2017年7月21日 蒔いた種が芽吹き、繋ぎ合わせて形になることを祈る。
基本的に、ボクは現場合わせで生きている。いろんなことを想定しながら、ああでもないこうでもないと無数の準備をしておいて、走りながら、あ、こっちか、いや、こっちかもしれないな、いやいやこっちでやってみようか、と手持ちの素材を繋ぎ合わせながら、微調整を重ねて、重ねて、最終的には何とかする。捏ね繰り回して、結局は何とかするのである。間違えてはいけない。何とかなるのではない。何とかする。ばらばらのものを繋ぎ合わせようとする意志の力である。
でも、最近のボクは、このボクの仕事のストラクチャーがうまく行かない場合があることも知っている。どれだけうまく行くやり方で、どれだけボクが成功していても、ボクのコントロール下を離れた途端に、あっという間に破綻する。最近、何度かそういうシーンを突きつけられた。つまり、こういうのはアートなのであって、決して決してサイエンスではないということなのだろう。
これは、決して誰かをバカにしているわけではない。ボクが手を抜いていること、後でやろうと据え置いていること、予想して準備していること、そういう表には出てこないたくさんのものが、実のところ、他の人には見えない。だから、ボクのストラクチャーを模倣できないということだ。だからこそ、アートなのであって、サイエンスではない。こういうやり方は、組織としてはうまく行かないので、結局、個人プレーにならざるを得ない。でも、それじゃ、ダメだと思っている。何らかの方向転換が必要だろう。いつかは行き詰るような予感がしている。
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本日、先輩に「あなたといると不思議とできちゃうような気がする」と言われた。次々と課題が降りかかってきて、不可能そうな現実が何度突きつけられても、何だか最終的には何とかなってしまいそうに感じるのだそうだ。それって、ボクがバカみたいに楽観しているということだろうか。それとも不屈の精神で何とかしてくれると信じてくれているのだろうか。「でも、あなたがいなくなると急に不安になって、諦めたくなる」。
実のところ、毎日、毎日、押しつぶされそうになっているボクだ。いろんな課題が次々と沸き起こる。ちゃんとできるのだろうか。失敗するのではないか。その不安に押しつぶされそうになりながら、それでも大見得を切って「何とかしますよー!」と笑っている。そして、今度はその言葉の重みに押しつぶされそうになる。
今回のお仕事は果たしてどうなるか。ボクのストラクチャーが破綻することのないように、必死に種を蒔く。蒔いて、蒔いて、どこかしらで芽が出て、それが最後には繋がるように祈る。繋ぎ合わせて形になることを祈る。それが現時点でのボクの仕事の進め方で、祈る神さまなんて、ボクは知らない。