2021年3月3日 英語ができる人が羨ましい。

英語は昔っから苦手だ。学生時代、体育の次に苦手だった。基本的には、ボクは訓練が必要な科目は苦手なことが多く、子供のときから、九九を覚えるとか、公式を覚えるとか、地名や年号を覚えるみたいなことには意味を見い出せなくて、結果、得意ではなかった。その意味では、英語も、英単語を覚えるとか、文法を覚えるということに興味が湧かなくて、畢竟、苦手な科目になった。結局、本質的には努力家ではないのだ。センター試験で200点中、130点くらいだった記憶がある。

でも、さすがにずぅっと海外を飛び回っていたので、今ではその苦手意識も大分、薄れてきた。それでも、得意ではないな、と感じる。会話はできる。相手に何か言われたときに、即座にレスポンスすることも、言い合いをすることもできる。だから、今のところ、業務上、不都合はない。でも、文法は滅茶苦茶だし、細かいニュアンスは伝えられないな、というのは常に感じている。おそらく、公式の場で、ちゃんとしたスピーチをしろ、と言われると、ちょっと不適切だろうな、と思う。あくまでも、現場レベルの会話ができるだけだ。

本日は、南アフリカの方々とテレビ会議をした。ボクが体調を崩していたところもあって、準備にあまり携われていなかったので、後輩に資料作成、ファシリテーションを全部、託した。彼はTOEIC満点で、帰国子女なわけだけど、流暢だ。相手との会話のキャッチボールも淀みなく、時折、ジョークも飛ばし、和気藹々と議論が進行していく。やっぱり、こういうことだよなあ、と思う。細かいニュアンスも敏感にキャッチできるし、何より、相手側にストレスがない。

勿論、語学力が全てではない。英語が得意だからオールオッケィということではなくて、普段から日本語でちゃんとコミュニケーションがとれない人は、英語でもとれない。今回の場合、彼は日本語においてもちゃんと頼れる後輩で、信念もあるし、同じヴィジョンを共有して仕事ができている。日本語でも論点も明確に伝えられるし、交渉も任せられる。その上で、英語ができるということがとても大事なのだけれど、心の底から、ああ、敵わないなあ、と思った。やっぱり、英語ができるっていいなあ、と。

一朝一夕にはできるようにならない分野はいくつかあるが、英語もそのひとつだ。学生のときに、ちゃんとやっておけばよかった、と思う。