2014年4月4日 役に立たないものの方が楽しいじゃないか。
ある先生が言った。「工学は、社会のため、人のためにならないと工学にならない」のだそうだ。それが「理学」と「工学」の違いなのだという。
そうかなあ。ボクは必ずしもそうは思わない。そりゃー、ボクも、出来るならば、社会のため、人のためになる「工学」を目指すべきだ、とは思う。そもそも、工学に限らず、学問それ自体が、何らか、誰かの役に立つことを期待されている。そのために、国家としてもある程度の税金を注ぎ込んでいる、と言える。
その一方で、純粋な好奇心、知りたいという欲求があって、それに応えられるのも、また、学問だ、と思っている。でも、問題は、研究者として食べていくためには、人の役に立たなきゃいけない、ということ。研究者としてお金を貰うからには、誰かが喜んでくれなきゃいけない。それって、結局、人の役に立つ、ということ。だから、工学に限らず、全ての学問は、潜在的に、誰かの役に立たなきゃいけないのである。
でも、純粋な好奇心によって追求されたものが、結果として、人の役に立つ、ということも、往々にしてある。そういう意味じゃ、最初っから、人の役に立つことを目指したら、「まあ、こんなのは人の役には立つまい」と思って投げ棄てられていたものが、後になって実は役に立つことに気がつく、という可能性を潰しているかもしれない。
芸術家も一緒で、自分の思う「美」を追求するという行為と、一方で、それでも大衆に受け入れてもらうという行為があって、両方のバランスをうまく考えないと、食べていけない。
学問は、役に立たなくてもいい。それは、多分、工学だって同じだ、とボクは思っている。
「犀川先生なら、どう答えられますか? 学生が、数学が何の役に立つのか、ときいてきたら」
「何故、役に立たなくちゃあいけないのかって、きき返す。だいたい、役に立たないものの方が楽しいじゃないか。音楽だって、芸術だって、何の役にも立たない。最も役に立たないということが、数学が一番人間的で純粋な学問である証拠です。人間だけが役に立たないことを考えるんですからね。そもそも、僕たちは何かの役に立っていますか?」
こんな素敵な小説を書く森博嗣は、工学屋さんだ。