2025年12月3日 ぬらりひょんを描いてみた。
日本伝承の「ぬらりひょん」を描いてみた。

ぬらりひょんは鳥山石燕の『画図百鬼夜行』などに描かれる謎の妖怪。昭和の妖怪本では、他人の家に勝手に上がり込んで、まるで家人のようにお茶などを飲んでくつろぐと解説されている。アニメ『ゲゲゲの鬼太郎』では、日本妖怪たちの総大将みたいな位置づけになっている。『ぬらりひょんの孫』でも、鬼太郎のイメージは踏襲されている。
このように、妖怪たちの親玉と言われることも多いが、実際のところ、江戸時代の文献では、解説などが何もない絵だけの妖怪なので、その正体は不明である。むしろ、江戸時代の草双紙の中では、妖怪たちの親玉が誰かという勝負をしたら、間違いなく、見越入道に軍配が上がるだろう。
2025年12月6日 またもや「音楽深化論」がやってくれた!!
みのさんが主催の「音楽深化論 the battle」の第3回目大会が始まった。第2回で古山菜の花が圧倒的な存在感を見せつけたので、楽しみにしていた。そうしたら、のっけからやられた。Kokemaro(こけつまろびっツ)の『蚊の研究』を是非、お楽しみいただきたい。
徹頭徹尾、ナンセンス詩の極みで、意味が分からない。でも、雰囲気はある。結構、コメント欄では「歌詞がもっとよければ」的な意見が多い。でも、何だか分からない言葉の連なりからでも感じられるものはある。それをフィーリングで自由に感じとることこそが、こういうナンセンスな音楽へのアプローチであって、楽しみ方だと思う。意味が通る文章にしか意義を求めないのでは、ちょっと感性が足らなすぎる気がする。
それに、iTuneで楽曲をダウンロードしてみたら、彼らの「鳩」という楽曲があって、そちらはもっとずぅっと歌詞としては分かりやすい。こういうちゃんとした(?)歌詞というか、物語も作れるのだ。まあ、分かりやすいけれど、ナンセンスで不条理な世界は変わらないんだけど。「鳩」なんかは、ある種の筋肉少女帯のような雰囲気もあったりする。
女性のコーラスが途中から入ってきて、いい雰囲気になる。これにも批判は集まっていて、もっと上手な歌手がいるだろうという批判なんだろうけれど、でも、この中途半端さ、発展途上な感じの生っぽさに違和感があって、味があって、この楽曲の雰囲気に合っている。狙ってやっているのか、偶然、こういう形になったのかは分からないけれど、個人的には、このまんまで突き進んで欲しいなあと思ったりする。何て言うんだろう。滅茶苦茶上手なバックバンドの上に、男性ボーカルと女性コーラス、歌詞の生み出す嘘臭さ、作り物みたいなざらざら感みたいなものが、とてもよい味になっていると思っている。
2025年12月10日 ももんがあを描いてみた。
日本伝承の「ももんがあ」を描いてみた。

着物を頭にかぶってモモンガの真似をして子供を脅かす遊びから発展したとされる妖怪。箱根の先に隠居した「廃れ者」妖怪の代名詞でもある。
ちなみに、最近はずぅっと、勝手に「妖怪の親玉」シリーズをやっている。見越入道、ぬらりひょん、そしてももんがあ。ももんがあが江戸時代の庶民にとって妖怪の親玉的な存在だったかどうかは分からない。でも、赤本『是は御ぞんじのばけ物にて御座候』では化け物たちを率いて見越入道と戦っている。
十返舎一九の黄表紙『怪談深山桜』では、見越入道はももんがあから化け方のことごとくを伝授してもらって、化け物たちの総お頭に就任するのだから、もともとは偉かったと言えるだろう。
2025年12月17日 三つ目入道を描いてみた。
日本伝承の「三つ目入道」を描いてみた。

三つ目入道は、三つ目の大男で夜道で人を驚かせる。江戸時代の草双紙ではしばしば妖怪の親玉として多くの手下を率いている。『化物一代記』(作:伊庭可笑、画:鳥居清長)では人間として誕生し、三つ目入道に成長して妖怪の親玉になった。
実は今回、密かに「妖怪の親玉シリーズ」というのをやってみた。見越入道、ぬらりひょん、ももんがあ、そして三つ目入道。いずれの妖怪たちも、妖怪の親玉である。江戸時代の草双紙では、断トツで見越入道に軍配が上がる。次点で三つ目入道。三番手がももんがあ。昭和に入ると、ぬらりひょんが妖怪たちの親玉になる。

実は、他にも『稲生物怪録』だと山本五郎左衛門と神野悪五郎の二大巨頭が化け物たちを率いているし、『異境備忘録』では12人の魔王がいて、その筆頭は造物大女王だと言うし、いろいろといるんだけど、今回はこの4匹の妖怪にとどめてみた。そのうち、他の親玉も描いてみたいなあ。
2025年12月20日 『ω城の惨劇』を読むために
忙しくて久しくまともに本屋に行けてなかった。久々に有隣堂に繰り出したら、森博嗣の『ω城の惨劇』が書店に並んでいた。10月に発刊されていたらしい。気づかなかった。そして、調べたら、どうやらこれでGシリーズは完結するらしい。なるほど。犀川創平&西之園萌絵シリーズ、瀬在丸紅子シリーズ、四季シリーズ、Xシリーズ、Wシリーズ、百年シリーズなど、いろいろなシリーズが出ていて、複雑怪奇な森ワールドを展開している。全部、追い掛けていて、ようやくGシリーズが完結する。
Gシリーズはこれまで『χの悲劇』と『ψの悲劇』が出ていて、エラリー・クイーンの『Xの悲劇』『Yの悲劇』のオマージュだ。ドルリー・レーンが主人公の悲劇四部作。『Zの悲劇』と『レーン最後の事件』が続く。だから、当然、森博嗣も『ωの悲劇』で締めるのかな、と思っていたし、そういうアナウンスがなされていた。それなのに『ω城の惨劇』が締めだった。ただ、悲劇四部作の最終巻の原題は『Drury Lane’s Last Case』だから、森博嗣のGシリーズ最終巻の英語副題「SAIKAWA Sohei’s Last Case」を鑑みれば、ある種、オマージュとしては成立している……のかもしれない。
さあ、読むぞ、と思ったんだけど、森博嗣のGシリーズを最後に読んだのはおそらく4年ほど前。最後の巻が島田文子が登場して、未来の話で、とても衝撃的だった記憶だけが残っていて、内容をすっかり忘れてしまった。犀川や西之園、瀬在丸や保呂草、四季、その他大勢の複雑な人間関係も、朧げになっている。うーん。そうか。せっかくなら、森博嗣のサーガを全部、再読破するか。
そう思って、『すべてがFになる』から読み始めることにした。そのうち、『ω城の惨劇』に辿り着く。1か月? 2か月? もしかしたら半年後かもしれない。でも、それでいいや、と思っている。そのくらいの時間軸でゆっくり読んで、『ω城の惨劇』に到達しようと決めた。
2025年12月24日 マリ・ルイドを描いてみた。
メリー・クリスマス。クリスマスなのに体調を崩してチキンもケーキも食べることが叶わない八朔シータです!!
さて、本日はちょっと趣向を変えて、ウェールズ伝承の「マリ・ルイド」を描いてみた。

マリ・ルイドはウェールズに伝わる死と再生を司る精霊だ。頭はウマの頭蓋骨で、新年になると家々を訪問し、カタカタと歯を鳴らして子供を脅かす。まさにウェールズ版の獅子舞である。
家主はマリ・ルイドがやって来ても、おいそれとは家に立ち入らせない。いろいろと理由を捏ねて、立ち入りを拒否する。マリ・ルイド側も、ああだこうだ家主を論破していく。そして、押し問答の末に家に入り、ビールをねだり、家の中を走り回る。子供たちを追いかけまわす。そのような興成の即興劇みたいなものが、繰り広げられるらしい。最終的には訪れた家に幸運をもたらすらしいので、ナマハゲにも似た存在とも言えるかもしれない。
と言うことで、クリスマスなので、それにまつわるような形で、マリ・ルイドを載せてみた。
2025年12月26日 白い食べ物三昧!!
このところ、お粥と素うどんだけの生活を強いられている八朔シータです。
さて、SNSに書くと心配されてしまうので、ここで記録しておこう。ずぅっと下腹部に違和感があって、たまたま仕事の時間が空いた隙をついて病院に行った。そうしたら、盲腸が疑われるとのことで大きな病院に移送された。でも、結果、大腸憩室炎と診断された。大腸にポケットみたいなのが出来て、そこに糞便が入り込んで炎症が起こるらしい。
というわけで、炎症を抑える薬を処方されて帰ってきた。以来、お粥と素うどん、豆腐だけの生活である。美味しいものを食べられるというのは、とても幸せなことだ。日常がいつ奪われるかは分からないものだ。もちろん、ね。治ればまた普通の食事生活には戻るのだろう。でも、結構、悶々としている。闘病生活は長そうだ。





