2015年3月3日 私的制裁は許されるのか!?
川崎中1殺人の犯人が捕まった。ネット上に出回っていた写真と名前は、主犯格は正しかったようだ。でも、ほかの2人は犯人ではなかったらしい。今回の事件とは、まるで無関係の人たちだったわけだ。発信していた人はもとより、拡散していた人たちも、どうやって落とし前をつけるのか。マスコミだったら、自らの発信内容の責任を取るだろうけれど、不特定多数の彼らは、ちゃんと責任を取ることができるのか。
そもそも、ものすごい量の情報が飛び交っていたわけで、違法だとしても、本当に発信源を特定できるのか、ボクは懐疑的。でも、別に発信源を特定する必要もないのかもしれない。片っ端から引っ捕らえれば、それだけでも十分、たくさんの人が加害者になりそうな気がする。ネット・リテラシのためには、一度、そんな乱暴な手段を講じてもいいかもしれないぞ、とボクは思う。何しろ、犯罪者に社会的な制裁が必要だ、と主張している人たちなのだから、自らも社会的な制裁を受ける覚悟が必要だ。
でも、ボクの言いたいことは別の話。主犯格の犯人の写真を、ネットに出回っているものと同じものをテレビ局がモザイクを掛けて使っちゃうところに、ボクはある種の無神経さを感じる。ネットに出回っている写真にモザイクを掛けて、これが犯人だ、と宣言すると、つまり、ネットに出回っている写真が正解ですよ、と宣言しているのと同じだ。これって、つまり、不当に顔写真が出回っている事態に加担していることにならないか、とボクは疑問に思うわけだ。少年法に守られている少年に対する、せめてものテレビ局の反抗なのだ、と捉えるべきなのだろうか。その場合は、まさに確信犯だ。
最近、つとにネット・リテラシの難しさを感じる。少年法の改正よりもまず、現状のこの無法地帯を何とかする方が先だし、簡単だ、とも思う。