2025年6月3日 絵文字の歴史5:国際統一規格化とその後の課題

「ドコモ絵文字」終了のニュースを読んで、5月21日に記事「絵文字の歴史1:ファンタジィ事典の多言語化」を書いた。その記事では、絵文字文化は日本由来だと書いた。ドコモ絵文字が、実はニューヨーク近代美術館(MoMA)に収蔵されたという事実も書いた。それでも、文字コードの歴史の観点では、日本の技術者たちの敗北だったと書いた。以降、「絵文字の歴史2:感情を伝えるには顔のシンボルが必要だ」「絵文字の歴史3:ハートマーク事件とドコモ絵文字の誕生」、そして「絵文字の歴史4:絵文字の進化と文字コードの壁」と記事を書いてきて、今回で最終回だ。

絵文字はdocomo、au、softbankの3社の中でバラバラに発展して、SNSにも水平展開しながらも、日本においては統一規格にはならなかった。機種依存文字のままで、他社とのやり取りでは文字化けすることもあった。この流れに終止符が打たれたのが2010年だ。でも、統一規格の道を推し進めたのは、残念ながら、日本人じゃなかった。AppleがiPhoneを日本に売り込もうとしたときにぶつかった壁が、まさにこの日本独特の絵文字文化だった。iPhone、そしてAndroidでは当初、絵文字が使えなかった。これでは日本人に受け入れてもらえない。同様にGoogleもgmailを日本に売り込もうとしていたけれど、ここでも絵文字の壁にぶち当たった。そこで、AppleとGoogleがUnicodeコンソーシアムに働きかけたわけだ。結構、この取り組みは大変だったみたいで、そもそも絵文字は文字なのかという議論もあったし、絵文字のバラエティも多くて、なかなか評価できなかったようだ。でも、最終的に2010年にUnicode 6.0の中に「Emoji」として採用されて、今に至るわけで、結局、ガラパゴス日本では、統一規格化できなかったよなあと思いつつ、日本人として悔しい想いもある。

ちなみに、その後も絵文字はいろいろな壁にぶち当たっていく。たとえば、肌の色。日本人が考えた絵文字の人間はみんな、うすだいだい色。いわゆる「肌色」だった。でも、当然、国際社会には黒っぽい肌の人、白っぽい肌の人がいるわけで、今は色を選択できる仕様になっている。ジェンダーとか家族の壁にもぶち当たった。夫婦というのが男女でいいのかとか、家族は子供がいなきゃいけないのかとか、片親だっているじゃないかとか、そんなこんなで、今は家族を表現する絵文字もたくさんの種類が用意されている。職業も、たとえば、日本の絵文字だと、警察官が男性だったりする。でも、現在は、女性の警察官も搭載されている。サラダも、ベジタリアンを意識して、今はタマゴの記載がなくなった。一番大きな課題は国旗だ。日本の絵文字は、日本に馴染みのある先進国の国旗だけを搭載していた。この部分はUnidoceコンソーシアムでも最後まで揉めたようだけれど、結局、全ての国の国旗を入れることで落ち着いた。それでも、台湾の旗をどう取り扱うかなど、今でも揉めている。

そういう意味では、実は栗田穣崇氏が監修したドコモ絵文字というのは、最初っから「絵」ではなくて「文字」として志向して構想されていて、シンプルで、肌の色も国籍も性別からも離れた「記号」としてデザインされていたわけで、そのドコモ絵文字が終了してしまうのは寂しいよなあとも思ったりする。そんなわけで、第5回まで長々と書いてしまったが、絵文字についてのボクの雑感である。