2015年11月12日 勝手に更新しておきながら、まさにテロル!!
ナイジェリア時間で昨日の朝、Windowsのアップデートがあって、いくつかプログラムが更新されたけど、その更新以降、一部のPowerPointが動かなくなった。立ち上がるとすぐにシャットダウンしてしまう。
最初、作成中のPowerPointデータが壊れたのかと思って真っ青になったけど、他のPowerPointもいくつか開かないので、昨夜、徹夜でトラブルシューティング。
明け方になって原因を突き止める。KB3097877という更新プログラムのせいらしい。日本時間の今朝あたりからいくつか解説サイトも立ち上がり始めた模様。
KB3097877をアンインストールしたらPowerPoint、復活したけど、海外出張中のパソコンの不具合は業務上、クリティカル。しかも、ネットも盤石じゃないわけで、ホント、勝手に更新しておいて不具合を出すなんて、テロ行為だと思う。
そんなこんなで徹夜。眠たい日だ。
2015年11月16日 トリコロール!?
フランスの同時多発テロを受けて、Facebookではプロフィール画面をトリコロールで染められる機能が実装されたらしい。確かに今、恐怖に震えるフランス人を勇気づける一定の効果はあるのかもしれない。でも、ボクはものすごく違和感を覚える。
フランスの国旗を掲げるということは、必ずしもフランス人に哀悼の意を表明することだけを意味しない。フランスという国家に与するとも解釈されかねない。その点は気をつけなければいけない。
いつの時代もそうだけど、人間の行為は、必ずしも勧善懲悪にはならない。そこに至るまでには、紆余曲折、いろいろな道を通ってきたはずだ。決してテロルが許されるわけではないけれど、欧米の理論、欧米の視点だけが全てではない。
Facebook上がフランスの国旗に染まることを想像して欲しい。それって、何のプロパガンダなんだろう。その気持ちの悪さは、実際に戦地になっているアラブ諸国の人々の目には、どんな風に映るだろう。人数で比較するものではないが、もっともっと人は死んでいる。そんな想像力が必要だ。
「私はフランス人に哀悼の意を表します!」なんてことを、わざわざプロフィールをトリコロールに染めて誇示するなんて、あまりにファッション的というか、カジュアルすぎる。そんな気がする。
(本当はFacebookに書きたかったんだけど、数名、友人もトリコロールに染まっていたので、こっそり、こっちに書く小心者www)
「敬愛するパリよ、貴女が目にした犯罪を悲しく思います。でもこのようなことは、私たちのアラブ諸国では毎日起こっていることなのです。全世界が貴女の味方になってくれるのを、ただ羨ましく思います。」
シリア出身UAE在住の女性アナウンサー https://t.co/GBOS1fNHWM
— Saeed Sato (@SaeedSato) 2015, 11月 14
عزيزتي #باريس نشعر بالاسف لما شهدته من اجرام.. لكن هذا ما يحصل لبلداننا العربية كل يوم.. أحسدك فقط على وقوف العالم كله الى جانبك.
— شهد بلان (@ShahadBallan) 2015, 11月 14
2015年11月25日 言論の不自由
誰かが何かを発言して、その言葉尻を捕まえて寄ってたかって叩く。言論の不自由な社会だ。
啓蒙主義、近代主義を経て、ようやくボクたちはいろんな自由や権利を獲得したはずなのに、インターネットに振り回されて、思想的に退化していないか?
言論の自由は、必ずしも自分が好きなことを言っていい、ということだけを意味しない。同じように、相手の発言も尊重しなきゃいけない。その当たり前のことが出来ない人が、最近、どうも多いらしい。
ネットサーフしていると、ときどき、息苦しくてブラウザを閉じてしまう。
2015年11月30日 水木先生が亡くなられた
ナイジェリアで朝、目を覚まして「今、何時だろうか」とiPhoneのホームボタンを押したら、画面の真ん中に水木さんが亡くなったニュースが通知されていた。現地時間で4時30分の出来事。思わず、起き上がってしまった。
ボクは日本が大好きだ、と自称している割に、実のところ、あんまり日本の妖怪には興味がない。ファイナルファンタジーやウィザードリィなどのゲームから妖怪の世界に入ったという経緯もあるんだろうけれど、妖怪というと水木しげるの印象が強くって、幼い頃のボクには、あんまり好きな絵柄じゃなかったことも影響しているだろうな、と想像する。大人になった今となっては、迫力のある個性的な絵で、案外、好きなんだけれど。だから、ゲゲゲの鬼太郎も、実は大真面目に観たことがない。たまたまテレビをつけたらやっているので観た、くらいのものだ。
そんなボクなので、水木先生が亡くなっても、93歳だし、天寿を全うしたよなあ。大往生だよなあ、などと思う。その一方で、ああ、一時代が終わったなあ、という感慨もある。
日本の妖怪の好事家たちは、大なり小なり、水木しげるの影響を受けている。特に、一反木綿や塗壁、小豆洗いや子泣き爺など、彼の絵が与えたインパクトはあまりにも大きくて、それが彼の創作であるにも関わらず、なかなかそのイメージから抜け出せない。多分、多くの妖怪好事家たちは、必死にそのイメージから逃れよう、逃れよう、と抗っているのではないか。特にイラストやデザインを生業にしている人にとって、脱水木しげるは、大きな命題のはずだ。
絵やイメージのない妖怪をヴィジュアル化する。これって、簡単なようでとても難しいことだ。それをたくさんやってのけたのが水木先生で、その功績も大きい。絵にならない言葉だけの妖怪は、ポピュラーにはなり得ない。その意味じゃ、たくさんの妖怪ファンを生み出したはずだ。その一方で、イメージを固定化させたという弊害(などと言うとかなり言葉が過ぎるが!)もあって、この戦いは続いていくのだろう。それだけ偉大だったということなのだけれど。
そんなことを考えつつ、本日は水木先生に思いを馳せながら、ナイジェリアで粛々と業務をしていたよ、というお話。