2017年5月30日 ノンアル生活のすゝめ
意外に思われるかどうかは正直分からないが、ボクは積極的にアルコールを飲みたいと思わない。
たとえば、相手が5本飲めば、ボクも5本飲む。日本酒をあけたいと言えば付き合うし、ウィスキィを1本空けるぞ、と誘われればのる。対外的にはカクテルが趣味で、シェイカを持っていると公言している。
それでも、ボク自身は自分の意思でアルコールを飲まない。何せ飲んでしまったら、その後のボクは使えなくなることを、誰でもないボク自身がよく諒解している。
ボクは時間があれば文章を書きたいし、絵を描きたいし、神話・伝承にのめり込んでいたい。飲むと、それが出来なくなる。
勿論、アルコールを飲んで、常識からぶっ飛んで自由な状態で創作をするスタイルの人をボクは知っている。でも、ボクはそのやり方はできない。何だか分からないが、妙な罪悪感を覚えてしまう。それはつまり、アルコールというシークレットブーツで産み出した創作はボクのものではないという変な思い込みで、願わくは頭がクリアーなときに創作をしたいと常々思っている。
アルコールの摂取は、ボクにとって、その日は創作をしない、という決意を意味する。そんな一日は無意味だ。だからボクは飲まない。願わくは創作活動が一段落したその瞬間に誘われるのが理想だ。でも、そんな時間に誘えるのはちぃ子(妻)だけなのである。