2015年2月23日 建設的ディスカッション!?

離乳食を頑として食べない息子に対して、必死に「楽しい食事」を演出する母。最近の我が家の日常である。ちぃ子が、ツクル君にあの手この手でいろいろなものを提供している。

でも、ボクは「食べたくないならお腹が空くまで放っておけばいいじゃん!」と思ってしまう。選り好みして、望んだものだけを食べるのをよしとはしたくないし、大人の食事を所望されて、試しに食べさせて、おいしくない、と思わせるのも不愉快だし、使えもしないフォークや箸を求めに応じて手渡して、その後、結局、それを使って食べられなくて泣き出すという件もナンセンスだと思う。目の前に与えられた食事が全てで、それを食べないなら、また後で、というスタイルでいいのではないか、と思ったりする。

お腹が空いて、それでも選り好みするほど強情だったら、それはそれで立派だな、と思う。でも、多分、お腹が空いたら、与えられたものを食べるだろうな、と想像する。その辺のコントロールも、多分、習慣ではないかなあ、とも思っている。

そんなことで、ちょっとした喧嘩をする。でも、これは、建設的ディスカッションである、と思う。

2015年2月23日 何でも屋さん、頑張り屋さん、仕切り屋さん!?

司会進行はボクの役目ではないんだけど、いつの間にか、会社でそういう雰囲気になっている。そもそも、ボクは議論の焦点がブレたり、進行がダレることに我慢できなく性質らしい。だから、ついつい「今、ズレていますよ?」とか「今、ダレてますよ?」というシグナルを発信してしまう。そのうち、じゃあ、司会進行は任せるよ的なポジションに置かれてしまう。

最近気がついたのは、意外と、みんな、まとめに入るのが苦手らしい。「こうしたらいいのでは?」という疑問形で投げかけることはするけれど、「じゃ、こうしましょう!」とは言わない。だから、ずぅっと疑問形のまんま、「で、どうするの?」みたいな感じで議論が発散して、いつの間にか雑談になっちゃったりする。その間、ずうっと「何となく、みんな、それでアグリーだよね!」みたいなふわっとした探り合いがあったり、「何となく方針も出たみたいだ」という安心感に包まれたりする。だけど、ボクはどうしても、「では、こういう結論でいいですね? それで行きますよ!」と確認したくなる。だから、まとめてしまう。そういうのもいけないらしい。じゃあ、任せるよ、と雰囲気になる。

何となく方向性が決まって、で、結局、誰がどうするの? というのが謎のパターンもあって、決めないうちに会議が終わりそうになったりもする。その辺も、ついつい突っ込みたくなって、締めようとする流れを制止してしまう。

別に仕切り屋になりたいわけじゃない。大体、会社の中じゃ、ボクが一番のペーペーなのであって、本来、仕切るような立場にはいない。でも、最近、気がつくと、そういうポジションに居座っていて、とても気持ちが悪い。

思えば、常にそういう発想で物事を考えてしまうから、ボクは毎日、ストレスが溜まるのだなあ。意外と、待つことが出来ないのだ。曖昧さを受け止められない。無意味な脱線も、雑談タイムも、許容できない。だから、イライラして、結果、お腹がしくしくと痛くなる。

気楽なハッピィ・ライフが理想のボク。こういう性格に、ちょっとした改善の余地がありそうだな、と思うが、いかがか?