2025年11月6日 朝鮮妖怪のプルガサリを描いてみた
最近、ウェブマスターとしてサボりにサボっている八朔シータ。忙しくしていてすみません。体調不良ですみません。

朝鮮伝承の「プルガサリ」を描いてみた。久々のイラストの投稿だ。約3か月ぶりくらい。
プルガサリというのは朝鮮半島の伝説に登場する鉄を喰う怪物だ。最初はかわいらしい小動物で釘などを食べて育つが、次第に巨大化して村中の金属を喰らうようになる。身体が硬くて誰も殺せないので「不可殺(プルガサリ)」と呼ばれている。
元々は中国の貘が朝鮮半島に渡ってこの怪物に進化した。だから、デザインとしては貘の面影があって、ゾウのような鼻を持った姿で描かれる。
日本ではあまり知られていないが、本来、中国の貘は、蜀(四川省)に棲息する白黒の斑らのクマみたいな謎の獣で、武器(竹製の弓とか槍とか)を食べる。そう書いたら、なんだ、それってパンダじゃんって思う。でも、武器が鉄製になった後でも武器を食べる属性が残り続けて、気づけば鉄を食べる獣になってしまった。おそらく、これが実在するマレーバクと混同されて、次第に容姿はパンダからマレーバクになっていった。それが朝鮮半島に渡ると鉄を食べて巨大化する怪物になり、日本に渡ると夢を食べる怪物になったわけだ。
そんなわけで、ここからしばらくは朝鮮半島の妖怪をいくつか投稿する予定。乞うご期待。
2025年11月12日 朝鮮妖怪のトッケビを描いてみた
ここから少し頑張って、1週間投稿を繰り広げていきたい八朔シータである。

プルガサリに続いて、朝鮮伝承の「トッケビ」を描いてみた。トッケビは朝鮮半島の山や海に棲む精霊的存在だ。岩や木、古道具などに宿るとされる。夜道で旅人を驚かせ、牛を屋根の上に乗せるなどのいたずら好きな性格を持つ。山道で旅人にシルム(朝鮮相撲)を挑む。そういう意味では、河童にも似ている。勝利すると、消えてしまい、古い箒が残されているという伝承もあるので、正体は箒が化けた付喪神的な存在とも言えるのかもしれない。一方で、「トッケビの棍棒」で地面を叩くと望んだものが出てきたり、供物を奉げることで豊漁が期待できることから、福の神としての側面も持つようだ。
日本統治時代、日本語の教科書の中で、日本の「鬼」をトッケビと訳して紹介したため、両者が混同されるようになった。そのため、韓国本来のトッケビ像を復元しよう(日本残滓を排除しよう)と「トッケビ復元プロジェクト」が始まるなど、トッケビは政治的に利用されている側面もある。
今回描いたトッケビは、近年の韓国国内での議論を踏まえて、日本の「鬼」からは外れた形で表現にしてみた。角はないし、韓服を着ている。でも、こういう新しい「トッケビ像」に対して韓国国内でも批判はある。実際、角を描いている韓国のクリエイタも多いし、トゲトゲの棍棒を持たせていることもある。そういう意味では、扱いづらいところではあるんだけど、でも、トッケビを描かないで朝鮮妖怪を語れないので、今回、こうして描いてみた。
2025年11月19日 朝鮮伝承のクミホを描いてみた
朝鮮伝承の「クミホ(九尾狐)」を描いてみた。

クミホは中国の九尾狐が朝鮮半島に伝わったもので、1,000年生きたキツネが妖力を得て変化したものだ。朝鮮半島でも、中国と同様、美女に化けて権力者に取り入る点は変わらない。一方で、クミホは「狐珠」にまつわる独自の伝承を持つ。クミホは「狐珠」を口移しにすることで男性の精気を奪う。しかし逆にその「狐珠」を飲み込んだ人間は神通力を得るという。その一例として、「狐珠」を飲み込んだ秦國泰(チン・グクテ)という少年は、その後、名医になったと伝えられている。
最近の韓流ドラマでは、クミホは人間の肝臓を狙って近づき、そのままターゲットと恋に落ちてしまうというラブストーリーがよく描かれる。こういう妖怪と人間のラブストーリーというのも、クミホの中国や日本とは異なる特徴で魅力である。
2025年11月20日 マクロの世界とミクロの世界で考える視点
寛容さを大事に日々を暮らしている八朔シータ。さてはて。
最近、ニュース記事とSNSでのその反応を見ていて感じることがあるので、ちょっとここで書き出してみたい。最近のホットな話題で言うと、高市さんの「存立危機事態」を巡る発言だ。これについて、結構、SNSだけを見ていると高市さんに好意的な反応が多いように見受けられる。一方のオールドメディアだと批判的な立場での報道も結構、多い。ボクはこの是非を議論するつもりはない。個人的には、高市さんがちょっと勇み足だったかなと思うし、中国からはそこに付け込まれた格好だと思うので、結果としては好ましい状況ではない。
ただ、ボクが今回、書きたいのは、そういう高市さんの発言の是非とか、中国の対応の是非ではない。ずぅっと、SNSに横行する白か黒かみたいなザックリした考え方への違和感みたいなものが、ボクの中にはある。SNSだと「中国と仲良くする必要はない」とか「中国人が来るのは迷惑だからそもそも日本に来なくてもよかった」とか「中国人にホタテなんか渡さなくてもよい」とか、まあ、中国に対して敵対的で、高市さんを擁護する論調が多い。でも、ボクは立ち止まって少し考えてしまう。それって、あまりにも大枠での雑な考え方ではないかと思うわけだ。あまりに想像力が足らなすぎる。
たとえば、ボクの知人に、中国人と結婚している女性がいる。彼女の息子は小学校6年生だ。おそらくだけど、彼女の家は、今、とても窮屈な思いをしているのではないか。何しろ、彼女の息子にとって、父親は中国人で、父方の祖父母も中国人だ。攻撃の対象に晒されているし、祖父母との交流も難しくなっていくだろう。こういう目の前にあるリアルな世界に目を向けた上でも、「中国」という一括りの言葉で好き放題に発言できるのだろうか。
たとえば、中国企業も含めていろいろな国で商売をしている日本の中小企業がいて、たくさんの観光客の中には中国人もいて、そういう中で収益を上げている業態もたくさんある。ホタテを中国に売ることで利益を想定していた会社だって、当然、あるだろう。日本全体を考えれば、たしかに中国に依存しない経済の確立は進める必要があるだろう。オーバーツーリズムの解消も課題だから、観光客を抑制する活動も、超長期的には必要だ。ホタテだって、最終的には国内需要で賄えてしまうのかもしれない。でも、見つめなきゃいけないのは、そういうマクロの世界ではなくって、ミクロの世界だ。個人個人の立場で考えたときに、中国との取引が1件潰れることで大ダメージになるような零細企業だって、当然、ある。観光地だってそうだ。売り上げが確実に下がる。それで日々の生活が立ちいかなくなることだってある。それを国益のために受け容れろというのは、残酷な話だ。彼らにとっては、どの国の人であろうとも、必要な顧客であり、売り上げである。「中国人なんか相手にしていたから悪い。潰れてしまえ」と言えるのか。そういう人たちを黙殺して、日本全体にとってのプラスやマイナスを議論するというのは、あまりにも短絡的だし、思い遣りと創造力に欠けた発言だ。
SNSに書き込む前に、ちょっとだけ想像して、思い遣って欲しいよなあ。それって、そんなに難しいことなのかなあ。
2025年11月21日 キノコ雲をあしらったランプ!?
いつだって優しさが大事だと訴え続けることにしている八朔シータである。こんにちは!!
最近、巷でaespaが炎上(?)している。最近のK-POPの中では格好いいし、個人的には嫌いじゃない。でも、ボク自身は紅白に外国のアーティストを呼ぶことにはあんまり賛同はしていない。まあ、でも、そうは言っても、うん。今年の日本のビルボードランキングではaespaのWhiplashがかなり上位に食い込んでいたからなあ。まあ、紅白出場というのは、妥当な判断かもしれないのかなあ。うーん。
でもね。でもね。紅白出場停止を求める署名にわざわざ賛同して彼女たちを排除しようとするのは、それはそれで悪意があるというか、性格悪いよね、とも思う。もっと楽しいことをすればいいのに。
2025年11月26日 日本伝承の見越入道を描いてみた。
日本伝承の「見越入道」を描いてみた。

見越入道は夜道などに通行人の前に出現する。「背が高い男だな」などと見上げてしまうと、どんどん大きくなって、遂には通行人は気を失ってしまう。「見越入道見越した!」などと唱えたり、見下ろしたりすると消えると信じられている。
江戸時代の草双紙の中では、妖怪たちの親玉として活躍することが多い。草双紙の中の妖怪たちは、大抵、人間に舐められている。手下の妖怪たちを囲んで、どうやって人間たちの鼻を明かしてやろうかと相談するとき、見越入道がリーダーシップを発揮している。
2025年11月30日 ものものけけけけものものけけけけ
昔も今もたまが大好きな八朔シータ。YouTubeで知久寿焼氏を見て魂消る!!
というわけで、まさかのたまの知久さんが音楽進化論に出演していて、本当に驚いた。しかも「令和のたま」の異名をとる古山菜の花氏とのコラボだから尚更。
何が凄いって、この番組で、知久さんのバックグラウンドが分かる。彼がどんな音楽に影響を受けてきたのか。どんなことを考えているのか。しかも、知久さんがボイスメモを使って音楽のアイディア出しをしているというのに、ちゃんと知久さんもテクノロジィに対応しているのだなあと思って、感慨深い。しかも、こうやってYouTubeに出てくるのも、今風に対応している感じがする。
最後、古山菜の花氏の作詞・作曲の「もものけはいない」という楽曲を、知久さんとコラボで演奏する。これがまた圧巻だ。もちろん、古山さんの楽曲のクオリティというか、遊び心も素晴らしいんだけど、ある意味で完成された楽曲に対して、当たり前のように「元々こんな風でしたよ」という雰囲気で合いの手を入れて、音楽を成立させてしまう知久さんの音楽理解というのか、音楽包容力というのか……なんか、もう、圧巻なのだ。しかも、前半は知久さんの徹底解剖なので、照れくさそうにポツポツと話しているんだけど、後半の古山さんの徹底解剖になると、妙にリラックスして自然体で話していて、それがまた素敵だ。優しい。





