《過去の雑記》

過去の雑記466件から485件までを掲載しています。

2012/09/28 国盗りですじゃ!!

本日は我が社の社長との懇談会。いつから始まった制度なのか分からないけれど、社長が各事業所を回って、1時間くらい現場の担当者と話し合いをする。最初はランチミーティングだったかもしれない。お昼休みに一緒に食事をしながら……みたいなイベント。現在は業務時間内の打ち合わせになっている。

こういうイベントっていいよね。多分、お殿様が庶民のところへ遊びに来た、みたいな感覚だ。社長だって平社員だって同じ人間なんだけど、でも、ただそれだけのことで、社長がすごく身近に感じられる。だから、経営者の戦略としては非常にいい、と思う。

2012/09/27 金星人、地球人、火星人……

火星人と言えば、大抵の人はタコみたいな宇宙人を想像すると思う。大きな頭がふわふわと宙に浮かんでいて、そこから細い触手みたいな脚が申し訳程度にたくさん伸びている感じだ。このタコ型宇宙人のイメージって、あんまり深く考えている人はいないと思うんだけど、実はSF作家のH.G.ウェルズ(H.G.Wells)の描いた火星人のイメージなのだ。それ以降、SF作家たちはウェルズのイメージを踏襲していないんだけど、何故だか「火星人=タコ型宇宙人」という図式は根強く残っているから不思議だ。

最近じゃ、宇宙人といえばグレイみたいなひょろっとしたヒト型のものが多くって辟易するけど、こういうタコ型宇宙人って非常に前時代的で、アメリカの安っぽいSF最盛期の宇宙人って感じがする。古いなあって感じ。タコ型宇宙人が出てきたら、途端に世界がコメディになっちゃう感じがする。でも、相変わらず、こういう宇宙人も描かれて続けている気がする。

ところで、金星人ってどんな姿で想像するだろうか、というのが今回の本題。これは、人によって随分、違うかもしれないし、金星人なんて知らないよ、と思う人もいるかもしれない。

でも、オカルト好きなら、金星人と言えばオーソンだ。有名なコンタクティーといえば、ジョージ・アダムスキー(George Adamski)だ。え? 知らない? 知らない人はよく勉強するように(笑)。アダムスキーは宇宙人と25回も遭遇してコミュニケーションをしている人で、彼によれば、金星人は金髪で美形なのだという。名前はオーソン。金星には地球よりも進んだ高度な文明が築かれていて、テレパシーで心の中を読んでくるという。その後のコンタクティーたちも、金髪美女の宇宙人との遭遇などを語っていく。ハリウッド女優かと見紛うような金髪美女のクリスティーナという金星人の写真なんかも有名だ。

火星と金星は太陽系の中じゃ、地球のお隣さんだ。だから、非常に身近な惑星と言える。一方の火星にはタコ型のグロテスクな怪物のような宇宙人が棲み、一方の金星には高度な文明を持った金髪美形の宇宙人が棲んでいる。地球を挟んで、これだけ格差があるのには、実は思想的な背景がある。大昔のSFの世界観では、太陽系の惑星は太陽に近い側(すなわち内側)から出来上がっていったという思想が根強くあった。だから、地球よりも早く誕生した金星には、地球よりも進んだ文明がある、というわけだ。一方、地球よりも後に出来た火星、木星、土星は未開の地で、タコ型宇宙人とか怪物みたいな宇宙人が棲んでいるものとして描かれる。だから、冒険して、襲われるのである。それに、金星はヴィーナスの星なので、そのイメージも手伝って、金髪碧眼の美女として描かれることが多いというわけだ。

何となく、ね。歴史的な文脈から切り離されて、何となくそんなもんだとイメージを受け入れていることって多々あるんだけど、でも、実はちゃんと調べていくと、その背後には、何らかの文化的価値観や理由、理屈があったりする。ウェルズも、多分、そういう価値観から抜け出せていなくって、火星にタコ型の宇宙人を住まわせたのだろう。

2012/09/26 嵐。

不平や不満って、聞いているだけで疲れるので困ってしまう。出来れば楽しい話、前向きな話を聞いていたいなって思う。だから、楽しい人生を謳歌するためには、周囲の面子って非常に重要だ。ボクは、基本的に楽しい輪っかにしか入らない。前向きで、向上心があって、楽しい話をする輪っかにしか入らない。そうやって生きてきたつもりなんだけど、どうにもならないこともあるよなあ。

そんな風に思いながら、嵐が通り過ぎるのを待つ。

2012/09/25 帰路は爽快!?

本日は仕事の都合で午後からさいたま新都心。行くだけで1時間半、帰るだけでも1時間半。打ち合わせは正味1時間もない。でも、1日が終わってしまう。都市機能の分散とは言うものの、どうなんだろうか。とは言え、まあ、みなとみらい地区も同じ枠組みの中で整備されているので、何とも言えないところか。みなとみらいと幕張は、それでも、まあまあうまく機能しているのではないかな。どうだろう。

往復の間、先輩と二人、ずぅっと電車に揺られていたので、随分、喋った。本音の部分も喋れたし、そういう意味じゃ、良好な人間関係の構築には大きく寄与したので、少なくとも、こういう副産物があったと言えるかもしれない。飲み会の場ではなく、こうやって素面で大真面目に会社の将来について語れるというのも、なかなか得られない体験よね。ふふふ。

そして、何よりも最高なのが、わざわざ出掛けてきた甲斐があったということ。ひとつ、難題が片付きそうだ。二人で爽快な気分で帰ってきたのであったことよ。

2012/09/24 コントロールできるということ

トマト・ソースのパスタがようやく自分のものになってきた。具材の量の調整とか味のアレンヂとかが出来るようになってきた。もう少しトマト・ソースは続けてみようかなと思うけれど、そろそろクリーム・ソース系のパスタとか、オイル系のパスタとかにも挑戦してみたいなあ、と思っている。

イラストも、音楽も、小説もそうだけど、やってみたら出来ないことはない。慣れてきて、コツが分かってくると、自分の好みのものに調整できるようになってくる。そうなると、心から楽しいって思える。

コーヒーも、ドリップだけは、ある程度コントロールできるようになってきた。だから、そろそろ楽しくなってくることだろう。ヒップホップはまだまだ苦痛だ。でも、そのうち慣れてきて、自分である程度、アレンヂできるようになるかな。そうなったら、きっと楽しいって思えるんだろうなあ(遠望)。

2012/09/23 DJ体験レッスン!?

久しく足を運んでいなかったんだけど、気がついたら、アメーバピグにDJを体験できる空間が出来ていた。youtubeと連動していて、自分の好きな音楽を流せる。流した音楽を、みんなで共有できる。選曲のセンスが問われるし、会場の盛り上げも必要で、トークセンスも問われる。その点じゃ、本物のDJと同じだ。まあ、本物のDJの場合はジェスチャとかも使いながら会場を盛り上げていくので、そういうジェスチャ的なものも必要になる。実際、アメーバピグでDJをやっている人も、いろいろなアクションを購入して対応している。

基本的に音楽というのは自分が楽しむために聴く。だけど、それを誰かと共有したいと思う気持ちも、非常にベーシックで分かる。一緒に共感してもらいたいという気持ちとか、自分が発見したマニアックな音楽を紹介したいという気持ちとか、まあ、そんな感覚って、誰にでもあるのだろう。そんな欲求を、ピグ上で吐き出すことができるという寸法だ。

DJブースは4卓しかない。だから4人が順番に流していく。必死になって順番を待つ。必然的に、そうやって待っている間にいろんな楽曲を聴くことになる。だから、DJだけじゃなくって、オーディエンスもちゃんといる空間になっている。そういう意味じゃ、よく出来たシステムだな、と思う。

仮想現実もいろいろな具現化方法があるのだなあ。面白いなあ。よーし、ボクも何か音楽を流してやるぞ。エログロナンセンスなやつでもぶっ放せ(こらこら)。

2012/09/22 説明することって、チープさと一緒だと思うんだ、ボクは。

『再生魔術の女』を観た。鈴木京香の演技にブルブル。東野圭吾ミステリーズは結構、人間の怖い部分を見せられる展開が多かった。「さよならコーチ」のストーカー的な女性とか、「レイコと玲子」の二重人格の女性とか、そして今回の復讐に燃える知略家の女性とか、背筋にすぅっと恐怖が入り込んでくるような感じ。回によってはコメディタッチのドラマも、青春タッチのドラマもあったし、どうにもならない素人っぽい回もあったんだけど、こういう怖い女性を描いた回は大抵、うまく描けている。

あ、そうそう。東野圭吾ミステリーズを観ていてちょっと引っ掛かったことがあったので記述しておこうと思う。「素人っぽい回」とさきほど書いたんだけど、何だか必要以上に説明をする演出家(あるいは脚本家かもしれないけれど)が多いのがすごく気になる。若い作家さんなのかもしれない。演者が思っていること、伝えようとしていることを全部、台詞にしなきゃ気がすまないらしい。そこは役者の演技に任せてしまった方がずぅっとスマートだ。沈黙で、素敵な表情でもあればいいだろうと思うところを、わざわざ書く。書いてしまう。もう、ね。余韻も糞もない。興醒め。全体的に、そういう演出家(あるいは脚本家かもしれないけれど)が何人かいたようだ。

最近の若者は行間が読めないなんて言われる。新垣結衣の「あーもんどーしよう、アーモンドしよう!」というCMの意味が分からないという若者がたくさんいたらしい。バスを降り過ごして「あーもーどうしよう」というつぶやきと、アーモンドチョコでも食べて気分転換しようというつぶやきを掛けた駄洒落なんだけど(って解説している自分がバカバカしくなるんだけど)、でも、こういうのがよく分からないらしい。

「西野カナさんの歌詞は私には難しいです」とコメントしている学生さんも結構、ネット上なんかにはいて、おいおい、と思う。彼女、ストレートな歌詞が「売り」なのだ。それが難しかったら、文学作品、どんだけ難解なんだよって思ったりする。西野カナは、ケータイ世代の歌姫で、ほとんど何の比喩表現も使わないし、捻った文学的な表現もない。「会いたくて会えなくて震える♪」なんてどれだけチープで安直なんだ、と思う(こらこら)。

そんなわけで、ケータイで文章を読む世代とか、漫画しか読まない世代というのは、もしかしたら、全部、分かりやすく書いてあげないといけないのかもしれない。でも、そういう世代にフォーカスして、甘やかした作品を作り続けるのは危険だし、そういう安直な感覚しか持ち合わせない人間をクリエータにしてはいけない、と思う。

ボク自身、世の中が変化することは否定しない。何事も変わっていくものだ。でも、世の中が変質することはすごく怖いことだと思う。

2012/09/21 動画が伝えるリアリティー!?

現場で事故が発生。規模とか影響から考えると大きな事故だ。今日はその対応に追われる。でも、まあ、大事故のわりに、人的な事故に繋がらなくてよかった。

最近はケータイにも録画機能がついているので、現場の状況が生々しく伝わってくる。写真で見るよりも動画で見た方がずぅっとリアルで、緊迫した状況が伝わってくる。音声データがあるというのも、中継してもらえるので、状況が分かりやすい。文明の利器だな、と思う。ケータイはケータイ、カメラはカメラ、と思っていたけれど、こういうときには便利である。

そんなわけで、当然のことだけれど、夜のヒップホップ教室には行けず。ちぃ子が振り付けを覚えてきてくれるとのことなので、それを見様見真似で練習しようと思う。

2012/09/20 AKB48殺人事件(笑)

『AKB48殺人事件』という漫画が店頭に並んでいたので購入してみた。実は……AKB48が好きだ……というのは置いておいて、青山剛昌が原作というところに惹かれたというのが半分、AKB48出演のアイスの実のCMを一度だけちらりと見たことがあって、あの演出に魅せられて、ずぅっと心のどこかに引っ掛かっていたというのが半分。だから漫画を手にとってみた。

ぶっちゃけトークで言えば、何だか同人誌みたいな感じだった。これは、決して貶しているわけではない。同人誌的な面白さがあったということ。何が同人誌的かというと、AKB48のメンバのキャラクタ性や過去のエピソードなんかをモティーフにして遊んでいるところに同人誌的なノリがあって、その点で、ボクとしては非常に面白いな、と思って読んだ。

同人誌の面白いところは、想定される世界観がすでに確立されていて、登場人物たちの性格や過去をすでに読者は了解していて、その上で、独自の解釈やパロディなんかを散りばめていく点。だから、作り手としてはある意味、圧倒的に楽チンだ。魅力的な世界観やキャラクタを考える必要はないし、いろいろな設定を読者に説明する必要もない。作り手と受け手が共通認識を持った上で作品と関わっていくので、すぅっと世界に入っていくことができる。

その意味じゃ、この『AKB48殺人事件』に登場するメンバたちは、AKBINGO!なんかでよく見知ったメンバたちであって、親和性が強い。

でも、テレビCMの方が圧倒的に面白かったかな。短い時間の中で、それぞれのメンバの魅力を凝縮していた。テンポもよかった……かな。


『AKB48殺人事件』(企画・原案:秋元康,漫画:梧桐柾木,原作:青山剛昌,小学館,2012年)

2012/09/19 読み手。

一般的に、議事録を書くことは、新人の大切な業務だ、と言われる。まあ、そうかも。要点をまとめるというのも修行だし、いろんな知識を習得するという点でも有益だ。でも、後輩氏はそれがうまく出来ないようだ。いつも非常に苦戦している。困ったものだな、と思う。結局、ボクの指導が足らない、という結論に行きつくワケなんだけど、でも、価値観とか考え方があまりにも合わないので、なかなか難しいなあ、と感じているこの頃だ。

どうも、後輩氏は情報を離散的に整理をしているらしい。デジタル世代なのかもしれない。ストーリィとして会議を捉えていない。キーワードごとにキレイに分類したり、資料のページごとに中身を整理したりする。あるいはToDoリストみたいに細切れな今後の業務の一覧表が出来上がってきたりする。そりゃー、確かに全部、書いてある。でも、会議の中にあっただろう因果関係とか文脈とかがまるでなくなってしまう。重いも軽いもなく、全てが並列に並んでいて、不思議な感じ。何だろうな。「必要があれば「Ctrl+F」で検索すれば出て来るでしょ」みたいな感覚で書いているような気がする。

うーん。結局のところ、「それを読む人」が想定できていないのかもしれないな。その点をどうやって伝えればいいのか。戦いはまだまだ続く。

2012/09/18 フェイス・トゥ・フェイス・コミュニケーション

現場の担当者と顔と顔を突き合わせての打ち合わせをする。こういう地道な行為が大切らしい。珍しく、ディスカッションは大いに盛り上がった。そして打ち合わせの後に「ありがとう」と言われた。こんなこと、初めてのことだ。

実を言うと、今年のボクの目標はそこにあった。現場と本部とで温度差があるというのが年度当初に上層部で持ち上がっていた我が社の課題だった。アンケート調査をして、例年になく現場と本部で理解し合えていないという。だから、ボクとしては、極力、今年は現場に出向いて、話を聞く機会を設けよう、と年度当初に画策して、これまで本部に足を運んでもらっていた会議の半分を、現場事務所での会議にしてもらった。現場の事務所が3か所あるので、こちらとしては回数が増えるし、移動も伴うので大変だ。でも、そのくらいの誠意はあってもいいじゃないか、と係長に言って了解をもらった。

多分、6月くらいかな。課内で議論したことがある。現場と本部でギャップがあるのは何故か、というテーマだ。それに対して、多くの人が「立場が違うから仕方がない」と答えた。「立場が変われば分かる。だから人事課で人事異動の際に、本部と現場での交流の機会をつくらなきゃ」的な意見が大半を占めていた。でも、ボクはそうは思わない。それは、会社の方針を現場に伝えるという本部に所属するボクらの説明責任を放棄した、無責任な意見だ、と思った。だから、そういう意見が大半を占めていたことがものすごくショックだった。

だから、今年は現場に出向く。そして本部の方針をボクたちが現場の人々に説明する。そして、現場で躓いている課題を教えてもらって、サポートできるところはサポートする。それがボクの今年の目標だった。

そうして9月になった。お互い、顔と顔を突き合わせると、いろんなことを考えているというのが分かり合える。いろんな意見が出て、解決しなきゃいけない課題も見えてくる。そして「久々に調整会議が楽しかった。ありがとう」という言葉に繋がる。現場で会議をするという無謀な挑戦に、多くのメンバを巻き込んだ。係長も巻き込んだ。でも、やってよかったな、と思う。それだけで、もう、ボクの今年のお仕事は充分だろう、と思っている。

2012/09/17 ウェブサイトを始めた頃のボクを懐古する!?

ちぃ子が近所でやっているボランティアのお話会。最近、彼女はそのお話会のウェブサイト作成にご執心。ボクはそれを横で手伝いながら、ウェブサイト作成の基礎に立ち戻る。

大昔、何も知識がないところからスタートして、楽しかったなあ。ワクワクしながらウェブサイトをつくっていた。色んな人が見てくれることを想像しながら、ユーザビリティを考えたり、見せ方を考えたりして、ああでもないこうでもないと悩んだ。それが、とても楽しかった。

まるで、新築の家を建てるみたいな感覚。細部の細部までこだわってつくり込んでいた。今は、もう、自分のウェブサイトは大きくなりすぎて、増築やら改築やらでゴテゴテしている。だから、なかなか全部のディテールまで手が回らない。気に入らないところもありながら、ある程度、割り切って、受け入れながらの運営になっている。

htaccessをイジって404ページを作ってみたり、Photoshopにプラグインを追加してfaviconを作ってみたり、いろいろと遊んだ記憶がどんどん思い出されてきて、何だか懐かしくなった。今でこそ、外部CSSでhtmlのデザインを一括管理したり、Javascriptでメニューをつくったりとか、色々とやっているけど、ウェブサイトを運営しながら、一歩一歩獲得していった知識を注ぎ込んでいたんだなあって思うと、感無量になる。

ちぃ子が、まさに今、その地点に立っている。頑張れ、とエールを送ろうと思う。

2012/09/16 新たな趣味にチャレンヂ!?

燻製にレッツ・トライ。前々から、自宅で燻製が作りたくって、ウズウズしていた。行きつけのお店で店頭に並んでいたので、これ幸いと買ってみた。

燻製機

燻製チーズ、燻製ソーセージ、そして燻製ナッツ。ベランダでモクモクと燻製づくり。チーズはバターみたいな色しているのがビフォア。黄色いのがアフター。ついでに粗挽き胡椒をまぶしたver.もつくってみた。ソーセージも、非常にいい色に仕上がっている。

チーズの燻製 食卓の雰囲気

ナッツは少し焦げた。火に近かったのがいけなかったらしい。なので、ナッツはリベンジしようと思っている。

2012/09/15 セロリの香りが素敵なパスタ!?

チキチキタンタンに2度目の訪問。やっぱり落ち着くお店だな、と思う。多分、今年1番「押し」の店だ、と思う。雰囲気も料理も価格設定も最高。そして、店員さんが活き活きとしている。若々しいショートカットのお婆様が切り盛りしているのが素敵だ。ランチの時間に行くと、毎回、ランチ・メニューが違うので、それもまた楽しみのひとつ、かな。同じものには出会えないけれど、新しい出会いにワクワクする。創作パスタなのだ。今日のパスタはセロリの香りがぷんぷんと香っていておいしかった。

ミートソース系パスタ オイル系パスタ

2012/09/14 ヒップホップが踊れにゃい!?

8月末から始めてみたヒップホップ。でも、今回の教室の先生、すげぇ難しい。ものすごい早いテンポで、小難しいことをさささっとやってみせる。でも、真似するのが大変だ。全ッ然、真似できない。アイソレーションとかステップがある程度、出来ることが前提で、それを組み合わせて踊っていく。だから、とてもじゃないけどついていけない。

半年くらい通っているという仲間たちは、でも、それなりについていっている。テンポ・アップすると型は崩れる。でも、一応、それっぽく踊ってみせる。だから、ボクたちも半年くらいこのレッスンに参加していれば、踊れるようになるのだろうか。基本的にはボクは運痴なので、難しいかもしれない。

そして2、3日は筋肉痛に苛まれるのである。トホホ。

2012/09/13 伸びーるアイス・ドンドゥルマ!?

今日はお付き合い記念日だ。ちぃ子とのお付き合いを開始した日。だから格別何をするというわけでもないけれど、ちょっとおいしいものを食べて、贅沢してもいいかな、と思う。

* * *

ドンドゥルマ(Dondurma)をつくってみた。トルコのアイス・クリームだ。基本的には普通のアイス・クリームの素と同じなんだろう。Wikipediaによれば、サーレップと呼ばれるトルコの高山草の根っこでつくった増粘剤を用いるらしい。だから、非常に粘度が高く、弾力性があって、伸びるアイス・クリームになるのである。

現地ガイドさんは「日本でも簡単につくれる」と言っていた。「ヤギ・ミルクも簡単に手に入る」と言っていた。でも、実際には、なかなかヤギ・ミルクを入手するのが難しかった。ネットでいろいろと通販サイトを探しながら、ようやく見つけたのだ。

トルコのお土産

伸びー……る?

思っていたほどには伸びなかったのは、多分、混ぜが足りないのだろう。でも、凍っていくアイス・クリームを必死で混ぜるのは、なかなか骨が折れるなあ、と思った。サーレップは非常に強力なので、場合によっては喉に詰まることがあるらしい。お正月に餅を喉に詰まらせて死ぬ人がいるけれど、ああいうイメージの食品なのだろうか。うーん。

2012/09/12 ルール

ネットのニュースは、あっちゃんのスキャンダル記事ばっかりだ。正直、どうでもいい、と思う。どうでもいいついでに、大島優子や仲川遥香が合コンに同席していたらしくって、説明を求めるファン(正確にはアンチ・ファンだと思うけど!)が多いらしい。それもどうでもいいや、という感じ。

よく、校則で茶髪禁止とか、ピアス禁止みたいなのがあって、意味が分からない。「どうしてダメなの?」と先生に聞けば、「校則だからだ」って先生は答えるんだろう。校則なんてそんなもんだ。校則そのものに意味があるんじゃない。校則を守ることに意味があるのだ。そんなことを言っても、もはや何が何やら。本末転倒。抱腹絶頂。七転八倒だ。でも、守ることには一定の意味はある。規律を守るというのが、教育の一環なのだ。だから、どうせなら意味のある校則をばちっとつくって遵守させればいいのに、と思う。そういう発信をする人が意外と少ない気がする。

アイドルの恋愛禁止なんて、バカみたいなルールだ、と思う。それでも「鉄の掟」なのだという。どうせ、守れるわけがないのに。何でも、某モーニング娘。には「道重さん、今日もかわいいですね!」と1日1回は言わなきゃいけないというルールがあるらしいけれど、まあ、似たり寄ったりだな、と思う。

ルールを守るのと同じくらいに大切なのは、そのルールの意味を考えることだ。そしてもうひとつ大切なのは、ルールを制定するってこと。もちろん、制定することの裏には廃止するというのもあって、表裏一体だ。適正なルールを制定することと、不必要なルールを廃止して適正なルールに修正すること。この二つが、ルールを守るのと同じくらい大切だと思う。

決めたルールにただただ従順でいることは、バカと同じだ。と声を大にして言いたいときもあるよね。

2012/09/11 血縁

村とか田舎とか血縁とかって、正直、面倒臭い。都会派のボクとしては、そんなものに重きを置いていない。置いていないというか、結局、自分のチカラで生きていくのだ、と自覚している。村社会に守ってもらおうとか、帰属しようという意識はないし、血縁者とは一生、群れていなければならないという意識も希薄だ。もちろん、血縁者は遠くない家族ではあるので、困ったことがあれば助け合う。それはそうだ。でも、それは変なしがらみとか義務感になってボクに圧しかかってくるような類のものではないはずだ。自分の人生は、自分の責任で、自分のチカラで生きなきゃいけない。ひとつひとつの決断は、自分の責任であって、決して、家族の責任ではない。家族のせいにしてはいけない。家族に縛られちゃいけない。

苦しみながらも、必死で村社会に帰属しようとして、親族との絆を守ろうとするのは、どうしてなのだろうなあ。それがなくなれば、ものすごく楽になれるのに。そんな風に思いながらも、でも、価値観というのは人それぞれなので、ボクは何も言わないでいる。何が適切なアドバイスになるのか、よく分からない。切って捨てろとは言わないし、それがベスト・ウェイだとは思わないけれど、そんなに必死になってしがみつかないで、ちょっと離れてみてもいいのではないか、と思う。

ん? 何の話だろうね(笑)?

2012/09/10 境港妖怪検定に申し込んでみる(笑)

本日は午後からお休み。特に理由はない。でも、休みたい気分になった。さすがはブルーマンデー。月曜日から優雅に街へと繰り出す。

思い立って、髪をカットしてみた。ちょっと浮気して、いつも行っているお店ではないところ。何となく。気まぐれだ。たまに、そういうことがあってもいいと思う。変なお店で、合わせ鏡がないとの理由で、iPadで後ろ姿を撮影される。顔は写っていないクセに、どんな顔をして撮影されていればいいのか分からなくて気恥ずかしかった。

家に帰ってからは、何の気なくいつものネットサーフ。そして、偶然、境港妖怪検定のページに辿り着く。その勢いで、申し込んでしまう。合格率は80%前後だ。果たして、無事に合格できるだろうか。世間一般に妖怪好きだと誤解されているボクだけど、でも、実のところ、日本の妖怪には、そんなに詳しくない。ゲゲゲの鬼太郎も見ていないし、日本の古文みたいなものもほとんどノー・チェック。だから、合格できるどうかは、ホント、80%前後というのがいいところだ。でも、世間一般のイメージに応えるためにも、何とか無事に合格して、妖怪検定の認定証をゲットしたいと思う。頑張るゾ。

境港妖怪検定

2012/09/09 両親をご招待!?

我が家に両親をご招待。ボクはいつものパスタを作り、ちぃ子はピッツァを作っておもてなし。来客があるというのは、家中をきれいにするいい動機付けになるので、素敵なことだな、と思う。

実家と我が家、車で1時間くらいの距離かな、と思っていたんだけど、30分くらいで我が家に到着してしまったのにはビックリした。道路が空いていたのかもしれないけれど、予想外に早い到着だったので、パスタが間に合わなくて大慌てだった。

いろんな話をして、楽しいひと時を過ごせたかな、と思う。

パスタとピッツァ

* * *

子供たちは盆暮には家に帰るものだ、というイメージを覆すべく、両親を子供の家に招待するというのはどうか。そんなところから始まった今回のイベントである。ボクなんかはお墓があるわけでもないし、盆暮れのイベントなんかないし、どうでもいいこと。でも、長野で育った彼女は、そんな風習に縛られている両親が嫌なのだという。だから、そのイメージを覆したいとのこと。そんなわけで、今回、我が両親に遊びに来てもらった。これを前例に、長野のご両親のイメチェンを図っていくらしい。

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