2016年4月1日 アイヌ伝承の更新に着手したものの……

本日は世間一般ではエイプリル・フールで、ボクたちにとっては結婚記念日だけど、そんなこととは無関係に、ボクは黙々とファンタジィ事典を更新している。スーダンで準備していたアイヌ伝承だ。

正直、始めてみたものの、難しいな、と壁にぶつかっている。何しろ、資料が少ない。だから、ついつい「こういうことじゃないかな?」などと想像力でいろいろと補いたくなる。でも、その一方で、アイヌの人々が今でも語り継いでいる「生きた伝承」なのであって、ボクたちが勝手に想像力で補うものが間違っていることだってあり得る。それってアイヌの人々に対してとても失礼なことだ。

実はこういうことは、いつの時代のどこの地域の神話・伝承に対しても同じだ。たとえば、すでに信者のいない古代のギリシア神話であっても、その当時には生きた宗教だった。本気で信じていた人たちがいた。後代の人がいろいろと残された資料から類推して神話を再構築する。でも、その妥当性は実のところ分からない。たくさん資料が残っていて、あっちこっちで何度も言及されていることについてはある程度、妥当性があるかもしれない。でも、資料が少ない箇所になればなるほど、意外と見当外れだったりするかもしれない。当時を生きていた古代ギリシア人が現代にやってきたら「そんなんじゃないぞ!」と怒り出すかもしれない。大変、失礼なことである。

そんなわけだから、実は「ファンタジィ事典」の更新は、苦痛の連続だ。「所詮、趣味なのだから、好き勝手に楽しくやればいいじゃないか」という声もあるかもしれない。でも、苦痛を感じることが、事実を追求する人間の誠実さだと思う。あまりにいい加減なことを書いている本やウェブサイトがある。勿論、それはエンタメだと割り切ることもできるし、彼らの神話や宗教をベースに、創作に活用する場合には、自由にやってもいいと思う。でも、受け取り手がエンタメだと割り切って触れ合わないことが想定される場合(たとえば、古代ギリシア人は○○と考えていたなどと書く場合)には、やっぱり、誠実にやらなきゃいけないと思う。ヘーシオドスの言葉ではないが、「真実」と「真実らしいもの」は違う。ボクたちは「真実らしい」ものに飛びつく。でも、もっともっと「真実」に対して誠実であるべきだ。

そういう意味では、アイヌ伝承は、ボクにとっては手持ちのまだまだ資料が少なくって、「真実」を語れるほど咀嚼できていない、ということなのだろう。アイヌの人々から「そんなんじゃないぞ!」と叱られてしまうかもしれない。

でも、ボクの中で、ファンタジィ事典の一斉更新を、アイヌ伝承から始めようと心に決めてプロジェクトをスタートした。アイヌ伝承が終わったら、記紀神話、日本の妖怪、沖縄伝承……とやっつけていく算段だ。ぼちぼちと更新を始めたが、案外、もう少し時間が掛かるかもしれない。更新しては修正して……という繰り返しかもしれないし、そのうち、大幅に軌道修正するかもしれない。でも、取り敢えず、ゆるゆるとアイヌ伝承から着手したボクである。さてはて。どうなることやら。少なくとも「アイヌ語」の部分だけは事実を確認できるので、その辺は誠実にやっていこうと思う。