2020年8月6日 一身独立して一国独立す

福沢諭吉の言葉に「一身独立して一国独立す」というのがある。個々人がちゃんと国のことを考えていないと、国が成り立たない、ということを言っている。

ときは幕末、開国を求めて多くの外国人が日本に押し寄せてきた時代に、オランダ人のカッテンディーケが、商人に「今、外国が侵略してきたらどうするか」と問うたところ、商人はキョトンとして「それはお上のなさること。我々には関係ありません」と答えたという。まさに福沢諭吉の恐れる、一身が独立できていない国家の在り様である。

今、新型コロナウイルス感染症が猛威を奮っているが、周りの人々の反応が、まさにこんな感じだなあ、と思っている。曰く「早くコロナが収束するといいね」という態度だ。「なかなか収束しないね」と囁き合っている。でも、何のアクションせず、ただ待っていたら、それで勝手に新型コロナウイルスが形をひそめてくれるわけじゃない。明るい未来は自分たちの手で切り開くであって、漫然と明るい未来が転がり込んでくるのを待っている姿勢ではいけない、とボクは思う。

接触8割減というのが政策として良かったのか悪かったのかは分からない。でも、少なくとも一時的な封じ込めには成功して、劇的に新型コロナウイルスの感染者数は減った。行為によって、結果が出たと言える。

さすがに緊急事態宣言と同じことを何度も繰り返すことはできない。経済も疲弊するし、我々の生活もしんどい。だからこそ、みんながほんのちょっとの努力で、できる限り接触を減らしていくしかない。そのアクションを、とり続けることしかできない。決して、他人事ではないし、ひとりひとりが取り組むしかない。そういうのが、本当の意味での「民度」だと思う。

2020年8月6日 収束して終息!?

「早くコロナが終息するといいね」というLINEが飛び交う世の中だ。いろいろと思うところはあって、ひとつ前の記事になったわけだけど、もうひとつ、ボクが気になっているのは言葉の使い方だ。「終息」なのだろうか。ボクはずぅっと「収束」だと思っている。「終息」というのは、少しだけ遠い未来のような気がする。ワクチンが出来て、新型コロナウイルスに感染しても平気な世の中が、多分、「終息」なのだと思う。ワクチンが出るよりも先に、ボクたちは「新しい生活様式」を確立して、何とか日常生活を取り戻す必要がある。その時点は「収束」なのだと思う。「収束」の後に「終息」かな、と思っている。ただ漫然とワクチンの確立を待っているだけでなく、当たり前の日常生活を取り戻す。まずは「収束」だと思う。

2020年8月8日 脱・TOEICのすゝめ

ここのところ、TOEIC事務局がやらかしている。2020年1月のテストを最後に、ずぅっと新型コロナウイルス感染症の影響でテストを中止していたTOEICだけれど、三密回避の対策をとって、ようやく第252回の申し込みが始まった。定員制かつ先着順という判断だったわけだけれど、7月8日の申し込みの日、10時00分に希望者が殺到して、サーバがダウンして、何度かトライすると繋がるような状況。我が社のメンバーも申し込もうとトライしたけれど、結局、仕事をしながらサイトに何度もアクセスすることはできないので、断念。昼休みにアクセスしたら、もう定員に達していた。

働いている大人からしたら、10時00分の申し込みであっという間に定員になってしまうのでは申し込めない。おそらく、そんな苦情があったのだろう。8月5日の第253回は申込時間を12時00分からに変更された。ところが、今回もあっという間にサーバがダウンして、TOEIC事務局は急遽、申し込みを中止した。

そして8月7日、抽選での申し込みに変更された。その上、申し込みと同時に支払うシステムなので、取り敢えず、先払いしておいて、抽選に漏れた人に返金する対応。返金までに2~3か月掛かるとの案内だった。なるほど、申し込みと支払いが一括のシステムで、これを変更できないから先着順という無茶な選択をしていたのだな、と納得すると同時に、先払い・返金の対応では、我が社の経理が対応できないのでは、と思って社内で緊急の会議を開く羽目になった。

前回、サーバがダウンしたのに、大した対策もしていないわけだし、全ッ然、新しいことではないので、想定される受験者の数も分かっているだろうし、その上で、7月8日から8月5日まで、ほぼ1か月あって、システム変更とか諸々、いろんなことを実装しないまんまでいたわけで、その上で、先払いさせて返金するなんて無茶苦茶だなー、と思う。殿様商売だなー、というのが正直な印象だ。

個人的には、さようならだなー。ボクは今後、TOEICを受験することはないだろう。結構、テストも長時間で体力を使うので、拷問のようだな、と個人的には思っていた。我が社の英語受験も、これを機に他のものに変更しようかな、と本気で考えている。どうだろうね。やっぱり、TOEICのネームバリューにみんな、のっかりたいのだろうか。こんなに対応がイマイチなのに、申し込みに1万人とか並んでいるんだもんなー。大手ってすごいなー。

2020年8月12日 正しく恐れる

鴨頭さんのYouTubeでかなりセンセーショナルな発言があった。統計データとして、新型コロナウイルス感染症での死者の累積が約1,000人。これは連日報道されているのでみんな知っている。インフルエンザによる死者が年間に約3,000人。これも、まあ、比較的、知られている。交通事故による死者も年間約3,000人。これも、年々、減少傾向にある。さて、餅を喉に詰まらせて死んだ人、年間約3,000人。これは……知らなかった。餅って意外と怖い Σ(゚д゚;)!!!!

そして、今まで東京都で新型コロナウイルス感染症で亡くなった人の平均年齢が79.3歳。これには度肝を抜かれた。ほとんど寿命じゃん。というか、死者の大半がお年寄りだ、ということの証左だ。イタリアやニューヨークでたくさんの人が死んだけれど、でも、日本における死者は事実ベースで約1,000人。しかも東京での死者の平均年齢が79.3歳。データだけ見ると、新型コロナウイルス感染症は、そんなに怖くない、ということかもしれない。

日本の死亡率が低い理由はよく分かっていない。いろいろな人がいろいろなことを言っている。やれ「民度だ」という政治家もいれば、日本の生活習慣(手洗い・うがいの徹底、マスクの着用、非接触型コミュニケーション、部屋で靴を脱ぐ習慣)だという人もいる。BCGワクチンが効いている説もあれば、そもそもアジアで一度、類似したウイルスが流行っているため免疫ができていると唱える人もいる。高齢者施設でのこれまでのウイルス対策が功を奏していて、実は高齢者施設での大規模なクラスターが発生していないのが大きいという議論もある。いずれにしても、統計上は、あんまり新型コロナウイルス感染症は怖くないのかもしれない、と思う。

人間、未知のもの、新しいものには敏感だけれど、実は既存のものも恐ろしいものはたくさんある。でも、何故か既存のものには鈍感になる。インフルエンザは受け容れてしまっているし、交通事故も度外視している。でも、死者の数だけ見れば、圧倒的に新型コロナウイルス感染症よりも多い。

後遺症が残るという話もあって、その辺はあんまりちゃんと報道されている印象がないのだけれど、その辺はどう評価するんだろうなあ。

東京都福祉局の調査報告:https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/iryo/kansen/shibousyourei.html

2020年8月15日 のび太ジュース水道局!?

今週の『ドラえもん』が「水道ジュース変換アダプター」というお話だった。面白かったので紹介したい。

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ドラえもんが未来から取り寄せたのは「水道ジュース変換アダプター」。水道の蛇口にこのアダプターを取りつけると、水道水がジュースに変換されて出てくるという代物で、さまざまな味が楽しめる。のび太とドラえもんは自宅の散水栓に「水道ジュース変換アダプター」を設置し、さらに「亜空間パイプ」を使って、亜空間に水道管を布設して自分の部屋まで水道システムを引っ張ってくる。部屋にいながらにしてジュースが飲めるので、のび太もドラえもんも大喜びだ。

ここで、いつものとおり、のび太は悪賢さを発揮し、これで一儲けしようと「のび太ジュース水道局」を設立し、300円でみんなにジュースを提供することを考える。のび太の自宅から「亜空間パイプ」で友人たちの各部屋にジュース水道を引き込む。友人たちはいつでもジュースが飲み放題、という寸法だ。なかなかいいアイディア。

ところが、ジュース水道の事業運営は簡単ではない。水圧が確保できず、のび太の家から遠いスネ夫の家にはジュースが届かない。そこで、今度は水圧を上げる。それでスネ夫の家でジュースが出るのを確認すると、今度はジャイアンの家から水が出ないというクレーム。水圧を上げたせいで、公園で大規模な漏水が起こっていた。漏水による水圧低下で、そこから先の家でジュースが出なくなっている。公園にいる子供たちは大喜びでジュースを飲んでいて、誰も漏水をのび太たちに教えてはくれないのだ。その上、高水圧によってウォーターハンマーが起こって、ゴンゴン音がすると苦情が入る。のび太とドラえもんはその対応に追われる。

一番、リアルだったのは、スネ夫が1000円を払って「オレンジジュースじゃなくてブドウジュースにしろ」と言うシーン。のび太がブドウジュースに切り替えた瞬間、女の子から「ジュースの色がおかしい」とクレームの電話だ。のび太は説明を余儀なくされる。

いろんな対応に追われることに疲れて、ついにのび太は事業を畳むことを決意して顧客を集めて説明会を開く。けれど、顧客からは「子供たちのライフラインだぞ」と突き上げられる。そこで値上げするで事業継続することを提案しても、それも反対される。何とか説得して事業を畳めたのび太とドラえもんだが、蛇口の撤去に追われる。事業運営というのは案外、難しいものだ。

最大のオチは、野比家の水道料金が跳ね上がることだ。全てのジュースの水源は野比家の散水栓だったので、ママの大目玉を喰らう。

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水道管の老朽化が進み、値上げしなければいけないと各自治体が頭を悩ませている。民営化で何とかなるんじゃないかという議論も始まっている。そんな中で、結構、攻めたテーマだと思うし、なかなかリアルだ。企画の裏に、厚労省か水道事業体が噛んでいるのではないか、と勘繰ってしまう。でも、本当に、インフラを維持管理するというのは大変だよなあ、と思う。みんなで考えていかなきゃいけないよね。

2020年8月16日 天は赤い河のほとりの世界を!!

ここのところ、ヒッタイト神話についてまとめている。結構、資料が少ないので、断片的な情報からの整理になる。しかも、意外と『筑摩世界文學大系 1 古代オリエント集』(訳:杉勇ほか,筑摩書房,1978年)の情報からアップデートされていないので、結局、この本に戻ってきてしまう。や、もちろん、英語のウェブサイトとか、細々とではあるけれど、日本人の学術論文も参考になる部分はあるし、ヒッタイト語文献の断片の繋ぎ合わせも進んできている印象はある。そういうのを、取捨選択しながらまとめてみて、結局、1978年の筑摩世界文學大系がよくまとまっていて、すごいなあ、と思った。逆に英語のWikipediaなんか、かなりの部分、断片の繋ぎ合わせを独自の解釈ではないかな、と疑うような記述もあって、難しさを覚えた。その辺は、あまり深掘りしないでまとめている。

そんなわけで、ここのところ、シュメル・アッカド神話旧約・新約聖書のおっかけをやってきて、ちょこっと息切れしてきたので、未確認生物(UMA)みたいなイージィなところでお手軽に更新をしてみてバランスをとっている今日この頃である。

2020年8月28日 神は細部に宿る

妻が入院して、バタバタしていた。症状自体は大したことはなく、じきに退院するのだが、入院そのものは事実なので、家のこと一切を引き受けることになる。何が戸惑ったって、小学校のルールとか、習い事の時間なんかが分からないこと。コロナ禍なので、体温を測って記入する様式があったり、連絡帳の記入があったり、学童とのやりとりなど、任せっきりだったなあ、と思う。習い事についても、何曜日の何時からなのか、何を持って行くのかなど、細かいところが分からない。炊事洗濯はやってやれないわけではないのだろうけれど、そういう細々したことが、実はとても重要だったりする。そんなわけで、バタバタした1週間であった。