2024年6月25日 性善説に立った世界の眺め方

電車でたまたま男性が女性の隣りの座席に座ったら、女性が空いている座席に移動して、それって感じが悪いよねみたいなポストがニュースになっていた。

すでに議論になっているとおり、空いている席があるなら男性はそっちに座るべきという理屈も分かるし、どこに座ってもいいじゃんという理屈も分かる。こういうのって、人それぞれの感じ方だから、難しいなあと思うし、男性は極力、女性の隣りに詰めて座らないというのは、思いやりの一種かもしれないけれど、ルールというほど厳格なものではないし、マナーと呼べるほど共通認識になっているものでもない。

大体、文章だけを見て「空いている席があるならそこに座れよ」と言うのは簡単だ。でも、ぱっと電車に乗ったときに、瞬時に空き座席の状況を把握して、女性と詰めないで座れる場所を判断するというのは、実際には脳内処理としてはとても難しい作業だと思う。電車に乗るたびに、それを男性側に強いるのはどうかと思う。

ボクなんかは結構、面倒臭がりなので、もう、電車に乗って、パラパラと席が空いていても、脳内演算が本当に面倒臭いので、もう、最近は3席分まとまって空いている座席にしか座らなくなってしまった。でも、それって本末転倒で、本来、誰もが座れるというのが基本のルールだと思う。変に配慮しすぎると、結局、本質が損なわれていく。

わざわざガラ空きなのに女性の隣りに詰めて座るのは下心がある。でも、何気なく座って、結果としてそういう状況になってしまうこともあって、それは別に悪いことではない。結局、お互い思い遣れることが一番いいので、基本的には性悪説に立たずに、性善説で世界をとらえる習慣を身に付けたいよなあ、と思う。