2020年9月5日 コモディティの時代のプラスアルファ

髪を切った。ずぅっと美容院を決めあぐねて、半年ほど転々としていた。でも、本日、ここにしようと決めた。決め手は美容師の女性が賢い人だと直感したからだ。任せられると思った。

雑談の中で、美容院を転々としている話をしたら、その理由を問われた。彼女は「技術的な問題」とか「仕上がりの好み」など、何が満足できなかったのかを探りにきた。「居心地かなあ」などと答えるボクである。すると、彼女はすぐに同意した。「分かります。私もレストランとかで居心地が悪いと、もう行かないって思います。居心地って大事ですよねー」。そして、すかさず「でも、美容師的には……美容師的には、ですけど……2回目が勝負、みたいなところがあるかなあって思うんです。私は少なくとも2回目が勝負だーって意気込んでいて……。自分が切った髪が、その後、どういう風になるのか。その後のメンテナンスのしやすさだったり、伸び方だったり。そういうのを一度、見てみて、そして、2回目をどうやって切るかを考える。そういう意味では、私は2回目を大事にしたいんです」。こう言われてしまうと、2回目も来なきゃいけないかな、と思わされてしまった。交渉術の基本は、まずは相手の意見に同調することだ。相手の意見を認めた上で、異を唱える。さらり、とそれをやられてしまった。

髪を切り始めて、あっという間に短くなったときに、2か月前のパーマがまだ結構、毛先に強く残っていることに気がついた。「あれ? 結構、前のパーマが残っていますかね?」とボクは問う。まだ、髪がふわっと横に流れている。彼女は「そうですねえ。実は、私、『はじめまして』ってお会いした瞬間に、あれ、今回、パーマはいるのかな、と思いました」と白状される。そして「それじゃ、今日はパーマなしにして、カットだけにしましょうか」と提案される。「それで大丈夫ですか?」と聞いたら、さらに「もしもやっぱりパーマをかけた方がよいと思ったら、1週間以内だったら、カットする必要もないし、差分のでパーマにしますから」とのこと。とても柔軟で、潔い対応だ。

そんなわけで、もう、任せてしまえ、と思った……というお話。コモディティの時代だから、技術的にはみんな、そんなに遜色はない。みんな上手。だから、結局、最終的には、プラスアルファ、付加価値みたいなところで差が生じる。うまく、ボクの価値観と合致した。

2020年9月8日 それ以上面白い動画を出せばいいんです。

最近、女性同士の諍いがあちこちで起こっていて、悲しくなる。家政婦が猫を殺した問題でねじれた二人もそうだし、北海道のアウトドア女子二人もそう。どちらに正義があるとか、そういう話ではなくって、一方的にどちらが粘着質に相手に絡んで爆弾を投下し続けている。真実は当事者にしか分からないから全体の評価はできない。でも、ボク個人としては、攻撃している側がアウトだ、という印象。どちらも公開を前提としていない資料を勝手に公開している。たとえば、友人同士のLINEでのやりとりとか、ドライブ中の私的な会話などだ。こういうのは、いくら相手に非があったとしても、公開したらアウト。ボクはそう思う。

誰だって、プライベートには弱音を吐く。本音を吐く。それは、決して清廉潔白でもなければ、聖人君子でもない。だけど、クローズドな空間で、プライベートだから吐き出すのだ。それを勝手にオープンにするのは、ルール違反だし、浅ましいし、アウトだ。その意味で、ボクはそちら側には与することができないな、と思っている。

たとえば、ね。豊胸詐欺を告発するのはいいと思う。薬物疑惑を告白するのも悪くはない。でも、ファンに対して吐いた暴言を勝手に公開するのは……これは正義じゃない。正当化できない。たとえば、ね。テンプレートをパクったとか、経歴を査証しているとか、実は組織で活動しているとか、そういう告発は、まだ許される。でも、やっぱり、ファンに対して吐いた暴言を晒したり、煽り運転を彷彿とさせる発言を切り取って発信したりするのは、これは正義じゃない。人を貶めることだけを目的にした活動になってしまっている。

ちょっと前には、「孤独を孤立させない」を標榜するアイドルが揉めていた。暴露合戦になっていた。結局、ファンはどちらに転んでもハッピィじゃない。両方の評価が下がって、悲しくなる。

相手を貶めることではなくって、自分を高めることに人生のエナジーを費やした方がよい。悪の秘密ぼっち「ヘライザー」が言っていた。「(テンプレートをパクられたら)それ以上面白い動画を出せばいいんです」。ホントだよ。そこに執念を燃やさなきゃ、ダメだ。人を貶めても、自分の地位は上がらない。そんな悲しいことに躍起になっているのを見るのは辛い。

2020年9月10日 作品と演者

伊勢谷友介が逮捕されて、作品の行く末がどうなるのか議論されている。

正直、ボクは伊勢谷氏の記事が出たときに、名前と顔が一致しなかった。「誰ー?」って感じ。名前の字面は見たことがあったし、耳で聞いたことがあった。ニュースにもなっているし、有名なのだろうな、と思った。でも、名前と顔は一致しなかった。だから検索をした。そして、「ああ、知っている!」とすぐに思った。でも、どの作品に出ている人かというと、実はピン、と来なかった。いろんなところで見るなあ、CMで見たことがあるのかなあ、という感じ。

これは決して、伊勢谷氏が悪いということではなくって、ボクが芸能について不勉強なだけ。いずれにせよ、ボクにとって伊勢谷氏の印象はそんなもんだ、ということを、まずはここに書いておく。その上で、作品と演者について書こうと思う。だから、決して、伊勢谷氏を擁護するわけでも、何でもない。

日本では、演者が何か問題を起こしたときに、作品そのものを封印する傾向がある。そして、勝手に自粛しておいて、演者に違約金を求める。でも、それっておかしい。ファンは作品を求めていて「買うよ!」と言っているのに、それで得られる利益を勝手に放棄しておいて、生じた損害を演者に請求する。つまり、世論と一緒になって法律以上の罰を犯罪者に科して気持ちよがっているだけだ。たとえば、不特定多数の人が見る可能性のあるテレビでの放送を自粛するのは分かる(これも、最近は見たい人が見るんだからいいじゃん、と思うけど)。でも、映画は見たい人が映画館に行くのだ。DVDは買いたい人が買うのだ。今や、どんな手段でも顧客に作品を提供できる時代だ。

それに、罪を犯した個人以外の損失が大きすぎる。たとえば、すごく名演技をした他の役者が、それでもって注目されてスターダムにのし上がれるかもしれないのに、それを封印することで、その役者の人生を潰す。その役者に何の非がある? あるいは監督だってそうだ。長年構想してきた作品で評価される道を潰されて、その監督に何か非があるのか。連帯責任という得体のしれない何かをおっかぶせて、社会のマスターベーションだと思う。

ここまで過激に書くのは、ボクが伊勢谷氏を知らないからだ。擁護じゃないからだ。大抵の場合、薬物や性犯罪や……こういう事態になると、ボクが知っている人が多いので、どうしてもその人の才能に肩入れして、勿体ないじゃん、という論調になりがちなのだけれど、今回は伊勢谷氏を知らないので、自由に書けるなあ、と思って書いている。そんなこんな。

2020年9月12日 技術革新とギャップ

最近、ようやく重たい腰を上げて、iPhoneをSEから7に更新した。少しだけ大きくなって、ポケットにうまく入らないので、SEがよかったな、と思っている。でも、モニタを大きくしていくのが時代の流れだ。

何も考えずに写真を撮ってパソコンにダウンロードしたら、拡張子がjpegじゃなくて、heicになって、表示されなくなった。何てこと。慌ててjpegに変換する方法を検索する。圧縮率が高い効率的な画像なのに、敢えて非効率なjpegに戻す作業をしなければならないとは。何てこと。

iOSサイドの技術革新と、Windowsサイドの技術革新でズレが生じるわけだ。そういう時代なのかなあ。パソコン側でheicに対応することは容易だ。でも、それで使い慣れて、他の人に送付したら、見えないなどと言われるわけだ。ウェブで使おうと思っているボクとしては、やっぱりjpegに落とさざるを得ない。

こういう技術革新は、各社で勝手にやらずに、プラットホーム全体で議論して進めてくれればいいのにな、と思う。うーん。

(ってぇか、今更、heicの話!? ……と思われているのではなかろうか)

2020年9月13日 大麻はドーピングなのか!?

当然のことだけれど、ボクは大麻を経験したことがないので、大麻を摂取して創作したときに、結果がよい方向に行くのか悪い方向に行くのかは分からない。それって未知の世界だ。

伊勢谷氏の件で「作品に罪はない」という論調に松本人志が異を唱えていた。「俺が例えば、シャブをガンガンきめて、コント10本ぐらい撮ったら何本かすごい名作生まれると思うんやけど、それで作品の罪はないのか?」とのこと。松ちゃんはピエール瀧のときにも「ドーピング」という言葉を使っている。ボクは、そもそも、この論点が間違っていると思う。つまり「薬物の使用=ドーピング」ということは、薬物が潜在的な能力を引き出すということを大前提としている。でも、本当にそうなのか。薬物に才能を引き出す力があるのなら、大麻を使用する人はなくならないだろう。そうじゃない。メディアは「大麻を摂取したらすごい作品がつくれるかも」という幻想を視聴者に抱かせたらいけない。

たとえば、アルコールを摂取して閃いたアイディアなんか、酔いが醒めたら使えないものが多い。そりゃあ、発想が自由になるとか思うのかもしれないけれど、ボクはそうは思わない。創作は感性と理性の狭間でつくるものだ。理性をふっ飛ばしてしまったら、いいものなんかつくれない。だから、薬物を使ったって、ものすごいものなんかつくれない。そういうことにしておいてくれないと、メディアとしては失格だ、と思う。変に薬物を神格化したり、美化したりしてはいけない。本当のところは摂取したことないから知らない。でも、事実よりも報道の在り方として、そういうことにしておいてくれないと、ダメだ。だから、「薬物を摂取してドーピングしたからいいものがつくれた」なんて報じてはいけない。

ここからは、ボクがアルコールを飲んだ経験からの想像だけど、多分、薬物は一瞬だけ、恐怖とかストレスをなくしてくれるんじゃないかな、と思う。心が弱ったときに、幻想でも、一時的に復活させてくれるんじゃないかな、と。そういう意味じゃ、心のドーピングではあるのかもしれない。でも、それでインスピレーションが湧いて、天才になれるようなものではないのだ、と思う。芸の卓越した人たちは、かなりロジカルに考えて生きているとボクは信じている。試行錯誤して、分析して、成功者になっている。決して、感覚だけを頼りに成功しているわけじゃない。そういうのは、たとえばカジサックにゲストとして呼ばれるお笑い芸人の話を聞けば分かる。みんな、研究している。訓練を積んでいる。そういう結果が、成功に繋がる。そういうことにしておかないと、ダメだ。

2020年9月16日 もらい事故、ご愁傷さま

つるの剛士氏のツイートが粘着質な人に絡まれて炎上……否、話題になっている。以下、つるの剛士氏のツイート。

これが外国人に対するヘイトスピーチだと絡まれたのが発端だ。うーん。ボクはこういうのはエピソードトークの一種だ、と思う。犯人が「日本語が分からない」の一点張りで、それにイライラしたのだろう。日本語が分かろうが分かるまいが、犯罪は犯罪で、それで逃げられるわけではない。そんな気持ちが伝わってくる。こういうのは、外国人差別ではない。一件案件のエピソードだ。登場人物の犯人が外国人だっただけだ。もし、仮につるの剛士氏が、この文章の後に「だから外国人は嫌なんだ」的な発言で、十把一絡げに『外国人』というレッテルを貼って非難していたら、そういうのが外国人差別だ。そこには明確な違いがある。彼のツイートは、ただのエピソードトークであり、事実だ。

ところが、その後もいろんな人が絡んでいる。つるの剛士氏は農林水産省の盗難被害への注意喚起をしたツイートを引用していることを踏まえて、やれ、つるの剛士氏の発言は、家畜や農作物、トラクター等の盗難まで外国人の仕業だと誤認させる的な攻撃をしかけている、というのだ。うーん。こういうのに絡まれたら、大変だよね。有名人って大変だな、と思う。そういう恣意的な誤読をしてしまう人こそ、実は色眼鏡で世界を眺めていて、差別しているのだろうな、と思う。そんなこんなで、こんなことをニュースに取り上げるなよ、と思う。ただのもらい事故じゃないの。

2020年9月19日 足の速いベルモットとの戦いの日々!?

最近、カクテル生活を再び、取り戻した。子供が小さいときには、酒瓶の類いは危ないということで、全部、撤去した。まあ、それは体のいい理由で、本当のところは、授乳で妻のちぃ子がアルコールを摂取できないというところが大きな理由だったのだと思う。でも、ある程度、ツクル氏も大きくなってきたので、改めてカクテル生活のリ・スタート。

若い頃は、ひとつひとつのアルコールを入手するのにも、ちょっとした勇気が必要だった。たとえば、ジン、ウォッカ、テキーラ、ラム、ウィスキー、ブランデーくらいなら、ベースのお酒だから容易に手を出せる。でも、ベルモット、キュラソー、各種リキュールなんて、使用頻度も多くない中で、1本買うのは、結構、覚悟が必要だった。でも、今はあっという間に、お店が開けるくらいの種類のアルコールを一式、揃えられる。贅沢なことだ。コアントロー(ホワイト・キュラソー)、グラン・マルニエ(オレンジ・キュラソー)、ブルー・キュラソー、ノイリーのドライ・ベルモット、チンザノのスイート・ベルモット、ミント・リキュール、カカオ・リキュール、カシス・リキュール、そして、ペルノーとアロマティック・ビター。いろんなカクテルがつくれる体制が整った。

ベルモットは足が速いが難点だ。あっという間に酸化して酸っぱくなる。だから、ここ数日は、もう、ベルモットを使ったお酒ばっかり飲んでいる。バーなんか開いたら、きっとベルモットの扱いが難しいだろうな、と思う。そんなに減っていかないのに、すぐにダメになる。うーん。

青い珊瑚礁
青い珊瑚礁

2020年9月20日 マティーニがカクテルの王様と言われるのは何故か!?

よくカクテルは宝石に譬えられる。でも、正直、ボクは実感を伴って「そうだよなー」って感じたことがなかった。確かにいろんな色がある。キレイだ。だから宝石だとか言われているのだろうなー、と漠然と感じていただけだ。ところが、最近、ステアのカクテルをつくるようになって、考え方が変わった。カクテルと言えばシェイクだと思っていたので、ずぅっとシェイカーを使うお酒ばかり使っていたんだけど、ベルモットはステアのカクテルが多い。前の記事にも書いたけど、ベルモットは足が速い。すぐに酸化する。だから、極力、ベルモットの使うカクテルをつくろうと頑張る。畢竟、ステアのカクテルをつくることになる。

シェイクのカクテルは、材料と氷をシェイカーに入れて、よく振る。中に小さな空気穴があって、空気が混ざるような仕掛けになっている。それがまろやかな味をつくりだす。でも、空気が入り込むので、カクテルとしては少しだけ白濁する。一方、ステアは材料と氷をミキシング・グラスに入れて、そぉっと掻き混ぜる。シェイクもステアもよく冷えるまで混ぜるわけだけど、ステアの方は決して濁らない。透き通っている。ステアのカクテルをカクテル・グラスに注ぐと、キラキラしてとてもキレイなカクテルが出来上がる。

マティーニというお酒が大人気なのも分かるな、と最近になって思うようになった。シェイクよりもステアのカクテルの方がまろやかではないけれど、キレイだ。まさに宝石のよう……。

マンハッタン・ドライ
マンハッタン・ドライ

2020年9月21日 もうすぐプペルが始まるよ!!

2020年9月22日 神の手を持つのび太だ!!

『映画ドラえもん のび太の新恐竜』を観てきた。のび太って恐竜の卵の化石を見つける才能が桁違い。誰にも真似できない。神の手か!?

シナリオは恐竜の進化に関わるミッシング・リンクで面白かったけれど、ボクは個人的にオープニングがピカイチだと感じた。エディアカラ紀から始まって、カンブリア大爆発。アノマロカリスやら何やら。そして魚になって、ダンクレオステウスだと思うんだけど、それが泳いでいて、両生類になって、浅瀬で植物をかき分けて泳いでいて、そのうち、陸上を這い回る両生類が現れて、メガネウラが飛んで、その後、小型の恐竜が走り回って、そして白亜紀!! ここまでの歴史を、ざざーっとオープニングで流した。これ、ピカイチだと思う。あっという間の映像だけど、生命の歴史がものすごく凝縮されている。もう、それを見ただけで、ボクは満足してしまって、「ああ、これはいい映画だ!」と拍手喝采していた。

2006年の『映画ドラえもん のび太の恐竜』では、のび太は恐竜の卵の化石を発見して、タイム風呂敷で時間を戻してフタバサウルスを孵してしまう。今回も、恐竜の卵の化石を発見して、新種の恐竜を孵してしまう。で、白亜紀に戻しに行く。筋書きは同じ。「昔も同じようなことをのび太は首長竜でもやっていたよ」と、そんな話を息子のツクル氏(6歳)にしたところ、「首長竜は水の中で暮らすのに、のび太はどうやって家で育てたの? お風呂じゃすぐにママにバレるよ」と言われてしまった。はっはっは。当時は首長竜が常時、水の中にいて、胎生だなんて思っていなくて、水陸両用で、陸地を這うこともあると信じられていた。時代だなーって思う。息子は恐竜の図鑑をよーく読み込んでいる。

2020年9月25日 それじゃあ、二重苦、三重苦じゃない!?

不倫問題でスポーツ選手が問題になっている。すれ違いコントで有名な芸人のときにも思ったことなので、改めて書いておこうかな、と思う。

不倫って、ボク自身は、まずは夫婦の問題だと思う。多分、不倫が発覚して、一番、ショックなのは、配偶者だ。その上で、配偶者が何を望むか。そこを考えて対応しないと、逆効果になる。

たとえば、夫が不倫をしたとして、それが発覚して、ショックを受けるわけだけど、それが報じられて、白日の下に晒される。これもまた、ショックだとボクは思う。さらに追い打ちをかけるように職を奪われるとする。もしもそれを妻が望んでいたならよいだろう。でも、離婚せず、修復してやり直したいと思っていた場合に、夫が社会的に攻撃され、職を奪われ、収入が絶たれて、結局、一番、社会的制裁の被害を受けているのって、不倫した本人ではなくって、その配偶者にならないか? オリンピックに出られないのではないかとか言われているけれど、夫が批判されること、夫の仕事が制限されること、夫の収入が途切れることは、そのまんま、生計をともにする妻への攻撃になる。

……なんてことを考えて、やりきれないな、と思っている。メディアって罪よね。

2020年9月30日 実は日本こそが発展途上国だ!?

仕事でマラウイに行ったのは2017年のこと。行ったのは商業都市ブランタイヤだ。2019年には首都リロングウェに行った。頻繁に停電するし、通信状況も安定しないし、水も出ない。幹線道路沿いにてんてんと井戸があって、女性が水汲みをしている。ザ・アフリカのイメージそのままだった。

新型コロナウイルス感染症の影響で、世界の行き来ができなくなった。だから、今、ボクたちはZoomやTeamsなどを駆使して、世界とつながろうとしている。

我が社は、ようやく9月になってZoomが使える端末を会社として3台購入して、テレビ会議で世界に挑む体制が整った。そして、先日、満を持してブランタイヤとテレビ会議を試みた。ブランタイヤの通信状況を心配していたが、難なくつながる。音声は途切れないし、映像もクリアーだ。モニタの向こう側で、懐かしい顔。レナさんが手を振っている。

通信環境と契約状況を尋ねてみたら、会社としてちゃんとTelekom Networks Malawiと契約して、端末も1人1台と言えないまでも、それに近いくらい整っているという。新型コロナウイルス感染症の状況を踏まえて、現在は国内他社との会議も全てZoomを使用しているという。もう、当たり前のように、遠隔会議ができるインフラ環境が整備されている。

ボクたちはウェブ会議ひとつ、まともに開催できず、世界に取り残されている。日本が先進国なんて言うのは幻想で、実はボクたちこそが支援を受けなきゃいけない途上国なのではないか。そんな風に思った。ああ、大きな分岐点に立たされているな、と痛感する。

実は、2013年にミャンマーに行ったときにも、不思議な気持ちになったことがある。ボクたちはミャンマーの本屋さんで地図を購入して、紙を広げながら、ミャンマー人に「今、どこにいるのか」と尋ねた。そうしたら、ミャンマー人はささっとスマホを立ち上げて、Googleマップを示し、「ここだ!」と指し示した。当時の日本のスマホ普及率は25%で、ボクたちはそこまでスマホを使いこなしてはいなかった。カルチャーショックを覚えた。

そして2020年。そのギャップはどんどん大きくなる。「ハンコ禁止」とか「いやいや押印禁止だろう」なんて冗談を言っている場合じゃないのかもしれない。