2015年2月1日 リンカネーション(再生)!!
いるま嬢のカバー・アルバム『Reincarnation』が届いた。これまでのHollow Mellowの企画でいるま嬢がいろんな人たちに提供していた楽曲を、いるま嬢自らがカバー。ヴァイオリニストのJill嬢を加えて、ヴァイオリン・アレンジを加えての再構築。まさに「Reincarnation《再生》」である。上昇下降を繰り返して疾走するJill嬢のヴァイオリンと痺れるように切ないNemu氏のギターのダブルのソロが格別、格好よくって、心地よい。
いるま嬢は音楽の空間的なバランス感覚に卓越している。そこにNemu氏のギターが入り、Jill嬢のヴァイオリンが入って、混沌としていく。いるま嬢が理路整然とコントロールできる領域の外側が増えたということで、それが微妙な歪みをつくっている。それが新しい世界を生み出しているな、という感じ。
Nemu氏が加入した当初は、あまりに混沌とし過ぎて、一度、音楽がばらばらと崩れた印象があった。完成していた音楽的なバランスが崩れたのだ。でも、Hollow Mellowのプロジェクトを進めていく中で、次第に、うまく融合できてきたかな、と思っていた矢先に、今度はJill嬢の加入。もう一度、音楽を再構築する必要が生じたわけだ。もちろん、うまく融合できれば、新しい世界が見える。今回はNemu氏が加入したときのような大幅な崩壊はない。いるま嬢の中に新しい要素をうまく組み込める素地が出来ていた、ということだろう。いるま嬢は現時点でも、非常に意欲的で、チャレンジャである。
聴き所は8曲目。めらみぽっぷさんが歌っていた「Forbidden Lover-青い鳥-」の大幅なアレンジ。まるで別の楽曲のような変更っぷり。それなのに原曲のエッセンスはちゃんと残っている。中盤からの疾走感が素敵。そして、9曲目。最後の楽曲「Fall Away -マッチ売りの少女-」。ヴァイオリンとギターのテクニカルなソロも必聴だが、Albumを締めるのに相応しい盛り上がり。
本音を言えば、浮森かや子さんの特徴的な声が光っていた「Candy Prison -グレーテル-」や初めての男性・下和田ヒロキさんの「Lonely Prince -狼と3匹の子豚-」などの癖のあるヴォーカリトさんの楽曲をいるま嬢がどう料理するのか、ちょっと楽しみではあったのだけれど、それはまた、別の次回の機会に期待しよう。
ウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」は梨丘いるま嬢の応援サイトなのである(笑)。
2015年2月1日 負の連鎖を断ち切って、第3の道を探そう!!
後藤さんが殺されたらしい。ボクはそれよりも、日本がテロリストたちとの戦いに巻き込まれたらしいことに、非常にショックを受けている。後藤さんが殺されたことを伝える動画で、日本に宣戦布告していることもショッキングだったけれど、何よりもショックだったのは、安倍首相を始め、政府関係者が、テロリズムと戦う、と強く宣言していること。「その罪を償わせる」というのは、あまりに強い言葉で、気持ちは分かるけれど、誤解を招きかねない。
戦いは戦いしか産まない。それじゃダメだ、と思う。テロルは憎むべき手段だ。毅然とした態度を取ることも大切だ。でも、彼らの欧米に対する憎しみにこちら側も憎しみで応えては、負の連鎖が続くだけだ。どうしてテロリストたちが生まれたのか。その根源に切り込んでいかなきゃ解決しない。人道支援。大いに結構。テロリストに屈しない。大いに結構。だけど、英米の戦略とは少し距離をおいて、日本独自の別の形でテロルに対処するべきだろう。それが平和な日本の在り方だ、とボクは思う。イスラーム勢力と極端に強い利害関係にない日本だからこそ、中立的な立場で事態の改善に資することが出来るはずだ。そのための方策を、是非、考えて欲しいなあ。
フィリピンのミンダナオ島もイスラーム過激派が跋扈しているし、ナイジェリアの北部はボコ・ハラムが相変わらず暴れ回っている。ボクが訪問している地域も、決して、安全ではないのだなあ。ISの「どこであろうとお前の国民が発見されれば殺戮を続けるだろう。日本にとっての悪夢の始まりだ」という宣言は虚仮威しだ、と断ずる専門家もいる。イラクやシリアから日本まで攻めてくることは出来ない。でも、彼らの怖いところは、世界各地にシンパがいること。彼らのコントロール下にあるわけではないが、ボコ・ハラムなどの各地のイスラーム過激派に影響を与え得るということ。だから、いろんなイスラーム国家のテロリストたちは日本人を襲うかもしれない。その点は、よく考えなきゃいけないな、と思う。必要以上に恐れる必要はない。でも、気を引き締めて渡航しなきゃいけない。
2015年2月6日 イナンナ女神よ、何想う!?
大昔にウルクがあった場所は、今はイラク領で、ムサンナー県のサマーワになっている。豊穣の女神イナンナさまが祀られていた都市だ。ウルがあったところはジーカール県ナーシリーヤ。ここは月神ナンナさまの都市だ。
今や、イラクとシリアは危険な紛争地帯になっているわけだけど、最近、その近辺で新しい仕事がある、と聞いた。やってみたい、と手を挙げて、挑戦したら、もしかしたら行けるかもしれない。うーん。どうだろうか。
ちぃ子には「そんなところに行ったって、神さまはいないよ?」と言われた。まあ、確かに、神さまはいない。でも、ボクは別に神さまを拝みたいわけでも、神さまに面会を求めているわけでもない。
2010年にギリシアに行って、パルテノン神殿を訪問してみたけれど、アテーナー女神を求めて行ったわけではない。そこに行って、当時の人々の気持ちを感じてみたかっただけだ。実際、パルテノン神殿はものすごく高いところにあって、アクロポリスの丘なんて言うんだけれど、頂上まで登るのに一苦労。小一時間くらい掛かって辿り着く。アテーナイの街が一望できる場所。よくもまあ、そんなところまで資材を運んで、巨大な神殿を作ったものだ。行ってみて、初めてその建設の大変さを思い、彼らの信仰心を思った。
書籍から学ぶことも多い。でも、現地に足を運んで、空気を感じて、想像する。それが出来たら幸せだ、とボクは思う。早く戦争が終わって、平和になればいいなあ。石油が採れるばっかりに……不幸なことだよなあ。
2015年2月8日 今回はボホール島にも行くゾ!!
3度目のセブだ。そして、今回はボホール島にも行く。楽しみだ。
14時25分のフライト。前回、同じ時間の飛行機が欠航になって、結局、夜中の2時にやっとこさっとこセブのホテルに着いた。だから、成田でおそるおそる電光掲示板をチェックする。よかった。予定通り、と一安心。
今回はお客さんが多く、ほぼ満席だ。ボーディング・タイムを少し過ぎてから、酔っ払った日本人の集団が乗り込んできた。「だから、ライターはダメだって言ったじゃん!」「や、1つ出したんだけど、2つ入っているとは気づかなかった。カバンの中だったからさー。わははー」などとやっていてウンザリする。品がないな、と思う。
それでも、到着はほぼ予定どおり。20時半頃にはParklane Hotelに到着。現地で先発隊と合流。早速、典型的なフィリピン料理を堪能だ。
2015年2月18日 省エネモード讃歌!?
会社の英語版のパンフレットを企画しているチームにボクも参加している。
英語版のパンフレットを作る目的は何か、と自問自答。いつだって、もっともプリミティヴな問いかけが大切で、それを問うことがボクの信条だ。パンフレットの目的は、多分、会社のPR。ボクはそう思っている。この会社は何が出来るのか。何が強みなのか。ほかの会社とどう違うのか。それを踏まえて、この会社にお仕事を依頼してね。つまりは、そういうことだ。
でも、現状の草案では、その辺の会社の強みとか得意分野とかが非常に曖昧に書いてある。書いていないわけではないけれど、明確じゃないし、少なくとも訴え掛けるような書き方にはなっていない。それよりも過去の取り組みや事例、プロジェクトの紹介に主眼が置かれている。
もちろん、過去の取り組みや事例から、この会社が何をやって来て、何が得意なのかを類推することは出来る。でも、それは読み手の読解力に依存する。そうではなくって、パンフレットに明確に書くべきだ。そんな問題提起をする。でも、ボクの説明がうまくなかったのかもしれない。結局、このまんまの方向性。ボクの問題提起については、表面的に取り繕う方向で議論が進んでしまう。
もっと、食い下がって、果敢に反対した方がよかっただろうか。でも、疲れてしまう。どうも、ボクは昔みたいに尖がっていないらしい。さっさと白旗。諦めてしまう。これって、事なかれ主義? まあ、いいよね? これ以上は、多分、サービスの世界だ。
最近、省エネモード。ここで撤退する方が、楽チンだ。そんな風に物事を捉えるようになった。
2015年2月19日 客観的に考えること
フィリピンに行って疲れてしまったようで、休暇をとって爆睡モード。月曜日もお休みしているので、かなりのダメージだ。根を詰めすぎたのもあるだろうし、寒暖の差が原因かもしれない。5時起きが続いたのも影響しているだろうか。うーん。
* * *
ツクル君と一緒に、本屋さんに行く。児童書コーナでいろいろとツクル君に本を読んで反応を見る。ボクが思っていたよりも難しい本の方が面白がる傾向にある。意外と図鑑を面白がるし、絵が複雑なものを好む。もしかしたら、ボクは必要以上に子供向けの本を買い与えていたかもしれない。こうやって、ツクル君本人に、本屋さんで直接、本を選んでもらうというのが、一番、有効かもしれない。
* * *
久々に川本真琴の3rd Album「音楽の世界へようこそ」を聴く。買ったときには、大昔の川本真琴のイメージを抱いていたせいか、あんまり好きになれなかった。だから、そのまんまCDラックに眠っていた。でも、今頃になって発見して、聴いてみると、非常によく出来ている。客観的に見れば、すごくいいAlbumだった。
常に客観的に物事を評価したいな、と思っている。でも、思い入れがあるとうまくいかない。そういうときもある。
2015年2月20日 芥川賞って面白いのだろうか!?
ブックオフで文庫本を10冊、買う。いつだって、ボクは10冊単位で購入してしまう。CDも10枚単位だ。いい出会いを期待して、取り敢えず10冊になるまで探す。
最近、海外に行くことが多い。ナイジェリアなんて、シャルル・ド・ゴール空港経由で行く。NRTからCDGまででも12時間半のフライトだ。フライトの間、読書する時間は十分にある。それに海外では自宅の環境を持っていけないので、必然的に出来ることが制限される。そういう意味じゃ、読書はひとつの解答だ、と思っている。日本にいたらなかなか読書に時間を取れないけれど、海外のホテルだったら、読書してもいい。アンテナの感度をビンビンに鍛えられる。
そんなこんなで、直木賞とか芥川賞、それから本屋大賞なんかに選ばれながら、ボクの琴線に今まであんまり触れてこなかったような作品を中心に10冊をチョイス。気に入る作家さん、気にいる作品に出会えるといいなあ。
まだナイジェリアに行くまでには時間があるので、次回は新書を10冊選んで、普段、あんまり勉強しないジャンルの本を読んでみるのもいいかな、と構想している。
2015年2月21日 オンライン無料翻訳サービスの正しい使い方
オンライン上の無料翻訳サービスで情報漏洩、という記事がウェブサイト上のニュースに載っていた。普段、あんまり意識することはないけれど、オンライン翻訳は、確かに情報のアップロードには違いないわけで、場合よっては、それが情報漏洩に繋がる危険がある。
何が機密情報に当たるのかは考え物だ。開発中の新製品の英語資料を作っていたら、多分、ダメージは大きい。でも、海外の国の人宛てのメールの文章くらいだったら、そんなに大きな影響はないかもしれない。
いずれにしても、オンライン上の無料翻訳サービスの利用は、文章のアップロードである、という認識を持つことが大事かもしれない。ボクは今までその辺を意識的には考えていなかったので、反省である。
ボクの場合、google翻訳をよく使う。でも、正直、あんまり有効だとは思っていなくって、動詞の使い方を確認するためくらいにしか使わない。長い主語はいつだって「彼」か「それ」に省略してしまうし、目的語や補語なんかも「それ」で代用してしまう。要するに、文法と単語だけが知りたいのであって、こういう表現をするのかな、という確認である。ヘタに修飾語とか固有名詞、専門用語を入れて翻訳すると、しっちゃかめっちゃになる。形容詞を調べたいとき以外、形容詞もない方がいい。そういう使い方であれば、情報漏洩のダメージは皆無である。
まあ、そもそも最終的に言語を扱うのは人間さまのお仕事である。そのまんま、全文、コピペして翻訳にかけちゃえる人間は、きっと、お仕事が出来ない人だ、と思う。
2015年2月23日 建設的ディスカッション!?
離乳食を頑として食べない息子に対して、必死に「楽しい食事」を演出する母。最近の我が家の日常である。ちぃ子が、ツクル君にあの手この手でいろいろなものを提供している。
でも、ボクは「食べたくないならお腹が空くまで放っておけばいいじゃん!」と思ってしまう。選り好みして、望んだものだけを食べるのをよしとはしたくないし、大人の食事を所望されて、試しに食べさせて、おいしくない、と思わせるのも不愉快だし、使えもしないフォークや箸を求めに応じて手渡して、その後、結局、それを使って食べられなくて泣き出すという件もナンセンスだと思う。目の前に与えられた食事が全てで、それを食べないなら、また後で、というスタイルでいいのではないか、と思ったりする。
お腹が空いて、それでも選り好みするほど強情だったら、それはそれで立派だな、と思う。でも、多分、お腹が空いたら、与えられたものを食べるだろうな、と想像する。その辺のコントロールも、多分、習慣ではないかなあ、とも思っている。
そんなことで、ちょっとした喧嘩をする。でも、これは、建設的ディスカッションである、と思う。
2015年2月23日 何でも屋さん、頑張り屋さん、仕切り屋さん!?
司会進行はボクの役目ではないんだけど、いつの間にか、会社でそういう雰囲気になっている。そもそも、ボクは議論の焦点がブレたり、進行がダレることに我慢できなく性質らしい。だから、ついつい「今、ズレていますよ?」とか「今、ダレてますよ?」というシグナルを発信してしまう。そのうち、じゃあ、司会進行は任せるよ的なポジションに置かれてしまう。
最近気がついたのは、意外と、みんな、まとめに入るのが苦手らしい。「こうしたらいいのでは?」という疑問形で投げかけることはするけれど、「じゃ、こうしましょう!」とは言わない。だから、ずぅっと疑問形のまんま、「で、どうするの?」みたいな感じで議論が発散して、いつの間にか雑談になっちゃったりする。その間、ずうっと「何となく、みんな、それでアグリーだよね!」みたいなふわっとした探り合いがあったり、「何となく方針も出たみたいだ」という安心感に包まれたりする。だけど、ボクはどうしても、「では、こういう結論でいいですね? それで行きますよ!」と確認したくなる。だから、まとめてしまう。そういうのもいけないらしい。じゃあ、任せるよ、と雰囲気になる。
何となく方向性が決まって、で、結局、誰がどうするの? というのが謎のパターンもあって、決めないうちに会議が終わりそうになったりもする。その辺も、ついつい突っ込みたくなって、締めようとする流れを制止してしまう。
別に仕切り屋になりたいわけじゃない。大体、会社の中じゃ、ボクが一番のペーペーなのであって、本来、仕切るような立場にはいない。でも、最近、気がつくと、そういうポジションに居座っていて、とても気持ちが悪い。
思えば、常にそういう発想で物事を考えてしまうから、ボクは毎日、ストレスが溜まるのだなあ。意外と、待つことが出来ないのだ。曖昧さを受け止められない。無意味な脱線も、雑談タイムも、許容できない。だから、イライラして、結果、お腹がしくしくと痛くなる。
気楽なハッピィ・ライフが理想のボク。こういう性格に、ちょっとした改善の余地がありそうだな、と思うが、いかがか?