2014年2月12日 信仰心。
今年の我が社のイベントのポスタは、鉄道の車内にも貼り出すらしい。だから、気合を入れて頑張ろう。最近、どんどんボクの作品が露出していく。ボクは技術屋さんとして働いているはずなんだけど、デザイン業務とかイベント業務がたくさん回ってくる。それから、英語業務。どうも、何でも屋さんというか、便利屋さんになっているようだ。
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キリスト教って、日曜日になったら教会に礼拝に行くイメージがあるのだけれど、でも、実は、イエスが誕生したベツレヘムや幼少期を過ごしたナザレ、布教活動をしたガリラヤ、それから十字架に貼り付けられて歩いたヴィア・ドロローサ、死刑にされたゴルゴタの丘なんかが今でも聖地になっていて、熱狂的な信者は、そういう聖地を巡礼する。ゴルゴタの丘まで歩いたキリスト。その道を、信者は辿るらしい。そういう篤い気持ちって、ボクにはないなあ。ボクはクリスチャンではないけれど、でも、イエスの生涯を辿ったり、彼が活躍した場所を実際に訪れたり、十字架を背負ってゴルゴタの丘まで歩く疑似体験をしたり……。そういう活動を見ていると、何だか敬虔な気持ちになる。こういう信仰心が、宗教を支えているのだ、と思う。
日本にいると、結構、いい加減で、クリスマスを祝ったり、初詣に行ったり、縁日に行ったり、三回忌をやったりする。だから、あんまり宗教が尖っていない。でも、原理主義って、突き詰めていくと怖いんだけど、研ぎ澄まされた感覚があったりして、ドキドキする。仏教も、本当に出家して、お寺に入ってしまうと、多分、そういう尖った感じなのだ、と思う。昔、高野山に行ったときに、その空気を感じた。毎朝、早朝からお経を唱えていて、線香がもうもうと立ち昇る中、写経をした。繰り返しの儀式的なものが、実は一番、洗脳されるなー、と思った。不思議な高揚感とか達成感があって、信じてしまいそうになる。
『決定版 よくわかる世界三大宗教』は、そういう信仰心が滔々と描かれていて、ドギマギする。
『決定版 よくわかる世界三大宗教』(著:保坂俊司,学研,2014年)