2016年4月24日 スマホの普及が多言語化の足枷に!?
昨日、Notoフォントについて書いて、ウェブサイトの多言語化に向けた希望的な話をした。一方では、多言語化に向けてのネガティヴな話題もある。アクセス解析をすれば明白だが、インターネット上は、パソコン・ユーザがどんどん減って、スマホ・ユーザが増えている。つまり、スマホでウェブサイトにアクセスする人が多いということ。その上、パソコンを持たない若いユーザも増えている。そうなると、いくらパソコン用に多言語対応のフォントが開発されても遍く多言語化に対応していくわけではない。
スマホでフォントをダウンロードして使うというユーザは少ないだろう。フォントを変更するアプリがないわけではないが、機能は非常に限定的だし、そもそも、スマホにはフォントを変更するという文化もないだろう。だから、スマホからアクセスされると、ボクのウェブサイトは文字化けだらけになってしまう。ウェブサイトの多言語化に向けて必死に頑張っているのに、スマホの普及で、実のところ、足踏み状態である。
Notoフォントの普及はウェブサイトの多言語化に明るい光を当てる。でも、スマホの普及が進んでいるので、それだけでは不十分である。Unicodeという概念があって、文字に関する統一的な規格を打ち立ててくれているのだから、それに対応する方向にパソコンもスマホもなればいいのだけれど、でも、楔形文字が表示できるなんて機能を求めている人は非常に限定されるので、わざわざ容量を使ってまで対応しようとはしないのだろうなあ。
2016年4月23日 Google Noto Fonts
ファンタジィ事典で世界各国の妖怪を紹介している関係、原語にこだわっている。たとえば、英語のウェブサイトで「天狗」のことを「Long-nosed Goblin」などと紹介してあったら、ちょっと引く。でも、これは冗談ではなくって、日本の英語の辞書なんかには、Long-nosed Goblinという項目があったりする。同様のことはよくあって、例えば、ウェールズの「ウォーター・リーパー」という妖精なんかは、Wikipediaでもウォーター・リーパーの項目で載っているが(英語でもWater Leaperだ)、これはウェールズではLlamhigyn Y Dwr(サムヒギン・ア・ドゥール)と呼ばれていて、勿論、意味するところは《ウォーター・リーパー》なんだけれど、英語圏の人がそういう紹介をして、いつの間にか、そういう名称が普及してしまった格好なのだろう。
ボクとしては、あんまり、そういう訳語を使いたくなくって、現地での固有名詞を並べるウェブサイトにしたいと思っている。その一方で、外国語には日本語にはない発音がたくさんあるので、当然、カタカナ化には限界があるので、その間で煩悶する。その解決策として、原語での記載を併記する。ドイツ語ならドイツ語、フランス語ならフランス語、ロシア語ならロシア語、ギリシア語ならギリシア語だ。ところが、当然、マニアックな言語、例えばタイ語やミャンマー語、ラオス語などになると、コンピュータ側の印字に問題が生じる。対応フォントを設定してやらないとうまく印字されない。ましてや古代の言葉、ヒエログリフや楔形文字、アヴェスター語になると、対応フォントがデフォルトではインストールされていない。従って、文字化けになる。
こういうのは、いつかは解消されるだろう、と大学生の頃から、ボクは楽観的に思っていた。Unicodeとしては種々の言葉がどんどん登録されていくので(最近では麻雀牌や日本のケータイ絵文字も登録されている!)、Unicodeに全て対応するフォントが、いずれは出てくるだろうと思っていた。そして、そういうフォントが作成されれば、デフォルトでOSにインストールされるのではないか、とも思っていた。でも、今のところ、Unicode全てに対応したフォントは登場していない。ニーズの問題と、技術的な問題と、両方あるのだろうけれど、想像していたよりもずぅっと遅れている。
そんな中で、Googleでひとつのプロジェクトが動いている。多言語化に対応するために、Notoフォントというパッケージが作成されている。Notoフォントのパッケージを全てダウンロードすると、全てのUnicodeに対応する。つまり、ボクの理想形に限りなく近い。ただし、ひとつのフォントではなく、フォントのパッケージである。全Unicodeに対応させるとものすごく重くなるらしく、結局、それぞれの言語で分割して、パッケージとして対応するという判断になったらしい。まあ、パッケージで全Unicodeに対応しているのだから、それでいいじゃないか、という話もあるのだが、例えば、Wordで文書を作成して、日本語で文章を書いていて、途中に楔形文字を入れることを想像してみる。Word全部でたったひとつの『Noto Fonts』で対応してくれれば楽ちんなのに、現状としては、日本語の部分は「Noto Sans CJK JP」、楔形文字の部分は「Noto Sans Cuneiform」を指定しなければならない。ウェブサイトも同様で、スタイルシートで言語に応じてフォントをしてやらなければならない。
その一方で不思議なこともあって、日本のケータイの絵文字だ。Unicode.orgを参照してもらいたいのだが、いつの間にか、日本のケータイ文化の中で育った絵文字は、いつの間にか「Emoji」として世界基準になって2010年にUnicodeに登録され、ケータイ会社3社で統一化されたり、各種のSNSやblogサービスにも対応するなど、広がりを見せているが、実は最新のwondows OSでは、普通に絵文字が印字できるようになっている。「らくだ」と打って変換すると「🐪」になる。絵文字を印字させるためにわざわざ対応したフォントを作成しているわけだ。こんなものをデフォルトに実装するくらいなら、もっと別のことをやってくれよ、と内心、ボクは思っているわけだけれど、ニーズには勝てない、ということ。だから、もっともっと多言語化にニーズがあることをアピールしなきゃいけない、ということで、ファンタジィ事典では、たとえ文字化けになっていようとも、原語を使い続けているわけである。
ちなみにNotoフォントのNotoは「no more tofu」の略らしい。文字化けしたときの□をgoogleは「豆腐」と読んでいて、これを取り除こうというコンセプトらしい。この主義主張には大いに賛同できるので、ボクは今、順次、ファンタジィ事典をNotoフォントに対応させている。ミャンマー文字を印字するためにMyanmar3フォントを、アヴェスター文字を印字するためにAhuramzdaフォントを、楔形文字を印字するためにAkkadianフォントをわざわざダウンロードしてインストールするのは大変だけれど、Notoフォントのパッケージをダウンロードすれば済むなら、その方が断然、いい。
NotoフォントのパッケージはGoogle Noto Fontsからダウンロードできるので、是非!!
2016年4月18日 日本の言葉は何種類あるか。
変なタイトルをつけたが、日本の言葉は何種類あるか、というお話。たとえば「ドイツの言葉は?」と問われたら「ドイツ語」と答えるだろうし、「フランスの言葉は?」と訊かれたら「フランス語」と答えるだろう。同様に「日本の言葉は?」と問われたら「そりゃー、日本語だ」と答える。でも、ちょっと賢い人なら、「待てよ。アイヌ語もあるな」とか「沖縄の言葉って、あれは方言だろうか」と立ち止まって考えるかもしれない。
実は国際SILという少数言語の研究団体のウェブサイトエスノローグには、日本の「生きた言語」として15語が挙げられている。掲載順(アルファベット順)に並べると、
アイヌ語/北奄美大島語/南奄美大島語/日本語/日本手話/喜界語/朝鮮語/国頭語/宮古語/沖永良部語/中部沖縄語/徳之島語/八重山語/与那国語/与論語
となる。15語もあるのか、とビックリする。
「日本手話」という部分は「なるほど、手話も言語なのだな」と改めて考えさせられる。実際、30万人近くが日本手話の話者らしいので、それなりだ。でも、結局、それって「日本語」の延長ではないのか、という疑問もある。「朝鮮語」というのは京都・大阪、東京、山口などの一部で話されている在日朝鮮人の言葉だが、これも果たして日本の言語だろうか。でも、90万人近くがこの「朝鮮語」の話者らしいので、決して少数派とは言えない。そのうち、外国人が増えていけば「英語」話者とか「中国語」話者が増えていくので、そういうのも一大勢力になるのではないか。
一方で、このエスノローグの分類は「アイヌ語」「日本語」「日本手話」「朝鮮語」以外は鹿児島・沖縄の言語じゃないか、とも思う。南方の島々には、島によってそれぞれ独自の言語があるという解釈らしい。でも、こういう鹿児島や沖縄の言葉を方言とするかどうかで学者の見解は分かれていて、日本語の沖縄方言と定義する人もいるし、独立した言語として琉球諸語と定義する人もいる。
エスノローグの分類に対する批判的な意見は多いが、日本の言語を15語とする考え方がある、ということは日本人として留意しておくべきことかもしれない。
ちなみにユネスコの「消滅危機言語」のリストには、日本の言語として8言語がリストアップされている。極めて深刻には「アイヌ語」が、重大な危機には「八重山語」と「与那国語」が、危険には「八丈語」、「奄美語」、「国頭語」、「沖縄語」、「宮古語」がリストアップされていて、一応、ここでも琉球諸語はそれぞれ別々の言語として位置付けられている。
ちなみにここで4番目に言及されている「八丈語」というのは伊豆諸島の八丈島や青ヶ島などで話される言葉で、現地で島言葉と呼ばれるもの。これも「八丈方言」とされることが多い。本島との交流が少なかったため、非常に古い日本語表現が保存されているが、これも一方言とすべきものかもしれない。でも、ユネスコは独立した言語と定義している。
ボクの母は会津の生まれで、田舎に帰るとバリバリの会津方言を喋る。ボクは幼い頃に母に連れられて頻繁に会津に里帰りしていたが、実のところ、会津の祖父とは一切、会話が出来ない。こちらの言っていることは伝わっているのだろうが、向こうが何を言っているのか、ボクにはまるで分からない。だから、ボクの認識としては、会津方言は方言というよりも、まるで外国語だ。だから、沖縄諸語の中での言語的な開きと、本島の内部の方言の開きと、どちらが言語的に離れているのか、ボクには正直、よく分からない。
でも、日本語と沖縄諸語は同じ系統に属する。単語も日本語と比較的、対応している。例えば、幽霊はユーリーだし、木の精はキーヌシーだ。アヒルの魔物はアフィラーマジムンだし、火の神さまはヒヌカンだ。だから、ボクは沖縄諸語は広義の「日本語」に含まれると思うし、一方言なのだろうな、と感じている。琉球民族が大和民族とは別の民族だ、という民族主義は分かるが、言語は国境や文化とは必ずしも合致しないので、表現としての「日本語」という定義が適切かどうかは別にして、同じ言語系統にある、とは言えると思う。
一方のアイヌ語は明らかに日本語の系統とは異なるので、やはり別の言語である。例えば、アペ・フチが《火・老婆》とかコタン・コロ・カムイが《村・持つ・神》だなんて、想像できない。文法だって、全ッ然、違う。これは日本語とは別物だ。
だから、ボクの中では、日本の言葉は何種類か、と問われたら、大枠で2種類だろう、と考えている。つまるところ、「日本語」と「アイヌ語」の2つだ。
最近、ファンタジィ事典で「沖縄の妖怪」を更新していないが、もしかしたら、原語のところを「沖縄方言」に修正すべきだろうか、と考えて始めている。うーん。学問は学べば学ぶほど、厳密になればなるほど、難しいなあ。
2016年4月5日 3割は分かると考えるか7割分からないと考えるか(笑)
早速、今朝から英語のお勉強。昨夜、MP4に変換してiPhoneに落とし込んだ『アリーmy love』を、電車の移動中に鑑賞。英語の音声、英語の字幕だ。でも、これだけ外国を飛び回って英語で喋っているのに、3割くらいしか分からない。なかなか難しい。会話はネイティヴの速度で予想以上に速い。それに、意外と話し言葉は教科書で勉強する単語や文法と違って独特だな、と思う。でも、この話し言葉こそが生きた英語だ、とも思うので、聞き取れないながら、これからぶっ通しでシーズン1を見続けようと思っている。23話で18時間だ。18時間も英語に浸かっていれば、多少、耳も英語耳になる。そう期待している。ふふふ。
2016年4月4日 MP4にしてiPhoneへ
DVDの『アリーmy love』のシーズン1を購入したので、MP4に変換してiPhoneに落とし込む。育児に奔走するぼくには、家でゆっくりDVDを観る時間なんか作れない。英語の勉強のために、電車などの移動中に観ることができればいいな、と思っての措置だ。設定を英語の音声、英語の字幕にして、ファイルを変換する。フリーソフトを使ったけれど、うまく出来た。容量も1話当たり250MBくらいなので、iPhoneに入れても大きな負荷にはならなそう。よーし、明日から勉強だ。デイ・バイ・デイ。
2016年4月2日 映像と音で語学学習を始めてみよう!?
Amazonが日本郵便になって、梱包が袋になって圧倒的にコンパクトになった。しかもピンポンも押さずに郵便受けに投函していく。これは非常に便利だと思う。いろいろな宅配業者を巻き込むことで、Amazonサイドもその仕様に合わせて創意工夫して、事態は少しずつ改善されていく。
本日はアイヌ関連の書籍4冊とアメリカのテレビドラマのDVD1シーズンが届いた。昔だったら大きな段ボールに梱包されていて、とても郵便受けには入らなかっただろう。今は両方を投函しても、尚、隙間ができる。すごくいい。
アメリカのテレビドラマは英語の勉強に活用しようと思って試しに頼んでみたもの。語学の勉強は教科書よりも映像と音がいいと聞いたので、実験してみようと思っている。これでうまく行ったら、その他の言語も同様の手法を取り入れてみようと目論んでいる。
2016年3月6日 黄金の駱駝
昨夜、スーダンに向けて出発し、アブダビ空港にて乗り継ぎ。昔、ちぃ子(妻)とトルコに行ったときにも立ち寄ったことがある空港で、非常に懐かしい感じ。あのときは二人で楽しくこの空港に降り立った。今回は同期のジャニ顔青年と一緒。
乗り継ぎの便を待っている間に二人でご当地マックを満喫。ボクはスパイシーマックチキン。彼はマックアラビア。ボクは前回、ナイジェリア渡航の帰りにマックアラビアを堪能している。
そして空港内の黄金の駱駝に跨って記念撮影。本サイトでは珍しいスーツ姿のボクだ。同期との渡航だから油断している、というわけではない。これは会社の女性陣から与えられたミッションである(笑)。そんなわけで、スーダンを前にして、まだまだ楽しいひと時である。
* * *
ちなみに今、パソコンで入力しながら「🐪」とか「🐫」などの絵文字が打てることに衝撃を受けている。こんな機能を実装する前に、ちゃんと多言語化に対応して、楔形文字とかヒエログリフとかを印字できるようにして欲しい、と思う。
2016年1月5日 異国の地を歩いている気分
フィリピン・セブのプロジェクトのラップアップ・セミナに向けて、PowerPointの準備中。大まかなシナリオが出来たので、後は流れに従ってPowerPointのデザインの部分を作り込んでいく。ここまで来ると、大分、気楽になる。スライド作成で一番大事なのは、シナリオだ。
帰り道、発表内容を英語で考えながら歩いていたら、ケータイで電話する女の人の大声に思考を阻害される。その声が日本語だったので、「ああ、あの人、日本人だな」と思って、再び思考に戻ろうとして、はっと我に返る。そうだ。ここは日本だった。そう思った瞬間に、見慣れた日本の風景が視界に一気に飛び込んできた。
海外での生活が続いていたので、ついつい英語で考え事をしていると、英語脳に切り替わるらしい。日本にいながらにして、日本から切り離された異国の地を歩いている気分だった。こんなことは初めての経験だ。
もしも、ボクが英語で考え事をしながら歩いていて、誰かにぶつかったら、そのときには「オー、アイムソーリー」とか口走るかもしれない。言葉って不思議だ。
2015年12月26日 ピッピ、オーライよー!!
車両がバックする様子を、ツクル氏は「ピッピ、オーライ。ピッピ、オーライ」と表現する。トミカを手で走らせるときなんかに、よく口にしていた。ボクが「ピーッ、ピーッ、ピーッ」と言いながら走らせていたのを覚えたのだろうし、保育園の先生は「オーライ、オーライ」と言って走らせている模様で、その結果、合体して「ピッピ、オーライ」になった。でも、最近では、「こっちに来るな、戻れ!」の意味で「ピッピ、オーライ」を使う。「お風呂に入ろうか」と近づくと、「いややー。ピッピ、オーライ!」などと言ってくる。あるいは気に入らない食事を大皿から彼の皿に取り分けると、「その料理はいらない。大皿に戻せ」の意味で、「ピッピ、オーライ」を使う。子供って柔軟だなあ、と思う。本日は木製トーマスの線路を組み替えたときに、「元の姿に戻せ」の意味で「ピッピ、オーライ」を使っていた。いやはや。ちぃ子が髪の毛を縛っている状態でツクル氏に対面すると、「髪を解いて元の髪型に戻せ!」という意味でも「ピッピ、オーライ!」を使うらしい。不思議。
本日はツリーを片付けて、雑誌送付の準備。住所録の整理をした。Facebookにも新規申し込みの募集を兼ねた投稿をした。お正月に向けてラスト・スパート。
2015年12月18日 言葉を覚える
本日、少しだけ残業して帰宅したら、2歳になったばかりのツクル氏が「パパ、一緒。やったー」と奇声をあげてお出迎え。どうやら、食事が待ちきれなくて先に食べようとしていた矢先だったらしく、『一緒に食事ができて嬉しい』ということが言いたかった模様。
喋り始めるようになったら、急激にいろんな言葉を覚えて、いろんな表現が増えたので、驚かされてばかりだ。
寝かしつけているときにも、ちぃ子が「ママの寝る場所がないよー」と言ったら「あるー」との返答。「ない」の反対が「ある」ということを、ちゃんと分かっているのだ。
こういう息子の発育を眺めながら、言葉を覚えるって、すごいことだなあ、と思っている。
2015年4月22日 アイダハルという未確認生物の正体!?
アイダハルという未確認生物がカザフスタンのコッコーリ湖に棲んでいるらしい。でも、英語で調べても「アイダハル」という表現に該当する英語には出会えない。大抵、コッコーリ・モンスターとか、コッコーリ・レイク・モンスターと表現されている。ネッシーではなくてロッホ・ネス・モンスターの方が世界一般で知られている名前なのと同様だ。ただし、ネッシー(Nessie)という表現自体は、日本だけではなくて、外国人が使っている例もあるが、アイダハルについては、ほとんど使われていない。どういうことだろうか。
悩んでいたボクは、ふと閃いた。カザフスタンはカザフ語の国なので、アイダハルをカザフ語にすればいいのである! キリル文字でアイダハルっぽい感じにして検索すれば引っ掛かるだろう。そうしたら、驚いたことに、google翻訳にカザフ語がある。だから、まずはこれでやってみたら、ビンゴだ!!
出た! Айдаһарだ。どうやら《竜》を意味する一般名詞らしい。こうなると、するするといろんなことが諒解されてくる。つまり、トルコのジャノと同じパターンじゃないか、と疑ってしまうわけだ。
トルコのジャノはワン湖に棲む未確認生物だ。トルコ版ネッシーみたいなやつ。ジャノという名称は、Van Gölü Canavarı(ワン・ギョリュ・ジャナワル)に由来していて、Van Gölüが《ワン湖》、canavarが《怪物》を意味する。従って、Van Gölü Canavarıを直訳すれば《ワン湖の怪物》ということになる。ネス湖の怪物、すなわちロッホ・ネス・モンスターと同じだ。
ところが、日本では、この「怪物」の部分だけを抜き出してきて、「ジャノワール」と呼んでしまっていて、誰がつけたのか、愛称「ジャノ」になっている。でも、これは明らかに誤りで、「ワン湖の怪物」を固有名詞的に「ジャノワール」と呼ぶということは、ネス湖の怪物を固有名詞で「モンスター」と呼んでいるようなものだ。
……というような事実は某ウェブサイト上で、トルコ在住の人と高野氏のトラブルですでに周知の事実なのだけれど、このアイダハルも同じパターンっぽいな、と思う。現地の誰かが「コッコーリ湖の竜」と呼んでいたのを、「竜」の部分だけ拾ってきてしまったのだろう。
ボクも含めて、事典をつくる人間は、とかく固有名詞を求めたがる。「テーバイの竜」とか「カウカソス山の鷲」とか「レルネー沼の水蛇」みたいな名前のない怪物よりも、ちゃんと固有名詞がばばーん、とあった方が格好いい。だから、無理矢理、固有名詞を引っ張り出す。そんな事情があったために、コッコーリ湖の「竜」は日本人の誰かによって「アイダハル」という名前を与えられてしまったのだろう。でも、現地でアイダハルを探しても、多分、コッコーリ湖だけに棲んでいるわけではないのだろうな、と想像する。
2015年2月21日 オンライン無料翻訳サービスの正しい使い方
オンライン上の無料翻訳サービスで情報漏洩、という記事がウェブサイト上のニュースに載っていた。普段、あんまり意識することはないけれど、オンライン翻訳は、確かに情報のアップロードには違いないわけで、場合よっては、それが情報漏洩に繋がる危険がある。
何が機密情報に当たるのかは考え物だ。開発中の新製品の英語資料を作っていたら、多分、ダメージは大きい。でも、海外の国の人宛てのメールの文章くらいだったら、そんなに大きな影響はないかもしれない。
いずれにしても、オンライン上の無料翻訳サービスの利用は、文章のアップロードである、という認識を持つことが大事かもしれない。ボクは今までその辺を意識的には考えていなかったので、反省である。
ボクの場合、google翻訳をよく使う。でも、正直、あんまり有効だとは思っていなくって、動詞の使い方を確認するためくらいにしか使わない。長い主語はいつだって「彼」か「それ」に省略してしまうし、目的語や補語なんかも「それ」で代用してしまう。要するに、文法と単語だけが知りたいのであって、こういう表現をするのかな、という確認である。ヘタに修飾語とか固有名詞、専門用語を入れて翻訳すると、しっちゃかめっちゃになる。形容詞を調べたいとき以外、形容詞もない方がいい。そういう使い方であれば、情報漏洩のダメージは皆無である。
まあ、そもそも最終的に言語を扱うのは人間さまのお仕事である。そのまんま、全文、コピペして翻訳にかけちゃえる人間は、きっと、お仕事が出来ない人だ、と思う。
2015年1月14日 手書きの効用
つまようじ少年などと名前がついている。日本は平和だ。
それにしても「爪楊枝」って漢字で書くと意外と難しい。読めるっちゃ読めるけど、書けと言われると書けないなあ。
最近、手書きで日々の雑記を記録するようになった。何しろ、スマホやPCを立ち上げるよりも、鞄に忍ばせているメモ帳に書き込む方が圧倒的に早い。しかも真っ白い空間に自由に文字を配置できるので、ぐりぐりと丸を書いて、矢印を引っ張ったり、因果関係や思考のプロセスも書ける。これはいいなあ、と最近、手書きの良さに気がついた。
そんなわけで、本日、はた、と「爪楊枝」と書こうと思って、戸惑ってしまった。そしてスマホで文字を入力して確認する。こうなるとスマホに書いた方が早い!
でも、手書きで書く習慣がついてから、漢字を考える時間が増えた。アハ体験が増えた。頭の勉強にはなっている。いかにスマホやPCで打つと、漢字を曖昧に覚えるか、ということ。おぼろげなイメージで完結している。手で書くときには逃げられないのだ。
2014年10月27日 逆に英語から日本語に!?
黄熱の予防接種を受けた。だから、本日はアルコール厳禁ディ。そして過度な運動厳禁ディ。それなのに、グズるツクル君を抱えて家の中で走り回ってあやす。それから、はた、と、ああ、今日は過度な運動厳禁ディだった、と思い出す。あははー。
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英語で作ったPowerPointを日本語にする作業って、何だかなあ、という感じ。しかも、英語だと単語が長くって、配置するのが大変だったのに、日本語にすると、今度はスカスカになっちゃっう。まさに、言語の違いである。でも、表記上は英語の方が文字数が多いんだけど、発音すると、日本語でも英語でも、大体同じくらいの時間なのだ、と昔、本で読んだ。だから、英語を聞き取るのは大変なのである。
* * *
雑誌の表紙用の羊の絵。本日、無事に丸ペンによる線画が完成。明日はコピックで彩色しよう、と思う。うむ。
2014年10月3日 日本語が非論理的なのではなく、書き手が非論理的なのである。
日本語って論理的じゃないと言うけれど、ホント、論理を意識していない人の日本語って意味不明だ。日本語にも、上手と下手ってあるのだなあ。何のことを言っているのか、突き詰めていくとよくわからない、という文章に出くわす。特にそれを英語に翻訳しようとすると、あからさまになる。この文章はどこに掛かっているんだ? これの主語は何だ? 検討するって、何を? みたいな感じの連続。もう、発狂しそうになる。
日本語が論理的なのではなく、論理的でなくても文章として成立してしまう。だから、書いている本人が非論理的であることに気が付かない。そういうことなのだろう。ボクが書いたら、こんな風にはならない。結局のところ、日本語教育に問題があるのだ。国語の授業って、感性を育むのも大切だけど、非論理的にいろんなものを省略しちゃいけないよ、ということを、しっかりと教えてあげなきゃいけない。というか、主語を書かなくても文章は成立するし、目的語がなくても文章は成立する。でも、それは省略可であって、省略する前にちゃんと考えなきゃいけない。動詞を書いたら、主語を書こうが書くまいが、主語を想定して書かなきゃいけない。英語みたいに自動詞、他動詞の発想がないので、日本語の場合、目的語を省略することだって出来る。でも、本当に目的語が省略できるのかも、ちゃんと考えなきゃいけない。特に体格になる名詞(「~を」に当たる名詞)を省略して、文章が成立するのだろうか、ということは、日本語で物を書く場合でも、ちゃんと考えなきゃいけない。
2014年7月25日 スケジュール感というジャーゴン!?
我が社には独特のジャーゴンが多くって、困る。本日も「デマケを図る」などと言われて、ボクとしてはちんぷんかんぷんだ(笑)。
……とか書いたら、ジャーゴンだって分からねーよ、と一部から突っ込みが入るかもしれない。ジャーゴンは、内輪だけで通じる隠語のこと。警察が「ホトケ(死体)」とか「ワッパ(手錠)」とか「ハジキ(拳銃)」とか言っているような感じ。どうやら、「デマケ」というのは霞ヶ関ジャーゴンらしい。デマケーションの略らしく、直訳すると《境界》とか《区分》のことだそうで、そこから転じて、「デマケを図る」というのは、要するに、ある領域についてはすでに誰かが担当しているから、その領域の外での仕事を考える、ということみたい。縄張り争いから外れたところで勝負しようね、ということを言いたいのだとか。うーん、難しい。
そんなわけで、ジャーゴンについて調べていたら、「スケジュール感」というのも、ジャーゴンの一種だ、ということを知る。へぇ。知らなかった。ボクなんか普通に使っていた。いろいろと考察されていて、そもそも「スケジュールを教えて!」というのと「スケジュール感を教えて!」というので、どう違うか、というのが、ネット上のあっちこっちで議論されていた。
多分、「スケジュール」はかっちりとしたイメージなのだ、と思う。だから、「スケジュールを教えて!」と言われた側は、不確定なスケジュールは答えられないので、明言を避けて「決まり次第お伝えしまう」と答えることになってしまうかもしれないし、訊く側も、万が一、「○○日までです!」と答えられてしまうと、何だかその期限までにやらなきゃいけないような気分になる。一方の「スケジュール感」だと「感覚」の世界なので、個人的な見解にまでブレーク・ダウンする。だから、「スケジュール感を教えて!」と言われた側は、明確にスケジュールを固めている必要がなくって、「大体○○日くらいまでにやってもらうイメージです!」というような回答になって、ざっくりとした目安の締め切りを答えられる。一方の「教えて!」と言う側も、「本音ではこのくらいまででいいですか? 頑張ります」的な展開に持っていける。「スケジュール感」という言葉は、そういう両方のせめぎ合いで、何となく生まれた言葉なのだろう。
なるほどなあ。何も考えずに使っていた。言葉ってのは、便利なように進化(退化?)していくのだ。
2014年7月21日 好きな言葉
ボクのプロフィールのところに好きな言葉を3つ載せている。
・ただ生きるのではなく善く生きる
・一身独立し、一国独立す
・支離滅裂でいたい
それぞれ、何の解説もなく、ただ載せているので、ここで解説をしておこう、と思う。
1つ目はソークラテースの言葉。正確にはプラトーンがソークラテースの言葉として紹介している言葉だ。「ただ生きるより、善く生きろ」とか「人間はただ生きるのではなく、善く生きることが大切だ」とか訳されるけれど、原典は『クリトン』の「Ού τό ζήν περί πλείστου ποιητέου, αλλά τό εύ ζήν.」だ。ボク自身は漫然と生きる生き方を否定するものではないけれど、でも、何か重大な選択をする際には、どれだけ苦しくても、善く生きる道を選びたい、と思っている。
2つ目は福沢諭吉の言葉。『學問ノスヽメ』に登場する。結局のところ、一個人が大事なのだ。一個人が頑張るしかない。誰か偉い人が理想の社会を作るのではない。一個人がそれぞれ理想を追い求める。その結果、いい社会になる。みんな、頑張れ、というメッセージ。
3つ目は鳥居みゆきの言葉。1つ目と2つ目が重たいので、バランスを考えたらこんな感じになった。……というのは嘘だけど、ボク自身、支離滅裂でいたい、と思っている。
なんでこんな記事になったかというと、偶然、ネットサーフしていたら、「ウィキクォート」というウェブサイトを発見したからだ。ウィキペディアの親類で、いろんな偉人たちの言葉を紹介するウィキだ。日本語の部分については、載っている人と載っていない人で温度差があるんだけど、世界各国が参戦してくれているので、英語なんかは結構、いろいろと載っていて面白い。そんなわけで、本日の記事はこんな感じ。
2014年6月10日 正しくはヌードルズ!?
日清カップヌードルのトムヤンクンを食べる。辛いイメージがあったけど、味の方向性としては酸っぱい系で、クリーミィを自称しているだけあって、そんなに辛くなかった。よかった。
プチ衝撃だったのは、パッケージの側面に「日本ではカップヌードルだけど、海外ではカップヌードルズなのだ」と書いてあったこと。ん? 麺って、複数形にするのか? そこで辞書で調べてみたら、麺は複数本入っているので、基本的には複数形なのだ、ということを知る。へえ。知らなかったな。これからは気をつけよう。
2014年5月6日 敬称「さん」の威力
海外にいると、日本語の敬称の「さん」って便利だなあ、と思う。男性か女性か、あるいは結婚しているか否か、目上か目下かなんて関係ない。誰に対しても「さん」でオーケィだ。ボクはフィリピンではみんな、「さん」で通している。Rachel-san、Boy-san、Neth-san……。総裁でも、部長でも、スタッフでも、男性でも女性でも、みんな、「さん」だ。
昔、上司が「俺は全員のことを『さん』で呼んでいる。そうしたら楽になった」と言っているのを思い出す。
2014年4月23日 サンスクリットに魅入られて……
本日付で新しい会社に配属になった。その歓迎会ということで、近くの呑み屋さんへ。そして、エヌ田さんと意気投合する。
どうやら、彼女は大学時代、何をとち狂ったか(注:エヌ田さんの発言のまま!)、サンスクリットを専攻したらしい。だから、文法や意味は分からなくとも、音としてのデーヴァナーガリーは読めるので、インドに遊びに行くと、ついつい文字を発音してしまうのだ、と言っていた。会社のメンバたちは「え? エヌ田さん、サンスクリット語なんて読めるの?」と驚いていたけれど、エヌ田さんは「ええ。サンスクリット読めますよ」と答えていた。ああ、エヌ田さんは「サンスクリット語」とは言わない派の人間なのだな。ボクと同じ人種だ。
そもそも彼女は文字が好きらしく「音としてなら読める文字」がたくさんあるとのこと。この感覚が、とてもボクに近い。ボクも「音として読める文字」ならたくさんある。「文法」にはあんまり興味がないのだ。最近じゃ、ミャンマー文字も少しだけ「音として読める」ようになってきた、と思う。そういうアプローチで言語に向き合う点はボクと彼女は似ている、と思う。そういう意味じゃ、英語ってどう頑張っても「音として読める文字」にはならないので、難しい言語だ、とボクは密かに思っている。
その後、インド・ヨーロッパ語族の話でエヌ田さんと盛り上がる。それを受けて、ティー田さんも中国の四声とベトナムの六声について講釈を始める。ああ、この会社の人たちは、ちょっとヘンだな。でも、面白いかもしれない。少しだけ、ボクは安心していたし、もしかしたら、一緒に入社したエム島君は心配になったかもしれないな、と思う。