モレク/モロク

分 類ユダヤ・キリスト教魔法書文献
名 称 מֹלֶךְ(モレク)《王》【ヘブライ語】
Molech(モレク),Moloch(モロク)【英語】
容 姿雄牛の頭を持った悪魔。
特 徴人身御供を求める悪魔。
出 典『レビ記』『エレミア書』ほか

人身御供を要求する恐ろしきアモン人の神!?

モレクは聖書の中に言及される悪魔で、雄ウシの頭に人間の身体を持った姿で描かれる。

聖書の中では、アモン人(現在のヨルダンの辺りに住んでいた人々)が崇拝する邪神として繰り返し描かれている。モレク神には、人身御供として子供を生け贄として捧げる風習があったとされており、この描写から、中世ヨーロッパにおいては、恐ろしい悪魔と見做されるようになった。

アモン人は空洞になっている青銅製のモレクの像の内部に火を燃やし、その中に幼い子供を投げ込んだという。このときにはシンバルや太鼓を鳴らして子供の声が聞こえないようにしたという。

ジョン・ミルトンは『失楽園』の中で、モロク(Moloch)という名前でモレクを登場させていて、「人身御供の血にまみれ、親たちの流した涙を全身に浴びた恐るべき王」として紹介されている。そして、作中ではもっとも獰猛な堕天使として描かれている。モロクは並み居る堕天使たちの前で演説した際に、策を講じるのではなく、公然と神と戦おうと説き、堕天使の軍勢で天界に攻め入る案を主張している。最終的には、ベルゼバブが唱えた人間の住む地上に攻め入るという案が採用されるが、モロクは戦場でガブリエルと戦って、腰を切り裂かれて敗走する。

聖書におけるモレク

自分の子を一人たりとも火の中を通らせてモレク神にささげ、あなたの神の名を汚してはならない。わたしは主である。

(『旧約聖書』「レビ記」18章21節より)

イスラエルの人々にこう言いなさい。イスラエルの人々であれ、イスラエルに寄留する者であれ、そのうちのだれであっても、自分の子をモレク神にささげる者は、必ず死刑に処せられる。国の民は彼を石で打ち殺す。/わたしは、その者にわたしの顔を向け、民の中から断つ。自分の子をモレク神にささげ、わたしの聖所を汚し、わたしの聖なる名を冒涜したからである。/もし、国の民が、自分の子をモレク神にささげる者を黙認し、殺さないならば/わたしがその者と家族に顔を向け、彼および彼に倣ってモレク神を求めて淫行を行うすべての者を民の中から断つ。

(『旧約聖書』「レビ記」20章2節から5節より)

そのころ、ソロモンは、モアブ人の憎むべき神ケモシュのために、エルサレムの東の山に聖なる高台を築いた。アモン人の憎むべき神モレクのためにもそうした。

(『旧約聖書』「列王記 上」11章7節より)

王はベン・ヒノムの谷にあるトフェトを汚し、だれもモレクのために自分の息子、娘に火の中を通らせることのないようにした。

(『旧約聖書』「列王記 下」23章10節より)

ベン・ヒノムの谷に、バアルの聖なる高台を建て、息子、娘たちをモレクにささげた。しかし、わたしはこのようなことを命じたことはないし、ユダの人々が、この忌むべき行いによって、罪に陥るなどとは思ってもみなかった。

(『旧約聖書』「エレミヤ書」32章35節より)

お前たちは拝むために造った偶像、/モレクの御輿やお前たちの神ライファンの星を/担ぎ回ったのだ。だから、わたしはお前たちを/バビロンのかなたへ移住させる。

(『新約聖書』「使徒行伝」7章43節より)

聖書では、何度もモレクに子供を捧げることをたしなめ、禁じていることが分かる。『列王記』の中では、あのソロモン王もモレクのために祭壇を築いたと記述されている。それほど熱狂的な信者がいたということなのかもしれない。

コラン・ド・プランシーの『地獄の辞典』におけるモロク

Moloch, prince du pays des larmes, membre du conseil infernal. Il était adoré par les Ammonites sous la figure d'une statue de bronze assise dans un trône de même métal, ayant une tête de veau surmontée d'une couronne royale. Ses bras étaient étendus pour recevoir les victimes humaines: on lui sacrifiait des enfants. Dans Milton, Moloch est un démon affreux et terrible couvert des pleurs des mères et du sang des enfants.

ブルトンの描いたモロク

Les rabbins prétendent que, dans l'intérieur de la statue du fameux Moloch, dieu des Ammonites, on avait ménagé sept espèces d'armoires. On en ouvrait une pour la farine, une autre pour les tourterelles, une troisième pour une brebis, une quatrième pour un bélier, la cinquième pour un veau, la sixième pour un bœuf, la septième pour un enfant. C'est ce aui a donné lieu de confoondre Moloch avec Mithras, et ses sept portes mystérieuses avec les sept chambres. Lorsqu'on voulait sacrifier des enfants à Moloch, on allumait un grand feu dans l'intérieur de cette statue. Mais afin qu'on n'entendît pas leurs eris plaintifs, les prêtres faisaient un grand bruit de tambours et d'autres instruments autour de l'idole. Voy. mystères.

モロクは涙の国の王子で、地獄の評議会のメンバーである。金属の玉座に座って、子ウシの頭に王冠をかぶせた青銅の像の姿でアモン人に崇拝された。彼の腕は人間の犠牲者を受け入れるために差し伸べられ、子供たちが彼の生け贄として捧げられた。ミルトンによれば、モロクは「母親の涙と子供の血にまみれた恐ろしい悪魔」である。
ラビは、アモン人の神である有名なモロクの像の内部には7種類の小部屋が作られていたと主張している。1つは小麦粉、もう1つはキジバト、3つ目はヒツジ、4つ目はヤギ、5つ目は子ウシ、6つ目はウシ、そして7つ目は子供のために開かれた。これがモロクはミトラス、そしてその7つの神秘的な扉と7つの小部屋が混同される原因となった。人々がモロクに子供たちを生け贄に奉げるとき、この像の中で大きな火を焚いた。しかし、彼らの悲痛な叫び声が聞こえないように、祭司たちは偶像の周りで太鼓やその他の楽器を使って大きな音を立てた。。

(コラン・ド・プランシー『地獄の辞典』より)

古代イタリアのオスティアには「7つの扉のミトラ神殿」があり、床には7つの扉のモザイクが描かれている。ミトラ教において、入信者が7つの位階を上がっていくことを象徴したデザインである。このミトラ教の「7つの扉」がモレクの像の7つの小部屋と混同されたのである。

《参考文献》

Last update: 2024/07/28

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