2021年2月11日 おおきなカブは何故、抜けないのか!?
ロシアの民話に『おおきなカブ』がある。とても有名な話で、おじいさんがカブを抜こうとするが、大きくて引っこ抜けない。おばあさんが手伝い、孫娘が手伝い、イヌやネコ、ネズミが手伝い……。
さて、本日、息子のツクル氏にこんなことを聞かれた。
「ねえ、パパ。ダイコンとカブって違うの?」
こういうのは得意なボク。
「ダイコンは上の方は茎で、下の方は根っこ。緑色の部分は茎。カブは茎。先の細長くてひょろっと伸びたところが根っこ。同じアブラナ科の植物だけど、ちょっと違う」
そう説明する。ツクル氏はきょとんとしている。だから、google先生に写真を出してもらう。
「ほら。ダイコンにはヒゲみたいなのがあるじゃない。こうやって広がっていくことで、水を吸えるし、身体を支えられる。カブは先の細いところからヒゲが生えていて、丸いところからは生えていない。この丸い部分は根じゃなくて茎なんだよ」
「そうか。だからダイコンは緑の部分と白い部分で味が違うんだ!」
「味、違う?」
「うん。緑の部分は甘いよ。白いところはからい」
「そう? そうかもしれないね」
そう言いながら、google先生を操りながら、畑に植わっているダイコンとカブの写真を見せてやる。
「ほら。ダイコンの緑の部分は土から上に出ている。カブもそう。丸い部分は上に出ている。茎なんだよ、この部分は」
「あれ? おかしくない? そうしたら『大きなカブ』は土の中にないから、すぐに抜けることになるじゃん。茎なんだから!」
ん? あれれ? そうだな。ダイコンは抜くのが大変だけど、カブはすぐに抜けるなあ。
というわけで、最初の話に戻る。『大きなカブ』は何故、なかなか抜けないのか。今日はそれを調査した結果をご報告。
まずは画像検索の結果を見て欲しい。
『大きなカブ』はロシア語では「Репка(レプカ)」というらしく、「Репка」で画像検索した結果、すべてのイラストは「黄色いカブ」だ。どうやら、ルタバガといって、厳密にはカブとは異なる種類らしい。へえ。
いつだって、学びは多い。
2021年1月25日 「分かるよ! 結婚でしょ!」
小学1年生のツクル氏と映画館に行く途中、こんな話をした。
「ツクル氏、小学校のみんな、映画館とか行くのかな」
「あるよ。ポケットモンスターココを観た人がいる。あと、鬼滅の無限列車も!」
「へえ。プペルは? えんとつ町のプペル」
「いない。でも、分からない。話したことがない。いるかもしれないけど聞いたことはない。あ、スタンドバイミードラえもん2を観た人はいる」
「へえ、そうなんだ。でも、スタンドバイミードラえもん2は難しそうじゃない?」
「何で?」
「だって、のび太がしずかちゃんと結婚する話じゃん。結婚とかまだ小学生には分からないじゃん」
「分かるよ! 結婚でしょ! 結婚したら、オスがメスに精子をあげるんでしょ!!」
どういうことなんだ、小学生!! のび太としずかちゃんをオスとかメスとか呼ぶなッ!!
……というわけで、どういう会話をしているのだろうか、小学生は。などとちょっと衝撃を受けた。
2021年1月20日 ちぃ子、2回目の入院!?
妻のちぃ子の調子が以前から少しだけ悪くって、今年度に入って2度目の入院だ。前回は8月かな? 4日くらい入院していた。今回も3日くらい入院するらしい。
母不在で、息子のツクル氏はハイテンションだ。多分、そういうテンションじゃないとダメなのだろう。父のお迎え、父との夕飯、父との入浴、父との就寝、父との朝食、そして父に見送られての登校……。
前回は大変だった。学童のルールが分からなかったり、ランドセルの準備の仕方、提出物の確認など、全部、ちぃ子に任せっきりだったので、初めてのことに苦慮した。今回は2回目なので、多少、勝手が分かる。それでも、やり慣れない作業にてんやわんやである。
2020年11月30日 # 転売ヤーには与しません!!
ブラックフライデーで、あっちもこっちも大安売りしている。これで経済が活性化するのだろうか。オンラインショップを持っているかどうかで、結構、この時代、収益を大きく左右するのではないかな、と思う。しかし、売れ筋商品は見事に転売ヤーの餌食になっている印象。クリスマス商戦で子供たちが欲しがるようなものも、ブラックフライデーで安くなった。数千円安くなっているものもある。逡巡していたら、あっという間に売り切れになって、その後、転売ヤーと思しき集団が一斉に商品の販売を始めた。普通、Amazon公式に中古が数十件の商品なのに、あっという間に数百件。しかもブラックフライデー前の定価よりもちょっと安くくらいの価格に揃えられている。うーん。
結構、この時期の商品って、サンタさんに扮する大人たちにすれば、クリスマスまでに入手できないと困るので「このまま売り切れが続くのではないか。ちょっと高いけど、今のうちに買ってしまわなければ!」的な発想になるのではないかと思う。そんな時期にブラックフライデーで安価に商品が入手できて、売り切れまで持っていければ、転売ヤーにとってはいい商売だ。
だからこそ、言いたい。転売ヤーに加担してはダメ。ぐっと堪えて、買わないようにしよう。みんなで。ブラックリストをつくるソフトが出たりもしているけれど、そもそも正規品が売り切れたら、非正規品は買わないのが一番だ。転売ヤーが味を占めたら、社会そのものがダメになる。ボクは絶対に与しないぞ、ということで、息子に「人気で売り切れみたいだ。ちょっと様子見だけど、どうする? 第二希望は?」と交渉を開始。もしも間に合うならご所望のものを買う。でも、ダメだったら代替のもので我慢してもらう。それが世のためである。
2020年10月4日 軸足を恐竜に置きつつ……
最近、映画ドラえもん「のび太の新恐竜」を満喫したり、国立科学博物館に行って恐竜の化石を見たり、大和市の「古代レストランバー・ダイナソー」で恐竜に囲まれてランチを食べたりしている。小学生の息子のツクル氏が恐竜に興味を持っているので、そこを掘り下げながら、映画、博物館、異国料理などの幅を広げている。古代レストランではジャンバラヤを食べさせることに成功した。育児の難しさと、それを乗り越える工夫に日々、煩悶しているところである。
2020年9月22日 神の手を持つのび太だ!!
『映画ドラえもん のび太の新恐竜』を観てきた。のび太って恐竜の卵の化石を見つける才能が桁違い。誰にも真似できない。神の手か!?
シナリオは恐竜の進化に関わるミッシング・リンクで面白かったけれど、ボクは個人的にオープニングがピカイチだと感じた。エディアカラ紀から始まって、カンブリア大爆発。アノマロカリスやら何やら。そして魚になって、ダンクレオステウスだと思うんだけど、それが泳いでいて、両生類になって、浅瀬で植物をかき分けて泳いでいて、そのうち、陸上を這い回る両生類が現れて、メガネウラが飛んで、その後、小型の恐竜が走り回って、そして白亜紀!! ここまでの歴史を、ざざーっとオープニングで流した。これ、ピカイチだと思う。あっという間の映像だけど、生命の歴史がものすごく凝縮されている。もう、それを見ただけで、ボクは満足してしまって、「ああ、これはいい映画だ!」と拍手喝采していた。
2006年の『映画ドラえもん のび太の恐竜』では、のび太は恐竜の卵の化石を発見して、タイム風呂敷で時間を戻してフタバサウルスを孵してしまう。今回も、恐竜の卵の化石を発見して、新種の恐竜を孵してしまう。で、白亜紀に戻しに行く。筋書きは同じ。「昔も同じようなことをのび太は首長竜でもやっていたよ」と、そんな話を息子のツクル氏(6歳)にしたところ、「首長竜は水の中で暮らすのに、のび太はどうやって家で育てたの? お風呂じゃすぐにママにバレるよ」と言われてしまった。はっはっは。当時は首長竜が常時、水の中にいて、胎生だなんて思っていなくて、水陸両用で、陸地を這うこともあると信じられていた。時代だなーって思う。息子は恐竜の図鑑をよーく読み込んでいる。
2020年5月17日 マドレーヌ
漢字や足し算のドリルをどんどん先に進めるのも手だが、いざ、学校に行って、授業がつまらなくなるのではないか、と危惧する。だからと言って手をこまねいていると、教育熱心な親の子供が先を行くので、差がついてしまう。それはそれで、息子が苦労するのも癪だ。だから、読書週間をつけて、感受性と好奇心、知識習得の方法を育んでいるところだ。
最近、子供に日記を書かせている。毎日、書くと大変なので、ちょっと新しいことにチャレンジしたときや、大きな出来事があったときに、感じたこと、考えたことを絵日記にしてまとめさせている。今回は「わかったさんのマドレーヌ」を読んだ息子がマドレーヌを作りたいと言い出したので、一緒につくった。それを絵日記としてまとめさせた。
自分の考えを文字化することが習慣になればいいな、と思うし、極力、感情の部分を書くように指導している。でも、感情を言葉にすることは難しいらしく、また、自己開示の部分なので恥ずかしがっている。ちょっと苦手らしい。そんなことが分かった。まあ、まだ子供だから、ね。大体、感情って、本当は複雑で、いろんな気持ちが含まれる。それを、簡単に「楽しい」などと書いてしまうのは、本当は限定的すぎて、間違っている。とは言え、言語化する能力も問われるので。状況を見ながら、緩やかに、訓練だ。
2020年5月13日 勉強の仕方と情報の取捨選択の大切さ
息子のツクル氏は今年1年生。だけど、のっけから緊急事態宣言が出されて通学していない。あっという間に4月が終わって、5月になってしまった。多分、5月末までは学校は再開されないのだろう。正直、難しいな、と思う。小学校で最初に学ぶべきことは「勉強の仕方」だ。Amazonで見ていると、ドリルが飛ぶように売れていて、もう入荷時期も未定の状態だ。でも、ひらがなが書ければいいとか、足し算ができればいいという問題ではない。「勉強の仕方」を正しく教えてあげないと、勉強ができるようにはならない。
我が家がボクも妻のちぃ子も在宅勤務で対応しているけれど、でも、勤務時間は文字どおり、「勤務の時間」なのであって、子供と向き合うことはできない。「勉強の仕方」を教えてあげることはできない。だからと言って、ドリルを渡して、彼に独学で勉強させることはできない。ひらがなの練習や、足し算なんかは、彼はできる。でも、変なクセがついたら後で困る。勉強というのは、正しい向き合い方があって、それがお勉強のできるできないの分かれ目だ。ちゃんと、勉強と向き合わせたい。
仕方がないので、ボクは本を大量に買う道を選択した。読書の取っ掛かりとして、「かいけつゾロリ」シリーズを渡して、長い本を集中して読む訓練をさせ、それから、同じくらいの長さの本をひとりで読めるようにする。その後、少年少女文学集みたいなものと、図鑑や百科事典のような類いを渡す。読書の仕方はこれまでに何度も教えてきた。新しい知識の習得、知的好奇心、そして、感受性というものを育める。これなら、ボクやちぃ子が働いている時間に、彼だけでもやれるだろう、と期待してのことだ。
最近は「恐竜」に興味があるみたいだったので、学研LIVE、講談社MOVE、小学館NEOの3冊を準備した。「動物」や「植物」、「魚」だってそうだ。いろんな学説があって、正解はひとつでない。同じ恐竜でも、本によって書いてあることが違う。比較・検討する姿勢を学ばせようという意図だ。本によって書いてあることが違うので、最初は混乱していたが、彼なりに取捨選択して情報を精査することができるようになってきた。
2019年8月10日 時代は変わる……恐竜も変わる……
5歳の息子のツクル氏。マクドナルドのハッピーセットが大好物なわけだけれど、最近のハッピーセットは小学館と組んでハッピーセットオリジナルの「小学館の図鑑NEO」のミニ図鑑を出している。単なるオモチャではなくって、こういう教育的なオマケというのは悪くない。そんなわけで、息子がここ最近、恐竜に超ハマっている。奇しくも横須賀で「ヨコスカ恐竜パーク」がやっているので、そのうち連れて行こうと思っていた矢先だったので、その予習としてはちょうどよい感じ。勢いに任せて「小学館の図鑑NEO」も購入して息子に与えた。それを黙々と読んでいてくれるので、楽チンだ。
それにしても、ボクが子供の頃に説明されていた中身とは全ッ然違うことに驚かされた。「恐竜」と言えば、ティラノサウルス、ステゴサウルス、トリケラトプス、プテラノドン、フタバスズキリュウ、イクチオサウルス……と思っていたら、最近の定義では、プテラノドンのような「翼竜」やフタバスズキリュウのような「首長竜」、そしてイクチオサウルスのような「魚竜」は「恐竜」とは別の爬虫類にされている。また、「恐竜」の枠の中に「鳥類」が定義されていて、鳥類は恐竜の生き残り的な位置付けにされている。
研究が進んで、いろいろと分類も変わっていくらしい。しかも、かなり生態も判明しているらしく、恐竜の暮らしぶりが分かってきていることにも驚いた。
子供の本を介して、いろいろなことを学ぶ今日この頃である。
2018年1月12日 キッチンに足のあるお化け、現る!?
朝、ボクが朝食のサラダの準備をして、妻のちぃ子が息子のツクル氏を起こしに行った。目を擦りながら階段を下りてきた息子に「おはよう」と声を掛けるが、彼は無視。そのままトイレに直行して、「パパはまだ上で寝てるよー。ボクが起こしに行かなくちゃ!」などと言っている。ちぃ子は「パパは起きてるでしょ」と言う。でも、息子は譲らない。「寝てるよ。ボクが起こしに行くんだから!!」。仕方がないので、ここはひとつ、息子の猿芝居にお付き合いしよう。ボクは3階のベッドに潜り込んで、目を閉じる。やがて、ドタドタと階段を昇ってくる足音。「パパー、起きてー!!」。そして、ほっぺたにチュー。ボクはパッチリと目を覚まして「わあ、おはよう! もう朝かー! 眠いー。まだ寝ていたーい!!」などと返す。平和な朝だ。こんなことでツクル氏は大満足。ベッドに寝転がったまま、足をバタバタさせて大喜び。子供だなあ。
ところが話はこれでは終わらない。大急ぎで朝ごはんを食べていると、ツクル氏が顔を寄せてくる。「何?」と尋ねると、声を潜めて「パパ、ボク、お化けを見たよ」と恐々と言う。「いつ?」と訊くと「朝。起きたら、台所に」。ん? 「それって、もしかして、パパそっくりだった」。「そうそう」。何てヤツだ。ボクは「それって、本当にお化けだった?」と訊いてみる。「うん。でも、足があったから怖くはなかった」。何てヤツ。あのとき、ちゃんと認識していたんじゃないか。こっちの挨拶を無視しやがって。その上、「お化けなのに、ちゃんとお皿を机に運べていたよ!」と彼はご丁寧にそんな状況まで説明する。「でも、何でパパ、台所のお化けのこと、知っているの?」。えーい、クソ。「足がある方が、実は怖いんだよ」と脅かしてみる。「えー、怖いー!!」とケラケラ笑う。
それにしても、この息子の帳尻合わせって、一体、何なのだろう。「3階ですやすやと眠っているはずのボク」を創造し、一方で、「実際に台所に立っていたボク」をただの「お化け」に仕立てあげる。こういう想像力というのか、妄想力というのか……。いやはや、子供の発想って、摩訶不思議である。
2017年6月30日 詩人・ツクル氏の誕生!
最近、息子が夜、なかなか寝ないので、真っ暗な寝室に連れて行く。「パパ、何も見えないよー」と言うので「パパも見えない。目を開けてても目を瞑ってても何も見えない」と返したら「パパ、目を瞑ったら夢が見えるよ」との回答。詩人かッ。
「いつもうなされているけど、毎日、怖い夢でも見ているの?」と訊いてみる。すると「怖い夢は朝、ミックスジュースにして飲むんだよ、パパ!」とのたまう。五味太郎かッ!!
2016年11月16日 パキスタンより帰国!!
2か月、パキスタンに行っていた。向こうでもウェブサイトが更新できると高を括っていたが、セキュリティの関係でログインできず、更新できなかった。そんなわけでずぅっと音信不通になっていた。一昨日の夜に帰国し、昨日、いろいろと日本に溜まっていた仕事をやっつけて、ようやく、今日、こうして自宅でパソコンに向き合っている。Wi-Fiのセキュリティの低さは認識していたけれど、まさかホテルのWi-FiでさえもWordPressが弾いてくるとは、想定外である。
子供がもう少しで3歳になる。段々、父親と離れているということに対して、いろいろと考える歳になってきたようだ。大昔と違って、FaceTimeやLINEがあるので、モニタ越しに会話はできる。帰国日が近づいてくると、すごく嬉しそうな顔をして「パパ、早く帰ってきてねー」などと喋って手を振っている。成長が見えるので、安心できるし、それはそれで幸せである。でも、寂しそうな顔を見せられるので、切なくなることもある。
そんなわけで取り敢えずの帰国報告である。
2016年5月9日 亭主関白なツクル氏
息子のツクル氏、最近、語尾が「○○だよね」から「○○だよな」に変わった。2歳児の分際で、あちこちで男の子っぽい言葉遣いをする。我が家ではテレビを見せていないし、ボク自身、非常に丁寧な言葉を喋るので、保育園の影響だろう。しかも、昔から気になっているのが、男の友達は「○○くん」と呼ぶのに対して、女の子は「ななみ」とか「ゆいか」とか「かな」などと呼び捨て。まるで亭主関白みたいな感じ。保育園の先生が女の子たちを呼び捨てで呼んでいるとは思えないので、何なのだろうか、と疑問を感じているこの頃である。子供って、よく分からないなあ。
2016年1月3日 嘘吐き。
2歳児も嘘を吐く。
この間、ツクル氏(息子)を驚かそうと隠れていたら、見つかってしまった。「何だよー、折角、驚かそうと思って隠れていたのにー」と言ったら、「あれ? パパいない。どこー? ここかなー?」などと全然、違うところを探し始める小芝居を始めた。誰が教えたのだろう。
本日は、ツクル氏から異臭がしたので、「うんちした?」と訊いたところ、「してないよ。ブーよ。ただのブーよ!」と宣った。ブーというのは《おなら》のこと。要するに「臭いのはおならをしたからであってうんちではない!」という意味なのだけれど、あまりに臭いので確認したら、うんちをしていた。最近、オムツを替えたがらないツクル氏である。トホホ。
2016年1月2日 頑張れ、頑張れ!!
毎年恒例の極楽寺に行った。実家の近所にあるお寺で、ここには大小さまざまな石を敷き詰めた40メートルくらいの散策ルートがある。毎年、裸足になって、家族で「ヒィヒィ」言いながら石のルートを歩く。そうすると、足ツボが刺激されて、全身が温かくなってくるという寸法だ。ツクル氏(息子)は悲鳴を上げている両親を面白そうに眺めながら、平気な顔で石の上を歩いている。軽いせいもあるだろうし、若くて健康なのだろう。いいなあ。
途中、ツクル氏が、従妹と手を繋ぎたいなどと言い出した。珍しく積極的だ。「頑張れ、頑張れ!」などと応援していたら、果敢に彼女に話し掛け始めた。人見知りなので何度か断られていたが、それでも3回目のアタックで手を繋いだ。微笑ましい限りだ。
2016年1月1日 人生は思いどおりにはならない
実家の車は真っ赤なVW(フォルクスワーゲン)のUP!だ。ツクル氏(息子)は大喜びで「あかいブーブ! あかいブーブ!!」と大はしゃぎ。ところが、お正月プレゼントとして木製のかわいい車の玩具を用意してボクの両親、ツクル氏には青、妹の子には赤を手渡した。これにツクル氏はショックを受けて、「ボク、あか、いいーッ」とごね始めた。妹の子は、特に赤い車に執着はなかったのだろう。でも、ツクル氏が欲しがるものだから、これは自分のものだ、と思ったのだろう。握りしめて離さない。そんなこんなで朝から大騒動。ボクの両親は新年早々、「失敗した」とショックを受けている。
しばらくはごねていたツクル氏も、何度か煩悶するような仕草をしていたが、やがて諦めたのか、猛烈に青い車で遊び始めた。それでも、妹の子が赤い車で遊び始めると、ちらちらとそちらに目を向けては茫然として、それからまた遊び始める。子供ながら、いろいろと葛藤があったのだろう。
なかなかどうして、人生は思いどおりにはならないものである。