2015年1月25日 ボクがテレビの報道に期待すること

朝からISのニュースばっかり。でも、ふわふわした情報ばっかりだ。写真と声が本人か確認しているなどと伝えているけれど、偽者を用意する方が容易じゃない。彼を脅して原稿を読ませるというのが一番、手っ取り早いわけで、みんな、その可能性を考えているはずだ。それなのに、メディアはそう断言しないことで、どこかに逃げ道を用意している。

最近、テレビのニュースは視聴者の思考回路よりも愚鈍だ、と思う。そもそも早さで言えばインターネットの情報の方が圧倒的に早い。それに比べて、ちゃんと編集されているという意味じゃ、妥当性とか正確さとかがテレビの強みなのかもしれないけれど、反対にそれがネックになって、いろんなしがらみの中で、曖昧なまんま報道することも多くなっている。そういうのなら、あんまり意味がない。

爆笑問題の太田が珍しくまともなことを発信している。メディアは喋りすぎ。本当にそう思う。曖昧なまんまで、時間枠を埋めるために、いろんな人のいろんなコメントをまき散らして薄めている。それも、どうだかなあ、という印象。

最早、時代遅れのメディアになっているのだろうか。インターネットの玉石混淆を正してくれる、という役割を、ボクはそれでも、まだ、テレビに期待しているんだけど。

2015年1月25日 ネオ・クール・ジャパン!?

Twitter上では「ISISクソコラグランプリ」が開催されているようだ。不謹慎だけど、面白いものが多数あって噴き出してしまう。昔から、ネットの住人には多才な人が多い。

人質が捕らえられているのに不謹慎だとか、相手がテロリストなのに自覚がないとか、そういうネガティヴな評価をされるだろうなあ、と思ったら、海外紙では、必ずしもそういう評価だけではない模様。もう少しだけ客観的に評価されている。曰く、「暴力にユーモアで対抗」とか「テロリストのプロパガンダの効果を減殺」などと書かれている。

テロリストが犯行声明を出す目的のひとつに、相手に対して優位であることを主張するとか、相手に脅威を与える、というのがあるかもしれない。グループ内部の士気を高める必要もあるし、新規メンバを募る必要もある。そういう意味では、YoutubeやTwitterを使って自分たちをPRするという戦略は非常に有効だ。でも、それに対して、ふざけたコラで返されたら、そういう目的はご破算だ。

まあ、コラをつくって送り込んでいる人間たちの大半には、そんなことには無自覚で、「祭り」に乗っかって楽しく騒いでいるだけかもしれない。それでも、「人質を助けるべき」という世論の盛り上がりをつくって安倍政権を切り崩そうというISの戦略の一部は、脆く崩れてしまったかもしれない。

まあ、日本には、当事者意識もなければ、危機感もない平和惚けした人間たちが多い、ということで、そういう日本をターゲットにしたのがひとつの失敗、ということかもしれない。ISはもちろん、アメリカもイギリスも、こういう日本人の振る舞いって、予測できなかっただろう。同じ日本人としては少し恥ずかしいような気もするんだけど、世界史の教科書の文化史に「ISISクソコラグランプリ」が載る日が来るかもしれない。

2015年1月29日 資料を貰いに電車で2時間の旅

1時間かけて皇居方面へ出掛ける。お仕事で、資料を先方に取りに伺ったのだ。久々に電車に揺られての遠出。東京のビジネス街はカチッとしていて、格好いい雰囲気があるので、その空気が好きだ。ちょっとした気分転換になる。

それにしても、このご時勢、資料ひとつ貰うだけのために、1人の人間が電車で1時間もかけて移動して、また1時間もかけて戻ってくるのだから、ナンセンスだ。ましてや貰ったのがDVDに焼いた電子ファイルなのだから、何とも言えない。オンライン上にアップロードするのは情報漏洩の危険性がある、ということで、リスク管理なのかと思ったけれど、中身を確認したら、そんなに後生大事に守るような大層なものではなかった。うーん。「わざわざ私が取りに来ましたよー」という誠意が求められているのだとしたら、まったく、バカバカしいよなあとか。

2015年1月30日 多様化は衰退ではなくって進化だッ!!

オリコンがミュージック・カードを集計しないという発表をしたらしいが、ボクはミュージック・カードなるものがあることすら知らなかった。完全に情報に乗り遅れている(笑)。

昔っから、エイベックスを中心に、音楽CDに特典としてDVDをつけたり、写真をつけたり、カードをつけたりしていた。握手権や投票権なんかがついてくる場合もある。それを疑問視する声は昔っからよく聞かれていた。でも、トレーディング・カードを主体にして、特典で音楽をつけてしまう、というのは逆転の発想で、ちょっと面白い。エイベックスが新モデルとして構築したシステムにオリコンがノーを突きつけた形になるわけだけど、でも、今更だ、とも思う。そもそも、投票権のために大量に購入したものを集計したり、A版、B版、C版、といろいろな版に対して集計することも、ボクとしては疑問だ。

「音楽は聴きたいが、DVDまでは要らない」というユーザは多いので、安価なCDのみのヴァージョンと、高価なDVD付のヴァージョンを用意するのは、顧客に選択肢を与えているという点で、レコード会社として、正しい選択だ、と思う。でも、CDのみのヴァージョンの音源と、DVD付のヴァージョンの音源で異なる仕様にして、コンプリートするためには両方を購入しなければいけない、というのは、ユーザ・フレンドリィではない。CDヴァージョンにも何らかの付加価値をつけた場合、それは特典Aと特典Bの選択を迫るものであって、特典Aと特典Bの両方を得たい人にとっては、同じ楽曲が含まれる無意味なCDをダブって持たされることになる。これはゴミの量産であって、ボクとしては受け入れがたい商法だ、と思っている。

価値観が多様化していく中で、みんながひとつの楽曲を良しとして共有するような時代は終わった。今は個々人が勝手に好きな音楽を聴く時代なのであって、Youtubeでは素人同然の人が楽曲を提供し、それを楽しむ人もいるし、今まではアンダーグラウンドに眠っていたような小さいライヴ・ハウスを基点にしていたようなアーティストも陽の目を見る可能性がある。そういう時代だ。ミリオン・セラーのように、万人に愛され、共有される楽曲は生まれにくい。でも、それは音楽の衰退なのではなくって、音楽の多様化。レコード会社にとっては売り上げを出しにくい社会なのかもしれないけれど、純粋に音楽を楽しむボクたち需用者サイドからすれば、良好な時代になった。その流れに抗おうとするから、変なことになる。テレビの視聴率とか、CDの売り上げで作品が評価できる時代ではないのだ。

だから、オリコンの発表そのものが、そもそもナンセンスな気がする。オリコン・チャートそのものが価値を持たなくなった時代なのだ。ミュージック・カードを含めようが含めまいが、ランキングは、時代のニーズを把握できるツールではなくなったのだ。ボクはそう思う。

2015年1月31日 聖ウァレンティーヌス万歳\(^o^)/

2月14日のバレンタイン・デーに向けて、いろんな店舗がチョコレート・フェアを展開している。横浜そごうでも、恒例のフェアを展開していて、いつもは日本じゃ手に入らないベルギーやフランスなどのショコラティエがブースを構えている。1年の中で一番楽しいイベントだ。

昨年はツクル君が生まれたばっかりだったので参加できなかったけど、今年はツクル君にちょっとだけ我慢してもらおう。本日、ツクル君を抱えて人混みに突撃。

ボクはやっぱりピエール・ルドンの色鮮やかなチョコレートとセバスチャン・ブイエの挑戦的な味のチョコレートが好きだなあ。今年も九州焼酎製菓の焼酎チョコレートが出ていて、心が踊る(笑)。

クリスマスもハロウィンもいいけれど、やっぱり盛り上がるべきはバレンタインだ。わくわく。