《過去の雑記》

過去の雑記126件から145件までを掲載しています。

2013/09/02 予襲復讐。

ようやく先月末にテレビが開通したので、最近、だらだらと「MUSIC ON! TV」を視聴している。半年振りにM-ONを見るけれど、大分、ランキングの様相が変わってきた。知らないアイドルもたくさんいるし、知らないアーティストもたくさんいる。でも、ボクが売れるかな、と期待していたアーティストも急成長していたりして、それは単純に嬉しい。こういう音楽も認められるのだな、と安心する。

そうそう。マキシマム・ザ・ホルモンの『予襲復讐』のPVが格好いい。さすが、ホルモン。思わず買おう、と思い立って近所のTSUTAYAに行ったら、3位の棚にブースがあった。でも、売り切れゴメンだった。7月末に発売のはずなのに、まだ売り切れになるんだなあ。最近、雑誌やテレビの露出が増えたから、ボクみたいに今頃になって欲しい、と思う人がたくさんいるんだなあ。

2013/09/01 生命は闇の中にまたたく光だ。

段ボール開封作業は続く。でも、漫画『ナウシカ』が出て来たので、ついつい読んでしまった。いけね、脱線だ。

それにしても、これ以上の漫画って、やっぱりないよなあ、とボクは思う。名作だ。ヴ王もクシャナも最高だし、ユパ様も最高。そして最後に新たなる人類の卵を滅ぼしてしまうナウシカ。人間は清廉の中では生きられない。科学とは何か。生命とは何か。生きるとは何か。宮崎駿の強い哲学を感じる。人間に作られた生命たちが、必死で生きている世界というのが悲しい。そして、清廉な世界では生きられない人間というのも悲しい。でも、それでも生命は「生きる」のだ。

絵も、圧倒的にうまいもんなあ。うねうねした線だけど、白黒でちゃんと絵になっている。色をつけても綺麗。中学生のボクは、宮崎駿の模写をよくしていたなあ。そんなことを思い出した。


『風の谷のナウシカ』(著:宮崎駿,アニメージュコミックス,1987年)

2013/08/31 ほっとした。

本日は昇任試験。で、結果、ダメなものはダメだな、と思い知る。まあ、最初っから、ね。期待はしていない。何しろ、勉強していないのだ。だから、パスできるはずもない。実は、ずぅっと、それがストレスだった。引っ越し業務があったり、経常業務外の仕事で拘束されていたり、ほとんど勉強する時間が取れずにいて、半ば、グロッキーな感じで2週間くらい過ごしていたわけだけど、ずぅっと、今日の試験が頭の片隅にあった。でも、何もできないでいる。そのことに物凄くストレスを感じていた。結果はどうあれ、やっと解放された感じ。ストレス・フリー!!!

ボクは基本的に負けず嫌いなので、受かるつもりなんかなくっても、受ける以上はいい点数をとろう、などと思ってしまう。そのための努力は惜しまない。でも、その「努力」に着手できずにいたことが、実はものすごいストレスだったのだなあ。試験が終わって、ダメだな、と理解して、それから、ようやく、ほっとした。

* * *

本日、テレビとネットが開通。やっと文化人らしい生活になった。LUNA SEAのライブ映像が流れていたよ。懐かしくなる。懐かしいなあ、と思っていたら、知らない曲が次々に流れる。思わず、ネットで検索したら、2012年とか2013年の楽曲だ。おぉ、LUNA SEAって、一夜限りの復活、とライヴをやった後も、実は細々と活動を続けていたのだな。そして、歌、うまくなったなあ。ねちっこさとかナルシスト感がなくなって、シンプルになった。昔、嫌いだった曲も、今の時点で歌うとすごくいい曲。そういうこともあるのだなあ。

2013/08/30 みんな、妖怪が大好きなんだなあ(遠望)

妖怪画展を観るために、そごう美術館へ。展示品の数が圧倒的。そごうの中にこんなに広い美術館があったのだなあ。ちょっと吃驚した。そして、平日なのに、こんなにたくさんのお客さんが押し掛けている。妖怪ファンって、結構、多いのだなあ。真っ赤な髪のロッカーなお姉ちゃんもいれば、井戸端会議を展開するおばさま集団もいれば、カップルでやってきている若い男女もいる。自分のことを棚にあげた言い方になるけれど、結構、不思議なことだ。実は、境港妖怪検定を受検したときにも、驚いたんだよね。受検者に女性人口が多かったし、根暗っぽい感じでもヲタクっぽい感じでもなくって、明るい感じの人が多かったし。まあ、自分のことを棚にあげているわけだけど。

今回の企画展、もともとは福岡市博物館が企画しているもので、日本各地に展開している。解説がこれ以上ないくらいに軽妙。ジョーク交じりというのか。ダジャレだったり、モジりだったり、お遊び感覚満載だ。江戸時代の人々が妖怪に接するような気軽さで作品を解説してくれている。だから、面白く絵を眺められた。でも、解説は至って真っ当だし、揃えてある絵も一級品だ。その辺、よく出来た企画展だなあ、と思う。個人的にはモノホンの『妖怪図巻』を見ることが出来たので、大満足だ。

ひとえに妖怪画と言っても、上手なのと下手なのとあって、クオリティはさまざまだ。落書きみたいな絵もたくさんあるんだけど、でも、それがまたいいんだよね。当時の人々が遊び感覚で描いた、というのがイイ。そして、時を経て、今、こうして展示されている、というのが滑稽ですごく面白い。江戸時代の妖怪はエンタメなのだなあ、と思う。大真面目で、お洒落で、軽妙で……。

一地方の妖怪画
一地方の妖怪画

2013/08/29 言葉の持つパワー、悪い意味の、ね。

最近、いろんなところで「おわコン」って言葉を聞く。明らかにマイナスな要素を含んだ言葉なのだ、ということは分かる。「おわ」が「終わった」なのは分かるんだけど、さ。「コン」が何なのか、全ッ然、分からない。「コン」がつく英単語なんて、たくさんあるから、ね。そんなワケで、google先生にお尋ねしてみる。そうしたら、グーグル先生曰く、「コン」は「コンテンツ」とのこと。へえ。どうやら「終わったコンテンツ」の略らしい。ははー、なるほど。

どうも自分の感覚と合わないものを「おわコン」と呼んで地位を下げようとしているような感覚が蔓延している気がするので、注意しなきゃいけない。よくよく考えなきゃいけない。「おわコン」のレッテルを貼ろうとも、そのコンテンツが売れている以上は、どこかで評価されている。「おわコン」と発言する人にとっては「終わったコンテンツ」であったとしても、どこかで誰かがそれを必要としていて、何らかの価値を見出している、というわけ。そして、案外、「おわコン」発言者は独善的であって、意外と、コンテンツは終わっていなかったりする。結局、「おわコン」発言者側にあるのは、自分の感覚と合致しないという事実だけだ。

新しい言葉が生まれると、なんとなく新しい響きがするし、便利なのでよく使ってしまう。でも、結構、造語って、マイナス要素を覆い隠そうとする傾向がある。直截にバッサリと非難できないので、何となく新しい言葉で評価してしまう。そして、無意識に、無自覚に相手を貶める許容値が低くなる。何となく、言葉に振り回されている。そうならないように、ご用心、というわけだ。

2013/08/28 飲み損ねた。

朝起きて、仕事に行く準備をして、それから朝食を食べて……時計を見たら、いつもよりも10分も早い。ををっ、今日は余裕があるな、と思ってコーヒーでも淹れようといそいそと準備をする。でも、しばらくして気がつく。時計の針が全ッ然、進んでいない。どうやら、ちょうど10分前に時計が止まっていただけだったらしい。危うく遅刻するところだった。そんなこんなで、お陰でコーヒーを一口飲んでの出発だ。勿体無い限り。せっかく、引っ越し後、初めてのコーヒーだったのに。クッソゥ。

2013/08/27 裏技のその先にある裏技。

何事もそうだけど、突き詰めていくと、ある瞬間に、裏技を知ることになる。制度を活用した裏技だ。もちろん、簡単に手を出していい裏技と、そうそう手を出さない方がいい裏技がある。明らかに合法的な裏技と、ちょっとグレーな裏技もある。

大抵の場合、「もう、これ以上の裏技はないよ」と言われる。それなのに、ピンチな状況に陥ると、さらにその裏を行く裏技が登場して助けてくれる。ピンチに追い込まれれば追い込まれるほど、まだあったのか、という裏技が登場するのだ。だから、世の中、何とかなるように出来ている。

それでいて、みんな、なかなか手の内を見せない。いざというときの切り札を隠し持ちながら、「もう、これ以上の裏技はないよ」と嘯くのである。なかなかの曲者揃いだ。

2013/08/26 時系列、画家を軸にした妖怪解説と、幽霊。

「パズドラ」に登場するモンスターでファンタジィ事典を更新するのも一興かもしれないな、と思う。プレイしてすぐの頃は、オリジナル・モンスターが多かった。だから、あんまりそういう発想にはならなかったんだけど、段々、レア・モンスターをゲットできるようになると、神話・伝承をベースにしたモンスターがたくさん登場する。しかも、絵がかわいいので、わくわくする。このわくわく感を、そのまんまファンタジィ事典に移植できないものか。そんなことを考えている。

* * *

妖怪の雑誌をゲット。日本の妖怪に関する本がコンスタントに書店に並ぶ昨今。そんなに妖怪関連書籍って売れているのだろうか。

今回の本は比較的、マニアック。妖怪のひとつひとつの項目の説明は、ありふれた解説になっていて、しかも昭和の妖怪本をベースにしたもの。でも、これは昭和の解釈だよ、とちゃんと注意書きが付してある。そんな構成になっている。面白いのは、妖怪を時系列で整理してみたり、画家の視点で整理してみたりしようという試み。大胆。こういう「軸」に沿った妖怪の紹介もなかなか面白いな、と思う。

後半は「幽霊」になっている。幽霊という切り口で、幽霊画を追いかける。これもなかなか斬新だな、と思う。

『時空旅人別冊 妖怪と幽霊」』(モトチャンプ,2013年)

2013/08/25 さよなら、洋光台。

さよなら、洋光台。

住み慣れた洋光台の部屋に、本日、別れを告げた。部屋の中は空っぽで、がらんとしている。カーテンもなくなってしまったので、太陽光がさんさんと部屋に降り注ぐ。こんなに広い部屋だったのだ、と改めて思う。そして、初めてこの部屋に入って、ここに住もう、と決めたときのことを思い出す。あのときも、家の中は空っぽだったし、太陽光がさんさんと部屋の中に降り注いでいた。これから二人で暮らすのだ。どうやって家具を配置しようか。そんなことをいろいろと考えながら、二人でいろんな家具屋さんを回ったっけ。そんなことを思い出しながら、部屋の中で、号泣した。

* * *

夜は上大岡のビー・バームにてパスタ。ここのパスタはボクが参考にしているパスタの料理本の味に限りなく近い気がする。特にトマト・ソースのレシピの中身が同じなんじゃないか、とまで思うほどに同じ味、色、香り……。だから、研究対象として最適だ、と思っている。この店の料理人は当然、プロフェッショナルなので、ボクが作るとうまくいかない部分も、ちゃんとうまくやっている。ちょっとしたバランスだったり、調理時間だったりするのだろう。その辺を食べ比べながら、ボク自身も料理上手になってやろう、という野心。さてはて。

Bee Balmのパスタ
Bee Balmのパスタ

2013/08/24 直営とアウトソーシング

さあ、引っ越し完了。これからエンジョイ・ライフだ!! ……と思っていたら、最初のトラブルが襲来。NTTの手落ちでネットが開通しなかった。工事業者さんが来て、宅内配線をやってもらったんだけど、そもそもの宅外の大元の回線が開いていなかったらしい。宅内工事が完了したのに、受信できない。結局、工事の請負事業者さんは大元の回線はいじれないので、NTTの本社部隊が大元回線を開いてから、また宅内工事をする、という話になった。

この辺が、アウトソーシングの限界だな、と思う。直営じゃないので、責任分解点を越えられない。や、もちろん、直営でやっていたって、業務の責任分解点はある。餅は餅屋で、担当部署がそれぞれやるんだろうけど、でも、下請けの事業者は、発注主を動かせない。その点は大きく違う。直営だったら、関連部署を呼び出して何とかするだろうけど、請負事業者は、自ら意思決定できないので、また後日になってしまう。

企業にとっての効率と、お客さまにとっての利便性。この2つの軸をどう考えるか。難しいところだなあ、と企業人としてのボクは考えてしまう。

2013/08/23 想像力

新居から初出勤。駅までテクテクと歩く。どこまでも平坦な道。そして駅まで徒歩10分。ああ。素敵過ぎる。超素敵。惜しむらくは、通勤経路が市営地下鉄だ、という点。地下鉄だけあって、電波が悪い。パズドラをやっても、通信が始まるとダウンしてしまう。多分、通勤中にはオンライン小説も読めないだろう。そこは、ちょっと盲点だったなあ。

* * *

さてさて。仕事の話。後輩くんの仕事の段取り術がイマイチだ。基本的に完璧主義で、そのクセひとつの仕事に没頭して他の仕事に手がつかない。だから、いつまで経ってもひとつの仕事が終わらなくって、他のたくさんある仕事が置いて行かれる。しかも完成品しか持ってこないので、軌道修正がままならない。途中で相談してくれれば、いくらでもアドバイス出来るし、変な方向にねじ曲がっていかないようにコントロールできるのに、納得するまでやらないと成果品を見せようとしない。そして、そのタイミングでは、もう手遅れの場合がほとんどだ。

引っ越し作業で2・3日お休みを予定していたボクは、ここでひとつの作戦を考えた。「ボクの途中段階の仕事をそのまんま彼に放り投げてしまおう大作戦」だ。そうすれば、ボクの思考回路が透けて見えるだろうし、作業の途中段階を見ることで、ロジックの組み立て方とか資料の作成方法とかが分かるだろうという思惑だ。

ボクはいつだって、先ずは3割完成形を目指している。いつだって、3割完成形の段階で、ある程度、ゴールが見える形にして作業を終了させて、上司に相談する。そこで指示があって方向転換があるかもしれないし、「それでいいよ」ということなら、そのまま6割完成形に向かって突き進むだけだ。そして再度、方向性を確認した上で微調整して完成。だから、大体、最終的には7割完成形くらいになる。さらに時間と余裕があったなら、そのときには8割完成形や9割完成形を目指す。でも、7割完成形くらいでちょうどいい、と思っている。

そんなわけで、今回は3割完成形をそのまんま彼に渡してお休みに突入した。でも、8割完成形にするために必要なデータとか図表、イメージ図みたいなものは全部、準備した上で、ひとつのフォルダの中に放り込んでおいた。これだけの資料があれば、係長がいろいろと所望しても、すぐに応えられるだろうな、というレベルの資料だ。

そんなわけで、引っ越しを終えて、久々に本日、出社したところ、後輩くんが駆け寄って来る。「すみません。引き継いだ仕事なんですけど、全ッ然、違う形になっちゃいました!」 あれ? 係長のイメージしていた方向性を取り違えていたかな、と心配になって慌てて完成資料を確認したら、ボクの8割完成形のイメージ通りだ。「あれ? 最初っから、こんなイメージじゃなかった?」と言ってみたところでふと気がついた。どうも後輩くんは3割完成形をボクの完成形だと勘違いしているらしいぞ。そして、そこから大幅に変わった、と慌てているらしい。でも、ロジックの組み立ての大枠は変わっていないし、アブストラクトにしたら3割完成形も8割完成形も伝えたい内容は変わらない。大体、ボクが事前に準備してフォルダに放り込んでいた参考資料をいろいろと組み合わせて作っている。係長が「こういう資料にして欲しい」と頼んでくるだろうな、と想定して事前に準備しておいた図表もちゃんと入っているのだから、ボクとしては予想どおり。

ああ、もう。その辺が分かっていないから、ダメなのだ。彼は係長の意図も、ボクの意図も汲めていない。基本的に、想像力が足りない。ボクが同じフォルダの中に全ての資料をぶっこんでおいた優しさに気付いていない。事前にボクが準備しておいた資料の中だけで全ての勝負ができたのだから、先ずはそこに驚いてくれ、と思うよね。彼自身が新規に作った図表なんてひとつもないのだ。必要な資料は全部、ひとつのフォルダの中にあって、あっちこっち資料を探し回ることだってなかったはずだ。全部、ボクの事前準備の中で戦えた。これを想定の範囲内と呼ばずして何と呼ぶのか。そこに衝撃を受けて、それからじわじわと感謝して欲しいところだ。そして、その上で、こうやって先の展開を想像しながら、事前準備をしながら、上司とコミュニケーションしながら仕事を進めていくのだなー、と納得してくれないといけない。それなのに……。

……その辺の空気が読めないところが、かわいい後輩氏。まだまだだな。その辺の感覚、どうやって伝えていくべきかなあ。うーん。

2013/08/22 5回の休憩(笑)

引っ越しだー。両親夫妻、妹夫妻が助っ人にやってきた。とは言え、引っ越しのサカイに運搬作業はお願いしてしまっているので、明確な引っ越し業務って、ほとんどない。仕方がないので、カーテン・レールの取り付けをお願いした。最近、新築の家じゃ、カーテン・レールを付けてくれない。いろんなカーテン・レールがあるので、自由に選択してね、ということらしい。それが「サービス」なのだそうだ。へえ。そんな「サービス」いらないやい。普通のカーテン・レールをつけてくれた方が、ずぅっと楽チンでいい。

カーテン・レールの取り付けが結構、大変そうだった。大体、ツーバイフォー工法なので、壁構造。ほとんど柱がないので、カーテン・レールを固定するための厚い部材がほとんどない。釘を刺しても、スポッ、と突き抜けて抜けてしまう感じ。でも、リフォーム屋さんの杉ちゃんが全部やってくれたので助かった。

それにしても、あの引っ越しのサカイさんも5回の休憩を申し入れてきた。本ばっかりで(本だけで段ボール30箱以上はあった!)、しかも引っ越し前の建物がエレベータなしの4階建てだったから、きっとダウンしてしまったのだろう。恐れ入ったか、我が家の書籍部隊のチカラに!! わっはっは。

2013/08/21 引っ越し前夜祭!!

引っ越し前夜祭。お寿司を注文して、ちぃ子とプチ宴会だ。それにしても、全ッ然、段ボールの梱包作業が終わらない。結局、真夜中の2時くらいまで作業していた。

ギリギリまで使う日用品がばらばらとあって、そういうものの箱詰めが意外と大変だった。それに、引っ越しのサカイさんのために、段ボールを区分けする作業に結構、時間がかかった。適当に箱詰めして、段ボールの側面に「部屋1」「部屋2」と書いていたんだけど、結構な量になってしまったので、同じ部屋に持って行って欲しい段ボールを同じ場所にひとまとめにしたのだ。そして、すぐに開けたい段ボールは手前に置いておく。こうしておけば、そのまんま順番にトラックに積みこんでもらえれば、必然的に必要なものが最初にトラックに搬入されて、最後にトラックから搬出される。そうすれば、部屋の手前側に使用頻度の高い段ボール箱が運ばれてくる。そういうロジックだ。でも、この作業が、結構、大変。広い場所をつくって、そこに段ボールを移動させるので、何度も何度も同じ段ボールを右に左に運んでいる感じ。

でも、これできっと明日は楽チンのハズだ。そう思って段ボールだらけの部屋で眠ろう。明日はいよいよお引っ越し!!

2013/08/20 悲鳴。

引っ越し前前夜。明日1日頑張って、明後日の引っ越しに臨む!! ……って、全ッ然、片付かない。うぎゃーーー。

……そんなわけで、雑記なんて書いている場合じゃにゃーい。

2013/08/19 久々にローマ風カルボナーラ

引っ越し前ということで、目下、冷蔵庫を空にする作戦、進行中。そんなわけで、ここんところ、パスタが多い。食材を余らすことなく使えるからいいよねwww

久々につくったカルボナーラ。もう、段々、慣れてきたぞ。あっという間につくれるようになったし、目分量というか、量も感覚で調整できるようになってきた。何事も慣れだなあ、と思う。

久々にカルボナーラをつくった。段々、慣れてきたぞ。あっという間につくれるようになったし、目分量というか、量も感覚で調整できるようになってきた。卵も、卵1個と卵黄1個で調理するところ、卵黄だけを取り出そうと卵を割ったら、ぐしゃ、と潰れてしまって、黄身が潰れてしまったので、しぶしぶ卵2個での調理に変更した。白身が増えた分、若干、甘くなったけれど、その辺も料理の途中で調整しながら作業できる。何事も慣れだなあ、と思う。

久々にローマ風カルボナーラ
久々にローマ風カルボナーラ

2013/08/18 コミュニケーション能力!?

水道は随分前に開通していたけれど、本日、電気が開通。ガスも開通。さらにはエアコンも開通。着々と新居での生活準備が整っていく。

エアコンが開通したので、快適に過ごせるようになった。だから、早速、各部屋の掃除を開始。結構、埃っぽいのだ。裸足で歩くとザラザラしている。工事のときに出た粉塵なんだろう、と思う。雑巾があっという間に真っ黒になってしまった。

引っ越しは22日。それまでに準備万端に整えて臨まなきゃいけない。ふふふ。

* * *

コミュニケーション能力って後天的なものだろうか。

今日、エアコンの据付にやってきた業者さんは多分、親子なのだろう。お父さんは気さくな感じでよく喋る。でも、息子の方は一言も発しない。挨拶もしないし、ペットボトル飲料水をいくつか出して「好きなのをどうぞ」と提示しても、何も言わずに1本持っていって、代わりにお父さんが「ありがとうございます、すみませんねえ」と応えていた。うーん。どうなんだろうなあ。高校を卒業したくらいの年齢に見えるので、多分、そのまんま家業を継ぐ流れなのだろうけれど、接客の基礎をちゃんと叩き込まないと、お父さんはいつまで経っても引退できない。

コミュニケーション能力って、経験とか、教育による部分が大きいんじゃないか、と想像する。全ッ然、科学的な根拠で喋っているわけじゃない。ボクの感覚論。でも、挨拶とかお礼とかが出来ないというのは、これはお父さんがダメなのである。ちゃんと叱らなきゃいけないところで、ヘラヘラしていちゃ絶ッ対にダメだ。

他人のフリ見て我がフリ直せ。ボクは子供が生まれても、絶ッ対にこういう風に甘やかしたりはしないゾ。

2013/08/17 トマト缶 de 冷製パスタ

突然、無性に「冷製パスタが食べたい!」と思ったんだけど、引っ越しの準備で本は全て段ボールの中。仕方がないので、クックパッドに尋ねてみる。そうしたら、超簡易版の冷製パスタのレシピが載っていたので、チャレンヂしてみる。

実は、退職した父が最近、クックパッドにハマっている。クックパッドを巡回しながら、楽チンそうで、それでいて美味しそうな料理を探すのだ、と言っていた。なので、ボクも見習おう、というワケだ。

今回のレシピはものすごい。トマト缶を丸ごと1缶。特に火を通すわけでもなく、そのまんま和えるだけという荒業に、ほんまかいな、と思いながら作り始めた。調理時間は、ほとんどパスタを茹でている時間だけ。その間にトマト缶やチーズ、オリーブ・オイル、パセリなんかを混ぜ合わせておくだけだ。そして茹で上がったパスタを冷やして、和えるだけ。

でも、チーズのお陰かな。想像以上の出来映えだった。美味しかった。楽チンなので、夏にオススメの1品だ。さすがクックパッド!!

トマト缶 de 冷製パスタ
トマト缶 de 冷製パスタ

2013/08/16 トライアル・アンド・エラー。

最近、お仕事の関係で、連日連夜、ExcelでVBAを組んでいる。段々、マクロ脳になってきたぞ。ああしようこうしよう、と思考回路がどんどん純粋になっていく。

プログラムをしたことのない人には、この感覚は分からないかもしれない。思考の純度が100%に近づいていく感覚があるのだ。いつだって、トライアル・アンド・エラーの繰り返し。プログラムを回してみると、大抵、途中で止まってしまう。その原因を究明する。コンピュータ氏はどこまでもボクの命令に忠実で、正確無比だ。だから、間違いなく、ボクのロジックに穴がある。そのロジックの誤りを発見し、修正する。そうすると少しだけうまく回る。その繰り返し。そして、最後には、コンピュータ氏が理想通りに動いてくれる。動いてくれれば、人間よりも有能だ。あっという間に要望どおり、計算してくれる。

ボクがコンピュータ氏にやらせているのは、いろんな部署から提出されたデータを、集計して、一覧表にする作業。そして、先月提出された資料と比較して、どこが先月と違うのかを抽出して一覧表にする作業。そして、必要なデータだけを取り出して、印刷する作業。人間がやったら1日半。でも、コンピュータ氏はあっという間。40秒もあればやってくれる。素敵すぎる。

2013/08/15 玉音放送と終戦記念日。

終戦の日。朝礼の後、黙祷を捧げた。とは言え、どうも8月15日を終戦の日と考えているのは日本だけのようだ。天皇の玉音放送があったのは8月15日。だから、日本ではこの日を以って「終戦」と捉えている。でも、国際的な潮流としては、日本がポツダム宣言に調印をした9月2日が終戦の日である。

もっと厳密に考えれば、8月14日に「ポツダム宣言を受け入れるよー」って日本は世界各国に通達しているわけだから、実態としては、このタイミングで日本の敗戦は決定している。だから、この日が「終戦」ではないか。その後、8月15日になって、天皇が日本国民に対して戦争の終結を宣言した。そして、実際にポツダム宣言に調印したのが9月2日。さてはて。どれが終戦の日にふさわしいだろうか。

少なくとも、8月15日というのは、日本人にとっての「終戦」だ。日本の象徴たる天皇が日本国民に対して戦争の終結を宣言した日。だから、日本人的には「終戦」でもオーケィだ。一方、国際社会にとっては、日本国民が「終戦」を知った日なんてどうでもいいので、実際に終戦が決定した9月2日が終戦の日。まあ、そりゃー、そのとおりだな、という感じ。でも、面白いのは、日本のことが大ッ嫌いらしい韓国と北朝鮮。8月15日の今日を「解放の日」と位置づけてお祭りをしている。8月15日を記念日にしているのは、国際社会の中で、日本と韓国と北朝鮮だけなのである。

2013/08/14 お盆ってなんだ!?

日本は只今、お盆休み真っ盛りらしい。ボクの場合、実家は両家とも、先祖のお墓を持っていないので、お盆って、ボクにとってはあまり縁のない風習だ。しかも、父方の祖父なんて、自らを無神論者だと嘯いていて「僕が死んだら踊念仏で楽しく葬式をあげて、海洋葬にでもすればいいんじゃない?」などと笑っている。だから、正直、「お盆」の正体が分からない。

日本人の多くは仏教式で葬式を挙げる。お坊さんを呼んで、読経してもらって、場合によっては戒名なんか貰っちゃったりする。ポクポクポク。木魚の音とお線香の香り。少なくとも、ボクはまだ教会式の葬儀に参列したことはない。

仏教の場合、基本は輪廻転生の世界なので、死んだら生まれ変わるはずだ。四十九日法要というのも、何となく、みんなやっている。生まれ変わるのに四十九日。この間にどの六道に生まれ変わるのかが決まる。死者が地獄に堕ちることがないように、みんなで祈祷しているわけ。ということは、四十九日経てば、死者は生まれ変わって、次の人生を歩む。それなのに、お盆になると先祖が帰ってくるというのだから、不思議な話だ、とボクは常々、思っている。しかも早く帰ってくるようにキュウリで馬を、ゆっくり帰るようにナスで牛を作る。

もちろん、ちゃんと分かっている。祖霊信仰は日本古来の土着の風習であって、日本の仏教がそれを取り込んだ格好だ。だから矛盾が生じる。それを受け入れてしまう日本人の寛容さも、よく分かっている。でも、ボクは子供の頃から、多分、小学生の中学年くらいのころから、この祖霊信仰と仏教の輪廻転生がごっちゃになっていることに違和感しか感じていなかった。据わりの悪さがものすごく気持ち悪かった。多分、ボク自身、「お盆」とは無縁に生きていて、みんながお墓参りで帰省しているときに、家にいた。この疎外感と一緒に、ボクはものすごく客観的に外から眺めていたのだ、と思う。そして、だからこそ、子供にも分かる矛盾を抱えて、宗教って馬鹿みたい。うっかりと、そんなことを思ってしまったのだ。子供の頃の強烈な印象。だから、ボクは圧倒的に無神論者だ。

その昔、「四十九日法要なので休みます」と言っていた同僚が、今年は「お盆だからお墓参りしなきゃ」と言っている。今でもやっぱり、ボクは納得できなくって、その据わりの悪さに発狂しそうになる。

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