんの検討内容の技術的な制約が分からない。その狭間で、小さな専門部会みたいなところだけで勝手に意思決定してから情報をオープンにされると、実は、ご破算になる、という場合がある。

最近、そういう制度上の認識不足で発生する問題が多い。綱渡り的に対応できているからいいものの、いつか、どこかの瞬間で綱渡りでは渡れなくなったときに、本当の意味で取り返しがつかなくなる。だから、戦々恐々である。

……みたいな仕事の話を大真面目に書いても面白くないんだけど、でも、まあ、分かる人には分かるあるあるなので、そういう人がニヤリ、として読んでくれればいいと思う。

2013/04/18 ホモサピエンスはやって来ない!?

新人がやって来た。もちろん、ネアンデルタール人の世界にホモ・サピエンス・サピエンスがやって来たよ、という意味ではない(当たり前!)。

新人がやって来た。そして、新人類はやって来なかった(ちょっと古いか?)。

……まあ、そんなわけで、比較的、まともな新人がやって来た。プチKYでヲタっぽいところを除けば、ハキハキしているし、動きも俊敏だし、会話の切り返しも上手い。

何よりも安心できるなあ、と思ったのは、仕事の順番を本能的に分かっているところ。指示を仰ぐとか、相談するとか、何かを頼むとか、とにかく第三者を巻き込む行為を真っ先に片付けて、それから個人で進められる業務を進めている。最近、そういう嗅覚が弱い人がいて、目の前の個人的な仕事に真っ先に着手する。

一見すると、個人で完結できてしまうので、楽チンに思える。でも、それは大きな間違いである。相手には相手のペースがあるし、タイミングがあるので、思ったとおりに動いてくれるかは分からない。それに何かを頼むのなら、極力、相手が作業できる時間を確保してやらないといけない。だから、第三者が絡むところは優先的にやっつけておかないと、後になって時間の計算が狂って、苦しくなる。基本的に、自分だけでコントロールできるところは一番、楽チンなのだ。楽チンなことから始めたら、ダメ。

そういう意味じゃ、その辺の感覚みたいなところはしっかりしているらしい。これは、後輩としては珍しいタイプなので、ボクとしては大いに安心できている。実は心の中の半分くらいは「ゆとりの化け物」がやって来ることを覚悟をしていた。ほっとする。いや、ホントに。

2013/04/17 例示すると品が下がる!?

森博嗣の『人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか』を読む。客観的あるいは抽象的な思考方法について書いた挑戦的な本だ。

分かりやすさで言えば、森博嗣の本の中ではダントツに分かりやすい体裁をとっている。その代わり、あんまり上品ではないかもしれない。例示すると品が下がる、と記述してあるが、本当にそのとおりだな、というのを地で行っている感じ。ここまで書くか、と思う例もあったりして、読んでいて個人的にはドキドキする。多分、そのドキドキを狙ってあざとくやっているのだろう。それが分かっていても、やっぱりドキドキしてしまう。

何にしても、タイトルからしてスゴイよね。『人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか』だもの。編集者さんが考えたタイトルみたいだけど。


『人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか』(著:森博嗣,新潮新書,2013年)

2013/04/16 真っ黒獣のチェブラーシカ!?

『ビブリア古書堂の事件手帖3~栞子さんと消えない絆~』(著:三上延,メディアワークス文庫,2012年)を読み終わった。『チェブラーシカとなかまたち』を読んでみたくなったし、鎌倉や大船、本郷台や港南台に住みたくなった。そういう不思議な魅力がある本だ。

『ビブリア古書堂の事件手帖』を読むと、作中に登場するいろんな本が読みたくなる効果がある。特に、その作品にまつわる知らなかった情報とか豆知識が魅力的だ。『チェブラーシカ』も、今みたいな耳のでかいお猿みたいなデザインじゃなかったらしい。真っ黒い謎の獣で、狸みたいな尻尾がついていたみたい。googleで検索して、笑ってしまった。それに、ストーリィだけ紹介されると、何となく暗い。だから、読んでみたいな、と思う。しかも、初期のイラストで読んでみたい、と思うのだから、不思議だ。コレクタ精神をくすぐる仕様になっている。

アルフェーフスキー作画のチェブラーシカ挿絵
アルフェーフスキー作画のチェブラーシカ挿絵

ボクも、そういう風に「ああ、読んでみたい!」と思わせられるような読書感想文を書ければいいんだけど、まだまだヘタっぴだ。でも、精進するぞ。


『ビブリア古書堂の事件手帖3 ~栞子さんと消えない絆~』(著:三上延,メディアワークス文庫,2012年)

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