《過去の雑記》

過去の雑記46件から65件までを掲載しています。

2013/11/21 丸腰の冒険 ~気づけば毒されて~

昨夜は隣りの課のカラオケ大会にお呼ばれして絶叫してきたよ。声がガラガラだ。そして、歌うことに一所懸命になっていたボクは、どうやらスマホをカラオケ・ボックスに忘れてきたらしい。

本日、無事に回収してきた。でも、一日、スマホがない状態で過ごすのは久し振りだったけれど、何だか無性にそわそわしていた。丸腰というか。依存症だなあ。移動時間とか、もうのすごく手持ち無沙汰になっちゃう。パズドラをやったり、インターネットで調べ物をしたり、英語を聴いたり、音楽を聴いたり。スマホって無意識のうちに結構、利用していたんだなあ、と思う。昼休みだって、コンビビに買い物に出掛けただけで、そわそわ。普段、何気なくスマホで時間を確認しているらしく、気が気じゃない。コンビビのレジにある時計を何度も何度も確認してしまう。

ボクは多分、他の人と違って、スマホで他者と繋がっているという意識は希薄だ。SNSもろくすっぽチェックしないし、ほとんど親しい友人にしか連絡先を教えていないので、ちぃ子や両親、妹みたいな例外を除けば、電話やメールなんて1か月に1回もないだろう。家族関係者以外で頻度が高いのは、佐川急便のお兄さんくらいだ。だから、稀に職場から電話があるとビックリしてしまう。そんなボクなので、誰かから連絡があったらどうしよう、という観点での不安はないんだけど、繋がっている意識の強い人だったら、もっと丸腰感が強いというか、ストレスだろうなあ、と想像する。

そんなわけで、何気なく使っているスマホに毒されていることを自覚した日だった。

2013/11/20 ゼロから歩き出そう

本日は、他の人がつくったPowerPointを自由にアレンヂする作業だ。こういうのって、非常に難しいな、と感じている。自由に発想しているようでいて、既存のデザインとか文章に引っ張られる。しかも自覚できていればいいけれど、無自覚にハマり込んでいく場合があって、怖い。こういうのって、実はファンタジィ事典をつくっているときにも感じることだ。参考にしている本の文章表現に引っ張られることがある。説明の組み立てとかも、無自覚にそういう順番で説明しなきゃいけない、と思い込む。だから、本当は内容を頭に叩き込んだら、真っ更なところから始めた方がいい。

1時間くらいやっていたけれど、埒が明かないと思って、途中からリセット。テンプレートも白紙に戻して、ゼロから作り始める。視覚的にインパクトのあるものにしようとか、難解な表現はなくそうとか、いろいろとこだわっていたら、何だか全然違うものになった。でも、最終的には満足の行く感じに。やっぱり、ゼロから始めるのがいい。

2013/11/19 断面を切ってみる

HeyWhatsThatはgoogle先生と連動して、設定した地点間の断面図をつくってくれるウェブサイト。とても素敵。や、今日はただそれだけ。でも、便利なんだもの、お仕事上。

2013/11/18 ウォーキン・トゥ・ヨコハマ

動員訓練。家から職場まで歩いていく日だ。google先生は「1時間半」と試算したけれど、思っていたよりも信号に引っ掛かったので、1時間45分くらい掛かったかな。でも、幹線道路をほぼ道なりだったので、迷うこともないし、災害発生時にも歩いていける道だろう、と思う。途中、大岡川を何度も横断したし、高速道路の高架を何度も潜(くぐ)った。その辺は、場合によっては通行の支障になるかもしれないけれど、それでも、迂回する道はたくさんありそうだから、大丈夫だろう。

毎年思うことだけど、土地観って、車に乗っていてはなかなか分からないこともあるなあ、と思った。何度も車では通ったことのある場所が多かった。でも、テクテクと歩いてみると、車と徒歩じゃ、ペースが全ッ然、違う。車だとあっという間の世界でも、歩いているので、いろんなものが目に飛び込んでくる。「あ、こんなところに変な店があるなあ」とか、途中、標識を見ながら、「ああ、○○駅ってあっちにあるのか」とか、交差点の名前とか地名とかがどんどん頭の中に入ってくる。車で通るとばびゅん、なので、そこまで覚えられない。重要な交差点や地名くらいしか頭に入らない。通り過ぎてしまう。でも、歩いてみれば、いろんな情報がゆっくりと頭の中に入ってくる。それって、とても大事な情報になり得るな、と思う。

2013/11/17 たまの自由さ

マカロンが届いたよ!! ヤッホー!! 窒素氏の結婚式で貰った引き出物のカタログ・ギフトで、ちぃ子がチョイスしたものだ。やっぱりダロワイヨのマカロンだよね。マカロンはお店によって全ッ然、味も食感も違う。ボクが好きなマカロンはダロワイヨのマカロンとピエスモンテのマカロン。

ダロワイヨのマカロン
ダロワイヨのマカロン

* * *

最近、「たま」のCDを聴いている。カラオケでみんなが知っている歌で面白い歌はないかなあ、と考えていて、「さよなら人類」なんかいいんじゃないか、と思って、それから聴いているんだけど、どうも、最近、amazonなんかで「たま」が取り上げられているらしくって、そういう時期なのかなあ、と思った。

「たま」が好きな人はアングラ好きだとか、目立ちたがり屋だとか、まあ、いろいろな言い方をされるんだけど、でも、この独特の世界観って、まだ誰も越えていない感じがする。くねくねと入り組みながら、あっち行き、こっち行きする自由さって、圧倒的だ。テンポも変わるし、アレンヂもどんどん変わっていくし、不協和音もそっちのけでどんどん進行していく音楽。この自由さって、なかなか得がたい感性で、ボクとしては聴いていて純粋に楽しい、と感じる。この楽しいと感じる感覚。これが最高なのだ。

2013/11/16 今年も雑誌づくりに本格着手だ!!

さてさて。11月も気づけば半ばを過ぎた。そろそろ雑誌づくりを本格的に始めなければならない。12月の初旬には印刷の発注をかけないとお正月に間に合わないのだ。

そんなわけで、本日は写真撮影大会だ。雑誌を飾る写真を順繰り撮影していく。CD紹介コーナの写真やヨナナスを楽しんでいる写真など。洋光台にいたときには撮影ルームをつくっていた。白い壁がなかったので、シーツをぶら下げたり、部屋に日が差さないのでアルミホイルでつくったレフ板に蛍光灯を当てたり、なかなか苦労していた。新しい家は窓が大きく、時間によっては太陽光線がぐいぐいと室内に侵入してくる。壁はどこも真っ白。だから、タイミングさえ合わせれば、いつでもどこでも撮影部屋だ。

今回の雑誌はミャンマー特集にしようかなあ、と画策している。せっかくミャンマーに仕事で派遣されたのだ。そのときの体験なり、ミャンマーの妖怪なりを紹介できればいいかな、と思っている。表紙の原案も出来たし、ね。11月中には完成することだろう。乞うご期待。

2013/11/15 正直に言葉にする習慣

森博嗣の新作、本屋さんで発見。『喜嶋先生の静かな世界』。どうも、10月発売だったらしい。最近、本屋さんに行っていなかったので、全ッ然、気づいていなかった。1か月遅れでのゲットだ。

ボクはまず、この淡白な表紙にフォーリン・ラヴだ。「静かな世界」というタイトルにピッタリ。

そんなわけで感想を書こうと思ったんだけど、ちょっと、あまりに圧倒されて、うまく言葉に出来る気がしない。ボクは森博嗣ってお洒落な会話を楽しんだり、知的な会話を楽しんだりする小説だ、と思っていた。まさかこんなに純文学的なパターンで来るとは。しかも号泣させられるとは。予期しなかった展開にびっくりした。研究でも創作でもいい。何かにひとつのことに夢中になるとはどういうことか。それを文章に起こすとこういうことだな、という感じ。そして、そういう楽しい時間がどこかへ去ってしまう。そういう悲しさを体験して、こんなことではいけない。もっとひたむきに。もっとがむしゃらにならなきゃ。厳しくとも辛くとも、自分の王道を行かなきゃ。そういうエールを送ってもらったような気がする。

ボクの森博嗣のオススメの一冊になった。もし、誰かにオススメの一冊を問われたら、もしかしたら、ボクはこの本を挙げるかもしれない。そのぐらいに圧倒的なパワーがあった。明日から頑張れる。そんな一冊だ。


『喜嶋先生の静かな世界 The Silent World of Dr.Kishima』(著:森博嗣,講談社文庫,2013年)

ちなみに「言葉」について考えさせられた。喜嶋先生は「言葉」にこだわる。たとえば、こんな風だ。

「言葉は、内容がすべてだ」

「怒った顔で話そうが、笑いながら言おうが、言葉の意味とは無関係なんだ」

「普段から、いつも自分の心のまま、考えたまま、正直に言葉にするようにした方がいい。そういう習慣を身につけた方がいい」

「普通の人間は、言葉の内容なんかそっちのけで、言葉に表れる感情を読み取ろうとする。社会ではそれが常識みたいだ」

「人の言葉の意味を理解しているんじゃない。その人が好意を持っているか敵意を持っているかを読み取る」

「言葉より態度を重んじる傾向が強い。心がこももっていない、なんて言うだろう? 何だろうね、心のこもった言葉っていうのは」

彼は言葉の中に感情を含めない。ただただ真実だけを、ロジックだけを述べる。受け取るときもそうだ。そういう姿勢は、きっと揉める。でも、それでもいい、と思えるくらいに潔い。その潔さを、ボクも真似がしたいなあ、と思った。でも、感情的になっちゃうので、難しいよなあ。相手のことを思い遣って、ちょっと誤魔化したりしそうだ。そういうのは、確かに上品ではないかもしれない。正直に言葉にする習慣。とても心に突き刺さる。

2013/11/14 やさしい人種のプログラミング教室。

紗栄子の着物の着方が話題になっているらしい。右前になっていて、それじゃー、死に装束じゃないか、と。

まあ、ボクにとっちゃ、そんなことはどうでもいいんだ。だけど、携帯電話のインカメラって左右反転しちゃうんだね。全ッ然、知らなかったなあ。今まで何気なく使っていたけれど、気づかなかったなあ。むしろ、ボクとしてはニュースのその点に食いついてしまって、自分のiPhoneで自分撮りしてみている(笑)。わあ、ホントだあ。左右反転している。文字とか映り込むと気づいたんだろうけどなあ。

* * *

誰かのためにマクロを組む。これって大きな発想の転換が必要だ。ボクの場合、ボク自身の作業短縮のためだけにマクロを組むことが多い。その場合、他人の使用を前提としないので、ボクだけが使い方を理解して覚えていればいい。でも、組織としての作業短縮を狙ってマクロを組もうとすると、これって、実はすごく大変だ。みんながみんな、マクロの使い手じゃない、という点は大きな課題だ。非マクロ人種でも嫌悪感なく簡単に使えるようにプログラムしてあげなきゃいけない。それに、人によっては、ボクが想定したのとは違う使い方をするかもしれない。そのときに変なエラーに入り込む危険性もある。また、将来的にやりたいことが若干、変わったときに、微修正が利くマクロを組んでおかないと、次の人が応用できなくなってしまう。そういう点で、誰もが普遍的かつ永続的に使えるようなマクロを考えるとなると、これって、そりゃー、ものすごくハードルが高くって、市場の製品ってよく出来ているよなあ、と関心してしまう。

でも、結局、誰かのためにマクロを組むというのは、やさしさなんだよね。他の人の行動とか将来を想定してマクロを組むのだから、それって思い遣りだ。想像力。あるいは他社意識。そして、そういうちょっとしたやさしさって、マクロに表れるものだ。そんな風に思う。

ボクが組んだマクロを見て、先輩が一言。「ああ、ここ。こういう風にしてエラー防止しているんだね。ああ、やさしいねー」。そういうボクの仕掛けに気づいちゃう先輩も、きっとやさしいのだと思う。

2013/11/13 近頃じゃ夕食の話題でさえ仕事に汚染されていて―――

近頃じゃ夕食の話題でさえ仕事に汚染されていて―――。

というわけで、最近、いろいろと考えるわけだ。時間がない中での急な依頼。急な方向転換。不明確な作業依頼。意思決定の甘さと遅さ。そういうのが、結局、後々まで尾を引いて、オーバ・ワークに繋がる。こういうのは非効率だ。そして、そういう業務があまりにも多すぎるこの頃だ。業務改善を目指すなら、まずはそういう会社としてのシステムを見直すことが必要だ。

まあ、ね。ボクも含めて、若い人が増えた。仕事の依頼をする人間の質が落ちてきた、ということなのだろう。想像力も足らないし、思い遣りも足らない。そして、ボクのところに回ってくる時点で、もう、大抵のものは、どうにもならなくなっている。その後始末みたいなものを、毎日、必死になってやっているような感じだ。

願わくば、そういういざこざから離れたところで、平穏に過ごしたい。そのために出来ることを始めよう、と思うよ?

2013/11/12 英語を使える環境があることの幸福。

何度も書く。いい加減にしろ、と言われるかもしれない。でも、昔っから、英語に苦手意識がある。ボク自身、楽天家だし、自信家だから、何でも楽しくやる方だ。苦手意識のあるものって、まあ、運動とお歌くらいのもの。スピーチも得意ではないな、と思っている。でも、こんなに苦手意識のあるものってないよなあ、と思うくらいに英語が苦手だ。

英語が流暢に喋れたら格好いいよなあ、という憧れはある。ファンタジィ事典を作るときに、英語の本で調べ物が出来たら、資料の幅も圧倒的に広がるよなあ、という期待もある。でも、なかなか上達しないなあ、という歯痒さばっかりだ。

ひとつには、単語を知らない、というのがある。単語を覚えよう、と学生時代に勉強しなかった。知らない単語は読めないし、知らない単語は聞けない。それから、やっぱり、日本じゃ英語を使う機会がない、というのが大きい。

今日はアフリカからの研修員に対して研修。もう、ね。むちゃくちゃ緊張した。こんなに緊張する仕事ってないよね。最初っから最後まで英語での講義だ。意外とこういう研修を担当する同僚たちは流暢だったりするので、さらり、と格好良く英語で講義したりする。ボクにもそれを求められている。でも、ダメダメだったなあ。うまく喋れなかった。

でも、こういう英語を使う機会がたくさん転がっている環境というのは、ボクにとっては素晴らしい場が提供されているな、と感じる。非常にありがたいことだ。苦手意識はあるけれど、この環境に無理矢理自分を放り込んで、喰らいついて、それで英語を上達させなきゃいけない。そう思っている。

2013/11/11 「11111108」

職場の同僚のN島さんちの息子さんが産声を上げたらしい。11時8分の出来事。10時間の戦いだったらしい。後3分粘れば、11月11日11時11分だったのになあ、と残念がる職場の一同であった。わははは。

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最近、「リベンジポルノ」が取り沙汰されている。ホント、迷惑な話だよね、リベンジポルノ。昔はインターネットみたいな媒体がなかったから、精々、写真をばら撒くと言っても、学校に貼り出す、みたいな感じだろうか。屋上からばら撒くとか、ドラマとかでよくあったよね。でも、今は違う。うっかり変な写真を残してしまうと、もうあっという間にインターネットを介して全国区だ。もう、こうなっちゃったら「若気の至りだ!」なんて笑って誤魔化せないもんなあ。ホント、嫌な時代になったね、怖い、怖い。上品さを失ったら、人間、ダメだと思うの。多分、ボクたちに必要なのは上品さであって、教育は、その上品さというのを教え込まなきゃいけない。

2013/11/10 いるま嬢から素敵なお手紙

金曜日に部長からもらった夏蜜柑。思ったよりも酸っぱいし、苦い。職場の敷地でつくっている奴で、無農薬なのはいいけれど、まるで手入れしていないので、なかなか大味だ。よーし。やっぱり、ジャムにしよう。そう思って、急遽、マーマレードに予定変更。鍋でぐつぐつやっている。

* * *

いるま嬢の久々の新譜をゲット。今回の楽曲は事前にオンラインで視聴がなかった。いるま嬢曰く、

今回の新譜は手紙というコンセプトに沿ってお楽しみ頂く為に、敢えて試聴は用意しておりません。会場でも聞けません。家に帰って机に向かってレターオープナーで封を切って初めて内容を目に(耳に)する。その体験を大事にしたいと思っています。インターネットもYoutubeもいいけど、自分が昔やってた、好きなアーティストの新譜をワクワクしながら発売日に買って、家に帰ってCDプレイヤーに入れてそこで初めて聞くっていう事を最近やってない気がしたので。んなわけで、さすがに中身は全部手書きの手紙にするわけにはいかなかったけど、全体的に手作り感溢れる仕上がりになりそうです。一つ一つ自分達で封をして、皆様にお届けします。曲にも仕掛けが有るので楽しみにしていて下さい!

とのこと。をを、すっかりアーティストだ(笑)。発売日に会場に行ってCDをゲットできなかったボク。でも「とらのあな」で買って、郵送で送ってもらった。コンセプトどおり、ボクもワクワクしてCDを開封した。

ボクが真っ先に驚いたのは、音よりもジャケット。黒い紙に金色の文字で「Letter」と印字してある。をを、これは特殊印刷ではないか。凝っているなあ。わははは。

音楽はバラエティに富んだ4曲だ。オルゴールから始まって、まるでファンタジィRPGのオープニングのようなオーケストラに繋がっていく。そしてアイルランド民謡のようなギターが流れる。をを。Nemu、素敵。そしているま嬢の歌。すごいなあ。いいなあ。あ、念のため。ウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」は密かにいるま嬢の応援サイトなのである。

梨丘いるまオフィシャル・ウェブサイト

2013/11/09 ウマく描けるかな!?

さてさて。年賀状のシーズンが近づいてきた。馬、馬、馬……。何にしようかなあ。馬の妖怪ってたくさんいるからなあ。ギリシア・ローマ神話のペーガソスも馬だし、中世ヨーロッパ伝承のユニコーンも馬だ。地獄の獄卒の牛頭馬頭の馬頭も馬。ケンタウロスも馬。ケルピーもアッハ・イシュケも馬。ナックラヴィももしかしたら馬かもしれない。馬、馬、馬……。

そんなわけで、ぐるぐると思考を弄りながら、今年のイラストを決めたよ。ふふふ。思い立ったが吉日、ということで、早速、下書きを描き起こしてみる。3枚くらい描いたところで、大体、完成形が見えてきた。いい感じ。ほぼ出来上がった。乞うご期待。

2013/11/08 身も蓋もない言い方をすれば、人間関係が全てだ。

人に愛されるってことは重要だ。「適切な人材がいないかな」と悩んでいるときに「ああ、彼なんかどうだろう」とボクを思い出して呼んで貰える。それって、当たり前のようでいて当たり前のことじゃない。そんなことでいろんな仕事が舞い込んでくる。そりゃー、面倒臭いときもある。でも、そういう繋がりとか人脈みたいなものってとても大切で、お陰様でいろんな経験を積めている。最近、ボクっていろんなことをやっているなあ、と気がついた。全ッ然、ボクの部署がやる仕事じゃない仕事がたくさん舞い込んでくる。そういうひとつひとつが、面倒臭いなあ、と思っていた時期もあったんだけど、そこで経験したことが、今になって、いろいろと実を結んでいる。いろんな発想の根源になっている。意外といろんな知識がボクの中で深く結びついている。何よりも広がった人脈が、新しい人脈を呼び込んでくる。周りを見回して、こういう経験をしている人って、意外と少ないんだなあ、と思ったときに、ああ、あのとき、あの瞬間、あの上司に愛されて、ボクは今、ここにいるのだ、と自覚した。

そんなわけで今日も呼び出されて、あちこち飛び回っている。

2013/11/07 解釈と妄想と創作。

本日は半休したよ。どうも、疲れていたらしい。試しにベッド・インしたらぐっすりと泥のように眠ってしまったよ。はっはっは。最近、風邪っぽかったので、これで治るといいな、と思う。

夕方頃起きだして、ファンタジィ事典の更新作業。最近、北欧神話関連のウェブサイトを運営する人からメールが届いたので、ちょっと、その辺をテコ入れしようかな、と思っていて、テュールとかヘイムダッルみたいな北欧神話の神々の項目を再整理している。北欧神話の場合、ギリシア・ローマ神話みたいにばらばらと原典があるわけじゃないので、原典に忠実にやろうと思うと、意外とやりやすいな、と思った。逆に、これだけ原典が整っているのに、どうしてこんなにもウェブサイト上の情報って歪んでいるのかな、と疑問に思うよね。うーん。

まあ、原典と言っても、ほとんど詩みたいな感じだから、解釈が自由にできる、という点では、ある程度、振れ幅が大きくなる面白さ、みたいなところはある。でも、書いてあることから発展する「解釈」と、何もないところから始まる「妄想」とがあって、後者だと、もう、妄想爆発、みたいな。創作の場合には「妄想」でもいいんだけど、でも、ボクとしてはどうせモティーフとして神話を使うなら「解釈」の範囲内に留めた方がお洒落というか、頭が良さそうな印象があって素敵だ、と思う。ふふふ。

2013/11/06 アイドルとセメント

最近、ウェブのニュース上に「アイドル」と「セメント」って文字が並んでいる。全ッ然、相容れない組み合わせにビックリする。でも、この2つのキーワードでさらり、とニュースになっていて、大問題になっている感じがしないのだから、今の日本って、ちょっと変だよね。「演出の一部で用いたセメントが原因で皮膚疾患等を発症する事態」って、一体、どういう「事態」だったんだろうか。さらり、と説明しているけれど、「セメントをかぶる」という「演出」は、全ッ然、当たり前じゃないし、アイドルとは相容れない。違和感しかない。

昔、「ごっつええ感じ」でタンクローリーから流れ出るセメントを頭からかぶっていたなあ、というのを思い出した。ダチョウ倶楽部もやっていたっけ。でも、それが悪いって話じゃない。エンターテイメントだって、ちゃんと安全の範囲内でやるのだ。これはジョークだよ、嘘っこだよ、本当のセメントじゃないんだよ、というのが分かっていてやっている。お湯だって火傷しない温度だろうし、タランチュラだって毒を抜いてあるはずだ。危ないように見えて、危なくないことがちゃんと保証されている。そういう範囲で楽しむのがエンターテイメントであって、ダウンタウンもダチョウ倶楽部も台本通りというか、お約束というか、ちゃんとエンターテイメントとしてやっている。それが分からない人間が「エンターテイメント」なんてやっちゃいけないのだ。と思う。

2013/11/05 機能向上って何だ!?

「機能」って何だろう。たとえば、テレビの機能は映像を映すこと。じゃ、そのテレビに転倒防止措置を施した場合、そこで向上した転倒防止機能って、テレビの「機能」だろうか。「地震のときにも倒れない」という素敵な機能がテレビに付加された、と考えれば、転倒防止機能だって、立派なテレビの「機能」のひとつだろうか。

たとえば、これが後付けの機能じゃなくって、販売されるときに最初っから付加されている機能だったら、商品の仕様なので「機能」だ、と考えることは受け入れやすい。「地震時に転倒しない安心設計のテレビですよ」という謳い文句がついていたら、この転倒防止機能は、立派なテレビの「機能」になってしまう。

それならば、だ。転倒防止機能に乏しいテレビに対して、転倒防止機能を「後付け」した場合、これはテレビとしての「機能」向上と言えるのだろうか。さてはて。

* * *

どうしてこんな不毛な議論をしているのか、というと、施設の耐震性が「機能」の向上なのかとか、はたまた施設のダウン・サイジングが「機能」の向上なのかとか、お仕事でそんな議論をしている。どちらの場合も、必要なことを必要なだけやるという意味じゃ、何のレベルアップもしていない。でも、耐震性を付加した場合、地震が起こったときにも必要なことをやれる、という点では明らかに機能アップだし、ダウン・サイジングの場合も、それによって効率的な施設(無駄のない施設)になったとすれば、単純に生産原価はアップする。言い換えるなら、燃費のいい施設になるわけだから、やっぱり機能アップのイメージになる。そんな気がする。

2013/11/04 戦略。

戦略を立てるとはどういうことか、を真剣に考えた。や、そんな格好いいことを言って今日の雑記を始めてみたものの、中身としては「パズドラ」についてなんだけどさ(笑)。ずぅっと行き詰っていたんだけど、チーム編成を組み立て直したら、サクサクと先に進めるようになった。愛着のあるキャラクタでパーティを組むよりも、ダンジョンに最適なパーティにした方が、圧倒的に強い。そういうちょっとした変更で攻略できるのだから、ゲームとしてよく出来ている、ということ。そんなわけで、回復役を青に担当してもらって、ボクとしてはドラゴンたちを集めて攻めている。

2013/11/03 悪い友達 in 京都

本日は窒素氏の結婚披露宴 in 京都。京都くんだりまで行って、観光せずに帰るという弾丸日帰りツアーだ。それにしても、研究室の同期、結婚していく率が高いなあ。ジュンジュン、ボク、Tom、そして窒素氏。これでhayaGが続ければパーフェクト、だ。実に安定している。いいね。

それにしても、ぶっ飛んだ二次会だった。あんなにぶっ飛んだ二次会を、まさかあの「糞真面目」が売りみたいな窒素氏の結婚式二次会で見ることが出来るとは!! 何しろ上品で無害の窒素氏。その彼の二次会が、あんなに下品で毒っけたっぷりになるのだから、友人たちって恐ろしいものだ。哀れ窒素氏に乾杯。いやはや、感服した。

友人たち悪ノリ中(笑)
友人たち悪ノリ中(笑)

2013/11/02 引っ越しハガキを発送!!

明日は窒素氏の結婚披露宴。京都だ。朝早いぞ。早く寝なきゃ。

* * *

ようやく引っ越しハガキを印刷することができた。7月に引っ越して、8月、9月、10月……。結局、11月になってしまった。すまん、すまん。引っ越し前からデザイン出来ていたのに、完成は今頃かよって感じだね。でも、年賀状シーズンよりも前に引っ越しのご案内が出来そうでよかった、よかった。内心、ほっとしているボクだ。あっはっは。

引っ越しハガキ
引っ越しハガキ

このデザインの元ネタは……って、説明しなくっても分かるか(笑)。一緒に描いたのはロシアの家妖精ドモヴォーイだったんだけど、何だかうまく描けなかったなあ。もう少し骨ばっていた方がロシアっぽかったかもしれない。毛むくじゃら感もないしね(笑)。でも、暖炉にパンを供えて呼びこむということなので、パンを描いてみた。パンは上手に描けているはずだ(笑)。

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