2019年1月7日 文化を相対化して眺める
若者の気持ちが分かるかどうかは、どれだけ若者と一緒に過ごしているかどうかだと思う。幼稚園の先生は園児の気持ちがちゃんと分かるし、小学校の先生は小学生の気持ちが分かる。それは一緒になって文化を体験しているからだ。子供がシンカリオンにハマっていれば、一緒になってハマればよいのだし、価値観というのは、一緒に過ごさないと分からない。たとえば、高校生向け・大学生向けの雑誌を読んで、大いに共感できれば、多分、「分かっている」と言えるのだと思う。
文化や価値観というのは、接触時間に大きく依存すると思う。多く接していれば、そういう文化・価値観に染まっていく。文化・芸術がその世代の価値観の全ての原因者だとは思わないけれど、でも、時代の空気というのは確実にその世代に接触して、影響を与え、そうやって作られた文化や価値観が、またその世代に戻っていく。そういうものだ。
実はボク自身、昔、ジェネレーションギャップを感じたことがある。それは「SEKAI NO OWARI」だ。当時、若者の中で大ブームだったが、ボクにはどうしても理解できなかった。おっさんになったかなあ、と思った。だから、とにかくアルバムを買ってきて聞いた。そして、『Love the warz』という楽曲を聴いたときに、その歌詞に衝撃を受けた。「ラブandピース 美しい世界 完璧な時代 幸福な世代」。彼らの目には世界が美しく見え、完璧に映り、そして幸福な世代だと感じている。そして歌詞は「不自由なんかないこの世界でどんな自由を願ったらいいの?」と続いていく。自らを「幸福世代」と堂々と歌い上げてしまう感性に、ボクは唖然とし、そして、その瞬間に、生温い彼らの中二病みたいな歌詞の意味が、何となく分かったような気がした。圧倒的に、ボクらとは違う価値観で生きているのだ、と悟るともに、彼らが持て囃される事実と、彼らの良さが理解できないボクたちの世代間のギャップを思い知った。その視点で彼らの音楽を聴いてみると、その生温さの中にあるモヤモヤが分かるような気がした。
何に共感し、何に反発し、何を目標にし、どう生きるのか。それって、結局、時代の空気とか、経済、それから文化に影響される。その意味じゃ、そういうのを一緒に体験してやって初めて「分かった」と言えるのだと思う。だから、積極的に若者文化を知ることが、イコール、彼らのことを理解する一番の早道だと思うから、ボクは常にティーン誌に掲載されているような情報に触れようと必死だ。Youtuberも、ミュージシャンも、小説も、漫画も。
別に、若者に迎合しようと思っているワケではない。でも、時代は目まぐるしく変わっていき、今を生きている若者が感じるものに、今の時代が象徴される。今を生きようと思うなら、今を直視しなきゃいけない。10年前、20年前の感覚で生きていたら、取り残される。
加えて、彼らの時代や価値観に触れるだけじゃなくって、それと同時並行で、ボクたちの青春の文化と比較して、自分たちの時代の文化そのものを相対化しなきゃいけない。「今の若者の歌詞はバカみたい!」と鼻で笑う前に、LUNA SEAとかPenicillinとかのひどい歌詞を聴きながら「ああ、自分たちもこんなバカみたいな歌詞の歌をよいと思って育ったのだ」とか、あるいは「ヴィジュアル系バンド」の刹那主義的な薄っぺらい歌詞を思い出しながら、そういうのを相対化することが、やっぱり必要なのである。決して自分たちの時代の文化を賛美するわけではなく、そして、若者の文化を扱き下ろすでもなく(笑)。