2024年10月14日 ゼロワングランドスラム

昨日は全国小学生プログラミング大会「ゼロワングランドスラム」がイオンレイクタウンkazeで開催されていて、息子のツクル氏と参加してきた。ここのところ、腰痛に悩まされているんだけど、ツクル氏のためならえんやこら。久々に遠出してみた。

ゼロワングランドスラムの写真

「ゼロワングランドスラム」は「ロボット競技」、「デバッグ競技」、そして「ハッカソン」という3つの競技で構成されている。ロボット競技は、事前に組み立てたロボットに、当日の障害物の配置を踏まえてプログラミングし直して、障害物を避けながら得点を入れていく。操縦はしない。すべて打ち込んだプログラムのとおりにロボットが動作して、目的を達成する。思った通りに動く場合もあるし、動かない場合もあって、悲喜交交。「床の材質が違って、摩擦が家とは違った」などと悔しがる少年もいれば、「計算通りに動いた」と喜ぶ少年もいる。

続くデバック競技はバグを含むスクラッチのプログラムを仕様のとおりに正しく修正する時間を競う。全部で8問あって、バグを見つけて、それを修正する。8問目くらいまで行くと、普通にゲームになっている。キャラクタを操作して岩を避け、当たってしまうとダメージを受けるような挙動をきっちりと再現しなければいけない。つまり、ちゃんとダメージが反映されるようなライフを変数として設定して、当たり判定の後にライフを減じるようなプログラムにしなければいけないわけである。

最後のハッカソンは仕様に合わせたゲームを30分でゼロから作り上げる。今回のお題はブロック崩し。ボールを跳ね返しながら、ブロックを消していくゲームを30分で作り上げるわけだけど、参加している小学生たちは、ほぼほぼ10分くらいでブロック崩しの基本的な骨格を完成させて、そこから先の時間はオリジナルの仕様を持ち込んで、アイディア勝負に挑んでいる。妨害する敵が出てきたり、お助けアイテムが出てきたり、セリフが出てきたり、そりゃあ、いろんな発想がある。すごいなあ。ただただ感心してしまう。ゲームを完成させるだけでもすごいのに。

そんなわけで、ツクル氏と楽しく参加してきた。わっはっは。あー、腰が痛い。越谷だけに(なんじゃそりゃ!!)。

2024年9月22日 基礎は大事だ(それはそう!)

本日は息子のツクル氏の「ピアノの発表会」。で、ボクも連弾の相方として登壇。ジョプリンの『エンターテイナー』。そんなこんなで、メチャクチャ緊張する1日であったことよ。

そもそも、ピアノに限らず、音楽全般、ちゃんと基礎をやることが大事だ。それこそ、バイエル、ブルグミュラー、ソナチネ……みたいに、ステップアップしていく。こういうのを学んで、弾いてきた人たちってちゃんと基礎がある。でも、ボクの場合、バイエルすらまともにやらずに、先生に怒られていたタイプの人間なので、そういう基礎がなっていない。それなのに、子供の相方として、連弾して登壇させられるのは、ちょっと苦しい。ああ、こんなことなら、ちゃんと基礎をやっておけばよかった。

若かりし頃のボクは、こういう基礎全般をないがしろにしていた。ピアノの習い事の日に、自分で作曲した楽曲を持って行って先生に聞かせたり、勝手にアレンジして面白がったりしていて、今思えば、先生は手を焼いただろうな、と思う。それでも、先生側もボクのやる気を出させるために手を変え品を変え。ファイナルファンタジーの楽曲をやらせたり、ドラゴンクエストの楽曲をやらせたりしてボクを鍵盤の前に座らせていた。

息子と連弾で舞台に立つという未来が来るなら、もっとちゃんとやっておけばよかったなあ。(つд⊂)エーン

2024年9月1日 ポコン!

「ポコン!」をプレイ。基本ルールはリバーシだ。でも、タヌキとキツネの化かし合い。コマの3分の1は裏と表の絵柄が同じなので、挟んでもひっくり返らない。大事なところに裏表が同じコマをそっと置いておいて、騙しに行くゲーム。これがメッチャ面白い。いざめくろうと思って、裏返してみて、同じ絵柄だったら「わあ、ヤラレター!!」って悔しくなる。

意外と小学5年生の息子のツクル氏は得意らしく、すぐにこの変則ルールを理解して、いい感じのところに裏表が同じコマを置いてくる。手加減しようと思ったら、あっという間にやり込められてしまった。クッソゥ。

2024年8月11日 子供の居場所

ママ友の集会というのはいつの時代も健在だ。でも、そこにパパとして参加することになる事態はそんなに想定していなかった。今回、息子の友達と母だけでなく、父も参戦してのBBQ大会になって、重たい腰を上げて参加してきた。

コロナ禍の後、子供たちが遊ぶ場というのは一気に少なくなった。密閉された家の中に家族以外が集まるのはよくないということで、大人たちが他所の子供を受け入れない状況が長く続いて、これ幸いと、大人たちが自分の家に子供たちが集まることを良しとしなくなった印象がある。より家がプライベートな空間になった。その結果、子供たちの遊び場は公園などのパブリックな空間と、お金を出して子供を遊ばせておける影響空間になってしまったような気がする。

唯一、我が家はコロナ禍にあっても、子供たちの居場所づくりをしようと思って、我が家を開放していた。まあ、当然、いろんな考え方があって、感染症対策を鑑みたときに、家みたいな密閉空間に子供たちを集めるなという声も、もしかしたら、当時としてはあったのかもしれない。だから、一応、親の了解を得て遊びに来るようには伝えていた。そういう意味では、本当に、子供の遊び場が少なくなっていて、畢竟、ゲーム端末を繋いで、オンライン上で遊ぶみたいな遊び方にならざるを得ない状況になっている。

そんな中で、4つの家族が、こうしてface to faceで遊ぶ時間と場所を設けられるというのは、とても素晴らしいことだ。父親間の居心地の悪さなんて我慢しようと思えるよね。わっはっは。

2024年7月15日 新たなる希望

息子と映画『スターウォーズ』のエピソード4「新たなる希望」を観た。大昔にブルーレイで購入して、妻のちぃ子と観たんだけど、そろそろ息子も大きくなってきたし、一緒に観てみようかということになった。いろんな宇宙人とか乗り物が登場するし、宇宙船による銃撃戦なんかもあって、ワクワクドキドキするのではないか。

我が家は昔の資料がたくさんある。それこそ、漫画『ドラゴンボール』とか『スラムダンク』も全巻あるし、『ガッシュ』や『YAIBA』、『セーラームーン』もある。『ワンピース』も『ナルト』も『ブリーチ』も『コナン』も全巻あるはずだ。今、息子は『デスノート』にご執心で、面白いと読んでいる。それなら、映画もいけるのではないか。そんなわけで『スターウォーズ』をチョイスしてみた。

親子で観ていても面白いなあ。C-3POとR2-D2の丁々発止の掛け合い(ロボットの癖に!)とか、ハン・ソロが最後の最後で助けに来るところとか、オビ=ワン・ケノービがルークを眺めてニッコリと笑ってやられるところか、いいよね。

息子は宇宙船でドンパチやっているシーンに白熱していた。段々と子供っぽくなってきたなあ。よいことなり。まさにオビ=ワンの気持ちだ。新たなる希望だよなあ(遠い目)。

2024年7月4日 18÷0ってどういうことなのか!?

巷では18÷0が話題になっているようだ。基本的には0で割ってはいけない。そんな風に説明されることもあるし、18÷0=0ということにしましょうという説明もなされるらしい。でも、ボクは基本的にはそういうことではないと思っている。

試しに算数が得意な我が家の息子のツクル氏(小学5年生)に18÷0の答えを訊いてみた。

「ツクル氏、18÷0っていくつになると思う?」
「え? 無限じゃない?(即答)」
「おお、無限か。どうして?」
「え? 違う?」
「や、どうしてそう思った?」
「だって、割り算って、割る数が割られる数の中にいくつ入るかって話でしょ?」
「なるほど、割り算をそういう風に定義しているのね。まあ、その通りだね。完璧だね」
「で、0ってものすごい小さい数だから、18の中にものすごくたくさん入るじゃん」
「うん。たくさん入りそうだね」
「だから無限だよ」

なるほど。ツクル氏は割り算の定義に対して難しいことを言っているが、基本的にはその通りで、a÷bというのは、aの中にbがいくつ含まれるかという意味にとることができる。たとえば、10÷5=2というのは、10個の枠を5人で使うと1人2枠使えるねという意味でもあるし、10個の枠の中に5人組は2組入るという意味にもなる。ツクル氏が言っているのは後者の解釈である。

さて、その上で、このツクル氏の18÷0=∞という解答は正しいのだろうか。イメージを喚起するために、試しに18をいろいろな数で割ってみよう。

18÷18=1
18÷9=2
18÷6=3
18÷2=9
18÷1=18
18÷0.5=36
18÷0.1=180
18÷0.01=1800
18÷0.001=18000

割る数が小さくなればなるほど、答えは大きくなる。割る数が0に近づけば、何だか答えは無限に近づいていきそうな感じではある。おそらく直感的に、こんなイメージが彼の頭の中にあったのだろう。

ところで、割る数をマイナス側から0に近づけたらどうなるだろう。

18÷(-1)=-18
18÷(-0.1)=-180
18÷(-0.01)=-1800
18÷(-0.001)=-18000

負の数で割っていくと、0に近づけば近づくほど、答えはマイナス無限になっていく。というわけで、どうやら18÷0=±∞というのが正解な気がする。どうだろうか。一意に定まらないという意味では、計算機がErrorを返してしまうのも正しいとは思う。でも、少なくとも「18÷0=0ということにしましょう」という感じではなさそうだ。そして、数学的な考え方というのは、こういう風に考えることだとボクは思う。

2024年6月24日 語彙力で敗北!!

18日と21日は雨だったので、息子のツクル氏のプールが中止になった。そんな話を息子とした。そうしたら、ツクル氏が言い出した。「小学校では、プールの授業は全部で5日間あるんだよね。それで、予備も含めて7日間、プールの日が設定されているんだけど、もうすでに2日も中止になっているんだよ!」とのこと。それを聞いたボクは「え? ツクル氏、プール得意なのに? ヤバいじゃん!」と言ったら、「そう。もう後がない状況だよね」と言われてしまった。なんてこと。父親の方は「ヤバい」とか表現しているのに、息子は「後がない」という適切な表現を使うわけだから、これはとてもヤバい状況である。語彙力で完敗しているじゃん。もっと言葉に真摯に向き合わなきゃ、父親としての威厳がなくなってしまうぜ!! ヤバいぜ(こらこら)!!!

それにしても、昨今の小学校のプールの授業は5日間しかないのか。学ばなきゃいけないことが増えて、それから教師のワーク・ライフ・バランスにも配慮しなきゃいけなくなって、あちこちにしわ寄せがいくなあ。そうかー。プールは5日間しかないのか。

2024年6月18日 「さようなら」をする羽目に

ここ数日間で、pixivのフォローを思い切って何人か削除した。こういう場合、相手に通知とかいくのかなあ。うーん、難しいなあ。

ボクは極力、妖怪のイラストを描く人をフォローするようにしている。あるいはファンタジィっぽいイラストを描く人も多少はフォローしている。イラストの上手い下手はあんまり重要視していなくって、そのイラストが比較的、原典に忠実であれば(つまり解釈の部分が過剰でなくて、設定を大幅に変更していなければ)、積極的にフォローしている。もちろん、イラストに描き起こす時点で、大なり小なりイラストレータの解釈は入り込むし、改変はある。でも、極力、忠実に描こうとする態度や姿勢を感じたら、基本的には前向きにフォローするようにしている。

ところが、そうやってフォローしたイラストレータさんが方針転換して、せっせとR-18方向の作品を連投し始めるケースがある。それがウケがいいのか、本人の趣味趣向でそういう方向に舵切りをしたのかは分からない。でも、ボクは別にそういうイラストにはあんまり興味はない。そういうのが見たかったら、そういう専門のサイトを見ればよいと思う。でも、まあ、無害だし、我慢するかと思っていた。クリエイティヴは自由なので、彼らがそういうイラストを描きたいなら、どうぞご自由に、という気持ちだった。

ところが、稀にパソコンでpixivを閲覧しているときに、息子が近づいてきて、ビックリすることが何度かあった。こちらに他意はないけれど、心臓はバクバクする。そんなわけで、畢竟、何人かとは「さようなら」をする羽目になった次第。ご容赦あれ。

2024年4月1日 本気で前室で寝る予定だった息子。

3月30日・31日で、箱根・小田原旅行に行った。息子のツクル氏は3月まで4年生で、ちょうど社会科で地理の勉強が始まっている。横浜、神奈川、関東、日本。段々と射程距離が拡大していて、ちょうど今年度は神奈川県について調べる時間が多くて、箱根寄木細工なんかに興味を持ってリサーチしていた。だから、実際に箱根に行ってみて、寄木細工を体験してみようじゃないか、という趣旨の旅行である。

箱根に1泊して、寄木細工体験をしてみた。実際にいろいろな色の木を組み合わせて、模様をつくり、コースターを作成するというもので、模様の大きさこそ大きいけれど、ちゃんとノリで固めて、表面をヤスリで削って、ニスを塗って、寄木細工の工程を追体験した。常設されている店舗でツクル氏がモジモジし始めて、まさかの超高級の箱根細工をねだられるとは思わなかった。店員さんもビックリして、いろいろと丁寧に、商品の素晴らしさや珍しさを解説しに出てきてくれて、結局、購入する羽目になってしまった。まあ、たまの旅行だからいいか。ついでにガラス細工とか登山鉄道、小田原城なんかも楽しんでみる。そんな旅行だった。

日本の城がロボットに変形して敵と戦う、何だかシンカリオンの二番煎じみたいな企画があって、「オシロボット」というみたいだけど、小田原城がその企画に乗っかって、ロボットになっているポスターが貼ってあって面白かった。アイディアそのものは面白いなと思った。もう少し突き詰めていくとバズるのかもしれない。今のところ、緩やかな印象。

旅行中、ちょっと面白かったのが、客室での出来事だ。客室の入り口を入ると踏込(土間みたいなところ)があって、前室になっている。奥の襖を開ければ主室になるわけだけど、ボクがちょっとしたいたずら心で、「あれ? 狭い部屋だね。ここで3人で寝られるかな」などとつぶやいたら、息子が「え。狭い……」と絶句した。それから、頭の中でいろいろと検討したらしく「何とか3人で寝られるかも」と言い出した。それで、襖を開けたら、奥から本当の主室が出ていて「何だよー。ホントにここで寝るのかと思った」とその場にへたり込んでしまった。妻とボクとで大笑い。でも、息子は本気で信じたらしい(笑)。悪い父親であることよ。

2024年1月11日 頂点で接しており、辺で接しない

息子のツクル氏とボドゲ。今回はフランスのBlokusに初挑戦。ツクル氏は何度かやったことがあるようだが、ボクは初めてだったので、圧倒的なまでに完敗だ。でも、要領は得たので、次は負けないぞ。

21個のピースを順番に「自分のピース同士が頂点で接しており、辺で接していない場所」に置いて、繋いでいくゲーム。陣取りゲームのようなもので、最終的に置けなくなったらその時点で終了だ。「頂点で接する」という制約なので、この「頂点」に注目して縄張りを広げつつ、相手を妨害すればよいのだと思う。なかなか面白い。

  

2023年12月30日 青天の霹靂!?

息子のツクル氏、父仕込みのトランプマジックを見事に実演する。それなのに今朝「パパ、ボクは普通のトランプゲームをやったことがないんだよ」と呟かれる。ガーン!!

  

2023年12月29日 復活!?

久しぶりの投稿! 隔日更新と称して2日おきに投稿してきて、12月に入って3週間とちょっと、更新が途絶えた。手が腱鞘炎になってパソコンが全然打てない問題もあったし、年の瀬で仕事が押していたのもあった。それから、立て続けに体力仕事が続いて、グロッキーになっていたのと、息子のためのクリスマスパーティの準備でおおわらわだったのもあった。いろんなことがあって、サボってしまった(>人<;)

それでも、新年に向けて、毎年の雑誌の準備は順調にできていて、12月の頭には入稿できて、準備万端、印刷待ちの状態だった。新年に合わせてお届けできる見通しだ。フィリピンの妖怪特集を組んだので、乞うご期待。フィリピンの妖怪の絵も6体ほど描いたので、年が明けたら順次、リリースできる予定だ。

今日は息子のツクル氏とスキーを満喫した。腱鞘炎の手でストックを握るので、結構ダメージを負っているが、まあ、あまりストックに頼らない滑りを満喫したぜ!

  

2023年11月25日 キャプテン・リノ!!

「キャプテン・リノ」で遊んでみた。2011年にドイツで作られたカードゲームだ。7枚の屋根カードが配られ、順番に手札の屋根カードを積み上げていく。屋根カードには指示が書かれているものもあり、手順を逆回りにしたり、相手に屋根カードを1枚引かせたり、スキップしたりする。そして、手札を屋根カードを全部積み切って、手札をなくしてしまったら勝ち。あるいは誰かがタワーを崩してしまったら負け。面白いのは、リノカード。このカードを出された次のプレイヤーは、キャプテン・リノの人形を屋根カードの上に乗せなければならない。

息子のツクル氏(小4)がキャッキャして遊んでいる。「ほら、パパー。キャプテン・リノ! キャプテン・リノ!! キャプテン・リーノー!!!」とリノカードを乗せてこちらを煽ってくる。クッソゥ。頑張って、下の段にいるリノを掴んで、そして最上階に乗せて……バラバラバラバラ……。タワーは無情にも壊れて、それを見てツクル氏はゲラゲラゲラ。

はらはらドキドキの連続で、もしかしたら、リノカードがときどき入ることで、メリハリが出来て、ジェンガよりも面白いかもしれないな、と思う今日この頃。

  

2023年11月21日 サンタ・システム

そろそろ息子のツクル氏にクリスマスプレゼントを決めてもらうシーズンになった。ツクル氏の誕生日が12月なのもあって、一気にプレゼントをもらう格好になるので、なかなか彼も決めあぐねている。LEGOマインクラフトシリーズや「マインクラフト・ダンジョンズ」(Switch)などを検討している。

早々にサンタクロースのプレゼントを決めて欲しくて「サンタには何を頼む?」と訊いてみたところ、ツクル氏はニヤニヤしながら「親に言わないとサンタには伝わらないわけ? 心で思ってみたら伝わらないのかな?」などと言ってくる。どうやら、彼はサンタの正体に気づき始めているのかもしれない。小癪な! 面妖な! そんなわけで、そろそろ卒業なのかもしれない。

妻のちぃ子にそんな話をしたら、「ん? 両親がサンタ・システムに加入して申請してやらないとプレゼントは届かない仕組みだよ? サブスク的な? 子供の意向だけでは届きません。そう説明すればよかったのに」と返されてしまった。むむむ。こちらもこちらで面妖な!!

ちなみに、サンタクロースの元ネタになったのは聖ニコラスだけど、彼には従者がいる。クネヒト・ルプレヒト、クランプス、ペレ・フェタール、ベルスニッケル、ズワルテ・ピートなどなど。どの面々も子供たちを罰する存在で、子供にプレゼントをあげる聖ニコラスと対になっている。クネヒト・ルプレヒトなんかはブラック・サンタとも呼ばれるし、クランプスは悪魔のような姿をしている。大昔は、子供に対する二面性があったのである。

来月のクリスマスに向けて、この辺の詳細を調べて、ウェブサイトファンタジィ事典に反映させてみても面白いかなあ。

  

2023年11月15日 コピーライト的なものから普遍的なものへ

息子のツクル氏が父の影響で「妖怪」に興味を持ち始めた。何しろ、ボクがスマホやパソコンに向かって何か描いているときは、常に「妖怪」なのだ。「パパの描く絵は首がなかったり、目がいっぱいあったり、手がいっぱい生えていたり、変な絵ばっかりだよね」と幼稚園の頃に言われた。教育的にどうなんだろうか……と真剣に悩んだのも、今となっては懐かしい思い出(笑)。そんなツクル氏も、ゲームや小説、漫画を読みながら、朧げに「幻想生物」という概念が分かるようになってきた。どうやらドラゴンやペガサス、ユニコーン、ゴーレム、ゾンビなどは、ピカチューやクッパとは毛色が違うようだと気づいてきたみたいだ。

ピカチューはポケモンの世界に存在し、クッパはマリオの世界に存在する。でも、「幻想生物」はいろんな作品で取り上げられるので、共通の概念やイメージが相互のメディアの中で共有されている。そんな事実が感覚として分かってきて、そういう存在をツクル氏は「妖怪」と称するようになってきた。「これはパパの好きな『妖怪』でしょ。この現実世界にはいない動物でしょ」などと言っている。かわいいやつめ。

この辺、実はすごく難しくて、いつも例に出すんだけど、ドラキュラはブラム・ストーカーの創作だし、フランケンはメアリー・シェリーの創作だ。エントはトルキーンの創作だ。ミミックは本来は「ダンジョンズ&ドラゴンズ」のオリジナル・モンスターだ。全部、コピーライトがある。でも、メディアの中で繰り返しモチーフとして使われていく中で、いつの間にか共通の概念として普及する。そうなると、いつの間にかコピーライト的なものがなくなって、普遍化されていく。作者とは離れて、独立していく。

大昔の神話の中の幻想生物だって、結局は全て、誰かが語ったものだ。最初に言及した「作者」に当たる人物がいるはずだ。それが分からなくなって、普遍化したら「妖怪」になる。その辺の不思議な線引きが、ツクル氏にも分かってきたみたいだ。

だから『ダンジョン飯』を父の本棚から解放してみた。このタイミングなら、きっと面白く読めるのではないだろうか。

  

2023年11月13日 このギリシア神話は良本!?

図書館に行ったら、『ギリシア神話 オリンポスの神々(新装版)』(著:遠藤寛子,絵:小林系,青い鳥文庫,2011年)が置いてあって、絵がメチャクチャよい。これだったら、息子のツクル氏にオススメできる。嬉しくなって、ついついAmazonでポチってしまった。

最近の子供向けの本は、素人っぽい2次元系のイラストレータの絵が添えられていることが多いんだけど、この小林系氏の絵はチープじゃない。ちゃんと立体として人物が描かれているし、ギリシア神話の世界観を壊していない。格好いい。個人的にはとても好ましく感じる。こういう画家をもっと活用すべきだ。

内容も適切で、創世神話も簡単に載せているが、星座にまつわるようなエピソードもあれば、ペルセウスやヘーラクレースの冒険譚もあり、イーリアスやオデュッセイアの要約も載っている。この1冊でギリシア神話の全体がコンパクトに把握できるようになっている。良本だと感じた。

  

2023年11月9日 家族deボドゲ!?

ボクの趣味趣向に感化されたのか、最近、妻のちぃ子もボドゲにハマっている。地域の仲のよいお母さんたちと一緒に、ボドゲ同好会なるママ友会を結成して、子供を集めて、ボドゲに興じている。

ボクは何となくファンタジーっぽい雰囲気のボドゲが好きだし、イラストが特徴的なボドゲが好きだ。その上で、ブラフっぽいゲームだったらなお良し。元々は「マジック・ザ・ギャザリング」とか九月姫さんのイラストでお馴染みの「モンスター・メーカー」シリーズとかが好きだった。この「日々の雑記」でも最近紹介しているところで言うと「こねこばくはつ」とか「ごきぶりポーカー」、「おばけキャッチ」なんかは、カードの絵柄が全て違うところがとても気に入っている。

ちぃ子は、子供たちと遊ぶことに主眼を置くので、どちらかと言えば、みんなでワイワイやるものが好きだ。「ナインタイル」とか「ブロックス」、「ウボンゴ」みたいなもの。こういうのは幾何学模様なので、ボクの食指は動かないんだけど、でも、楽しんでくれているので、一緒に面白いゲームを探している。

妻がボドゲ好きでいてくれると素晴らしいのは、ボクが何かを買ったときに、否定せずに理解してくれるところ。ボドゲが好きだなんて、あんまり言ってこなかったんだけど、子供と向き合う過程で、いろいろとゲームを引っ張り出して来たら、結果、こういう感じになって、家族一緒に楽しめている。ふふふ。

  

2023年11月7日 「ドラクエみたいなゲームをつくる」

プログラミングが小学生の必修科目になって久しい。我が家では、試しに息子のツクル氏にプログラミングを習わせている。小学4年生のツクル氏は、結構、こういうトライアル・アンド・エラー的な作業が好きみたいで、かなり熱中している。プログラミング教室でテンプレートをもらうと、大幅にアレンジしてみせる。先日は横スクロール系のゲームで、敵を避けてゴールを目指すプログラミングをしていたが、最初はアイテムをとったらジャンプ力が上がるみたいな改造をしているなあ、と眺めていたが、気づいたらレーザー銃を手に入れて敵を倒し、ひび割れた壁を破壊して先に進むなどの大幅改変を加えていてビックリした。

先日、「ドラクエみたいなゲームをつくる」と言い出した。直感的に、これはしんどいぞ、と思ったボクだ。ボクはツクールをベースにRPGをつくったことがある。結構、大変な印象がある。何しろ、マップをつくることが大変だ。16×16なのか32×32なのかは分からないが、格子状にして、そこにマップを配置していかないといけない。通り抜けられるマップと通り抜けられないマップの判定も必要だ。そもそも、RPGの場合、プレイヤーが上下左右を向かなければいけない。それも結構、大変。でも、ここまで作っても、あくまでもマップ上を歩くだけだ。戦闘になったら、変数をたくさん作らなきゃいけないので、超大変だ。

「大丈夫だよ。最初は簡単なダンジョンを歩くだけにする。敵も味方も1種類でつくるから」などと言っている。そうかなあ。仕方ないので、昔取った杵柄で、かつてお世話になったフリー素材サイトを巡回してみたが、時代は変わったなあ。もう、最近はドット絵を配布しているところが数が限られてしまっている。しかも、パッケージで販売しているところもあって、商売になっている場合もある。

ボクがウェブサイト「ファンタジィ事典」を編纂するようになったキッカケも、ウィザードリィやファイナル・ファンタジーだったりするので、息子を応援してあげようと重い腰をあげるボクである。願わくは、モンスターはボクのウェブサイトを参考に設定なんかを考えてくれるとよいのだけれど……むにゃむにゃ。

  

2023年10月10日 アイロンビーズでマリオの世界を再現中!!

巷ではアイロンビーズというのが流行っているらしい。ビーズと言っても、紐を通して連結するわけではなく、ビーズを型に平面的に並べて、アイロンで熱を加えることでくっつける。元々はデンマーク発祥で、マルタハニング社がつくったハマビーズが最初らしい。ボーネルンドが販売している。日本では、ナノブロックで有名なカワダが1995年にパーラービーズの発売を開始して定着したらしい。今ではダイソー、キャンドゥ、セリアなどの100均ショップでも、かなりのスペースを割いて販売している。

ボクはアイロンビーズなるものを寡聞にして知らなかったが、95年と言えば、ボクが中学生の頃だから、我々の世代がドンピシャということになる。もしかしたら、同世代の女の子たちはハマっていたのかもしれない。たまたま100均散策をしているちぃ子(妻)が見つけてきて、我が家でハマっている。

このアイロンビーズはドット絵との相性がめちゃくちゃよい。ドット絵もアイロンビーズも色を面的に並べていくので、たとえば、ドラクエのスライムのアイロンビズをつくろうと思えば、そのままドラクエのドット絵を図案として持ってくればいい。大きさ的には、ファミコンくらいの解像度のドット絵だと、ちょうど20×20くらいのデザインになって、サイズ的にはコースターくらいの大きさに仕上がる。スーパーファミコンのドット絵だと、解像度が上がり過ぎて、葉書サイズよりちょっとはみ出してくるので、若干、作っていて大きい印象だ。

アイロンビーズでマリオ

そんなわけで、スーパーマリオブラザーズ(初期)のマリオやクリボーなんかをアイロンビーズで再現して楽しんでいる(笑)。

  

2023年9月24日 「それじゃ、お父さん、合わせてあげてください」

先日、ピアノの発表会があって、息子のツクル氏と連弾した。勝手なイメージで、連弾は手が4本あって2倍になるから、それぞれの演奏そのものは簡単になるのでは、と思っていた。でも、息子と合わせてみたら、全然、難しい。結局、2人でやっていても「合奏」なのだ。相手と呼吸やペースを合わせなきゃいけない。特に相手が子供だと、大人のボクがペースメイカーになる。楽しくなって、どんどん速くなっていく息子を制御しながら、ゆっくりゆっくりとペースを落としていく作業は至難の業だ。簡単なところは速く、難しいところはゆっくりになる息子に、必死で合わせる。逆に、息子は息子で、父の刻むテンポに合わせなきゃいけないので、完全に自由ではない。どちらにしても、息を合わせるって、とても難しいのである。

本番の直前に、ピアノの先生に呼ばれて、一度だけ、レッスンをした。ボクは原曲を知っているので、結構、譜面に忠実にやろうと思って、練習していたし、息子にもそう演奏させようとしていた。すると、先生が「ツクルくんは、ここはこのペースでやりたいの? もう少し速いペースでやってみる?」と尋ねる。息子は「このペースが弾きやすい」と回答。すると先生は「それじゃあ、お父さん。少し遅く感じるかもしれませんが、ツクルくんのペースでお願いします」と指示が飛ぶ。「最後、音はジャン、短く終わる? それともジャーン、と長く終わりたい?」「長く終わる方で!」「それじゃ、お父さん、それで合わせてあげてください」。

全然、原曲とは違う解釈だし、テンポだし、演奏方法だ。それでも、ピアノの先生は息子の意向を尊重し、ボクに合わせろと指示してくるのだ。なるほど、それもひとつの表現だし、自己肯定感につながるのかもしれない。