ククノチ

分 類日本神話
名 称 久久能智神(くくのちのかみ)〔記〕【日本語】
句句廼馳(くくのち)〔紀〕【日本語】
屋船久久遅命(やふねくくのちのみこと)〔祝〕【日本語】
容 姿不明。
特 徴木の神。林業や建材を司り、家屋を守護する。
出 典『古事記』(712年)、『日本書紀』(720年)ほか

全ての木々の祖先となった木の神!?

ククノチは日本神話に登場する木の神である。単なる木の神格化だけではなく、木の成長そのものを象徴するとともに、林業や建設用材料としての木材をも司り、家屋の守護者でもある。

『古事記』では、イザナキイザナミは国土を生み出した後、多数の神々を生み出す。その中で、風や野、山などの神々と一緒に木の神であるククノチも生んだ。

次生風神・名志那都比古神(此神名以音)、次生木神・名久久能智神(此神名以音)、次生山神・名大山(上)津見神、次生野神・名鹿屋野比賣神、亦名謂野椎神。(自志那都比古神至野椎、幷四神。)

次に風の神、名はシナツヒコを生み、次に木の神、名はククノチを生み、次に山の神、名はオホヤマツミを生み、次に野の神、名はカヤノヒメを生んだ。またの名をノヅチともいう。

『古事記』上つ巻「神々の生成」より

『日本書紀』でも同様で、イザナキとイザナミは海や川、山、草の神と一緒に木の神であるククノチを生んでいる。

次生海、次生川、次生山、次生木祖句句廼馳、次生草祖草野姬、亦名野槌。

(イザナキとイザナミは)次に海を生み、川を生み、山を生み、次に木の祖先のククノチ、草の祖先のカヤノヒメ、またの名をノヅチを生んだ。

(『日本書紀』第五段本文「神々を生む」より)

ククノチの「クク」については《茎》の意とも《木々》の古い形とも言われているが、はっきりとはしない。「チ」は《霊》の意なので、ククノチとは、まさに「茎の成長を象徴する霊力」、あるいは「木の霊力」といった意味になる。

家を建てたら、ククノチに建物を無事を祈願しよう!?

『延喜式祝詞』には「大殿祭(おほとのほがひ)」に祀る神として、「屋船久久遅命(ヤフネククノチ)」と「屋船豊宇気姫命(ヤフネトヨウケヒメ)」の2柱の屋船神の名前が載っている。ヤフネククノチについては「是は木の霊なり」と説明が付されているので、『古事記』や『日本書紀』に登場するククノチと同一の神である。ヤフネトヨウケヒメについても「是は稲の霊なり」と説明が付されている。

「大殿祭」というのは宮殿に災いがないように祈願する祭儀である。その儀式において木の神と稲の神が祀られるのは、おそらくは柱の材料となる「木」と屋根を葺く「稲」を建築用材料として祀っているもので、建材としての側面を強調するために頭に「屋船」という称号を付していると考えられる。

現在でも家を建てた際、上棟式において、竣工後の建物の無事を祈願して、ヤフネククノチとヤフネトヨフケヒメが祀られる。

ククノチを祀る神社

兵庫県西宮市の公智(くち)神社は、ククノチを主祭神として祀っている。久々智(くくち)氏がククノチを氏神として祀ったのが始まりという縁起が残されている。孝徳天皇が有馬温泉を訪れた際にお宮を建てたが、そのお宮の建材は、公智神社の土地の木が運び込まれ、これが非常に良質だったために「功地山(くちやま)」という山名を天皇より賜ったという記録が残っている。この縁起から、ククノチが単なる木を神格化した自然神ではなく、木材や林業をも司ることが分かる。公智神社では、9世紀頃、ククノチに加えて、林業の神としてのスサノヲとその妻のクシナダヒメを合祀している。

兵庫県豊岡市の久久比神社でもククノチを祭神として祀っているが、ちょっと変わった縁起がある。元々、垂仁天皇の時代、皇子の誉津別(ホムツワケ)が大人になってもまともに喋れなかったが、あるとき、鵠(くくひ、コウノトリの古称)が空で鳴くのを聞いて、初めて「これは何か」と言った。垂仁天皇は喜んで、臣下に「この鳥を捕まえてこい」と命じ、コウノトリが献上された。このコウノトリの棲んでいた場所に久久比(くくひ)と呼んで神社を建てたのが久久比神社で、木々が生い茂って霊力がこもった場所だったことから、ククノチが祭神として祀られるようになったのだという。

《参考文献》

Last update: 2024/09/01

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