《過去の雑記》

過去の雑記546件から565件までを掲載しています。

2012/07/12 アウトドアなバー

夜なべして、イベントの特典の発送作業をやっている。数が多いので大変だ。でも、地味で面倒くさい業務だけど、意外とこういうところでリーダシップを発揮するボクだ。てきぱきとみんなに指示を出す。次に必要な作業を予測したり、各作業の進捗を見ながらペースをコントロールして人員を張り付けたりする。こういう能力は、多分、演劇で舞台を作った経験に基づいているんだろう。過去の経験は意外なところで役に立つので、何でもやっておくことが大切だ。

送付する資料を袋詰めし、送付先のシールを貼る。さらに抽選で特典を袋詰めして、そっちにも送付先のシールを貼る。誤送付がないようにチェックする。バタバタした作業だったけれど、予想以上の好ペースで終了した。

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その後、山下公園にて夜景を眺めながらのアウトドアなバー……などと書くと格好いい。実情は、コンビビにて購入したビアを公園のベンチに座って飲んだ、ということなんだけど、みなとみらいのビル群が見えるし、ベイブリッジが見えるし、氷川丸が見えるし、景色としては最高のシチュエーション。夜風に吹かれながらのビアが最高だ。

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それから、ちぃ子(奥様です!)と合流して、甘太郎にて焼肉焼き焼き。たまにはこういう贅沢があってもいい。ふっふふー。酔っ払ったー。

2012/07/11 ウェンディは大人になってもピーターパンは子供のまんま。

今日は英語での1分間スピーチの日。若い人って英語ができる人が?多い! そして、大きな声で堂々とやったもん勝ち! いずれにし?ても、ああやって英語による表現の場がある、というのは貴重なこ?とで、これを積み重ねていけば、みんな、それなりに英語力が伸び?るだろうな、と思った。実践は大事だ。もう、4年もこの会に参加?してきたわけだけど、今年が一番、期待できそうで面白そうだ。

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日日日(あきら)の『ピーターパン・エンドロール』(角川文庫)を読んだ。日日日初体験だったけど、これはかなりの衝撃だ。どのくらい衝撃を受けたかというと、初めて舞城王太郎を読んだときくらいの衝撃。小説の感想を別の小説の感想で譬えるという高等テクニック(こらこら)!

御前江真央(おまえのえまお)という主人公の茫洋として、輪郭のない不思議な思考回路をそのまんま文章にした感じで、彼女のあまりに主観的な視点で物語は進んでいく。それでいて、ものすごく生々しくて、ヒリヒリする。こんな文章って初体験だ。夜中に腹痛で苦しむ主人公の描写なんて、あまりにリアルで、こっちまでお腹がキリキリしてくるから困る。そんな彼女は悪意の子供を孕んでいるのだ。

大人を拒絶した永遠の子供ピーターパン。そしてネバーネバーランドから現実界へと戻っていったウェンディ。思春期の女子学生の屈折した気分をふわふわした文章でうまく描いた小説だなあ、と思う。


ピーターパン・エンドロール (角川文庫)

2012/07/10 イジメ、イクない!!

歳を取れば徳が身につくなんて嘘っぱちだ。幹事長だとか、名誉会長だとか、功労賞だとか、とにかく何が何だか分からないいろんな肩書きの有象無象を与えられて、みんな、大真面目な顔をして壇上に上がり、大真面目な顔で挨拶をして、でも、その顔はニマニマと笑っている。みんな、嬉しくて仕方がないらしい。六十を越えたご老人たちが、お互いにお互いを褒め称え合っている。これは一体、何の会合なのか。ものすごく居心地が悪くって、気持ちが悪い。腹の中では、みんな、何を考えているのか分からない。拍手をして、おめでとう、おめでとうなんて言いながら、次は俺の番だとか、何であいつがとか、黒い想いを抱いている可能性もある。あるいは単純にそういうシステムだと思って受け入れている人もいるのかもしれない。願わくば、ボクみたいに下らないなと感じながらもしぶしぶ参加している人がたくさんいればいいなと思うし、そんな誰かが徒党を組んで、こんな会合をやめてしまえとシュプレヒコールを上げてくれたらもっともっと素敵だ。そういう奇特な人になら、ボクは功労賞を挙げて褒め称えてもいいと思う。

どうやら、ボクは一番若いグループなので、端っこの方で小さくなって息を潜めている。

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最近、頼豪鼠(ライゴウネズミ)について調査していた。最近じゃ、京極夏彦氏の影響もあって、頼豪鼠っていうよりも鉄鼠(テッソ)といった方が通じるかもしれない。そんな関係で、延暦寺とか園城寺とか、天台宗の歴史なんかを調べていた。その舞台は大津市だ。そうしたら、最近、何だかニュースで大津市が取り上げられるので、ビックリ。

何を書きたいかというと、イジメはイクナイとか、教育委員会の対応がイクナイとか、担任の対応がイクナイとか、そういうことじゃない。もちろん、そういう議論も必要だし、イクナイことはイクナイ。だから、ちゃんと議論して、イジメが起きないようにすることが大切だし、起きた場合の対応についても考えていく必要がある。教員のあり方とか、生徒指導のあり方とか、学校側の取るべき措置とか、外部組織の関与方法とか、地域社会の関わり方とか、この機会に大真面目に議論して、みんなで考えていくことは重要だ。

でも、今回は、そういうことじゃなくって、2ちゃんねるを中心に行われている加害者特定作業とか、デヴィ婦人の加害者名のblogへの掲載について思うところがあるので書きたい。ボクは、こういうのはどうか、と思う。加害者にも人権があるとか、特定作業の精度はどんなもんかとか、そういうことではなくって、単純に、そういうのって卑しいな、と思ってしまう。加害者や担任に問題があったのは事実だ。それを糾弾するのは正しい。問題点を見つけて、改善策を考えるべきだ。でも、彼らを晒し者にするというのはちょっと違う。こういうのは、形を変えたイジメだ。イジメを糾弾する形を取った、別の形のイジメ。加害者や担任を貶めて、苦しめて、ざまあみろとみんなで嗤う。そういう類の暗い感情が、根底にはあるような気がする。

罪を憎んで人を憎まず、なんて陳腐な言葉があるけれど。名前や顔写真を晒すという行為は、「罪」ではなくって「人」に対する攻撃だ。「人」を攻撃しちゃ、ダメだ。糾弾すべきは「罪」。どうも最近のマスメディアは「罪」に焦点を当てないで、「人」を攻撃する。そういう流れを作り上げている。そういうのは非常に卑しい。

2012/07/09 過去の名曲と最近の新曲と!?

どうやら後輩氏は熟考し、かつ没頭するタイプらしく、ああでもないこうでもないと敵陣に一人、果敢に攻撃を試みようとする。まあ、ペェスというのは人それぞれなわけで、進むべき道も人それぞれ。哲学も人それぞれなんだけれど、でも、彼の成果物を待っていてあげようなどとうっかり老婆心を出すと日が暮れてしまうので、最近のボクはいつも生温かい目で眺めながら、さっさと退散することにする。この退散の見極めを間違えると、あっという間にボクの貴重な一日は、何も生産しない不毛の大地と化す。

大事なのはペェス配分だ。時間って有限なので、何にどれだけの時間を割くかが肝要で、そのためには省略すべきプロセスがたくさんあるし、泣く泣く諦めて切り捨てるプロセスもあっていい。その辺の見立てが出来るようになれば、彼ももう少し有望な後輩くんになれるだろう。だから、今は頑張れ、と思って眺めている。ここで辛抱して、手を出さず、彼に全部、任せてあげることが、今のボクらにとっての最良の策だと信じている。

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「最近、さっぱりCDが売れない」。そんな話を聞くようになって久しい。確かに身近にあったCDショップやレコードショップの類は、まるで消失同盟に参加しているかのように、気づけば稀少な存在になっている。その原因は何だろうか。

その辺のことについて、ネットのニュースで面白い特集をやっていた。CDが売れないのは、音楽配信のせいだろうか。つまり、CD販売が音楽配信に取って代わられているために、CD販売が減っているのではないか。でも、実は、一般に考えられているほど、音楽配信も伸びていないのだという。つまり、CD販売で減った分が、そのまんま音楽配信で増えた分にはなっていないのだという。音楽配信も含めて、音源の売り上げは伸び悩んでいるというわけだ。

それじゃ、人間が音楽を聴かなくなったのかというと、それは違う。何故なら、昔はCDプレイヤーがなければ音楽は聴けなかったのに、PCでもスマホでも、ありとあらゆる場面で音楽が聴けるようになったのである。だから、トータルとして、音楽を聴ける環境は広がっているはずである。

違法ダウンロードのせいだろうか。そういうこともあるかもしれない。CD販売や音楽配信に拠らなくても、mp3の音源はオンライン上に転がっていると言えば、まあ、確かにそうかもしれない。あるいは、違法じゃないにしても、今や、事務所もYoutubeに公式のアカウントを持っていて、そこで新曲のPVなんかを配信している場合があって、これをダウンロードしてしまえば、音源を購入する必要はないといえばない。また、初音ミクみたいなVocaloidも含め、Youtube等を活用した素人の音楽配信の場も増えたので、プロのミュージシャンの活動の場は、相対的には、こういう素人によって狭められているのかもしれない。

でも、だ。ネットのニュースの記者の見解はちょっと違っていた。それが面白かったので、紹介しておこうと思う。すなわち「新しい音楽」じゃなくてもいいという文化の台頭が、CDが売れない原因だというのだ。大昔には、CDを入れ替えるという作業があったので、仕舞い込んだ過去の名作は、引っ張り出してこないと聴けなかった。でも、今はPCやスマホの中にデータとしてストックしてしまえば、どこでも簡単に過去の名作にアクセスできる。わざわざ新しい楽曲を持ってこなくても、過去の楽曲をとっかえひっかえ聴ける環境にあって、だから、今のミュージシャンたちは、そういう過去の名作と相対しなきゃいけないというわけ。

聴き手にとっては、新しいも古いもない。しまい込んで引っ張り出すという手間がなくなった分、新譜も旧譜も、同じ土俵に並べられてしまった。だから、新しい楽曲が売れなくなったのだというわけである。

なるほどなあ、と思った。ボク自身、古い音楽を聴いている。歳をとったのかなあ、と思っていたけど、確かに新しい楽曲も古い楽曲も、ボクのPCの中じゃ、平等だ。平等にランダムに流れていく。

そういう意味じゃ、なるほど、難儀な時代よね?

2012/07/08 正義について語る!!

今日は大学時代の研究室の同期・トム氏の結婚式。オメ。何だか彼には楽しい人生が待っているような気がする。彼の伴侶と決めた女性は、ものすごいエナジィを持っていて、周りの人を巻き込みながら、人生を謳歌している。だから、きっと楽しいだろう。だから、彼自身が一緒に楽しめるかどうかだ。エンジョイ・ウィズ・ハー。

彼はドクタまで行って研究機関にお勤めなので、大学時代の先生や同期、先輩、後輩なんかが一同に会した感じ。大学時代って、人間、過激なわけで、それを知っている彼らとの遭遇は懐かしいやら恥ずかしいやら……。

大学時代って社会のために何をなすべきか、について真剣に議論していたような気がするので、友人たちは「戦友」ってイメージに近い。過去にも戦友だったし、これからも戦友であり続けるわけだ。だから、すごく何をやっているか気になるし、彼らの一挙手一投足がものすごく刺激になる。たまーに、こうやって顔を合わせてディスカッションするというのは、いいものだな、と思う。

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音楽によって心洗われることもあるし、気分が高揚することもある。ストレス発散になることもあるし、感涙することもあるし、ぐっすり眠れてしまうこともある。音楽によってその効用はさまざまで、そしてその効用は予想以上に強力だったりする。

音楽って、こんなにも人間を感動させるし、また、疲労困憊させることができるんだな。音楽の持つパワーを改めて痛感させられた今日だ。

2012/07/07 草刈りボンバー!!

本日はアパートの周辺の草刈り。年に2回の一大イベントだ。軍手に鎌という完全装備で臨むものの、前日の雨で雑草は水を吸ってたくましい。雑草群の中には「どうだ!」とばかりに腰の高さくらいまで育った反骨精神旺盛なヤツもいたりして、午前中いっぱいかかってしまって、ヘトヘトになった。久々に運動したなあ。それにしても、こうやって年に2回くらいはアパートの住人全員で顔を合せて共同作業をするというのも大切だ。お互いの人間性も分かるし、何かあったときにお願いできることもあるかもしれない。

その後は何もやる気が起きなくって、ひたすらネットサーフをする。大抵はようつべを観るボクだけど、本日はデイリーモーションを観ていた。デイリーモーションの方が読み込みには時間がかかるし、検索しにくい。ウェブサイトとしてのユーザビリティも悪い。でも、画質がいい。それに規制の具合がまだまだ緩い。テレビの番組とか、45分くらいがそのまんま載っかっているような惨状で、これって大丈夫なのかなあと心配にはなるけれど、でも、規制が緩いということは、ようつべに比較して閲覧人口が少ないということなのだろう。素人の愚にもつかない動画とか、タイトルと合致しない釣りの動画が少ない。アフィリエイタも少ない。だから、楽しみを阻害される回数が少ない。それがいい。ユーザビリティさえ改善されれば、きっと、こっちにも人が流れてくる。そうしたら状況は同じになるのだろう。だから、今が狙い目だ。

2012/07/06 てんやわんや金曜日

てんやわんや。本日はいろんな部署から難問が舞い込む。どれもこれも、後出しジャンケンみたいなもので、分かっていたのに報告もなく、ずるずると来て、どうにもならなくなってから我々の部署に報告が来て事態が露呈したという感じ。こらこら。ちゃんとやってください。お願いしますよ、ホントに。そんなこんなで対応に追われて経常業務が滞る。

大切なのは、早めの報告と対応。時が経てば経つほど、対応が難しくなる。選択肢が少なくなるし、検討の時間も少なくなる。何よりも上司のウケが悪くなる。

他人の振り見て我が振り直せ。なので、気をつけなければいけないと身を引き締める。

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クロワッサンを買った。石川町駅のサンマルクカフェ。先日、東京へ出張したときに、たまたまお昼を食べる時間が取れなくて、通過駅の石川町で飛び込んで昼食にした。そのときに食べたチョコクロワッサンが案外おいしかったので、ちぃ子にお土産で買って帰ろうと思ったのだ。

練乳が入ったベトナムコーヒーとか、大福クロワッサンとか、随分、変なメニューが多いので、面白いな、と思っている。職場の最寄駅なので、頻繁に利用できそうだ。

2012/07/06 天才・伊坂幸太郎の描く死神世界!!

伊坂幸太郎の『死神の精度』を読んだ。今週は結構、外に出る機会が多かったから、電車移動の往復で読んでいた。「死神と藤田」は車中、号泣してしまいそうで危なかった。うっかり油断しているとこういうことになる。いつも感動系の本は電車で読まない方がいいと思うのだけど、感動系かどうかは読んでみるまで分からないので大抵の場合、事態は改善されない。『ONE PIECE』は家で。これが合言葉である。

閑話休題。この本では、死神は死の対象となった人間の傍に出現し、7日間の調査を持って、死を「可」とするか「見送り」にするかを決定する。けれども、基本的に彼らは仕事熱心ではないし、人間の生死には興味がない。だから、大抵の場合、「可」として報告される。そんな死神と人間たちの6編の短編集である。

そんなわけなので、物語は必然的に、死神が調査対象者を「可」とするか「見送り」とするかの判断に焦点が行くのだろう……などと思って読んでいると、伊阪幸太郎はそんなに単純じゃない。彼は捻くれているのだ。そして、非常に論理的なのだ。

1話目の「死神の精度」はタイトルのとおり。想定どおり、死神の生死の判断に対する「精度」に物語の焦点が当てられる。どういう「精度」なのかは、まあ、読んでのお楽しみ。でも、これが伊坂幸太郎っぽい。そして非常に面白い。続く「死神と藤田」はハードボイルド。これも文章は非常に伊坂幸太郎っぽい。でも、多分、オチに度肝を抜かれると思う。この死神が藤田という男の死を「可」とするか「見送り」とするかという次元じゃないところに物語が収束していく。「ズラされた!」という感覚だ。さらにぶっ飛ぶのが「吹雪に死神」。雪山の山荘で次々と起こる殺人事件……というミステリィなんだけど、この物語のオチは、多分、驚愕する。「恋愛で死神」は対象者が死ぬところから始まり、そこから8日前に遡って物語が進む。つまり、最後に「死」という悲劇が待っていることが分かった状態で、物語が進んでいく。だから、登場人物たちはハッピィだけど、読者の頭には常に「死」という結末があって進んでいく。そういう構造の物語。「旅路を死神」はこれまでと殺人犯の物語。だから読者としては多分、「可」でも「見送り」でもいい。彼に感情移入しない。でも、現実感のない薄っぺらい感覚で生きている男性の描写がいい。そして「人が生きているうちの大半は、人生じゃなくて、ただの時間、だ」という文章が利いている。死は誰に対しても平等だ。一生懸命生きていても、茫洋と生きていても、死神はやってくるわけだ。「死神対老女」は連作の最終話として最高に巧い。何が巧いのかを書いてしまうとネタバレになるので書かない。後日談的なエピソードって、どうなるか分からないから魅力な部分があって、本当は書かない方が素敵な場合が多い。でも、こういう形での提示の仕方だと、何だろうな。現実ってこんなものかな、という感じで、それがすごく乾いていていいかな、と思わされた。……ん? 何を書いているか分からない? まあ、分からない人は読んでみてください。

そんなわけで、伊坂さんの頭の中って、すごいなあ。もう、一度決めた設定は徹底的に使い倒すという感じ。技巧的。特に作り手サイドで考えると「吹雪に死神」は秀逸。多分、思いついてしまったから書いたんだろうと想像できる。だから、異質と言えば異質な作品。その点ではバランスは欠いているかも。そういう意味じゃ、作り手のひらめきと作品の面白さのバランスが絶妙なのは「藤田と死神」かもしれない。このくらいのズラしが最適解だ。


死神の精度 (文春文庫)

2012/07/05 グロッキィな木曜日

昨夜は徹夜で大宴会。こんな学生みたいなバカをやれる仲間が大人になってもいるというのは素敵なことだ。そんなこんなで、今日はお仕事はお休みディ。グロッキィな木曜日だ。

昨夜は結構、しんどかったなあ。記憶は曖昧模糊としている。曖昧模糊とはしているものの、喋った内容については非常に明瞭に記憶している。おぼろげなのは喋っている相手の顔と場所だ。それがとっても不思議で、こんな感覚は、多分、初めてのこと。人間の思考回路って不思議だな、と思う。

ボクの場合、アルコホルを呑んでも、いつも記憶は明瞭だ。大抵、何から何まで憶えている。憶えてはいるんだけど、でも、理性が働かない。制限のリミッタが外れるというのかな。規制が緩くなり、そしてたまに暴言を吐いている(こらこら!)。

でも、今回の場合、非常に中途半端な感じ。果たしてこの内容を誰と喋っていたのか。どこで喋っていたのか。全ッ然、分からない。でも、ちゃんと話している内容と相手からのレスポンスについては、憶えているのだなあ。

しばしば、アルコホルを呑んで記憶が飛んだなんて話を聞く。ボクももう少し呑んでいたら、記憶が吹っ飛んだのだろうか。うーん。少なくとも、望ましい結果は得られないだろう。

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あ、そうそう。看板のないお店は危ないぞ。一緒にいたハズの仲間が、いつの間にか夜の街に消えていた。どうやら夜の街に8万円程度ぼったくられたらしい。単独行動するからいけない。ご愁傷様。歌舞伎町は怖いところよ?

2012/07/04 お好み焼きなんてなんぼのもんじゃ!!

月に1回の本日の委員会は、内容が英語だったり専門的だったりするので、なかなかコメントできなかったりするんだけど、「今年度は会議等で1回以上は必ず発言する」という目標を立ててみたので、積極的に攻めてみる。

英文を読みながら、違和感を感じたところを突っ込んでみる。結果、意外とみんな、英語はいい加減だということが分かる。みんな、何となく雰囲気で理解している感じで、実は厳密なところまでは理解できていないようだ。質問してみて、それが分かった。何だ。これならボクも交ざれるではないか。ふふふ。

その上、今日はボクの発言が反映されたので、無理矢理にでも、何か言ってみるもんだ。目標を立てて、実践してみた結果、早々に結果が返ってきた。

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会議の後は打ち上げ。屋形船に乗って、勝どきから海へと繰り出す。東京タワーやレインボーブリッジ、お台場を遊覧。さすが月島だけあって、船上料理は「もんじゃ焼き」。粉っぽくないので、ボクは個人的にはお好み焼きよりももんじゃ焼きの方がスキだということに気がついた。

2012/07/03 行間で勝負!!

今日はボクらの結婚式記念日だったので、大急ぎで家に帰る。

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人に何かを説明するのって難しい。こういうのは、どれだけ相手の立場に立つことができるかにかかっている。

議事録の場合、ボクは説明過多だ。誰が読むか分からない。分からない人が読んで分かるように書く。自分でも、ちょっと過剰サービスだなあとは思うんだけど、でも、ボクはあんまり気にしていない。読み手は読みたいところだけ読めばいい。最初っから興味のある人が読むのが議事録。だから、取捨選択はいつも読み手の側に与えられる。分かっている人は流し読みすればいいのだ。

企画書だったら、それはダメ。説得したい相手が欲しい情報だけを書く。それに尽きる。何しろ、読んでもらえなかったらアウトだから。

口頭説明は、臨場感のある現場だ。相手が、もう飽きているな、と判断できてしまうような場合には、多分、説明過多だ。相手が、用意したペーパの次のページを読んでいるようなら、もう、圧倒的に説明が多過ぎる。その辺の見極めって、非常に重要で、ボクは案外、そういうのは得意だ。むしろ、ボクの場合は反対。ボクの場合、ほとんど何も説明しない。さらっと説明してしまう。それで様子をうかがって、補足する。やがて相手が質問してくる。その質問に答える。そうこうするうちに、お互いが分かり合えるようになる。口頭説明の場合、情報を制限しておく方が、案外、うまく行く。惜しみなく全部情報を流した上で高度な質問をされて答えられない……というパターンは最悪だ。

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そんなわけで、後輩くんが頑張って説明しているのをヤキモキしながら眺めていた。書いてあることは全部読まなきゃ気が済まないようで、しかも仕入れた情報も全部、説明しないと気が済まないようで、相手は、もう、次のページを読んでいくし、質問もどんどん高度になっていくし、あたふたしている。

ボクは、横から眺めながら、別のソースからの情報を思いついたかのように付加してやる。課長の興味がこっちに向く。そうしたら、後出しジャンケンの要領で、ゆっくりと情報を流していく。質疑応答。そして満足。結局、相手は質問をしたいのだ。質問をして、回答があって、そしていくつか課題が発見されて、次回までの宿題が生まれる。これが出来れば、それで打ち合わせなんてものはおしまいだ。

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そんなわけで、一瞬、難航するかに見えた説明も無事終わって、こうして、無事に結婚式記念日を祝うべく、家に辿り着いているのである。

2012/07/02 旅の仲間、二つの塔、そして王の帰還……

友人たちと旅行に行っていたちぃ子(奥様です!)が本日、帰宅する。たまの一人というのも、何だか独身貴族みたいな気分になって、楽しい。

でも、当たり前のことだけど、家のことは全部、自分でやらなきゃいけない。料理を作ったり、洗い物をしたり、と大変だ。独身時代には一人でやっていたことでも、ずぅっとちぃ子にやってもらって、慣れてしまって、そして気がつくとぱっと出来なくなる。何が大変って、まず物の保存場所が分からない。多分、ちぃ子にはちぃ子のルールとか理由があっての収納なんだろうけれど、ボクにはまるで分からない。冷蔵庫の中身も把握できていない。そんなわけで、何をするにしても、まずは現状把握から開始する。これって大きなビハインド。一気に自堕落になる。

元々、根はだらしないの。だから、ちぃ子がいないと、夜はいつまで経っても寝ないし、朝ごはんは適当だし、台所には食器が積み上がる。明け方、5時くらいに起きだして、まとめて食器洗い業務に従事。律する人がいないと、この体たらく。

「自由」というのは難しい。自由に慣れるまでに時間がかかるのが最大の難点。それに、時間の使い方がうまくないと、満喫できない。二人で暮らすというのは、時間的な制約は大きい。食事の時間、眠る時間なんかを合わせなきゃいけない。でも、その反面、ペェスは掴みやすいので、時間がキッチリと使える。そして、二人で暮らすペェスに慣れてしまったボクだから、乱れたペェスに慣れるまで四苦八苦。そんなこんなで、もう、ちぃ子の帰還である。

2012/07/01 インサイダたちの冒険

今日はちぃ子(奥様です!)が出掛けている。かつての職場の同僚たちと、伊豆の方にプティ旅行。最近の彼女はアウトドア派になった。積極的に外界と接しようという強い想いを感じる。とてもいいことだな、と思う。ボクが「奥さん」という言葉に抱く恐ろしいイメージのひとつは、家のことしか知らない世間知らず。彼女は、結婚してしばらくはそんなベクトルを持っていたんだけど、ようやく一段落。自分の身の振り方について、真剣に悩んでいるらしい。

不思議なことだけど、家に一人でいるとき、意外とボク自身は外に出ようと思わない。外に出るのが億劫になる。普段、仕事で外に出ているから、閉じこもりたくなるのかもしれない。むしろ、彼女に連れ出される感じで発生するイベントが多い。でも、それじゃダメだよなあ、と彼女のプラスのエネルギーに感化されようとアンテナを広げてみる。

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家の近くの「やまや」がリニューアルしていてビックリした。ああ、そうそう。ボクはこれまでのところ、常に「やまや」のある生活を送っている。青葉台に住んでいるときには駅前に「やまや」があって、今回の家の近くにも「やまや」がある。そして、今度は職場が引っ越した先にも「やまや」があって……。「やまや」ってどこにでもある酒屋なのかと思っていたら、横浜には3店舗しかない。その3店舗がたまたまボクの人生において、常に生活圏内にあるのだから、不思議な縁だ。

本日はバカルディのホワイトとゴールドの2本を購入。モヒートを作るのに、ホワイト・ラムを使うメニューとゴールド・ラムを使うメニューとがあって、どっちが美味しいだろう。そんな疑問を解決するために、同じバカルディという銘柄で比較してみようというわけ。ふふふ。まあ、乞うご期待。

2012/06/30 最高級のハンバーガ!!

運動を兼ねて、毎週、土曜日になるとウォーキングをしている。家から港南台まで概ね30分のウォーキングが日課である(正確には週課かもしれないが……)。最近はちぃ子(奥さんです)が関内で働くようになったので、関内周辺のウォーキングも取り入れている。関内駅から日本大通りを抜けて開港広場へ。そこから水町通りを抜けて山手の山を登る。そしてそこで軽くランチしてから石川町駅から帰宅する。4.5キロくらいかな。1時間くらいの小旅行だ。だから、ちょうどいい運動だ。

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本日のお昼は山手の代官坂にあるParty Cafe。真っ赤な木製の扉が白壁に映えた素敵建物。こういうお洒落さが現代の建築には欠けている。安物の材料でそれっぽく作ったってダメだ。嘘っぽくなる。本物だからこその圧倒的な素敵さ。

真っ赤な扉が印象的なParty Cafe

実は雰囲気だけを期待していったんだけど、出て来たハンバーガが最高に美味しかった。ここ最近食べたハンバーガの中ではピカイチだった。手捏ねのハンバーグと自家製のパリッとしたパン。コーヒーが出来合いっぽかったのが減点だけど、でも、ハンバーガは美味しかった。そんなわけでオススメだ。

最高級のハンバーガ

2012/06/30 ビバ・モヒート!!

モヒートっていうカクテルはお店によってそれぞれで、これが決定版といったレシピがない。基本的にはラム(これもホワイト・ラムとゴールド・ラムといろいろ)とライム(レモンという場合も)、そしてミントの葉っぱとシロップ(あるいは砂糖)を加えるというもので、そこにソーダを足す場合もあれば、トニック・ウォーターを足す場合もある。

現在、ボク自身も研究中で、我が家のモヒートをどういう形に仕上げるか考えあぐねているところ。だから、今回は試作品。でも、それなりに美味しく仕上がったので、紹介しておこう。

モヒート!!

    モヒート(試作品1番)
  • ホワイト・ラム 45ml
  • ライム・ジュース 20ml
  • シュガー・シロップ 1tsp
  • ミントの葉っぱ 適量
  • クラッシュド・アイス 適量

おうちカクテルとしてはミントの葉っぱとクラッシュド・アイスが曲者。結構、これを用意するのって、おうちカクテルとしてはハードルが高いというか、大変だと思う。

我が家の場合、ミントはペパー・ミントを使用。庭で育てようと思って買ってきた鉢から摘んでいる。わざわざミントを買ってくるのは大変だし、日によっては店頭に並んでいない日もあったりして、入手困難だ。だから、育ててしまった方が早い。一株200円とかなので、まあ、育てる手間さえ惜しまなければ、そっちの方が簡単だと思う。

クラッシュアイストレー

クラッシュド・アイスは、それ専用の製氷器を購入した。「クラッシュアイストレー」ってやつ。昔はタオルに包んでハンマーで粉砕していたんだけど、これは結構、大変だったし、量産できない。アイス・ピックで割るのも、結構、大変。この製氷器は楽チンなので、是非、オススメ。カクテルじゃなくても使えるから、常備しておくべし。

そんなわけで、モヒート。そこそこ美味しく出来上がった。そのうち、ソーダ入りとかトニック・ウォーター入りとかを作ってみて、我が家のおうちモヒートのオススメを提示したいと思うんだけど、夜にくいっと飲んで眠ろうと思ったら、このくらいがいいかな、と思う。

2012/06/29 眠眠打破!!

昨晩はまるで眠れなかった。何だか夜中に気分はハイ。大興奮していたようだ。特段、思い当たるような理由はない。ただ、ウェブサイトをああしよう、こうしよう、と悶々と考え始めたら、アイディアが次々と出て来て、それで結局、目が冴えてしまったような、そんな感じ。結局、一睡も出来ず。完徹でお仕事に行くことになってしまった。

朝からふわふわしていて、妙にハイ・テンション。仕事中も無意識に鼻歌を歌っていたようで、係長から「何かいいことありましたか?」と言われてしまう始末。うーん、手に負えない。

夜、眠れないのって、運動不足も原因なのかもしれないな、と反省したので、土日は運動をして、ぐっすりと眠って、この感覚をリセットしよう、と思う。

2012/06/28 パスタをつくる(2回目!!)

パスタをつくる。このメニューは2回目。だから要領が分かっている。工夫の余地も出て来る。そんなわけで、前回よりもおいしくできたし、いろいろと考えながらつくれた。きっと、1回目よりも2回目、2回目よりも3回目。いろんな余地ができる。おいしくなるかどうかは別の話だ。ああしてみよう、こうしてみようと考えられるってこと。だから、何度でも挑戦できるし、そのつど、楽しい。……そういう人生でありたいなあ。

なすのポモドーロ

今の職場、今の係は3度目。状況や立場はどんどん変わっていく。メンバも変わっていくんけど、でも、まだまだ工夫の余地があって、楽しいと思う。本当は、もう少し、もう少し、ね。いろんなことを主張してみてもいいんだとは思うんだ。何だかんだ言ったって、結局、本当のところは誰も分かっちゃいないんだし。頑張ろうと思う。

2012/06/27 今胸に高鳴るファンファーレ!!

久々に一人カラオケ。忙しかったので、本当に久しぶり。でも、あまりに久々過ぎて、何を歌ったらいいものか、と困ってしまう。思いついて、初めて、Mr.Childrenの『Fanfare』を歌ってみる。ワンピース『ストロング・ワールド』の主題歌。久々だから声が出ないかと思ったけど、意外とチカラを抜いて歌えた。高い声もすぅっと出る。何か歌うぞーッてガムシャラにがんばっているときよりも、テケトーで、ふっとチカラが抜けているときの方が調子がいいらしい。

それにしても、この曲。歌詞がうまくリズムにハマっていかない。難しいなあ。洋楽を歌っててうまく音符に音が乗っていかないのに近い。日本語なのになあ。家で練習しよう。

2012/06/26 電子書籍という未来に向かって……

早く電子書籍の時代が来ないものかなあ、とずぅっと願っていた。いつだって、本を片手に生活しているボク。ベッドの脇、移動中の鞄の中、PCの机の上……。いわゆる、ノーブックノーライフってやつ。でも、いつだって問題は本の収納場所。実家にいた頃には、部屋中が本棚で埋め尽くされていた。大袈裟ではなく、本棚のせいで、家がちょっと傾いでいた。何しろ、本棚が9個もあったのだ。

だから、本が電子化してくれたら、すっごく助かる。技術的には楽勝だろうと思っているんだけど、出版社や本屋の利権構造のせいか、日本では進展していかない。アメリカではkindleみたいなシステムが出来上がっているのになあ。

ボクが最初に電子書籍として購入したのは、サンマーク出版の『人生がときめく片づけの魔法』だ。電子書籍だから、紙を使わないで済むし、輸送代だって必要ないのだから安くなるかな、と思ったんだけど、意外と安くはならなかった。でも、ちょっとした衝撃だったのは、本の合間に動画が入っていたこと。著者のこんまりさんが喋っていて、実際に片づけの様子が映されていた。新しいな、と思った。電子化って、ただただ文字媒体を電子文書にするだけかと思っていたんだけど、こういう可能性もあるんだなあ、と思った。

でも、サンマーク出版みたいに、個々の出版社がそれぞれアプリを作成してダウンロードさせるのは、ボク個人としてはちょっとどうかなあ、と思う。それって不便だ。出版社ごとに本が管理されるなんてクソ喰らえ。音楽はiTuneで一元管理できる。ああいうシステムが理想形だ。

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たまたまネットサーフしていたら、遅ればせながら、紀伊国屋書店が電子書籍を始めているのに気がついた。1000万件以上とのことなので、これは期待大だ。試しに登録してみた。新しい本は結構、掲載されている。古い本は掲載されていないので、この辺は整備が必要なんだろうなあ。読みやすいかどうかは本の方向性によるかなあ、と思う。どの本をどこまで読んだか判らなくなるという点では、了読に対するプレッシャがないので、途中で放置プレーになっちゃう本が出て来るかなあ、という印象。でも、値段は紙媒体よりは安い。

今後、電子書籍の動向がどうなるのか。ワクワクしながら、今のところは取り敢えず、Kinoppyを使用してみようと思う。

2012/06/25 まさに絶景、12階!!

会社が移転した。お引っ越し。本日から新しい場所になった。海辺の12階だ。みなとみらいも見えるし、赤レンガ倉庫も見えるし、大桟橋も見える。山下埠頭も見える。天気がいいと、スカイツリーも見える。まさに絶景。開放的な窓から海を眺めていると、何だかポケーッとしてしまう。さすが、社長。建築屋だけのことはある。こういうところでは見事、手腕を発揮するんだなあ。

職場からの見晴しは最高♪

通勤は大変になった。前は駅前だったけれど、今度は駅から徒歩で20分少々。早起きしなきゃいけなくなった。まあ、そういうのはそんなに苦痛ではない。

不思議なもので、場所が変わると気分が変わる。姿勢も変わる。意識も変わる。こういう変化って、たまには大事なのだなあ、と思う。

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