2015年12月1日 英語での協議にヘトヘト

昨年度は1年の約3分の1(120日)は海外にいたことになる。今年度も約4分の1(99日)は海外にいる。もしかしたら、もっとかも知れない。英語で会話をすることにも随分、慣れてきた。それでも、英語で協議をするのは、やっぱり大変で、非常に疲れる。日常会話は気楽でいい。ヒアリングもある程度、事前に質問事項を考えて台本を作成できるので、リスニングだけが問題になる。プレゼンテーションも質疑応答は嫌らしいが、発表中は事前に台本を準備できるし、発表であれば、知っている単語だけで勝負できるからいい。でも、協議になると、何分、相手のいることなので、それに合わせて柔軟に喋らなければならないし、厳密さを求められるので、四苦八苦である。未だに慣れないし、必死である。

本日は、現地調査と現状分析の結果を報告して、その上で自分の考えるプロジェクトのコンセプトについて説明をし、先方の了解を得た。作業依頼もした。それだけでヘトヘトになってしまった。

2015年12月4日 信教の自由

基本的人権のひとつに「信教の自由」というのがある。自分の好きな宗教を信仰する自由と、布教や礼拝などの宗教活動に参加する自由と、宗教団体を結成する自由のこと。引っ繰り返せば、特定の宗教の信仰を強制されない自由と、特定の宗教の宗教活動への参加を強制されない自由がある。要するに、何を信じてもいいし、何を信じなくてもいい、ということ。自分の信仰も保証されるし、他者の信仰も尊重しなければならない。

ムスリムやムスリマ(女性形)は1日に5回もお祈りをする。「صلاة(サラート)」と呼ばれている。日本語では礼拝。また、イスラームの祝日である金曜日には、5回のお祈りのうち最低1回はモスクを訪れ、お祈りをすることになっている。ラマダーンになると断食が始まるし、食事もハラールじゃなきゃダメなので、ものすごい制限が課される。

そんなわけで、ムスリムやムスリマの大勢いるような国でプロジェクトを進めようとすると、大変である。まず、お祈りの時間は日の出、日の入りなどで決まるため、季節と場所によって異なる。ボクにはいつお祈りが始まるか分からない。だから、うまくスケジュールを決められないし、事務所を訪れてもお祈りタイムに突入すると、みんな、席を外している。金曜日になれば、いつの間にか、モスクに行ってしまうので、ほとんど作業はできない。ラマダーンになると集中力は低下する。

そんなわけで、プロジェクトが遅れていても、トラブルがあっても、信仰心に篤い彼らはお祈りに勤しむ。「こんなヤバい状況なんだから、お祈りなんかいいじゃないか!」というのは、冒頭で書いたとおり、信教の自由に反する。自分の信仰も保証されるし、他者の信仰も尊重しなければならない、というわけだ。

いろんな宗教があって、いろんな習慣や文化があるわけだけれど、決められたルールや儀式的な活動が多いと、その宗教に属していない部外者は勝手が分からないし、いろんな感情的な衝突も生じる。例えとしてはイマイチだけれど、喫煙者が仕事中にしばしば抜けて一服するのに、禁煙者は休憩ができないからおかしいじゃないか、と揉めるような、ざわざわとした小さな感情の衝突みたいなものが生じる。イスラームって、結構、ルールが厳しいので、一緒に生活すると、大変だ。プロジェクトを進めながら、必死に彼らの生活習慣やルールに慣れようとするわけだけれど、外側から見ているだけでは、分かり合えない。

本日は金曜日。スペシャル・フライデー。あまりに成果が上がらないので、プロジェクト・メンバが激怒。午後に強硬に作業を進めようとして、「午後はモスクでお祈りだからダメだ!」と他のメンバに諫められていた。相手の宗教を尊重することは、なかなか難しい。

ちなみにナイジェリアのクリスチャンはいいところ取り。日曜日はお休みで教会に行くが、金曜日もムスリムと一緒になって「スペシャル・フライデー」を満喫している。そのくらい大らかでもいいのかもしれない。

2015年12月5日 さようなら、ナイジェリア。

本日帰国。1か月半滞在していたナイジェリアとはお別れだ。午前中にシェラトン・ホテルの8階にあるプラチナム会員専用のラウンジで総括と業務引継の打合せ。もう何度も長期滞在しているので、チームのメンバはほとんどがプラチナム会員だ。毎日、総括への報告を欠かさないボクなので、実のところ、引き継ぐべきことなんてそんなにない。打合せとは名ばかりで、ほとんど雑談みたいなもの。さようならの挨拶である。

夕方、護衛警官を引き連れて、ンナムディ・アジキウェ国際空港へ。この空港は本当に腐敗している。職員は何とかイチャモンをつけて金品を奪おうと虎視眈々とチャンスを窺っている。やれ、荷物の中身をチェックするとか、やれ、重さを量ってやるとか、やれ、出国カードを代わりに書いてやるとか……。まともに対応すると金品をせがんでくる。そういうのをいちいちうまく潜り抜けて機内に転がり込む。不愉快以外の感想は抱けない。ナイジェリアの空港がワースト1に輝いているのも頷ける。最後の最後で、ナイジェリアの印象が最悪になって帰国する。いつものパターンだ。

ドバイ経由で空港に1泊して、月曜日の夕方には日本に到着の予定。

2015年12月6日 文化的な生活としてコーヒーを愉しむ

朝の5時にドバイに到着。本日は空港に1泊して、早朝の2時半の便で成田に向かう。待ち時間がかなりあるので、ドバイ空港を散策。

空港の中とは言え、ナイジェリアと違って、非常に文化的だ。マクドナルドやバーガーキング、スターバックスがある。大体、喫茶店でのんびりとコーヒーを飲む、というスタイルが、ナイジェリアにはまるで期待できない。シェラトン・ホテルの中にすら、そういう喫茶店の類がないのだ。コーヒーを頼んで、椅子に座って読書を愉しみながらコーヒーを飲む。ただそれだけで非常に幸せな気分に包まれる。こういう場を提供してくれるようなベスト・プレイスがナイジェリアにもあれば、随分、違ったものになるだろうなあ。

いつも、ドバイでまったりとして、文化的な生活を取り戻して、それから日本に帰るのである。

2015年12月10日 恒例の雑誌作成。

毎年恒例の雑誌作成。いよいよ作業は佳境に入った。本日、最終的な修正作業をして、ちぃ子に提出した。彼女が最終校正をしたら、印刷屋さんに発注だ。ナイジェリアの渡航前に粗方、完成はさせていたが、それでも、ナイジェリアに持って行ったゲラ刷りを眺めながら、あちこち、修正箇所を見つけたり、再度、アイディアを詰め込んだりした。そんなわけで、ボクとしての作業は本日、ようやく終了。ちぃ子から指摘がなければ、文字をアウトライン化して、いよいよ印刷だ。

毎年のルーチンになったとは言え、実は、結構大変である。12月は仕事も忙しくなるし、飲み会も続くので、その合間を縫っての作業だ。でも、とても楽しい。共同作業というのが、一番の醍醐味だろう。一人だけだったら、もっと独善的な作業になると思う。ああでもないこうでもない、と二人でアイディアを出し合いながら、よりよいものにしていく。その作業を毎年続けていることは、きっと、夫婦関係にもいい影響を及ぼしているだろう、と想像する。

個人的には今回、表紙の絵が一番の挑戦である。構図的にも題材的にもひねってはいない。でも、ジェッソという普段使わない画材を使ってみた。こうしてみたい、というイメージがあって、そのイメージのために画材を選んだ。意外とうまく行ったのではないか。乞うご期待。

そんなわけで、雑誌をご所望の方がいれば連絡を。住所をメールいただければ、1月1日を目指して発送する所存。

2015年12月17日 インタビュー商法!?

昨日の夕方、電話があって、社長宛てに業界雑誌の売り込みがあった。本日、社長に取り次いだところ、「それは取材商法とかインタビュー商法とか言って、詐欺的なビジネスだ」と説明された。「うちの雑誌に掲載したいからインタビューさせて欲しい」とアポを取り付けて、実は紙面掲載が有料だ、というパターンらしい。取材というアプローチでアポを取りつけてくるクセに、結果的には広告掲載という形に持っていく。そういう詐欺的なビジネスなのだとか。そんな新手のビジネスが存在することを知らなかったので、なるほどなあ、うまいこと考えるなあ、と思った次第。主に経営者層をターゲットにした商法らしいので、平社員であるボクには与り知らぬ世界である。まあ、経営者の皆さま、くれぐれもお気をつけあれ、ということで。わははは。

2015年12月18日 言葉を覚える

本日、少しだけ残業して帰宅したら、2歳になったばかりのツクル氏が「パパ、一緒。やったー」と奇声をあげてお出迎え。どうやら、食事が待ちきれなくて先に食べようとしていた矢先だったらしく、『一緒に食事ができて嬉しい』ということが言いたかった模様。

喋り始めるようになったら、急激にいろんな言葉を覚えて、いろんな表現が増えたので、驚かされてばかりだ。

寝かしつけているときにも、ちぃ子が「ママの寝る場所がないよー」と言ったら「あるー」との返答。「ない」の反対が「ある」ということを、ちゃんと分かっているのだ。

こういう息子の発育を眺めながら、言葉を覚えるって、すごいことだなあ、と思っている。

2015年12月19日 アニーとクララベル

最近のツクル氏のお気に入りは「機関車トーマス」だ。毎週、日曜日に放送していて、録画している。それを家事に追われているときなんかに流しておくと、もう、大喜びで観ている(教育的にいいかどうかは別にして!)。

妹君にツクル氏の誕生日プレゼントを何にするか問われたときに、トーマス関連の商品なら何でもいいよー、と軽い気持ちでお願いしたら、木製線路シリーズが届いた。線路とトーマス。実はこれ、いつも玩具屋でツクル氏が遊んで、その場を離れなくなるヤツだ。非常に高額で手が出なかった。それが自宅に届いたので、最近、彼は大喜びで遊んでいる。

連結してこその機関車だ。そう思って、本日、玩具屋へ連れていく。ボクとしては、いつもトーマスが引っ張っている客車のアニーとクララベルを購入する予定だった。でも、ツクル氏が「パーシー!!」などと指してはしゃいで大騒ぎしていたので、パーシーも購入する。ちょっと早いクリスマス・プレゼントだ。これで、一気に4台持ちになったツクル氏である。

20151219

彼は今、「びゅーん!!」「しゃりん、だっせーん! じこやー!」などとゲラゲラ笑っている。ホント、変な言葉をよく覚える。好きこそものの上手なれ、というやつだな。

2015年12月24日 分かりやすさのひとつの事例

『マンガ はじめて読むギリシア神話』を購入。こういういわゆる「初心者向け」の本にしては非常にいい。絵柄は今風の絵で、ギリシア神話同人誌的なお楽しみもたくさんあるが、監修をしている2人がちゃんとした専門家なので、漫画ならではの軽いノリがありながら、学問的な内容からは大きく外れていかない。それでいて、史学や文学だけでなく、流行りの漫画や芸能分野など、幅広いジャンルに言及していて、素晴らしいなあ、と思う。厳密に言えば、分かりやすさを追求している結果、異説・他説が漏れていくので、その部分は理解して読む必要があるだろう。でも、それは元々、両立できないので、いつだって、読者の側が了解しておくべき視点だ。

結構、この年になっても、児童書コーナに並ぶ、漫画で解説された書籍を手に取るボクだ。「分かりやすさ」を勉強しようと思ったら、児童書コーナを巡るのが一番の勉強法だ。元々、ボクは日本の歴史なんか、小学館の『学習まんが 少年少女日本の歴史』で学んだ口で、今でも桓武天皇とか足利尊氏とか、ついつい、あおむら純氏のイラストで想像してしまう。実はあんまり個性的な絵じゃない方が、こういう漫画の場合、本当はいい。その意味じゃ、大変、失礼な言い方になるかもしれないけれど、あおむら純氏の絵は最適だった。

この『ギリシア神話』の場合、伊勢田健一氏という人物(検索しても引っ掛からない!)がイラストを担当しているようだが、多少、クセはあって、全体的に美化されているとは言えるが、最近流行りの萌え要素も強調されていないし、もちろん、好みの問題はあるが、個人的には大きな違和感はない。こういうイラストを使った解説手法、もっともっと普及してもいいなあ。裾野が広がる。こういう手法だけが正解だとは思わないけれど、是非是非、学者先生には参考にしてもらいたい。

2015年12月26日 ピッピ、オーライよー!!

車両がバックする様子を、ツクル氏は「ピッピ、オーライ。ピッピ、オーライ」と表現する。トミカを手で走らせるときなんかに、よく口にしていた。ボクが「ピーッ、ピーッ、ピーッ」と言いながら走らせていたのを覚えたのだろうし、保育園の先生は「オーライ、オーライ」と言って走らせている模様で、その結果、合体して「ピッピ、オーライ」になった。でも、最近では、「こっちに来るな、戻れ!」の意味で「ピッピ、オーライ」を使う。「お風呂に入ろうか」と近づくと、「いややー。ピッピ、オーライ!」などと言ってくる。あるいは気に入らない食事を大皿から彼の皿に取り分けると、「その料理はいらない。大皿に戻せ」の意味で、「ピッピ、オーライ」を使う。子供って柔軟だなあ、と思う。本日は木製トーマスの線路を組み替えたときに、「元の姿に戻せ」の意味で「ピッピ、オーライ」を使っていた。いやはや。ちぃ子が髪の毛を縛っている状態でツクル氏に対面すると、「髪を解いて元の髪型に戻せ!」という意味でも「ピッピ、オーライ!」を使うらしい。不思議。

本日はツリーを片付けて、雑誌送付の準備。住所録の整理をした。Facebookにも新規申し込みの募集を兼ねた投稿をした。お正月に向けてラスト・スパート。