2015年3月2日 いつだって、ボクの目の前には「新人の事務屋さん」!?
PowerPointを使っての講義。今回は相手が日本人なので日本語だ。しかも若手を中心にした身内を相手にしているので、多少、気が楽だし、フランクな感じのプレゼンにする。でも、結構、準備に時間をかけた方だ、と思う。「プレゼンテーションは相手へのプレゼント」という先輩ケン氏の言葉を、いつも頭の片隅に置きながら作っている。
結構、自分が伝えたいこと、興味を持ったことを載せてしまう。でも、相手が聞きたいこと、欲していることを載せなきゃ、プレゼントにはならない。だから、多分、聴き手を想定して作った方がいいのだ。ボクなんかは技術屋さんなので、技術論に偏りがちだ。でも、いつだって、新人の事務屋さんを聴き手として想定して資料を作っている。例えば、いつも作っているプロジェクトの報告書は、事務屋さんのある女性を読者と勝手に想定して、彼女が読んで楽しめる報告書にしている。今回も、大昔に会った新人の事務屋さん(今はきっと成長していると思うけれど)を想定して、資料を作成してみた。
その甲斐あってか、メティ嬢に「スライドの分かりやすさが半端なかったっすよ」と、好評をいただいた。今回、初めてお会いした新人の事務屋さんに感想を聴いたら、「非常に分かりやすかった」とのコメントももらえたので、少なくとも、制作意図は概ね成功した、と思っている。スライドの凝りに凝ったデザインも、各方面からお褒めの言葉をいただいたので、ボクとしては満足の出来である。
ボクは人前で話すのが苦手だった。や、話すのは嫌いじゃなかったし、それなりに分かりやすく話せるんだけど、面白く話すのが得意ではなく、そこにコンプレックスがあった。堂々と、悠々と、そして時には冗談を交えながら喋る。そういうのに憧れていた。今回、その辺もひとつのテーマ設定にしながらチャレンジしてみた。この辺は、どうだろうね。イメトレをすると失敗する、と心理学者の植木先生が言っていたので、その辺はスライドと台本に仕掛けだけ準備して、ぶっつけ本番でやってみた。これがどう評価されたのかは、まだ、よく分からない。でも、大きく失敗した、という感じはなかったかなあ。
何事も場慣れが大切である。カガヤン・デ・オロやマニラでは、英語でプレゼンをした。こちらは言語的には大きなビハインドがあって、必死だし、まさに暗中模索。それに比べれば、日本語でやるので、余裕がある。その辺も有利に働いただろう、と想像する。
2015年3月3日 私的制裁は許されるのか!?
川崎中1殺人の犯人が捕まった。ネット上に出回っていた写真と名前は、主犯格は正しかったようだ。でも、ほかの2人は犯人ではなかったらしい。今回の事件とは、まるで無関係の人たちだったわけだ。発信していた人はもとより、拡散していた人たちも、どうやって落とし前をつけるのか。マスコミだったら、自らの発信内容の責任を取るだろうけれど、不特定多数の彼らは、ちゃんと責任を取ることができるのか。
そもそも、ものすごい量の情報が飛び交っていたわけで、違法だとしても、本当に発信源を特定できるのか、ボクは懐疑的。でも、別に発信源を特定する必要もないのかもしれない。片っ端から引っ捕らえれば、それだけでも十分、たくさんの人が加害者になりそうな気がする。ネット・リテラシのためには、一度、そんな乱暴な手段を講じてもいいかもしれないぞ、とボクは思う。何しろ、犯罪者に社会的な制裁が必要だ、と主張している人たちなのだから、自らも社会的な制裁を受ける覚悟が必要だ。
でも、ボクの言いたいことは別の話。主犯格の犯人の写真を、ネットに出回っているものと同じものをテレビ局がモザイクを掛けて使っちゃうところに、ボクはある種の無神経さを感じる。ネットに出回っている写真にモザイクを掛けて、これが犯人だ、と宣言すると、つまり、ネットに出回っている写真が正解ですよ、と宣言しているのと同じだ。これって、つまり、不当に顔写真が出回っている事態に加担していることにならないか、とボクは疑問に思うわけだ。少年法に守られている少年に対する、せめてものテレビ局の反抗なのだ、と捉えるべきなのだろうか。その場合は、まさに確信犯だ。
最近、つとにネット・リテラシの難しさを感じる。少年法の改正よりもまず、現状のこの無法地帯を何とかする方が先だし、簡単だ、とも思う。
2015年3月5日 情報の価値、古本の価格!?
本日はBOOKOFFに行った。宣言どおり、新書を10冊選んで購入した。でも、意外と100円のコーナ(正確には108円だが!)には面白い新書が置いていなかったので、結局、大半は半額コーナでの購入になった。結構な出費だ。
驚いたのは、半額コーナの本には、ひとつひとつに本のタイトルや作者名、ジャンルなどが書かれたバーコードのラベルが貼ってあったこと。昔はBOOK-OFFのロゴが入った小さな値札だったのに、今はラベル・シールになっている。
ボクはBOOKOFFの本の価格は、必ずしも内容では判断されないと思っていた。少なくともボクが大学時代にバイトしていたときには、本の綺麗さとか新しさだけが価格を決定する要素だった。だから、背表紙の焼け具合と汚れ具合で価格を決めていた。今はそうではないらしい。ボクが読みたいと思う本、売れそうな本が、ちゃんと高額で取り引きされている。個々のラベルがあるということは、ちゃんと市場調査をした上で値段がついている、ということなのだろう。買う側のボクとしてはお財布の中身を圧迫する苦しい状況。だけど、本の価値が本の中身によって評価されているという点では、素敵なことだ、と思う。情報にはそれ相応の価値がある。それを、買い手はちゃんと理解しなければならない、とボクは思っている。だから、まあ、いい傾向だな、と考えることにする。
実はBOOKOFFでは、CDに関しては随分昔から、市場調査を元にした価格表のあんちょこがあった。「このAlbumはいくらです」という決めがちゃんとあって、冊子になってまとまっていた。これがオリコンのランキングよりも明確に価格に反映されていて、市場の価値がよく理解出来た。あっという間に値下がりするアーティストもいれば、ずぅっと価格が変わらないアーティストもいたし、段々と価格が高騰するアーティストもいて、ボクは結構、興味深く、そのあんちょこを眺めていたものだ。本も、徐々にそういう方向に動いているのだなあ、と思って、今日は新鮮だった。
2015年3月5日 自分の書きたいことと誰かが読みたいこと
日々の雑記は、ボクが書きたいことを書いている。でも、誰かが読みたいことを書く、という意識もあった方がいい。そんなことを漠然と考えている。だから、新年度(4月)からはそういう雑記にしてみよう、と心に決めて、3月からゆるゆると試運転を始めようと思う。
2015年3月6日 地図が好き!!
地図と言えば断ッ然、googleマップだ、と思っていた。これに勝るものと言えば、地図のWikipediaであるウィキマピア(Wikimapia)。みんながいろんな情報を載せてくれるので、これも使い方によっては最強である。
でも、本日、偶然、OpenStreetMapを発見した。これは……すごい。遊園地などの施設の中の情報まで、記載されている。特に海外がすごい。フィリピンやナイジェリアの地図情報も、結構、充実している。誰が作っているのだろう。Googleマップも、すごいなあ、と思うけれど、このOpenStreetMapも、日々、誰かが構築しているのだ。
最近、ボクはよく地図をトレースする。仕事でも使うし、趣味でも使う。ウェブサイト用にも使う。イラストレータで描くときもあれば、PowerPointでつくるときもある。物事を理解するときに、まずは関係する地理を把握する。それから、歴史。大抵、この順番だな、と思う。その国を理解するときにも、妖怪を理解するときにも、いろいろなニュースに触れるときでも、大体、このプロセスは変わらない。
今日もフィリピンのBohol島の地図を作成していた。町の境界線をトレースして、人口密度で色分けしてみたり、地形を描いたり、周辺環境なんかのいろいろな情報を地図上に載せる。そして、そういう情報を頭の中に置いてから、歴史をなぞっていく。地理が頭に入っていないと、歴史は頭に入ってこない。歴史が入っていかないと、文化や現状が入っていかない。最近のボクは、そういう脳ミソになっているようだ。
PowerPointで作成。島のどこに人が密集しているかが一目瞭然。
今まではgoogleマップをベースにしていた。それをWikimapiaで補足していた。でも、今日はOpenStreetMapをベースにトレースしてみた。用途に合わせて5種類の地図があるので、いろいろな地図がつくれて楽しい。
ボクは歴史マニアで、地図マニアかもしれないな、と最近、密かに思っている。神話・伝承よりも、歴史と地図に興味を持って活動している気がするのは気のせいではないはずだ。
2015年3月7日 興奮しすぎて吐く。
昨日、ネットで頼んでいたツクル君の外履き用の靴が届いたため、今日は初めて、ツクル君を外で歩かせてみる。玄関を出て、駐車場のコンクリートの上にツクル君を下ろしたら、「おぉぉッ!」と雄叫びをあげた。それから一歩、一歩、大地を踏みしめるように歩く。
今まで家の中は自由に歩き回っていた。抱っこやベビーカーに乗せられての外出もあった。でも、自分の足で外を歩いたのは初めて。それに大興奮しているようだ。歓声をあげている。それから興味津々、あちこちを見回して、地面を眺めて、それからあっちにこっちにと歩き出した。
自分の足で外を歩く。そんな当たり前のことが、彼には新鮮で、嬉しい出来事なのだ、と思うと、何だか感動してしまう。赤ん坊のときから考えれば、ボクたちは実にいろんなことが出来るようになっていて、気がつけば、いつの間にか当たり前の日常になってしまっている。でも、外を歩くという簡単なことも、赤ん坊にとっては大変なことで、ようやく、ツクル君も安定して二足歩行出来るようになったので、こうして外に連れ出せる。
そのうちに、ボクたちは年をとって、衰えて、外に出るという当たり前のことも制限されるようになるのかもしれない。一瞬のうちに、そんな想像をするボクだ。
* * *
あまりにも楽しかったのだろう。30分くらいしたので、もう満足しただろう、と抱き上げたら、嫌がってギャンギャンと泣きわめく。それを無理矢理、家に連れて行ったら、あまりに泣きすぎて吐いたよ。この性格、一体、誰に似たのだろう。え? 父親譲り? ……トホホ。
2015年3月9日 子供の頃は地理が嫌いだった
子供の頃は地理が嫌いだった。正確には、暗記科目は全般的に嫌いだった。だから、九九もなかなか覚えなかったし、歴史の年号も覚えなかった。地理なんて、まさに暗記科目の代表、みたいな印象を抱いていて、だからこそ、大ッ嫌いだった。
今は歴史と地理が大好きだ。ボクの中で、何が変わったのだろうか。多分、歴史も地理も、暗記科目ではなくなったのだ。情報が有機的に結びついて、単なる暗記じゃなくなった。発展的な学問だ、と感じるようになったのだ。
物事の成り立ちには地理と歴史が重要だ。いつ、どこで、誰が、何を、どうやって、そして、何故。まさに5W1Hの問いかけだけれど、この「どこで」という部分が重要になってくることもある。「何故」という部分も、地理的な要素が絡む。「暑いところだから」「港があったから」「通り道だったから」「隣国の影響を受けたから」というような場合、これは間違いなく地理の範疇である。空間的な広がりは地理、時間的な広がりは歴史。そういうものが、絡み合いながら、今の世の中に結びついている。最近になって、そういう風に理解できるようになった。こうなると、地理も歴史も単純な暗記科目ではない。
時代はイスラームとキリスト教、2つの宗教の戦い、などと言われる。でも、ボクは必ずしもそうでもないのだろう、と感じている。もう少し根は深くて、イスラームの文化が、アメリカ的な自由を受け入れられないのだ、と思っている。イスラーム法のストイックさは、近代文明との折り合いが悪い。それを近代化とか自由主義で押し付けようとするから、そこに齟齬が出る。そういうギャップの戦いが根源にはあるのだ、と理解している。そういうのが、空間的、時間的にぶつかり合って、今に至る。そういうことを、地理や歴史を学びながら、ボクは感じている。
多分、地理も歴史も、ボクたちの社会と無縁ではなくて、連綿と繋がっている。きっと、そういうことを、ちゃんと先生が教えなきゃいけないのだ。ツクル君には、そういう楽しさに気づいてもらえるといいなあ、と思う。そのためにボクに何が出来るだろうか。
2015年3月9日 傘立てにミョッルニルを置き忘れた!!
ソーシャル・ネットワーク・ゲームの『ゆるドラシル』で新しいイベントが始まった。「ドキッ!男だらけの結婚式」というイベント(ひどいタイトルだww)だけど、ソールが巨人スリュムにミョッルニルを奪われ、取り戻すために女装する羽目になったエピソードをモティーフにしている。今まで、季節のイベントとか、コラボ・イベントとかをやっていたけれど、こうしてちゃんと神話のエピソードに正面から向き合った展開をしていなかったので、ちょっとビックリしている。
ゲーム上では、スリュムがコンビニを経営していることになっていて、ソール(トール)が傘立てにミョッルニルを置き忘れた(!)、というアレンジが加わっている。また、神話同様、スリュムはミョッルニル返還のためにフレイヤとの結婚を要求するわけだけれど、フレイヤはヘイムダッルに嫁き遅れとして茶化されている。曰く、スリュムは結婚していない女神と言えばフレイヤしか思いつかなかったのだろう、と笑われているのである。こういうゆるーい現代風のアレンジがある点が、まさに『ゆるドラシル』の魅力なのである。
左からヘイムダッル、ソール、フレイヤ。
ソールがディズニーのジーニーに似ている(笑)。
こういう面白さを、ずぅっと継続してもらえたら楽しいよなあ。頑張って、製作者様。そして、ボクもこういう楽しい仕掛けを考えたいぞ、ファンタジィ事典。
2015年3月10日 スリュムの歌(Þrymskviða)
昨日の記事の続き。スリュム(古ノルド語で書けばÞrymr)と言えば、ヨートゥン族(霜の巨人族)で、雷神ソールからミョッルニルを盗み出して、武器の返還と引き換えに女神フレイヤとの結婚をアース族に要求する。このエピソードは「スリュムの歌(Þrymskviða)」に載っている。粗筋は次のとおりだ。
あるとき、ソールが目を覚ますと、大切なミョッルニルが失くなっていた。ソールの叫び声を聞いたロキは事情を理解すると、フレイヤから鷹の羽衣を借りて、ヨートゥンヘイムを飛んでいき、ミョッルニルを盗み出した犯人が巨人の王スリュムであることを知る。スリュムはミョッルニル返還の条件として、フレイヤとの結婚を要求する。神々は集い、対策会議を開く。ヘイムダッルの提案で、ソールがフレイヤの身代わりとして花嫁姿に扮してヨートゥンヘイムに向かうことになった。ロキも侍女に化けてそれに同行する。ヨートゥンヘイムでは、スリュムが結婚の宴の準備を進め、フレイヤの訪問を待っている。二人はそこに乗り込む。食事が供され、ソールは次々と平らげる。あまりの大食漢にスリュムが驚くと、ロキは慌てて「フレイヤ様は巨人国に来るのを心待ちにして8日間も何も食べていなかった」と言う。スリュムは口吻をしようと花嫁のベールを取ろうとすると、ソールのあまりに鋭い視線に驚く。するとロキは「フレイヤ様は巨人国に来るのを心待ちにして8日間寝ていないのだ」と取り繕う。こうして、スリュムはまんまと騙されて、ミョッルニルを取り出してしまう。ソールはミョッルニルを掴むと、宴の場で大暴れして、スリュムや巨人族たちを殴り殺すのである。
ゆるドラシルの今回のイベント名は「ドキッ!男だらけの結婚式」。花婿も花嫁も、花嫁に同行する侍女も、全部、男だから、そういう名前になっているのだろう。ヘイムダッルがソールの女装を提案しているのも神話のとおり。ロキが同行するのも神話のとおり。なかなか面白い企画である。ボクは今、ようやくソールが「女装トール」から「花嫁トール」に進化して、いよいよスリュムの館に乗り込むところ。今後、どういう展開になるのだろうなあ。楽しみだなあ(ワクワク)。
2015年3月12日 甘党男子同盟を組みたい!!
横浜のそごうでチョコレートを買う。パイヤール(Payard)とドゥバイヨル(DEBAILLEUL)。バレンタイン・デーみたいに特設店が集まる感じではないので、常設店の中から選ばざるをえないのがホワイト・デー。どうせなら、3月も盛り上げればいいのになあ。でも、男性をターゲットにしても、あんまり盛り上がらないのだろう。
一時期はバレンタイン・デー・フェアが片付いた頃に、今度は同じ催事場でホワイト・デー・フェアをやっていたところもあったのだけれど、年々、盛り下がっていて、最近では、ゴディバのような有名で分かりやすい高級店と、ホワイト・デーのときにだけ出張ってくる安価で正体不明のアソート・チョコの二極化が進んでいる。
もっとマイナなショコラティエの布教活動をした方がいい、と思うボク。でも、多分、男性陣のアンテナには、そういうショコラティエの名店は引っ掛からないので、イベントを開催しても思ったほど売れないのが現実だ、と想像する。こういうのは、女性を相手に最新家電や軍事関連商品などをPRしても、一部の女性しか反応しないのと同じ。市場が狭いのだ。
どうせなら、男性から女性、という既成概念を取っ払って、ホワイト・デーも女性が自分のためにチョコレートを買い物するイベントに社会全体がシフトすればいい、と思う。今じゃ、バレンタイン・デーのターゲットの半分くらいは、女性が自分のために買うチョコレートなのではないか、と密かにボクは思っている。あるいは、男性誌とコラボして「女子はこういうチョコレートを欲しているよ特集」みたいな煽り記事を掲載して盛り上げる商戦を張ったらいいのに。そうしたら、多分、ちょいモテ男子はすぐに飛びつくだろうな、と思う。そうしたら、ボクも楽しいホワイト・デーを送れるのになあ。